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万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第19回「攘夷決行」

2010年05月09日 22時36分08秒 | 龍馬伝

ダークサイド半平太と幕府・土佐・長州暗躍の章でございました。


どうも私の先入観がいけないのですが,武市瑞山というと清廉潔白で白皙の美丈夫といったイメージが払拭できず,本作のような腹黒く選良意識に凝り固まったような設定は,どうしても違和感が抜け切れません・・・。


あっさり平井が失脚してしまいましたが,どうなんでしょうね。
例の青蓮院宮(久邇宮朝彦親王,通称中川宮)へ令旨を請うた,というものですが,容堂の勤王党切り崩し策に嵌られた・・・という設定はいかがなものでしょうね・・・。
確かに,中川宮は翌年薩会同盟の元締め的存在であったり,再来週あたり放送されるであろう長州藩失脚の八月十八日の政変後に孝明天皇の信任を得たりとか,公武合体的な動きをした点で容堂と一致するから・・・ということなんでしょうか・・・。
容堂が収二郎を半平太から離反させる策を・・・とも思われないので,やはり土佐勤王党は半平太を中心とした一枚岩たり得なかった,ということだと思います。
まして収二郎は,脱藩した龍馬と文久2(1862)年8月に江戸で会って時世を論じたりしているのですから,上士として(本作にその設定が無いのは困ったものですが・・・)独自の動きをしていたことは事実でしょう・・・。


御老公を信じる半平太くんに龍馬くんは釘を刺しますが,半平太くんは聞きません。
このあたりは,開明的な殿様として知られた容堂だけに,実際のところ勤王党としては期するものがあったのかもしれません。
このあたりに土佐藩の悲劇があり,さらには容堂の勤王とは学識も地位も有る自分なればこその勤王,幕府在っての勤王というものであり,前に述べたように郷士づれが勤王を口にするなど言語道断,といったところだったでしょう・・・。
さらに述べてしまえば,武力倒幕に対するウルトラCとも云うべき大政奉還は,公武合体を旨とする容堂の発案・献策と云われているようですが,発案は龍馬で後藤象二郎が容堂に献策したというのが実際でしょう(龍馬の活躍に否定的な向きは,そう思わないようですが)。
ですから四賢候の一人と云っても,容堂が幕末維新に果たした役割は,土佐勤王党を弾圧して,有為な若者を失わせただけだった・・・と,私なんかは思います・・・。


さて,攘夷です。
馬関海峡での砲撃事件を語ると,文久2年から元治元(1864)年までの長州藩の藩論と政権に関して長々と述べることになるので(長井雅楽の航海遠略策とか),今回は割愛しますが,正式には,馬関海峡での砲撃事件は何度か起きています。
ま,今回のは文久2年5月の砲撃と,翌月のそれに対する米艦ワイオミング号による報復のことのみが語られました。
周知のように,長州藩は八月十八日の政変で京都での主権を失い,翌年の池田屋事件と禁門の政変で多くの若者を失い,さらには四国艦隊下関砲撃・占領と幕府による第一次長州征伐によってとどめを刺される・・・という踏んだり蹴ったりの時代に突入するわけで,本来なれば足腰立たなくされた長州と,足腰立たなくした薩摩を龍馬が結びつけて武力倒幕を回避し・・・という筋書きになるわけですが,そうした意味でも幕末の奇跡は龍馬によって演出されたと言っても良いかと思います・・・。


来週は,いよいよ容堂が牙を剥くようです・・・。
江戸が舞台になるのは文久3年の夏以降かな・・・。
佐那おねいさんは,長身のイケメンと熱愛中だそうで・・・(泣)。
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