日本人はバイリンガルになるべきだ

2004-12-22 18:58:07 | Weblog
今、日本の至る所で方言が猛烈な勢いで姿を消しつつある。語彙が消えるのは致し方ないとしても音韻体系までテレビの標準語になりつつあるというのは由々しき問題だろうと思う。
こうなったら国民の世論を盛りたてて、小学校あたりで至急方言を教えて復活させるべきだろうと思う。少しでも自分の方言にプライドを持っているのであれば、完全に方言が滅亡する前に方言を復活させる努力をすることが必要ではないだろうか?
しかも、事は至急を要する。ホンモノの方言を話せる人が老齢化してどんどん亡くなっているのだ。学校の教師などは他所の出身者が多いから教えるのはダメだ。方言を生きた言葉として使っていたおじいさん、おばあさんに頼み込んで教えてもらうしかない。語彙ならばともかく音韻体系だけはそうするしかない。カリキュラムも過密状態だから週に1~2時間程度でいい。方言を教え、学んでほしい。方言が消滅する、ということは文化が1つ消滅することなのだ。日本語の言語教育は全部テレビにまかせて、方言は消滅するままに放置していいのだろうか。いいはずがないではないか?

方言を覚える、ということは、事実上バイリンガルになることだ。オランダなどはほとんど全国民がバイリンガルだと聞く。これは日常生活上の都合で、文化的な都合によるものではないらしい。日本で、文化的理由からバイリンガルの道を辿ることになるとすれば、それは世界でも画期的なことである。
バイリンガル、とは言っても何もそれほど負担になることとは思われない。方言の音韻体系をしっかり自分のものにすれば、あとは現実に使える語彙をいくらか覚えるだけだ。予算などいくらもかからないだろう。知れたものだ。英会話など覚える前にまず方言を覚えよ、と言いたい。自分の住む土地にプライドを持ちたまえ、ということだ。
全国どこでも方言は風前の灯だ。早く手を打たないと、方言は博物館でしか接することができない、ということになってしまうだろう。

方言の復権ということは、庄内弁の惨憺たる有様を見た藤澤周平の遺言でもあった。

庄内弁講座(9) ね(ねー)

2004-12-22 18:37:41 | Weblog
単音節の「ね」「ねー」とは何だと思います?実は、これは挨拶なんです。他人の家を訪問して、玄関で家人を呼び出したい時に使います。「今日は」「今晩は」の代りにです。これは、貴賎の別なく使いました。なにしろ単音節ですから、「ね」と言っても家人の耳に入る確率が低いです。だから大きな声で「ね」と言います。何度でも相手が出るまで言い続けます。それでもでないと初めて「今晩は」などと言うわけです。単音節の名前というのは困るそうですね。たとえば、これは地名ですが、「津」という立派な県庁所在地がありますが、東京駅などで「津」までの切符を買う場合、他の駅の切符を買うよりも苦労した、という話がありました。いきなり「ツ」と言われても駅員は困った顔をするばかりなので、「三重県の津まで一枚」などと言ったそうですね。