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石牟礼道子さん死去

2018年02月10日 | #あ~人生

石牟礼道子(熊本県水俣出身)さんが死去されました。(yahooニュース)。

石牟礼道子さんのご冥福をお祈りいたします。(合掌)

石牟礼道子さんは、

1969年(昭和44年)に発売された『苦海浄土 ・わが水俣病』の著者です。

衝撃を受けた本でした。

 

『苦海浄土 ・わが水俣病』が発売される1年前の1968年(昭和43年)9月26日に、

厚生大臣故園田直氏(熊本県天草出身)が、水俣病を公害病と初めて認定しました。

水俣病は、チッソ水俣工場のメチル水銀化合物が原因である、と認定したのです。

患者正式発見から12年、原因発見から9年後のことでした。

 

水俣病に関する年表です。

1946年(昭和21年):日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。

1949年(昭和24年)頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。

1952年(昭和27年):熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。

1953年(昭和28年):熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。

1954年(昭和29年):8月1日付 熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。

1956年(昭和31年)5月1日:水俣病正式発見。

 

※ 新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、

新奇な疾患が多発していることに気付き、1956年5月1日、

「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。

この日が水俣病正式発見の日とされる。

1956年(昭和31年)5月1日:水俣病正式発見。

 

1956年5月1日の水俣病正式発見の日から、実に、

12年5ヶ月後に、水俣病はチッソ水俣工場のメチル水銀化合物が原因である。

と政府が認定したのです。公害病とされるまで、12年もかかりました。

そんな中、1年後に石牟礼道子さんの『苦海浄土 ・わが水俣病』が発売されました。

1968年(昭和43年)9月26日:水俣病を公害病と政府が認定する。

1969年(昭和44年):苦海浄土(石牟礼道子・著)発行。

石牟礼道子さんのご冥福をお祈り致します。合掌。

 

石牟礼道子・著  苦海浄土=わが水俣病=

人間の尊厳とは何か。

”魂”の声が書かせた『いのちの文学』 苦海浄土。

超お勧めの本です。

 

 

 

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