koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

チャイコフスキー/後期三大交響曲:ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

2009年07月20日 22時33分59秒 | 音楽

先週の木曜,仕事で街歩きをしたので,又してもPARCOのTower Recordで買ってしまった。
3枚組で2,980円。
HMVの通販でも通常は4,500円で,国内盤は6,900円だから,半値以下である。
如何に国内盤が高いか分かるというものだ。


全集を3セット持っていることは以前述べたが,後期三大交響曲のみとなると結構な数になる。
古い順に列挙すると,3曲ともそろっているのがモントゥ~ボストン響,バルビローリ~ハレ管,シルヴェストリ~フィルハーモニア管,ムラヴィンスキー~レニングラードフィル,アバド~ウィーンフィル・ロンドン響と5セット。
カラヤン~ベルリンフィル(勿論71年のEMI盤。後は不要)は4番が欠け,ムーティ~フィラデルフィア管は6番が無い。
バーンスタイン~ニューヨークフィルの新盤はやはり4番が無い。
4番単体だとクーベリック~ウィーンフィルのEMI盤,同~バイエルン放送響の非合法ライブ盤だけしか持っていないと思うが,5番だけだととんでもない量になる。
クリップス~ウィーンフィル(隠れた名盤だ),ケンペ~ロンドン響,同~バイエルン放送響,プレートル~ニューフィルハーモニア管,シャイー~ウィーンフィル,アバド~シカゴ響,ロジェストヴェンスキー~ロンドン響,プレヴィン~ロイヤルフィル,バティス~ロイヤルフィル・・・といった具合である。
6番単体は,ステレオ初期の名盤と言われたマルティノン~ウィーンフィルとビシュコフ~アムステルダムコンセルトヘボウ管 ぐらいしか持っていないと思う。


さぁ,そこでようやくゲルギエフ~ウィーンフィルのチャイコフスキーである(前振り長すぎ)。
周知の通り,ゲルギエフはサンクト・ペテルブルグのキーロフ劇場のシェフであるから,そのロシアの灰色熊のような容貌からしても,きっと目一杯ルスティカーナの演奏ではないか,そして洗練の極にあるウィーンフィルがどう応じるかが聴きものと思われた。


第4番から聞く。
冒頭のホルンのsoliと続くトランペットによるファンファーレから,あれ・・・となる。
音色が抜けてこない・・・。
Allegroの主部に入ると,弦楽の響きの重心が極めて低く,おどろおどろした感じである。中間部のほのかな明るさを湛えた部分も重苦しい感じは消えない。
思い出したように襲ってくる冒頭の動機も,ウィーンフィルの金管にしては抜けが良くない。
逆に低弦とトロンボーンは唸りを上げるように響く為,重苦しさは一層助長される。
第二楽章の中間部もトランペットの抜けが悪く,盛り上がらない。
後半2楽章は快速に駆け抜けるが,爽快感や痛快さは無い。
終曲など8分台前半という演奏時間なので,さぞや快刀乱麻を断つような快演では・・・と期待したのだが,全くはぐらかされた。
それにしても,終曲冒頭の2発のシンバルが抜け落ちているのは,ゲルギエフが恣意的にやったことなのだろうか。
それともライブでのポカなのか・・・(まさかと思うが・・・)。


次いで第6番。
基本的にゲルギエフのアプローチは4番と変わらない。
甘美極まりない第2主題はむせかえるように歌われるが,ここでも低弦が唸りわたるので重苦しさは減じない。
例のppppppp→ffffffも,予想した以上にダイナミックレンジの幅が狭く,さして盛り上がらないが,終盤近く絶頂を極めるように威圧的にトロンボーンのsoliが鳴り響く様は圧巻である。
第2楽章はさらりと流す感じだが,中間部の低音の刻みがくっきりと聞こえる。
2+3/4という極めて不安定なリズムを持つワルツだけに,不気味さが助長される。
そして第3楽章。
本来なら三拍子系のスケルツォに当たる楽章に,敢えて12/8拍子(八分三連符一つで一拍だから四拍子になる)のマーチを配置したのは,チャイコフスキーの卓抜したオーケストレーショの賜であるが,ここを8分台前半で駆け抜ける痛快な演奏を期待したら,ここでも見事にはぐらかされた。
とにかく弾けない。
チャイコフスキーの交響曲は,金管と打楽器が鳴ってなんぼ,と思ってきたが,そうした期待や予想は見事に裏切られ,萌えない,もとい燃えない演奏となっている。
故に,この演奏の最大の聴きどころは,重圧感と息苦しいほどの圧迫感な満ちた終曲となる。
これは実に見事であるが,全体としてPhillipsらしからぬ籠もった音質もあってか,不完全燃焼に終わったきらいは拭えないような気がした・・・。


しかし,ここまで聴いてきてふと思った。
チャイコフスキーの音楽は,作曲者自身の心理とか精神状況ばかりが取り沙汰されるようだが,考えてみれば19世紀末の帝政ロシアが爛熟や斜陽を通り越して,もはや坂を転げ落ちるような凋落ぶりを露呈していた時期である。
そうした絶望的な世相も作風に大いに反映された筈である。
そう考えると,チャイコフスキーの交響曲が重苦しく演奏されるのは当然のことなのである。
絶叫したり弾けたりするのも有りならば,その逆も又真なりである。
考えてみたら,最もスラブ的と言われたムラヴィンスキーの演奏に一番近いのが,フランス人であるピエール・モントゥが指揮した演奏という話だし(確かにテンポ感は近い),それに比べると,スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキーといったモスクワ勢の方が圧倒的にルステイカーナである。
だから私が今まで聴いてきたチャイコフスキーの交響曲の演奏は,皆明るく弾ける演奏だったとも言える。
特にウィーンフィルが演奏したものだと,しなやかなスピード感と歌に満ちたアバドの第4,絶妙なテンポルバートで聴かせるマルティノンの第6など,陽性のチャイコフスキーの典型だったのだ・・・。


でもって最後に第5を聴く。
実はこれのみが98年のザルツブルク音楽祭のライブで,以前FMで聴いたことがあったのだ。
で,これが第4,第6とは打って変わった弾けた熱演となっている(終曲のティンパニの連打は,粒が揃わないのが残念だが・・・)。
録音もORF(オーストリア放送協会)によるものだが,02年にウィーン楽友協会大ホールでPhillipsによってライブセッション録音された前者2曲と印象が違うのは,単なるアコースティックの違いに起因するものなのだろうか・・・(70年代からORFによるザルツの放送録音を聴いてきたが,いずれも抜けの良いバランスで,毎年楽しみにしていた)。
それとも世紀を跨いだ4年間で,ゲルギエフ自身に何らかの変化があったのだろうか・・・。
そのあたりは想像するしかない・・・。


・・・という訳で,謎が深まったCDセットだった。
手兵であるキーロフ劇場のオケを振った第6(95年フィンランドでのライブ)が凄演らしいので,そちらを聴いてからいろいろと考えてみたい。
ロンドン響を指揮したプロコフィエフの交響曲全集も欲しいところだが,どうするか検討中である。
値段なら小澤~ベルリンフィル,ギンギンなのは多分ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送響だろうが(P協全集もついている)・・・。


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