よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

8月24日(水)の聖言

2016年08月24日 | Weblog

「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23

今年もはや八ヶ月の月日がたちました。振り返ると思いがけない山があり谷がありと、気の休まるときもなく過ぎてきました。ここでもう一度、誰があなたの歩みを決め、その道を導かれるか確認しておきましょう。人は自分の計画や知恵で事を定め、運んでいると思い上がっています。人は何もできません。ただ神様の計画と導きによるのです。主はご愛をもってあなたを導かれます。(KE)

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8月23日(火)の聖言

2016年08月23日 | Weblog

「わたしは命のパンである。」ヨハネ6:48

近年、日本でもパン食が盛んになってきましたが、伝統的には米食が中心です。パンにしろお米にしても生きるために必須です。イエス様はその当時の食習慣に基づいてご自分を「パン」に例えました。しかも「命のパン」と。これがなければ命がないと言われます。実際のパンは肉体的な命を養いますが、イエス様はもっと根本的な命です。命はあなたの性情性格、事情境遇など全てを変える力です。今日もイエス様(の言葉)を食べて命を得てください。(KE)

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8月22日(月)の聖言

2016年08月22日 | Weblog

「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」詩篇51:10

 これは私たちの日々の祈りでもあります。自分の心を見るならば到底「清い」などと言えたものではありません。怒り、憤り、むさぼり、ねたみ、憎しみなど、怒涛の如く渦巻いています。その心を治めることができません。神様に造り変えていただく以外にないのです。また、心を導く「霊」、魂が正しくなければ、とんでもない方向へ行ってしまいます。今日もこの祈りと共に歩んでください。(KE)

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8月21日(日)の聖言

2016年08月21日 | Weblog

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」ヨハネ10:11

  日本人にはなじみのない比喩ですが、イエス様を信じる者が牧場の羊に例えられ、イエス様は羊飼いだと、しかも「よい羊飼い」だといわれます。羊飼いは群れにある羊を良く知っていて、命がけで守り世話をします。一方、羊は弱く愚かで敵から身を守るすべもしりません。私達はそのような羊に過ぎませんが、イエス様は「よい羊飼い」となって、今日も私たちを守り、養ってくださいます。感謝です。(KE)

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8月20日(土)の聖言

2016年08月20日 | Weblog

「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』。」創世記28:16

家族から離れて旅立ったヤコブは、野宿して眠っているとき神様の声を聞きました。「わたしはあなたと共にいて」と。神様の方から近づき、ヤコブを励ましてくれました。しかし、神様が共にいるとは想像することもできない境遇です。「主がここにいる」と知ったとき、全ての思い煩いが消えます。主に目を留めること、これが力であり、望みであり、慰めです。今も主はあなたと共にいます。(KE)

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8月19日(金)の聖言

2016年08月19日 | Weblog

「そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」マタイ7:17

実りの秋、収穫のときを迎えました。収穫は一年に一度のことだから労苦が報われる喜びの時でもあります。しかし、取り入れた実が期待はずれだったら報われません。実によって木の良し悪しがわかります。私たちは悪い実しか結べない者でしたが神様は十字架を立てて、悪い木を根元から切り取り残ったところにイエス様を接木してくれました。あなたはキリストの実を結ぶ木となっているのです。(KE)

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8月18日(木)の聖言

2016年08月18日 | Weblog

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」詩篇19:1

芸術家は不完全なもの、満足しない作品などを決して世に出そうとはしません。自分の名声、名誉がかかっているからです。神様もまた同様に全てのものを自分の栄誉のため、神様の力を十分に現すものとして創造されました。私たちもその作品です。神様の作品として自分を見てください。あなたの存在、過去現在未来にわたって有形無形を問わず、なんと不思議に満ちているではありませんか。(KE)

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8月17日(水)の聖言

2016年08月17日 | Weblog

「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。」コロサイ3:12

道徳的な生き方を勧めています。しかし、そんなことできるはずはないと思ってしまいます。確かに、人の努力や力では不可能なことです。ただ誰でもそのような人になりたいと願っています。また、実現する道があるのです。まず、強く願いを持ち続けること。次に祈って神様の力を頂くこと。ただこれだけです。ぜひあなたもトライしてください。(KE)

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8月16日(火)の聖言

2016年08月16日 | Weblog

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」第一ヨハネ3:1ab

イエス様を信じる私達は「神の子」としていただきました。神様がお父さんです。「神の子」とするために父なる神様は大きな犠牲を払ったのです。そのことを決して忘れてはなりません。神様は独り子イエス様を愛されたように、イエス様の弟妹である私たちをも愛して、どんな犠牲をもいとわないのです。神様の愛を確信してください。(KE)

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8月15日(月)の聖言

2016年08月15日 | Weblog

「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。」ルカ15:20

彼は身勝手に父のもとを出て遊興宴楽に散財し、飢饉にあい、豚を飼う人となった。自分の惨めで哀れな境遇に気がついた彼は目が覚めた如く本心にかえりました。ここで彼は父のもとへ帰ろうと決心したのです。恐らく、彼にとって最もしたくないことだったでしょう。しかし、これが最も大切なことです。問題や悩みに遇うときあなたはどこへかえりますか。(KE)

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8月14日(日)の聖言

2016年08月14日 | Weblog

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」ヨハネ15:5

今はブドウの収穫時期です。労苦した農夫は喜び、出来栄えの良い実は誇りであり栄誉です。実は枝にしか実りません。農夫である神様は枝であるあなたから実を得たいと期待しています。豊かに実る秘訣は木であるイエス様にしっかりつながるだけです。(KE)

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8月13日(土)の聖言

2016年08月13日 | Weblog

「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。」ガラテヤ6:4

自分を是とし、他人を非とする。自分に甘く、他人に厳しい。とかく人は自分中心に考え、行動しやすいものです。まず自分を客観的に見る目を持つべきです。それによって自分の立っている位置を知ることができ、高慢になることも卑下することもいらなくなります。謙遜になるからです。そのような目を養うにはみことばの鏡に自分を映して見ることです。(KE)

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8月12日(金)の聖言

2016年08月12日 | Weblog

「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。」詩篇103:8

日本人にとって神様は怖い、厳しい、非情なものと思われています。しかし、まことの神様は決してそのような方ではありません。勿論、神様ですから、わたし達とは次元が違います。厳格で義なる方、聖なる方です。だからといって無情無慈悲ではなく、豊かな愛を注いでくださる方です。私達を尊い自分のかたちに造られ、それゆえに愛さなければおれないのです。神様を深く、深く知りたいものです。(KE)

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8月11日(木)の聖言

2016年08月11日 | Weblog

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。」イザヤ38:17ab

「苦しみ」に遇うとき、それが良かったと言えるならどんなにか幸いでしょう。それには「苦しみ」の現実だけを見ていてはダメです。神様という広い視野のなかで自分に何をもたらしてくれたかを考える必要があります。「苦しみ」によって、滅びから救われるなら、それは大いなるプラスであって感謝するほかありません。(KE)

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8月10日(水)の聖言

2016年08月10日 | Weblog

「銀から、かなくそを除け、そうすれば、銀細工人が器を造る材料となる。」箴言25:4

名工と呼ばれる職人であっても、素材となるものが悪ければ良い結果を得られません。陶工が器を造るにも、材料である粘土をきめ細かな均質にするため、水にさらしたり何度も捏ねて不純物を除きます。そうしなければ良い作品はできません。神様もわたし達を材料にして傑作を作ろうとしています。そのため清め砕いて最高の素材にしようとされます。私達もそうなるように努めましょう。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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