イザヤ書43章14節から21節までを朗読。
今朝は18,19節に「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。19 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」。
私どもは比較的保守的ですから、昨日の今日、今日の明日とできるだけ変化のない生活を望む。世間の一般的な信仰もそうですね。幸せになるようにと願うけれども、その幸せは今自分が願っていることが実現することです。今の平和な状態がいつまでも続くように、悩みや悲しいことが起こらないように、病気にならないようにと願います。自分が満足しているこの生活が変わらないで、いつまでも続くのが多くの人の願いです。今日、取りあえず元気である。不足を言えばいろいろある。持病もあるし、時には病院に行かなければいけないが、欲を言えばきりがない。この辺で我慢して、これ以上悪くならないように、このまま明日も、明後日も、来年も、十年後も、できればいつまでもこのままで生きたい。自分の願った人生ではなかったかもしれないが、これでいいかと思っている。だから、できるだけ変わらないように、一生懸命に励もう、お祈りもしようと思う。
ところが、神様はそのように願っていない。私たちに対して、もっとダイナミック(躍動的)なことをしようとしている。9節に「見よ、わたしは新しい事をなす」と言われる。「新しい」とは未経験な事です。これはこうなるに違いない、これは大丈夫と思えることを、神様がなさるのではない。神様を信じて、主と共に生きる生活は、考えてみたら大冒険です。ところが、それと知らずに、イエス様を信じたためにとんでもない波乱万丈の生活、こんなはずではなかった出来事に出会います。信仰を持って、平穏な、穏やかな生活をと願ったのに、どうしてなのだろうかと言われる方がいます。信仰に入ったためにいろいろと問題が起こって大変です。これだったら信仰しなかった方が良かったと言われる方がいますが、それは大間違いです。そもそもイエス様を信じて生きる生活は波乱万丈です。決して平穏無事ではないことを知っておきたい。これからの人生もそうです。残された月日がどのくらいあるかわかりませんが、次から次へと事が起こります。
神様はイスラエルの民に18節で「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない」と言われます。「さきの事」とは、英語の聖書では “the days gone by”、過ぎ去った日々とあります。自分を振り返って、若いとき、あるいは壮年のとき、結婚してからのこと、いろいろな月日を生きてきました。その間に、あのこと、このことも経験した。だから人生が大体わかった気持ちになっている。人生八十年もよく生きてきたものだと思います。人生について大体わかっているから、若い人が「結婚だ、これからどうしよう」という時、「そんなのは考えているより、結婚すればわかる」と言える。あるいは「子供ができた、さぁ、どうしよう。子育てが大変だ」とうろたえる人に、「私は三人も育てた、何を言っているか!」と言うようになります。それは自分の経験、過ぎ去った日々があるから、それに照らし合わせて、こうなるに違いない、人のすることに大きな変化はあるまいと思う。今、子供がかわいい、と言っているが、そのうち子供が悲しみの種になるとわかっているから、先が読める。だから、あまり有頂天になれない、また悲観もしない。それは自分の経験に照らして考える。それが「さきの事を思い出す」ことです。更に「また、いにしえのことを考えてはならない」とあります。「いにしえ」とは、もう少し長い歴史のことです。過ぎ去った歴史、”past history”、と英語の聖書にありますが、江戸時代であるとかそれ以前の時代、あるいは国々の歴史も含まれるでしょう。そのような過去のいろいろなことを参考にしながら、経験則によって今という時を生きている。
ところが、神様を信頼して生きる生涯は、そのような経験、長い歴史が役に立たない。19節に「見よ、わたしは新しい事をなす」。過去に経験したこととは全く違う、新しいことを、神様は「起こす」と言われます。14節以下に記されていますが「あなたがたをあがなう者、イスラエルの聖者、主はこう言われる、『あなたがたのために、わたしは人をバビロンにつかわし、すべての貫の木をこわし、カルデヤびとの喜びの声を嘆きに変らせる』」と。イスラエルの民がバビロンに捕囚として連れて行かれたとき、神様はエレミヤを通して「あなたがたは、七十年そのバビロンで過ごしなさい」と命じました。イスラエル人は誇り高い民族、自分たちが神の民であること、神様の選びの民であるという自負を持っていた。そのような自分たちが異邦人であるバビロンで、カルデヤ人に支配される。捕虜となって生活することは、まことに屈辱的です。到底、耐え難い苦しみであった。しかし、神様はそれを求められました。それは当然です。神様から選ばれ、召され、神の民であった者が、救い主である神様を忘れて、ほかの神々に頼ろうとしたからです。神様は忍耐をもって、何度となく彼らの悔い改めを求めましたが、彼らはそれを拒みました。何をしても、神様は必ず許してくれると侮っていた。ところがこの時、神様はバビロンという大国を起こして、イスラエルを攻めさせ、ユダを攻めて、国を亡きものにしてしまう。イスラエルの民を異邦人の手に渡してしまう。イスラエルの人々には、自分たちには神様がついている。神様がいつも後ろ盾であったはずではないかと思った。ところが、この時の戦は負け戦です。「戦ってはならない。あなたがたは捕虜となりなさい」と言うのが神様のみ思いでした。過去の経験からするならば、これは破天荒なこと、想像のつかないことであった。しかし、神様は、彼らを造り変えて、新しくするために、それをなさった。だから、エレミヤを通して「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:11)。神様の思いは決して彼らを捨てるためではなかったのです。
エルサレムも廃墟となって、彼らはバビロンに連れて行かれました。そこでの七十年の年月がたつ。神様はもう一つ預言なさった。14節に「わたしは人をバビロンにつかわし、すべての貫の木をこわし、カルデヤびとの喜びの声を嘆きに変らせる」と。イスラエルの民を捕虜として捕らえていったカルデヤ人、バビロンの大国を、次なる人によって壊滅させると言われる。ここに「わたしは人をバビロンにつかわし」とあるのは、その後起こったペルシャ帝国のことです。ペルシャ帝国のクロス王が神様からの使命を受けて、バビロンを壊滅に追い込む。この帝国を崩壊させて、そこからイスラエルの民を救い出します。ここに「貫の木をこわし」と言われるのはバビロンに捕囚として捕らわれていたイスラエルの民を解放することです。今まで勝利の喜びにわいていたカルデヤ人、大国としての栄誉栄華を我がものにしていた彼らの喜びの声を、今度は嘆きに変えてしまう。ところが、この話を聞いたころ、バビロンはまだ優勢を誇っていた。イザヤが語った預言を信じることができない。やがて約束のように七十年がたったとき、神様はが然、事を起こしました。ペルシャ帝国が興(おこ)って、あれよあれよという間にすべての国々を席巻(せっけん:かたはしから領土を攻め取ること)して、ついにバビロンを崩壊に追い込んだ。これは神様の業だったのです。
ところが、預言者イザヤの話を聞いたころは、まだそのような事態や事柄が起こったわけではない。彼らはこのままいつまでも捕囚の状態に置かれると思っていた。到底変わりようがない。どのように考えてみても、そこから変わる方法がない。そのようなとき、神様は18節に「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない」と言われた。過去のこと、自分が経験したこと終わったこと。同じことが繰り返すことはない。「見よ、わたしは新しい事をなす」。神様が全く想像のつかない、思いもつかない事柄をしてくださると言われる。しかし、私達は、これはこうなってほしい、あれはこうあってほしい、ここはこうでなければ嫌だ、だから神様、どうぞ、そのようにしてくださいと自分のシナリオ、自分の計画を神様に持ち出して、そうなるようにと願います。だから、自分のプロセス(手順)、自分の描いた道筋と違うことになったら、「どうしたのでしょうか」「どうしてでしょうか」とうろたえます。神様は「新しい事をなす」と言われるように、私たちに次から次へと新しいことを備えてくださいます。その後に「やがてそれは起る」と。新改訳聖書には「今、もうそれが起ころうとしている」と訳されています。「新しい事をなす」とおっしゃる。それは将来、いつかわからないけれども、先になって起こるというのではなくて、いや、もうそれは時々刻々、私たちに起こっている。
人が年を取るのは、ある意味で未知との遭遇、新しい世界へ踏み出していくことだと思います。周囲に先輩を見て、自分より五歳上とか十歳上の人を見ながら、自分もあと五年たったらあのようになるのかと、わかったつもりでいます。自分の親のことを振り返って、八十歳にもなったらあっちが痛い、ここが痛いというだろうな。そのうち白内障にもなって手術もするだろうと、いろいろなプログラムが見えている。ところが、現実にそうなったとき、全く新しい事態です。大雑把にそのようなものと理解はしていますが、具体的にどのような思いがあるか、悲しいことであるか、あるいはつらいことであるか、苦しいことであるか、不安であるかは、当たってみないとわからない。事柄として、目次として、この年になったらこうなる。ひざが痛くなって腰も悪くなるだろう。あるいは時には肺炎も起こして入院もするだろう。私の父を見ていますと、自分も七十代くらいになったら肺炎も起こすのかなと想像する。しかし、たとえ父がそのような病気になったからといって、自分も同じような経験をするとは言えない。あくまでも先輩のことをいろいろ聞いて、知識として知っているのであって、具体的に自分がなったわけではない。そのような状況になるのは、私たちにとってはじめての経験です。だから、六十歳になり、七十、八十歳になって、今まで自分の人生になかった新しい世界、新しい体験の中に踏み込んでいることを知っておきたい。
父も「八十にならんと、八十歳の人の気持ちはわからん」と言っていました。家内の父も最近はよくそのように言います。九十歳になりますので、「もっと元気を出して、……」と励ますと、「お前たちは九十にならんと九十歳の気持ちはわからん」と言います。そのとおりだと思います。私が九十歳になって気持ちがわかったときには本人はいませんから……。これはどうにもつながらない。だから、私たちは言うならば本当に孤独です。人と経験を共有することは不可能です。振り返って見ると、両親のことを考えて、あの時もう少しこうしてやればよかったなとか、あのときもう少し理解してやったらよかったなと、悔やむことが時々あります。でも、そのときは精いっぱい親の立場になって考えていたつもりです。ただ自分がその年に近づいてみると、やはり違っていたなと思います。じゃ、今、してやろうと思っても、“親孝行、したい時には親はなし”と言うように、墓石に布団の一つでもかけてやろうかという気持ちになる。親子であっても断絶していると思います。だから、息子や娘が私のことを理解してくれると思ったら大間違いで、あまり期待しない方がいい。理解してくれないのが当たり前、わからないのが当たり前です。
そのような境遇の中で、誰が主なのか? 大切なのは人ではない。周囲の人、あるいは家族の人でもなく、神様が私たちに日々新しいことをしてくださってい
る。これを信じることが神様を信頼すること、神様に委ねることです。神様に委ねると、何をされるかわからないから、怖いと言われる。「先生、私は神様に一切を委ねました」と言われる。私はびっくりする。「大丈夫かな、そんなに委ねて」と。「委ねる」とは、神様に白紙委任ですから、何をされてもよろしいと、そこまで神様に信頼することです。ところが「委ねました」と言いながら、「あんなになった、こんなになった。どうしよう、なんでだろう? 」とうろたえる。「先生、こんなになりました。どうしましょうか」と。「あなた委ねたのでしょう」「いや、委ねたけれども、このことは委ねたつもりはない」。聞いていると、これもあれも委ねたのは少なかった。委ねるとは、神様に対して百パーセント白紙です。どうなろうとも、これは主が備えたことと、言い得ることが信頼です。それを言えないなら、まだ不十分です。
19節に「見よ、わたしは新しい事をなす」と、神様は新しいことをすると言われる。何をしてくださるか、神様に対して期待していく。それは必ずしも自分が考えるいいことばかりではない。その後に「わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」とあります。「荒野」は、人の住まない所、人の寄りつかない場所です。そこに多くの人々が通って道ができてしまう。今は、山の中にでもブルドーザーで削って、アスファルトを流して、道を造りますが、イザヤの時代に道路公団があったわけではない。人のいない所に道を造るなんて、まずしない。今は、人の行かない山奥でもハイウエーが出来て、一日に何台かしか通らない道もあります。しかし、イザヤの時代、道が出来るときは、人が頻繁に行き来することによって出来上がっていく。荒野は人が近づかない、人は誰も来ない所に多くの人が寄り集まって、素晴らしい恵みの場所に変わるということです。また「さばくに川を流れさせる」。「砂漠」とは、水のない所、雨の降らない所です。そこに川が流れてくるという。川は干からびて、乾燥して命が消えかかったすべてのものを潤(うるお)して、さまざまな動植物がたくさんに増え広がって、さばくが変わっていく。これを読みますと、神様は素晴らしいことをしてくれるのだと思うでしょう。そのとおりです。ただ、私の願ったようにではない。どうぞ、このことを知っておいてください。ここで言われるのは、人の想像を超えたことをなさると理解していただきたい。「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」、私にとって一番良いことをしてくださる。そのとおりです。ただ、その一番良いことが何であるかは神様任せですから、私どもが自分で良し悪しを言うことはできません。神様はいろいろな中を通されるに違いない。しかし、それは私たちの想像を超え、経験を超え、思いを超えたことです。時には、自分にとって痛いことであり、つらいことであり、苦しいこと、悲しいことであるかもしれない。しかし、決して神様は悲しいばかりに終わらせない。そのことを通してやがて私たちが、主を喜び、感謝するようになる。
20節に「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ」。必ず私たちをして神様をあがめ、神様を喜び、感謝し、褒めたたえる者へと変えてくださる。ただ、そこに至るまで、荒野に道ができ、さばくに水が流れてくるために、時には痛いことも、つらいことも、苦しいこともあるのです。ただ、その事を避けてはならない。どんなことも、今神様が私のために新しいことをしてくださっていると信じ貫いていく。信じ通していかなければ、結果を得ることができません。だから、今、何か問題を抱え、悩みの中にあるならば、それは主が私のために新しいことを始められたことです。
私は自分自身を振り返って、今こうして主の御用をさせていただいていますが、いったいどうしてこんなことになったのか。どこで道を間違えたのかなと思う。そもそも牧師になりたいなんて毛頭思ったこともない。いや、できるだけそこから遠ざかろうと思って逃げ出した者です。自分の夢を求めて、好きな道を歩んでいました。考えてみますと結婚が契機だったのかなと思います。私は就職して、名古屋に一人でアパートを借りて住んでいました。結婚することになり、少し広い所に移ろうと思った。ちょうどそのころ名古屋市内が東の方に発展して、開発が進んでいた時代、今から35年も前ですから、都市開発された所に安いアパートがあることを聞いて、不動産屋さんが紹介してくれました。できるだけ安くて、交通の便のいい所を願いました。新しく開通した地下鉄駅が通っているそばに、物件がある。不動産屋さんの車に乗せてもらって行った。近くの角をクルッと曲がるときに、『一麦教会』と看板があり、矢印が入っていた。それが一瞬目に留まったのです。それまでは別の教会に行っていましたが、引っ越せば遠くなるので、できるだけ近くがよかろうと思っていました。私はそのころはあまり信仰に熱心ではなく、お勤めで、両親が口やかましく言うから、教会に行っていました。だから、できるだけ近い方がいい。どこでも教会は同じだと思ったのです。近くに教会があるなら、ここが良いなと、木造二階建ての一番奥の部屋に決めた。そのときは新築で、比較的新しい部類だったと思います。9月に結婚しましたから、8月に引っ越しました。母が手伝いに来てくれ、日曜日に一緒にとにかく教会に行こうと出かけました。歩いて10分足らず。それが始まりでした。
家内と結婚して、9月から生活をするようになりましたが、名古屋には友達はいない、親戚はいない、親もいない。私は昼間仕事に出かけます。たった二間ばかりの部屋ですから、掃除も30分もあれば終わる。家内は昼間何もすることがない。9月から10月となり、日の落ちるのも早くなるにつれてさみしくなる。暇を持て余していましたから、私は「教会が近いのだから、牧師館に行って洗濯の手伝いなり、掃除の手伝いでもさせてもらいなさい」と言いました。家内も暇だから「じゃ、行ってみよう」という事になりました。その教会は女性の牧師先生で、ご主人である牧師がお召されになられ、奥様が跡を継がれてまだ5年ぐらい過ぎた頃です。礼拝は70人から80人くらいの集まりだった。牧師夫人であった方が、牧会に立たれたから大変です。そこへ家内が行きまして、牧師館でいろいろな交わりを持たせていただきました。ウィークデーの集会、家庭集会にも先生のお供で付いていくようになりました。また、婦人会の人々との交わりの中に入る。翌年1月ぐらいに、家内に教会学校の先生をしてくれと依頼されました。
私はできるだけ教会とはかかわりたくない。あまりややこしいことに巻き込まれないようにと敬遠していた。しかし、家内が教会学校の御用をさせていただくようになり、帰ってくる度にいろいろな話をする。私がそばでいろいろと提案もするし、批判もする。家内はそれを教会に行って正直に言う。向こう様はえらい迷惑ですね。そのうち「そんなに陰で言わないで、ご主人に出てきてもらいなさい」と。とうとう4月から高校生クラスを開きたいから、榎本さん是非教師になってくれと。今まで陰口ばかり言っていたから、今度は表に出て教会学校の御用をさせていただくようになりました。それからあとは泥沼、次から次へと……。先生も大変信頼してくださって、いろいろなことを相談もしてくれるし、任せてもくれる。牧師の家庭にいましたから、教会のいろいろな中の様子のことがよくわかる。先生も一言いえば何もかも理解してくれる相手がいるから、何でも頼みやすい。だから、あれもしたり、これもしたりといろいろなことをしました。今振り返ってみますと、結婚生活35年のうちの14年間は名古屋でそのような訓練のときであったと思います。
21年ぐらい前に、この献身へ導かれました。その年の年末から、新年にかけて、これまでの自分の生き方、これからの人生をどうするのか、主の御霊に迫られました。自分の一切を捧げて、なんとしても主の御愛に応えようと強く願いながら、これは神様から出たことだろうか、祈りつつ御言葉を求めて、聖書を読み、静まっておりました。明けて元旦、年賀状がきました。そのときの父からの年賀状の御言葉が「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る」。これは私に対して、神様が語っていると受け止めました。私の想像を超えた、思いや願いを超えたことを神様はなさる。そこで初めて心が定まりました。これは主から出たことだ。その後は大水が流れるごとく、あれよ、あれよという間に、マンションも処分しましたし、仕事も辞めました。全部清算しました。そしてもう一度ゼロから、ただ神様だけに信頼して、福岡に遣わされました。
私は北九州で生まれ育ちましたが、福岡へは年に一度、二年に一度行くか行かないかくらいで、福岡とは大変距離がありました。だから福岡のことは何も知らない。父が兼牧して大濠公園教会に出かけていましたが、それは父のことで自分のことではない。私は知りません。どんな所か何もわからない。今でも思い出しますけれども、3月の末、夕方父と私と家内と三人ではじめて大濠の地に来ました。そのとき、これからどのような人生が待ち受けているか、皆目わからない。しかし、神様は「わたしは新しい事をなす」、実に新しい本当に自分の想像を超えた、思いを超えた具体的なわざが始まったことを悟って、厳粛な気持ちになりました。
私が献身に導かれたとき、両親の驚きもそうでした。ほんのつい一ヵ月半ほど前、その年の11月に、父が肺炎のため講壇で倒れました。礼拝中に咳き込んで、おう吐する事態になりました。その第一回目の肺炎のときです。私は11月15日前後、大学の学園祭があり、休みになったので、退院した父を見舞いに来た。もう元気になっていました。それで安心して、私は二度と九州には戻ってくるようなことはないから、夫婦仲良く老後をやってくれと言い置いて帰った。それから一月半です。年が明けた朝、私がそのような神様のお取り扱いを受けたとき、父も「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る」と偉そうに書いたくせに、事実そのようなことになってびっくり仰天した。それこそ、自分が考えていることと違う。神様はまさにそのようなことをなさる方です。
私どもは、ああではないか、こうではないか考え、思い煩いはやめましょう。神様は私たちをどんな所でも用いてくださる、導いてくださいます。しかし、神様の趣旨、神様がなさる最終目的は、20節に「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる」ことです。獣でも山犬であっても、神様を褒めたたえ、賛美するものに変えてくださる。21節に「この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである」。私たちをして、神様を褒めたたえる民にすると言われる。これが神様の最終目的です。だから、何があっても、どんな所に導かれても、良いと思うことでも、悪いことであっても、神様が新しいことをしておられるのだと知ってください。
雅歌の4章16節に「北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように」。「北風よ、起れ、南風よ、きたれ」と、「北風」は、肌を刺すような厳しい風です。そのような嫌だと思うこと、逃げ出したいと思うつらいこと、苦しいこともある。神様は「する」と言われるのですから。私たちのご機嫌を伺いながら、これでよろしいかと尋ねることはありません。神様は一方的に新しいことをなさる。それは「北風」であるかもしれない。時には「南風」でもあります。南からの風は温かく、心地よい優しい風です。北風も南風もどんなものでもこいというのです。「わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ」と。「わが園」、私たちの生活の中、私の人生、生涯に、北風も南風も吹いてこい。そこで香りを広く散らせる。キリストの香りを、主にある恵
みと喜び、感謝の歌声を響かせる。その後に「わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように」。神様が収穫なさる。私たちの実を得るものとなってくださる。私たちがぶどうの木となって、豊かに実を結ぶように、北風も南風もさまざまなものを起こして、円熟した、芳醇な実を結ぶ者となし、神様の誉れを述べさせ、神様を褒めたたえる者にしようとなさる。何があっても神様がそのことをしてくださる。
イザヤ書の43章19節「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか」。「あなたがたはそれを知らないのか」とおっしゃいます。「ええ、知りませんでした」とならないように、「はい、あなたがこのことをしてくださいました」と主を崇めましょう。「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせて」、驚くことを、思いもかけない、想像を超えたことをしてくださる主を信じて、御手に潔(いさぎよ)く自分を委ねていこうではありませんか。
ご一緒にお祈りをいたしましょう。
今朝は18,19節に「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。19 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」。
私どもは比較的保守的ですから、昨日の今日、今日の明日とできるだけ変化のない生活を望む。世間の一般的な信仰もそうですね。幸せになるようにと願うけれども、その幸せは今自分が願っていることが実現することです。今の平和な状態がいつまでも続くように、悩みや悲しいことが起こらないように、病気にならないようにと願います。自分が満足しているこの生活が変わらないで、いつまでも続くのが多くの人の願いです。今日、取りあえず元気である。不足を言えばいろいろある。持病もあるし、時には病院に行かなければいけないが、欲を言えばきりがない。この辺で我慢して、これ以上悪くならないように、このまま明日も、明後日も、来年も、十年後も、できればいつまでもこのままで生きたい。自分の願った人生ではなかったかもしれないが、これでいいかと思っている。だから、できるだけ変わらないように、一生懸命に励もう、お祈りもしようと思う。
ところが、神様はそのように願っていない。私たちに対して、もっとダイナミック(躍動的)なことをしようとしている。9節に「見よ、わたしは新しい事をなす」と言われる。「新しい」とは未経験な事です。これはこうなるに違いない、これは大丈夫と思えることを、神様がなさるのではない。神様を信じて、主と共に生きる生活は、考えてみたら大冒険です。ところが、それと知らずに、イエス様を信じたためにとんでもない波乱万丈の生活、こんなはずではなかった出来事に出会います。信仰を持って、平穏な、穏やかな生活をと願ったのに、どうしてなのだろうかと言われる方がいます。信仰に入ったためにいろいろと問題が起こって大変です。これだったら信仰しなかった方が良かったと言われる方がいますが、それは大間違いです。そもそもイエス様を信じて生きる生活は波乱万丈です。決して平穏無事ではないことを知っておきたい。これからの人生もそうです。残された月日がどのくらいあるかわかりませんが、次から次へと事が起こります。
神様はイスラエルの民に18節で「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない」と言われます。「さきの事」とは、英語の聖書では “the days gone by”、過ぎ去った日々とあります。自分を振り返って、若いとき、あるいは壮年のとき、結婚してからのこと、いろいろな月日を生きてきました。その間に、あのこと、このことも経験した。だから人生が大体わかった気持ちになっている。人生八十年もよく生きてきたものだと思います。人生について大体わかっているから、若い人が「結婚だ、これからどうしよう」という時、「そんなのは考えているより、結婚すればわかる」と言える。あるいは「子供ができた、さぁ、どうしよう。子育てが大変だ」とうろたえる人に、「私は三人も育てた、何を言っているか!」と言うようになります。それは自分の経験、過ぎ去った日々があるから、それに照らし合わせて、こうなるに違いない、人のすることに大きな変化はあるまいと思う。今、子供がかわいい、と言っているが、そのうち子供が悲しみの種になるとわかっているから、先が読める。だから、あまり有頂天になれない、また悲観もしない。それは自分の経験に照らして考える。それが「さきの事を思い出す」ことです。更に「また、いにしえのことを考えてはならない」とあります。「いにしえ」とは、もう少し長い歴史のことです。過ぎ去った歴史、”past history”、と英語の聖書にありますが、江戸時代であるとかそれ以前の時代、あるいは国々の歴史も含まれるでしょう。そのような過去のいろいろなことを参考にしながら、経験則によって今という時を生きている。
ところが、神様を信頼して生きる生涯は、そのような経験、長い歴史が役に立たない。19節に「見よ、わたしは新しい事をなす」。過去に経験したこととは全く違う、新しいことを、神様は「起こす」と言われます。14節以下に記されていますが「あなたがたをあがなう者、イスラエルの聖者、主はこう言われる、『あなたがたのために、わたしは人をバビロンにつかわし、すべての貫の木をこわし、カルデヤびとの喜びの声を嘆きに変らせる』」と。イスラエルの民がバビロンに捕囚として連れて行かれたとき、神様はエレミヤを通して「あなたがたは、七十年そのバビロンで過ごしなさい」と命じました。イスラエル人は誇り高い民族、自分たちが神の民であること、神様の選びの民であるという自負を持っていた。そのような自分たちが異邦人であるバビロンで、カルデヤ人に支配される。捕虜となって生活することは、まことに屈辱的です。到底、耐え難い苦しみであった。しかし、神様はそれを求められました。それは当然です。神様から選ばれ、召され、神の民であった者が、救い主である神様を忘れて、ほかの神々に頼ろうとしたからです。神様は忍耐をもって、何度となく彼らの悔い改めを求めましたが、彼らはそれを拒みました。何をしても、神様は必ず許してくれると侮っていた。ところがこの時、神様はバビロンという大国を起こして、イスラエルを攻めさせ、ユダを攻めて、国を亡きものにしてしまう。イスラエルの民を異邦人の手に渡してしまう。イスラエルの人々には、自分たちには神様がついている。神様がいつも後ろ盾であったはずではないかと思った。ところが、この時の戦は負け戦です。「戦ってはならない。あなたがたは捕虜となりなさい」と言うのが神様のみ思いでした。過去の経験からするならば、これは破天荒なこと、想像のつかないことであった。しかし、神様は、彼らを造り変えて、新しくするために、それをなさった。だから、エレミヤを通して「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:11)。神様の思いは決して彼らを捨てるためではなかったのです。
エルサレムも廃墟となって、彼らはバビロンに連れて行かれました。そこでの七十年の年月がたつ。神様はもう一つ預言なさった。14節に「わたしは人をバビロンにつかわし、すべての貫の木をこわし、カルデヤびとの喜びの声を嘆きに変らせる」と。イスラエルの民を捕虜として捕らえていったカルデヤ人、バビロンの大国を、次なる人によって壊滅させると言われる。ここに「わたしは人をバビロンにつかわし」とあるのは、その後起こったペルシャ帝国のことです。ペルシャ帝国のクロス王が神様からの使命を受けて、バビロンを壊滅に追い込む。この帝国を崩壊させて、そこからイスラエルの民を救い出します。ここに「貫の木をこわし」と言われるのはバビロンに捕囚として捕らわれていたイスラエルの民を解放することです。今まで勝利の喜びにわいていたカルデヤ人、大国としての栄誉栄華を我がものにしていた彼らの喜びの声を、今度は嘆きに変えてしまう。ところが、この話を聞いたころ、バビロンはまだ優勢を誇っていた。イザヤが語った預言を信じることができない。やがて約束のように七十年がたったとき、神様はが然、事を起こしました。ペルシャ帝国が興(おこ)って、あれよあれよという間にすべての国々を席巻(せっけん:かたはしから領土を攻め取ること)して、ついにバビロンを崩壊に追い込んだ。これは神様の業だったのです。
ところが、預言者イザヤの話を聞いたころは、まだそのような事態や事柄が起こったわけではない。彼らはこのままいつまでも捕囚の状態に置かれると思っていた。到底変わりようがない。どのように考えてみても、そこから変わる方法がない。そのようなとき、神様は18節に「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない」と言われた。過去のこと、自分が経験したこと終わったこと。同じことが繰り返すことはない。「見よ、わたしは新しい事をなす」。神様が全く想像のつかない、思いもつかない事柄をしてくださると言われる。しかし、私達は、これはこうなってほしい、あれはこうあってほしい、ここはこうでなければ嫌だ、だから神様、どうぞ、そのようにしてくださいと自分のシナリオ、自分の計画を神様に持ち出して、そうなるようにと願います。だから、自分のプロセス(手順)、自分の描いた道筋と違うことになったら、「どうしたのでしょうか」「どうしてでしょうか」とうろたえます。神様は「新しい事をなす」と言われるように、私たちに次から次へと新しいことを備えてくださいます。その後に「やがてそれは起る」と。新改訳聖書には「今、もうそれが起ころうとしている」と訳されています。「新しい事をなす」とおっしゃる。それは将来、いつかわからないけれども、先になって起こるというのではなくて、いや、もうそれは時々刻々、私たちに起こっている。
人が年を取るのは、ある意味で未知との遭遇、新しい世界へ踏み出していくことだと思います。周囲に先輩を見て、自分より五歳上とか十歳上の人を見ながら、自分もあと五年たったらあのようになるのかと、わかったつもりでいます。自分の親のことを振り返って、八十歳にもなったらあっちが痛い、ここが痛いというだろうな。そのうち白内障にもなって手術もするだろうと、いろいろなプログラムが見えている。ところが、現実にそうなったとき、全く新しい事態です。大雑把にそのようなものと理解はしていますが、具体的にどのような思いがあるか、悲しいことであるか、あるいはつらいことであるか、苦しいことであるか、不安であるかは、当たってみないとわからない。事柄として、目次として、この年になったらこうなる。ひざが痛くなって腰も悪くなるだろう。あるいは時には肺炎も起こして入院もするだろう。私の父を見ていますと、自分も七十代くらいになったら肺炎も起こすのかなと想像する。しかし、たとえ父がそのような病気になったからといって、自分も同じような経験をするとは言えない。あくまでも先輩のことをいろいろ聞いて、知識として知っているのであって、具体的に自分がなったわけではない。そのような状況になるのは、私たちにとってはじめての経験です。だから、六十歳になり、七十、八十歳になって、今まで自分の人生になかった新しい世界、新しい体験の中に踏み込んでいることを知っておきたい。
父も「八十にならんと、八十歳の人の気持ちはわからん」と言っていました。家内の父も最近はよくそのように言います。九十歳になりますので、「もっと元気を出して、……」と励ますと、「お前たちは九十にならんと九十歳の気持ちはわからん」と言います。そのとおりだと思います。私が九十歳になって気持ちがわかったときには本人はいませんから……。これはどうにもつながらない。だから、私たちは言うならば本当に孤独です。人と経験を共有することは不可能です。振り返って見ると、両親のことを考えて、あの時もう少しこうしてやればよかったなとか、あのときもう少し理解してやったらよかったなと、悔やむことが時々あります。でも、そのときは精いっぱい親の立場になって考えていたつもりです。ただ自分がその年に近づいてみると、やはり違っていたなと思います。じゃ、今、してやろうと思っても、“親孝行、したい時には親はなし”と言うように、墓石に布団の一つでもかけてやろうかという気持ちになる。親子であっても断絶していると思います。だから、息子や娘が私のことを理解してくれると思ったら大間違いで、あまり期待しない方がいい。理解してくれないのが当たり前、わからないのが当たり前です。
そのような境遇の中で、誰が主なのか? 大切なのは人ではない。周囲の人、あるいは家族の人でもなく、神様が私たちに日々新しいことをしてくださってい
る。これを信じることが神様を信頼すること、神様に委ねることです。神様に委ねると、何をされるかわからないから、怖いと言われる。「先生、私は神様に一切を委ねました」と言われる。私はびっくりする。「大丈夫かな、そんなに委ねて」と。「委ねる」とは、神様に白紙委任ですから、何をされてもよろしいと、そこまで神様に信頼することです。ところが「委ねました」と言いながら、「あんなになった、こんなになった。どうしよう、なんでだろう? 」とうろたえる。「先生、こんなになりました。どうしましょうか」と。「あなた委ねたのでしょう」「いや、委ねたけれども、このことは委ねたつもりはない」。聞いていると、これもあれも委ねたのは少なかった。委ねるとは、神様に対して百パーセント白紙です。どうなろうとも、これは主が備えたことと、言い得ることが信頼です。それを言えないなら、まだ不十分です。
19節に「見よ、わたしは新しい事をなす」と、神様は新しいことをすると言われる。何をしてくださるか、神様に対して期待していく。それは必ずしも自分が考えるいいことばかりではない。その後に「わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」とあります。「荒野」は、人の住まない所、人の寄りつかない場所です。そこに多くの人々が通って道ができてしまう。今は、山の中にでもブルドーザーで削って、アスファルトを流して、道を造りますが、イザヤの時代に道路公団があったわけではない。人のいない所に道を造るなんて、まずしない。今は、人の行かない山奥でもハイウエーが出来て、一日に何台かしか通らない道もあります。しかし、イザヤの時代、道が出来るときは、人が頻繁に行き来することによって出来上がっていく。荒野は人が近づかない、人は誰も来ない所に多くの人が寄り集まって、素晴らしい恵みの場所に変わるということです。また「さばくに川を流れさせる」。「砂漠」とは、水のない所、雨の降らない所です。そこに川が流れてくるという。川は干からびて、乾燥して命が消えかかったすべてのものを潤(うるお)して、さまざまな動植物がたくさんに増え広がって、さばくが変わっていく。これを読みますと、神様は素晴らしいことをしてくれるのだと思うでしょう。そのとおりです。ただ、私の願ったようにではない。どうぞ、このことを知っておいてください。ここで言われるのは、人の想像を超えたことをなさると理解していただきたい。「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」、私にとって一番良いことをしてくださる。そのとおりです。ただ、その一番良いことが何であるかは神様任せですから、私どもが自分で良し悪しを言うことはできません。神様はいろいろな中を通されるに違いない。しかし、それは私たちの想像を超え、経験を超え、思いを超えたことです。時には、自分にとって痛いことであり、つらいことであり、苦しいこと、悲しいことであるかもしれない。しかし、決して神様は悲しいばかりに終わらせない。そのことを通してやがて私たちが、主を喜び、感謝するようになる。
20節に「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ」。必ず私たちをして神様をあがめ、神様を喜び、感謝し、褒めたたえる者へと変えてくださる。ただ、そこに至るまで、荒野に道ができ、さばくに水が流れてくるために、時には痛いことも、つらいことも、苦しいこともあるのです。ただ、その事を避けてはならない。どんなことも、今神様が私のために新しいことをしてくださっていると信じ貫いていく。信じ通していかなければ、結果を得ることができません。だから、今、何か問題を抱え、悩みの中にあるならば、それは主が私のために新しいことを始められたことです。
私は自分自身を振り返って、今こうして主の御用をさせていただいていますが、いったいどうしてこんなことになったのか。どこで道を間違えたのかなと思う。そもそも牧師になりたいなんて毛頭思ったこともない。いや、できるだけそこから遠ざかろうと思って逃げ出した者です。自分の夢を求めて、好きな道を歩んでいました。考えてみますと結婚が契機だったのかなと思います。私は就職して、名古屋に一人でアパートを借りて住んでいました。結婚することになり、少し広い所に移ろうと思った。ちょうどそのころ名古屋市内が東の方に発展して、開発が進んでいた時代、今から35年も前ですから、都市開発された所に安いアパートがあることを聞いて、不動産屋さんが紹介してくれました。できるだけ安くて、交通の便のいい所を願いました。新しく開通した地下鉄駅が通っているそばに、物件がある。不動産屋さんの車に乗せてもらって行った。近くの角をクルッと曲がるときに、『一麦教会』と看板があり、矢印が入っていた。それが一瞬目に留まったのです。それまでは別の教会に行っていましたが、引っ越せば遠くなるので、できるだけ近くがよかろうと思っていました。私はそのころはあまり信仰に熱心ではなく、お勤めで、両親が口やかましく言うから、教会に行っていました。だから、できるだけ近い方がいい。どこでも教会は同じだと思ったのです。近くに教会があるなら、ここが良いなと、木造二階建ての一番奥の部屋に決めた。そのときは新築で、比較的新しい部類だったと思います。9月に結婚しましたから、8月に引っ越しました。母が手伝いに来てくれ、日曜日に一緒にとにかく教会に行こうと出かけました。歩いて10分足らず。それが始まりでした。
家内と結婚して、9月から生活をするようになりましたが、名古屋には友達はいない、親戚はいない、親もいない。私は昼間仕事に出かけます。たった二間ばかりの部屋ですから、掃除も30分もあれば終わる。家内は昼間何もすることがない。9月から10月となり、日の落ちるのも早くなるにつれてさみしくなる。暇を持て余していましたから、私は「教会が近いのだから、牧師館に行って洗濯の手伝いなり、掃除の手伝いでもさせてもらいなさい」と言いました。家内も暇だから「じゃ、行ってみよう」という事になりました。その教会は女性の牧師先生で、ご主人である牧師がお召されになられ、奥様が跡を継がれてまだ5年ぐらい過ぎた頃です。礼拝は70人から80人くらいの集まりだった。牧師夫人であった方が、牧会に立たれたから大変です。そこへ家内が行きまして、牧師館でいろいろな交わりを持たせていただきました。ウィークデーの集会、家庭集会にも先生のお供で付いていくようになりました。また、婦人会の人々との交わりの中に入る。翌年1月ぐらいに、家内に教会学校の先生をしてくれと依頼されました。
私はできるだけ教会とはかかわりたくない。あまりややこしいことに巻き込まれないようにと敬遠していた。しかし、家内が教会学校の御用をさせていただくようになり、帰ってくる度にいろいろな話をする。私がそばでいろいろと提案もするし、批判もする。家内はそれを教会に行って正直に言う。向こう様はえらい迷惑ですね。そのうち「そんなに陰で言わないで、ご主人に出てきてもらいなさい」と。とうとう4月から高校生クラスを開きたいから、榎本さん是非教師になってくれと。今まで陰口ばかり言っていたから、今度は表に出て教会学校の御用をさせていただくようになりました。それからあとは泥沼、次から次へと……。先生も大変信頼してくださって、いろいろなことを相談もしてくれるし、任せてもくれる。牧師の家庭にいましたから、教会のいろいろな中の様子のことがよくわかる。先生も一言いえば何もかも理解してくれる相手がいるから、何でも頼みやすい。だから、あれもしたり、これもしたりといろいろなことをしました。今振り返ってみますと、結婚生活35年のうちの14年間は名古屋でそのような訓練のときであったと思います。
21年ぐらい前に、この献身へ導かれました。その年の年末から、新年にかけて、これまでの自分の生き方、これからの人生をどうするのか、主の御霊に迫られました。自分の一切を捧げて、なんとしても主の御愛に応えようと強く願いながら、これは神様から出たことだろうか、祈りつつ御言葉を求めて、聖書を読み、静まっておりました。明けて元旦、年賀状がきました。そのときの父からの年賀状の御言葉が「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る」。これは私に対して、神様が語っていると受け止めました。私の想像を超えた、思いや願いを超えたことを神様はなさる。そこで初めて心が定まりました。これは主から出たことだ。その後は大水が流れるごとく、あれよ、あれよという間に、マンションも処分しましたし、仕事も辞めました。全部清算しました。そしてもう一度ゼロから、ただ神様だけに信頼して、福岡に遣わされました。
私は北九州で生まれ育ちましたが、福岡へは年に一度、二年に一度行くか行かないかくらいで、福岡とは大変距離がありました。だから福岡のことは何も知らない。父が兼牧して大濠公園教会に出かけていましたが、それは父のことで自分のことではない。私は知りません。どんな所か何もわからない。今でも思い出しますけれども、3月の末、夕方父と私と家内と三人ではじめて大濠の地に来ました。そのとき、これからどのような人生が待ち受けているか、皆目わからない。しかし、神様は「わたしは新しい事をなす」、実に新しい本当に自分の想像を超えた、思いを超えた具体的なわざが始まったことを悟って、厳粛な気持ちになりました。
私が献身に導かれたとき、両親の驚きもそうでした。ほんのつい一ヵ月半ほど前、その年の11月に、父が肺炎のため講壇で倒れました。礼拝中に咳き込んで、おう吐する事態になりました。その第一回目の肺炎のときです。私は11月15日前後、大学の学園祭があり、休みになったので、退院した父を見舞いに来た。もう元気になっていました。それで安心して、私は二度と九州には戻ってくるようなことはないから、夫婦仲良く老後をやってくれと言い置いて帰った。それから一月半です。年が明けた朝、私がそのような神様のお取り扱いを受けたとき、父も「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る」と偉そうに書いたくせに、事実そのようなことになってびっくり仰天した。それこそ、自分が考えていることと違う。神様はまさにそのようなことをなさる方です。
私どもは、ああではないか、こうではないか考え、思い煩いはやめましょう。神様は私たちをどんな所でも用いてくださる、導いてくださいます。しかし、神様の趣旨、神様がなさる最終目的は、20節に「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる」ことです。獣でも山犬であっても、神様を褒めたたえ、賛美するものに変えてくださる。21節に「この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである」。私たちをして、神様を褒めたたえる民にすると言われる。これが神様の最終目的です。だから、何があっても、どんな所に導かれても、良いと思うことでも、悪いことであっても、神様が新しいことをしておられるのだと知ってください。
雅歌の4章16節に「北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように」。「北風よ、起れ、南風よ、きたれ」と、「北風」は、肌を刺すような厳しい風です。そのような嫌だと思うこと、逃げ出したいと思うつらいこと、苦しいこともある。神様は「する」と言われるのですから。私たちのご機嫌を伺いながら、これでよろしいかと尋ねることはありません。神様は一方的に新しいことをなさる。それは「北風」であるかもしれない。時には「南風」でもあります。南からの風は温かく、心地よい優しい風です。北風も南風もどんなものでもこいというのです。「わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ」と。「わが園」、私たちの生活の中、私の人生、生涯に、北風も南風も吹いてこい。そこで香りを広く散らせる。キリストの香りを、主にある恵
みと喜び、感謝の歌声を響かせる。その後に「わが愛する者がその園にはいってきて、その良い実を食べるように」。神様が収穫なさる。私たちの実を得るものとなってくださる。私たちがぶどうの木となって、豊かに実を結ぶように、北風も南風もさまざまなものを起こして、円熟した、芳醇な実を結ぶ者となし、神様の誉れを述べさせ、神様を褒めたたえる者にしようとなさる。何があっても神様がそのことをしてくださる。
イザヤ書の43章19節「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか」。「あなたがたはそれを知らないのか」とおっしゃいます。「ええ、知りませんでした」とならないように、「はい、あなたがこのことをしてくださいました」と主を崇めましょう。「荒野に道を設け、さばくに川を流れさせて」、驚くことを、思いもかけない、想像を超えたことをしてくださる主を信じて、御手に潔(いさぎよ)く自分を委ねていこうではありませんか。
ご一緒にお祈りをいたしましょう。