koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第25回「寺田屋の母」

2010年06月20日 20時03分31秒 | 龍馬伝

伏見寺田屋でのお登世との邂逅シーンからスタート。
池田屋の変直後の伏見ですから,当然のことながら新撰組や伏見奉行所の幕吏が張っている筈なんですけどね・・・。
それに元治元(1864)年6月と考えると,龍馬の格好は暑苦しすぎませんかねぇ・・・。
そんでもって,お登世に18年前土佐に居なかったかと聞き,母上に似ているとカミングアウトする始末・・・。
さらに母上と呼んで良いですか・・・と来たもんだ・・・(目が点・・・)
12歳で母親を失ったといいますが,龍馬はマザコンだったのか・・・。
似ているのは当然です,二役ですから・・・という突っ込みは別として,草刈さん良い味出してます。
船宿の女将らしい雰囲気が出ていてとても良かったのですが・・・
うん,あの先日の衝撃的だった全段ぶち抜き広告と同じ方とは思われないし・・・。
煙管を持つ手も何となくいなせでよさげな雰囲気です・・・。
ところが・・・。
お登世は龍馬の5つ上で天保元(1830)年の生まれです(吉田松陰と同い年だ・・・)。
ですからこの時点で35歳。
昔の人は早く年を取ると考えても,5つ上の女性に母親の面影を感じるというのはどのようなものかと・・・。
むしろ年上のおねいさんに憧れる・・・という設定の方がまだ自然ではないかと思うのですが,どんなものでございましょう・・・。


ま,それはさておきいきなり禁門の政変が始まってしまいました。
突如登場する真木和泉に来島又兵衛。
久坂義助(玄瑞)も激高していて,宥める桂・・・。
確かにその通りなんでしょうけど(久坂はやむなしという感じで過激な藩論に従い,やる以上徹底的に・・・といった印象が強いのですが),唐突すぎやしませんかねぇ・・・。
池田屋の変でもそうでしたが,何で新撰組が池田屋を襲撃したのか,動機付けが極めて曖昧というか全く足りませんでした(長州藩士古高俊太郎が拷問で口を割ったので判った)。せっかく時間を取っているのですから,そのあたり(長州が暴発する経緯と踏んだり蹴ったりになった事情)を要領よく且つ丁寧に描いて欲しかったです・・・。
又兵衛は銃撃にあって討死は史実と思われますが,久坂は鷹司卿に嘆願しようとしたものの鷹司の拒否に遭い,悲憤慷慨のうちに同士の寺島忠三郎と刺し違えた筈です。
どの史料を見てもそう考えている筈なのですが・・・。
何故薩会同盟が成立したのか,御所を守っていたのは誰なのか(一橋慶喜と松平容保),長州が暴発するに至った経緯は・・・といったことが語られず,ストーリーの進行が龍馬の私生活に終始していたのが残念でした・・・。
で,予想通りまた京で桂と遭いましたね・・・。
乞食の格好で敢えて京洛に残り,愛人の幾松(後の木戸孝允夫人松子)までをも敢えて無視をしていたという桂が龍馬と話す道理はございません・・・。
何でもかんでも史実に主人公を絡めたがる近年の大河の悪弊が出てしまっていた回でした・・・。


いや,確かに面白いんですけどね・・・。
突っ込みどころ満載だし・・・。
でも,やはりここは「坂の上の雲」の再開が待たれるところです。
オールスターキャストが鼻につくという意見もあるようですが,悪いけど「天地人」といい「龍馬伝」といい,何かエキスを「坂の上の雲」に吸い取られた・・・という訳ではないでしょうけど・・・。
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2 コメント

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悔しくて無念! (桔梗)
2010-06-23 12:50:03
夢と希望にあふれ神戸に移ってからわずか1年。
操練所が閉鎖になることに・・・。

「わしの夢やった日本の海軍がのうなってしもうた・・・。
わしは どうすればえいがじゃ~!!」
龍馬の悲鳴が聞こえてきそうです。

歴史に「もし・・・だったら?」は無いといわれるけれど、
もしあの時、亀弥太が池田屋にいなかったら・・、
龍馬達はあのまま訓練を続け、海軍を作ることができたのだろうか。
たった1人のために・・。
幕府も莫大な費用をかけてつくったであろうに
なんともったいない・・。

メリケンパーク内にある5体のモニュメント、(モアイ像のように見えます)
1991年、彫刻家 流 政之氏 制作ですが、そこに書かれている文が今の気持ちを表しています。

「神戸小野浜に勝海舟、坂本龍馬によってつくられた海軍操練所が存在した。 ~ 夢をはたせず志なかばで倒れていった若者達を神戸海援隊と名付け、その短い青春の夢をここに刻む」

今回は龍馬の気持ちになって見ていました。
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神戸海援隊か・・・ (koshi)
2010-06-27 20:41:17
桔梗さん,今晩は。
神戸海援隊とは言い得て妙な・・・。
初めて知りました。
貴重な情報をありがとうございました。

神戸海軍塾から池田屋や禁門の政変に走ったのは亀弥太だけではありません。
池田屋で真っ先に斬られたと思われる北添佶摩も同様でしたし,その他も居たに違い有りません。
幕府の金で不逞浪士養っているという矛盾はありますが,勝という人物が如何に柔軟な施行の持ち主であったかを偲ぶことができるというものです。
またぜひ神戸の情報など教えていただけると有り難いです。
神戸は史跡の宝庫ですね。
会下山とか和田岬,湊川神社(傍は通ったことあります)とか聞くとわくわくします・・・。

あとさっき本日の感想をアップしました。
お読みいただけると有り難いです・・・。
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