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福岡:飯塚事件 無罪で死刑執行か?

2025年03月01日 | #福岡県・飯塚事件
福岡:飯塚事件 久間三千年氏は無罪で死刑執行されたのか?
結論、久間三千年氏は無罪ですね。無罪で死刑執行されましたね。

裁判所が、久間三千年氏の再審を認めるワケがありません。
この国は、3権分立じゃなく、行政権が立法権も司法権も支配しています。

2025年2月28日(金)の熊日新聞をスキャンしました。(下の画像)


2025年2月28日(金)の熊日新聞をスキャンしました。(上の画像)



真相に触れてはいけない飯塚事件。
 



***********************************************


行政権が司法権をも支配しているいい「事例」があります。
司法権を支配した自民党政権が、有能なジャーナリストを殺した事例です。


当時、毎日新聞の記者であった西山太吉氏がスクープした「密約」事件です。
沖縄返還時に、日本政府と米国政府の間で取り交わされた「密約」です。


結論から言いますと、「密約」はあったのですが、日本政府が、
西山太吉氏のスクープを「情を通じたスクープ」だと発表したのです。
これを受けマスコミも司法も「密約」じゃなく、
「情を通じた情報」で終わりにしました。


福岡:飯塚事件も、「新証言の新証拠はない」で幕引きです。
福岡:飯塚事件は冤罪ですが、死刑執行されています。
行政に支配された司法が、福岡:飯塚事件の再審請求を認めるものですか!!


*********************************************



2023年2月24日、西山太吉氏が死去。享年91歳。ご冥福をお祈りします。

 


 





 
米国の公文書公開以降の動き。
アメリカ合衆国政府では、
密約の存在を示す文書は2000年5月に既に機密解除された。
2000年5月 朝日新聞が、アメリカ国立公文書記録管理局で、
25年間の秘密指定が解かれたアメリカ公文書類の中に、密約を裏付ける文書を発見した。

 
西山太吉氏がスクープした400万ドル以外に日本が1億8700万ドルを
アメリカ合衆国に提供する密約が記されていた。

 
アメリカ国立公文書記録管理局にて公文書として閲覧可能であるが、
日本国政府(自民党独裁政権)は、
2009年(平成21年)まで『密約文書の存在を否定』し続けて来た。

 
2005年4月25日に西山太吉氏は
「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償請求訴訟を提起したが、
2007年3月27日の東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は、
「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却、
密約の存在には全く触れなかった。



西山太吉氏は「20年経過で請求権なし」という判決に対し
「2000年の米公文書公開で初めて密約が立証され、提訴可能になった。
25年経って公文書が公開されたのに、
それ以前の20年の除斥期間で請求権消滅は不当」として控訴した。



密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長・吉野文六を証人申請したが、
東京高等裁判所は「必要なし」と却下した。


2008年2月20日、東京高裁での控訴審も「20年の除斥期間で請求権は消滅」と、
一審の東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。

 
ここでも密約の有無についての言及はなかった。
判決後の会見で西山太吉氏は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。
日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。


 
西山太吉氏は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷は上告を棄却し、
一審・二審の判決が確定した。


3日後の朝日新聞の社説は、「政府が国民にうそをつき続ける」と書いた。


2008年9月、西山太吉氏を支持するジャーナリスト有志が
外交文書の情報公開を外務省と財務省に求めたが、2008年10月2日「不存在」とされた。
これにより、西山太吉氏は提訴した。
2010年4月、東京地方裁判所は文書開示と損害賠償を命じる一審判決が下った。

 

判決では行政機関が文書を保有していたことの立証責任は請求者側に義務があるとしたが、
過去のある時点において文書が保有されたことを立証できれば、
特段の事情がない限り不開示決定の時点でも文書を保有していると判断できるとした。

 

2011年9月、東京高等裁判所は外務・財務両省が徹底した調査でも
文書が発見されなかったことなどを考慮し、
文書が廃棄されるなどした可能性も否定できないことは、特段の事情にあたり、
不開示決定の時点で文書があったとは認められないとし、
文書開示と損害賠償を認めない判決を下した。


 
2014年7月14日、最高裁判所第二小法廷は
「特段の事情」について文書の内容や性質、作成経緯、
保管体制などに応じて個別具体的に検討すべきとし、
その上で密約文書については、過去に作成されたとしても、
不開示決定時点まで保有されていたことまでは推認できないと結論づけ、
上告を棄却し、密約文書を不開示とした政府の決定を妥当だとする判断を下した。
 


西山太吉氏は
「これでは都合の悪い情報は廃棄してしまえば公開しなくてもいいということになる。
ひどい判決だ」と語り、同判決を批判した。

 
 
さらに、アメリカの公文書公開によって、
400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことや、
この密約以外に、日本が米国に合計1億8700万ドルを提供する密約、
日本国政府が米国に、
西山太吉氏のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになっている。


 
2009年9月16日、自公連立政権から代わった民主党政権の鳩山由紀夫内閣が成立した。

 
外務大臣に就任した岡田克也は外務省に、かねて計画していた情報公開の一環として、
密約関連文書を全て調査の上、公開するよう命令した。


これにより設置された調査委員会が2010年3月、
全てについて密約及び密約に類するものが存在していた事を認めた。

 
 
外務大臣岡田克也氏は2010年5月、
作成後30年を経過した外交文書については、全て開示すべき事を定めた。

 
その後も菅直人内閣において引き続き事件の見直しが試みられたが、
11月に発生した尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件以降は尻すぼみとなった。


2012年12月16日投開票の第46回総選挙で自民党・公明党が大勝し、
再び自公連立政権に戻った。


2013年、自公による第2次安倍内閣は特定秘密保護法案を提出、成立させた。

森雅子国務大臣は、
2013年10月22日の記者会見で、同法案で処罰の対象となる
「著しく不当な取材」について質問され、
「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております。」
と答えた。同法は、2013年12月6日成立した。


 
アメリカのナショナル・パブリック・ラジオは、
特定秘密保護法の論評で本事件にも触れ、
 「日本の裁判所は、報道の自由についての裁判で、
報道機関側に有利な判決を下したことはない。


唯一の判例である1978年の最高裁判決は、
国家安全保障を理由にジャーナリスト(西山太吉氏)の有罪判決が確定された。
西山太吉氏が公開した情報は、
アメリカ合衆国では機密指定を解除されていたのだが」と論評している。

 
「司法」までも支配した自民党独裁政権が、有能なジャーナリストを殺しました。
2023年2月24日、西山太吉氏が死去。享年91歳。ご冥福をお祈りします。

 
 


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【飯塚事件】第2次再審の行方①新たな証拠「白い車に女の子2人が」

2025年02月03日 | #福岡県・飯塚事件
【福岡:飯塚事件】第2次再審の行方

新たな証拠「白い車に女の子2人が」弁護団は何を訴えてきたのか 
弁護団が訴える新たな証拠とは、目撃証言です!!
【福岡:飯塚事件】の目撃者の証言を聞いてください。
無罪の久間三千年氏を処刑してしまった事件です。

裁判所が再審請求を認めるワケがありません。
無罪の久間三千年氏を処刑してしまったのですから。
 

 


 
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飯塚事件(福岡県)元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を申し立てました。その1。

2025年02月03日 | #福岡県・飯塚事件
飯塚事件(福岡県)元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を申し立てました。
新たな目撃情報を根拠に2度目の再審請求を行いました。
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第2次再審の行方①新たな証拠「白い車に女の子2人が」 弁護団は何を訴えてきたのか。
裁判所は、「新たな証拠」は、信用ならないと再審請求を退けました。
死刑執行された事件です。国が、裁判所が、冤罪を認めることはありません。
この国から「正義」の二文字はとうの昔に消え去りましたから。







 
 
 
飯塚事件とは、1992年2月20日に、
福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明になり、
翌21日に同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された事件です。
 
 
福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月に、
死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。
その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。

久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、
福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。
最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。
そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。
 
2009年に久間さんの妻が再審請求しましたが、
2021年4月に再審請求棄却が確定しました。
2021年7月に久間さんの妻が【第2次再審請求】を申し立てました。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 
 
「飯塚事件」で元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を行いました。
※新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言です。
 
「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えています。
目撃証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになります。
死刑執行後の第2次再審請求は異例の展開を見せています。
 
飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、
DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、
2006年9月に最高裁で死刑が確定しました。
 
久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していましたが、
死刑確定わずか2年後の2008年10月に死刑を執行されました。
 

2009年に妻が起こした第1次再審請求では、
再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定
の結果が実質的に証拠から排除されたものの、
「それ以外の状況証拠を総合すれば
久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」
と判断されました。
 

最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は2021年4月の決定で、
弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていました。
 
 

軽自動車にランドセルを背負った女子児童。
飯塚事件が起きたのは1992年2月20日です。
登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、
同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、
ともに遺体となって見つかりました。
 
 
確定判決では、首を絞められたのが死因で、
殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされました。

同日午前11時ごろに、
のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、
とする証言が状況証拠の柱になっています。
 
 
第2次再審請求書によると、
新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。
 

2月20日の午前11時ごろ、
飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、
後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた
白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。
 

児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。
運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。
児童のうち1人はオカッパ頭で、
ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、
うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。
 

もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。
軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、
後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に
「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」
との思いで男性のほうを凝視したそうです。
 
 
久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」。
Aさんは目撃した日の夜、
飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。
平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、
表情から家族連れとも思えなかったので、
不審に感じて翌朝、警察に通報しました。
約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。
Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、
運転していた男性が真犯人だと確信していた。
 
このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して
同一人物かどうか直接確認したが、
「まったくの別人で驚いた」としている。
 
ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、
「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。
今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が
(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。
 
 
「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」
との思いが湧き起こった。
この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。
 
 
「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く。
Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、
弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」
と記している。
それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。
 
Aさんは当日、
100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、
さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして
「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、
「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。
 

平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、
「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、
「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。
 
また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、
Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、
記憶が明確化されて維持されたと指摘している。
 
 
目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、
弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、
運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。
 
 
「事件のことがずっと頭に残っていた」
弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。
主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、
Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて
「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」
と捜査を批判した。
 
 
Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。
弁護団は2次再審で、
久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、
関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。

 
 
 
この証言をめぐっては、
目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に
久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、
証言内容を誘導した疑惑が浮上している。
 
 
弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、
Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと
立証するための課題を挙げながらも、
「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、
Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。
 
 
 
 
 


 
 
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死刑が執行された「福岡県・飯塚事件」

2024年12月28日 | #福岡県・飯塚事件
死刑が執行された「福岡県・飯塚事件」です。
無実の久間三千年さんが処刑されました。

福岡高裁が、飯塚事件の証拠目録を開示するように、
福岡検察に請求しましたが、福岡検察はこれを跳ねのけました。

久間三千年さんを有罪とした証拠目録を開示すれば、
久間三千年さんの無罪が証明されます。
久間三千年さんはすでに処刑されています。


死刑が執行された「福岡県・飯塚事件」です。
検察が証拠を開示することはありません。
検察は、袴田巌さんの「袴田事件」で、学習していますから、
飯塚事件の証拠目録を開示することはありません。



 

※コメントが届きました。
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是非、読んでください!



2024年12月28日(土)の熊日新聞をスキャンしました。(下の画像)。



2024年12月28日(土)の熊日新聞をスキャンしました。(上の画像)。

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再審の扉を速やかに開ける「法律」を、なぜ創らない!!



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飯塚事件とは、1992年2月20日に、
福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明になり、
翌21日に同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された事件です。
 
 
福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月23日に
死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。
その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。

久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、
福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。
最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。
そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。
 
2009年に久間さんの妻が再審請求しましたが、
2021年4月に再審請求棄却が確定しました。
2021年7月に久間さんの妻が【第2次再審請求】を申し立てました。
 
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「飯塚事件」で元死刑囚の妻が【第2次再審請求】を行いました。
 新証拠は「真犯人」にかかわる目撃証言です。
 
「真犯人」にかかわる目撃証言を新証拠に据えています。
目撃証言が事実なら事件の構図が全面的に覆ることになります。
死刑執行後の第2次再審請求は異例の展開を見せています。
 
飯塚事件では直接的な物証や自白がないまま、
DNA鑑定や目撃証言などの状況証拠を積み重ねて久間さんの死刑判決が導かれ、
2006年9月に最高裁で死刑が確定しました。
 
久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認していましたが、
死刑確定わずか2年後の2008年10月に死刑を執行されました。
 

2009年に妻が起こした第1次再審請求では、
再審無罪となった「足利事件」と同じMCT118型で行われたDNA鑑定
の結果が実質的に証拠から排除されたものの、
「それ以外の状況証拠を総合すれば
久間さんが犯人であることについて高度の立証がされている」
と判断されました。
 

最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は今年2021年4月の決定で、
弁護団が提起した多くの疑問点に向き合うことさえせずに請求を門前払いしていました。
 
 

◆軽自動車にランドセルを背負った女子児童。
飯塚事件が起きたのは1992年2月20日です。
登校中の午前8時半すぎに行方不明になった児童2人は、翌日正午ごろ、
同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、
ともに遺体となって見つかりました。
 
 
確定判決では、首を絞められたのが死因で、
殺害時刻は20日午前8時半~9時半の間とされました。

同日午前11時ごろに、
のちに児童の遺留品が発見される現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、
とする証言が状況証拠の柱になっています。
 
 
第2次再審請求書によると、
新たな目撃証言をしたのは福岡県内に住む男性Aさん(72歳)です。
 

◆2月20日の午前11時ごろ、
飯塚市内の国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中に、
後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた
白いワンボックスタイプの軽自動車を見たといいいます。
 

児童2人が行方不明になった地点と近接した場所です。
運転していたのは30~40歳くらいの色白の男性で、坊主頭、細身の体形。
児童のうち1人はオカッパ頭で、
ランドセルを背負ってAさんを見つめており、恨めしそうな、
うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だったそうです。
 

もう1人は横になっていて、そばにランドセルがありました。
軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下でゆっくり走っており、
後ろについたAさんはイライラしながら登坂車線で追い越した際に
「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」
との思いで男性のほうを凝視したそうです。
 
 
◆久間さんの初公判を傍聴し「別人で驚いた」。
Aさんは目撃した日の夜、
飯塚市で女子児童2人が行方不明になったことをニュースで知りました。
平日の午前中にランドセルを背負った児童が車に乗っているのは不自然だし、
表情から家族連れとも思えなかったので、
不審に感じて翌朝、警察に通報しました。
約1週間後に事情聴取を受けたそうです。1週間後です!!
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

その際、警察官は手帳にメモを取っていたが、供述調書は作成されなかった。
Aさんは、自分が目撃したのは被害に遭った児童であり、
運転していた男性が真犯人だと確信していた。
 
このため、福岡地裁での久間さんの初公判(1995年2月)を傍聴して
同一人物かどうか直接確認したが、
「まったくの別人で驚いた」としている。
 
ただ、検察の冒頭陳述で「DNA型が一致した」と聞き、
「自分の目撃は事件とは関係なかったのか」と気持ちをしまい込んでいた。
今回、証言しようと考えたのは「DNA鑑定の結果が
(再審請求審で)否定された」と2019年に地元紙の記事で知ったのがきっかけだ。
 
 
「そうであれば自分が見たのはやはり真犯人だったに違いない」
との思いが湧き起こった。
この新聞社に連絡して取材を受け記事になったことで、弁護団とつながった。
 
 
◆「まさか誘拐では」と感じて強い記銘力が働く。
Aさんが弁護団に証言をした時点で事件から約28年が経っており、
弁護団も再審請求書に「信用性の判断には慎重な検討が求められる」
と記している。
それでも「新証拠」と主張するのは、以下の理由からだ。
 
Aさんは当日、
100万円の売掛金が回収できなかった帰途でイライラし、
さらに前方をノロノロと走行していた軽自動車にイライラして
「どんな奴が運転しているのか」と運転手を注視しており、
「単なる追い越し時の目撃にとどまらなかった」とみる。
 

平日の午前中にランドセルを背負った子どもが車に乗っている状況を不審に思い、
「まさか誘拐ではないか」と直感したことも挙げて、
「強い印象を抱いた、つまり強い記銘力が働いた」と分析している。
 
また、警察官の事情聴取を受けたり久間さんの初公判を傍聴したりと、
Aさんが目撃内容を確認する機会がその後も反復しており、
記憶が明確化されて維持されたと指摘している。
 
 
目撃した軽自動車が向かっていたのは遺体発見現場とは違う方向だったが、
弁護団はゆっくり走行していたことなどと併せて、
運転していた男性が犯行の場所を思い迷っていたためではないかと見立てている。
 
 
◆「事件のことがずっと頭に残っていた」
弁護団は2021年7月9日、第2次再審請求の申立て後に福岡市で記者会見を開いた。
主任弁護人の岩田務弁護士は、事件発生当時、
Aさんが警察に通報しながら証言が無視されたことについて
「警察はすでに久間さんを犯人にするのに都合が良い証拠だけを集めていた」
と捜査を批判した。
 
 
Aさんも同席し「事件のことがずっと頭の中に残っていた」と心情を吐露した。
弁護団は2次再審で、
久間さんの車と特徴が一致する車を遺留品発見現場で見たとする証言についても、
関連する捜査報告書などの証拠開示を求めていく方針だ。
 
 
 
この証言をめぐっては、
目撃者の調書を作成した警察官がその2日前に
久間さんの車を見に行っていたことが明らかになっており、
証言内容を誘導した疑惑が浮上している。
 
 
弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は2次再審へ向け、
Aさんが見たとする男性や児童が事件の当事者だと
立証するための課題を挙げながらも、
「状況証拠の柱になっている車の目撃証言の信用性を崩す中で、
Aさんの新証言はアナザーストーリーにもなる」と説明した。
 

 
 


 

 

 
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袴田巌さんの無罪が確定しました。死刑執行が行われた飯塚事件の久間三千年さんは?

2024年10月09日 | #福岡県・飯塚事件
袴田巌さんの無罪が確定しました。


死刑執行が行われた飯塚事件の久間三千年さんは?

福岡県警は事件が発生してから約2年半後の1994年9月23日に、
死体遺棄容疑で久間三千年さんを逮捕しました。
その後、久間三千年さんを殺人罪などで起訴しました。

久間三千年さんは一貫して無罪を主張しましたが、
福岡地裁は1999年9月、久間さんに死刑を言い渡しました。
最高裁も2006年9月に久間さんの上告を棄却しました。
そして、わずか2年後の2008年10月に死刑が執行されました。












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