よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

1月20日(金)の聖言

2017年01月20日 | Weblog

「そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」マタイ7:17

 この言葉に先立って、「その実によって彼らを見わけるであろう」とあります。「実」とは結果です。どんなに立派なことを言っても、それに伴う結果がなければ「見かけだおし」です。信仰生活も同じで、みことばを信じて、具体的に歩まなければ、ただ「絵に描いた餅」にすぎません。ぶどうの木(良い木)であるイエス様につながっている限り、必ず良い実を結びます。それ以外の木につながるなら、悪い実しか結べません。(KE)

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1月19日(木)の聖言

2017年01月19日 | Weblog

「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25

 イエス様から目が見えるように癒してもらった人の証言です。彼は自分の身に起ったことを通してイエス様を知りました。人が何かを知るにはいろんな方法があります。今は情報過多の時代です。どんな情報であっても、自分の実体験に勝るものはありません。殊にイエス様を知り、神様を知るには直接見て、聞いて、触る、体験することです。(KE)

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1月18日(水)の聖言

2017年01月18日 | Weblog

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」詩篇19:1

 神様の存在をどのように証明するか、との議論は古来から続いています。しかし、どんなに議論や思考を重ねても、決して結論はでません。ただ、私達は身辺に溢れる森羅万象を通して、神様が存在するとしか言えない現象を経験的に知るからです。科学万能の時代に、神様など胡散臭いと思われますが、むしろ科学の世界ほど神秘に満ち、神様の存在を確信させるものはありません。(KE)

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1月17日(火)の聖言

2017年01月17日 | Weblog

「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。」ヨハネ5:8

 38年間も病気に悩んだ人が、ベテスダの池のほとりに横たわって、奇跡を信じて待っていました。水が動くとき、真っ先に入る人はどんな病気も癒されると信じていた。この方法しか道はないと思っていたのです。人は既成概念、固定観念などに囚われて、そこから踏み出そうとしません。主のことばはこの人には破天荒なもの、ありえないことでした。しかし、主は頑固な底岩を打ち砕いて、みことばによって立ち、歩ませました。(KE)

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1月16日(月)の聖言

2017年01月16日 | Weblog

「あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」詩篇127:2

 生きるために、自分の力と才覚で労苦を忍ぶのは褒められるべき事のようですが、ただそれによって自分を誇り、自己満足で終わるなら、まことにむなしいことです。同じ労苦を忍ぶにしても、神様の恵みによって生かされている感謝と喜びがあるなら、どんなに幸いでしょうか。私達の持っているものはすべて神様からいただいたものです。(KE)

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1月15日(日)の聖言

2017年01月15日 | Weblog

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」ヘブル10:36

 「インスタント」と言う言葉が広まったのはいつごろからでしょうか。「手軽に、早く」の意味で使われるようになりました。それとともに、「ファーストフード」と言う言葉も一般化して、待つことが出来にくい人の性質がもろに現れた社会になりました。しかし、信仰はそのような風潮に逆行するものです。待つこと、忍耐こそが信仰だからです。神様が時を備え、導かれるのです。(KE)

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1月14日(土)の聖言

2017年01月14日 | Weblog

「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」ヨハネ10:11

 イエス様はご自分を羊飼い、私達を羊にたとえています。羊は自分で牧草を見つけ、飲み場を探し、外敵に立ち向かうことができません。羊飼いに守られ、導かれ、命が与えられるのです。一方、羊飼いは命がけで羊を大切にします。それゆえ、両者は深い信頼に根ざしています。今、私達はこのような関係をイエス様と結んでいるでしょうか。すでに主は私達のために命を捨てられました。(KE)

Photo by 「sanbika.net」 さんより

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1月13日(金)の聖言

2017年01月13日 | Weblog

「どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、…。」 エペソ3:20

 神様は完全な方ですから、出来ないことはありません。また、人の思い、願い、計画を知り尽くし、それらをはるかに越えてどんなことでもなしえる方です。そのような神様が私達と共にいて、働いてくださるのですから、これほど心強いものはありません。自分の考えや計画に固執せず、神様の働きに期待し、ゆだねてください。(KE)

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1月12日(木)の聖言

2017年01月12日 | Weblog

「主なる神は言われる、『見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。」アモス8:11

 現代社会は、恐らく人類史上最多の娯楽に溢れた時代ではないでしょうか。そのために、人は、せつな的に、欲望の赴くまま、感覚的な楽しみを求めて生きています。それによって魂の渇きを癒そうとしますが、ますます枯渇します。神様を求め、みことばを聞こうとする者がいません。まさに魂の飢饉です。みことばによって、命の水を得てください。(KE)

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1月11日(水)の聖言

2017年01月11日 | Weblog

「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。」ルカ6:32

 「殻を破る」と言いますが、心の中にある壁を越えるとき、その人の世界が広がります。自分を愛する者、益する者を愛するのは、殻の中のことです。自分に敵する者、憎む者を愛するなら、壁を越え、自分の世界を何倍も広く、大きくすることになります。イエス様は十字架の道を通って壁を越えました。「出来ない」と言って避けず、自分の殻を破ってください。(KE)

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1月10日(月)の聖言

2017年01月10日 | Weblog

「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」ヨハネ9:3b

 思いがけない事態に出会うと、その原因・理由を求めようとします。因果関係がはっきりすると、人は安心しますが、それが分からないことのほうが多いのです。目の見えない人の原因は何かと、弟子は問いました。イエス様の答えがこのみことばです。言うならば、原因は神様にあると。とかく、自分を責めたり、家族を非難したり、周囲の何かを原因にしようとしますが、どんな事も神様のみ手のわざです。(KE)

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1月9日(月)の聖言

2017年01月09日 | Weblog

「しかし主は強い勇士のようにわたしと共におられる。それゆえ、わたしに迫りくる者はつまずき、わたしに打ち勝つことはできない。」エレミヤ20:11ab

 私達は小さく、弱く、脆いものです。ちっと風が吹くと倒れてしまいます。そんな私達と主が共にいてくださる、しかも「強い勇士のように」と。みことばのように固く信ずるなら、なんと心強いことではないでしょうか。不安や恐れ、心配や失望など、日々の戦いにあって、あなたの強い味方はこの方以外にありません。心に襲ってくる敵にむかい、主にしっかり信頼して勝利しましょう。(KE)
 

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1月8日(日)の聖言

2017年01月08日 | Weblog

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

 イエス様の使命は父なる神様の「みこころ」をおこなうためです。ですから、その生涯は徹底して自分を捨て、神様の求められることに従いました。それはまたイエス様に倣う私達の生き方です。自分の願いを、自分の夢を、自分の計画を達成するための人生ならば、イエス様と関係のない生き方と言わざるを得ません。私達も父なる神様のみこころを求め、喜んで従いましょう。(KE)

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1月7日(土)の聖言

2017年01月07日 | Weblog

「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、『あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る』。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。」イザヤ30:15

 悩みに会い、苦しみにあうとき、人はじっとしていられなくなります。右往左往、落ち着かず、焦りますが、そのような時、先ずすべきは、神様に「立ち返る」ことです。心が神様と結びついて、落ち着くことが解決への近道。焦って急いでみても、なんの役にもたたず、また、そんなに急を要する事態はありません。(KE)

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1月6日(金)の聖言

2017年01月07日 | Weblog

「さて、散らされて行った人たちは、御言(みことば)を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」使徒8:4

 ペンテコステ(聖霊降臨)の出来事によって、イエス様を信じる人々が多くなり、教会が出来ました。しかし、教会に対して大迫害がおこり、クリスチャンは各地へ散らされました。これは悲劇でしたが、実は神様の深いご計画だったのです。迫害によって福音は世界へと広められました。私達には不幸と思える事態も、神様のご計画の中にあって、必ず想像できないみわざにつながっています。決して無駄になりません。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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