文を書き出す前に最も気を遣うのは、「・・・です」調で切りだすか、「・・・だ」調で切り出すか、ということだ。文の最初の数語で文全体の調子がガラッと変わる言語、というのは日本語の他にあるのだろうか?「です」で通せば丁寧で温和であるか、というと必ずしもそんなことはないから始末が悪い。慇懃無礼、ということである。ムチャクチャに丁寧な書き方でもって、相手をとことん辱める、という質の悪い芸当も日本語ならではだ。では「だ」調で通せば「です」よりは乱暴で断定的に聞こえるか、というと、これもそんなことはなさそうだ。自己主張の強さに関して言えば、「です」も「だ」もほぼ同じか、私の独断では「です」の方が若干上、というところではなかろうか?どちらを用いても、要は主張する内容次第なのだ、と考えればいいのかもしれないが、内容は全く同じことを言っても、「です」と「だ」では微妙な違いがあることは否定できない。かのユーモラスな文体の日本国憲法だって、あれを「~です」と書き直したらものすごく威圧的になるでしょう?笑うどころではありません。
最初の一文で全部が決まる、というこのユニークな性格を悪用して徹底的に「です」で通すサムライもいる。読むと何だか背筋が寒くなるような奇妙な感覚に襲われる。両方ある、とはいっても、日本語は基本的には「だ」言語だからだろう。ところがホームページというものは奇妙な存在で、「です」と「だ」の間で揺れ動いている。つまり、自分がいったい誰に向かって言葉を書き発しているか、が自分自身の中でよく分ってないからではないだろうか?私などはひどいもので、「です」で始まって途中で「だ」に変わり、さらにエンディング近くで再び「です」に戻る、という体たらくだ。これは日本語じゃない、と思うのだけれども、他人様には何とか分ってもらっているらしい。
こういう苦労のない印欧語圏の人々は羨ましい。けれども、たとえば英語ならば、文全体をどういう文体で組み立てるか、でもって大変な修行をするらしい。自分の文体を鍛える厳しさでは、日本人もはるかに及ばないのではなかろうか?高名な英米人の論文を読むと、その文の緻密さにはもう圧倒されるからね。文章上の変な装置が無い分、文全体で勝負しなくてはならない英米人の方がずっと書くことで苦しまざるをえないようだ。そうすると、「です」と「だ」に我々は感謝しなければならないのだろうか?
最初の一文で全部が決まる、というこのユニークな性格を悪用して徹底的に「です」で通すサムライもいる。読むと何だか背筋が寒くなるような奇妙な感覚に襲われる。両方ある、とはいっても、日本語は基本的には「だ」言語だからだろう。ところがホームページというものは奇妙な存在で、「です」と「だ」の間で揺れ動いている。つまり、自分がいったい誰に向かって言葉を書き発しているか、が自分自身の中でよく分ってないからではないだろうか?私などはひどいもので、「です」で始まって途中で「だ」に変わり、さらにエンディング近くで再び「です」に戻る、という体たらくだ。これは日本語じゃない、と思うのだけれども、他人様には何とか分ってもらっているらしい。
こういう苦労のない印欧語圏の人々は羨ましい。けれども、たとえば英語ならば、文全体をどういう文体で組み立てるか、でもって大変な修行をするらしい。自分の文体を鍛える厳しさでは、日本人もはるかに及ばないのではなかろうか?高名な英米人の論文を読むと、その文の緻密さにはもう圧倒されるからね。文章上の変な装置が無い分、文全体で勝負しなくてはならない英米人の方がずっと書くことで苦しまざるをえないようだ。そうすると、「です」と「だ」に我々は感謝しなければならないのだろうか?