よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

3月26日(日)の聖言

2017年03月26日 | Weblog

「新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかってうたえ。」詩篇96:1

 嬉しいとき、喜んでいるとき、人は歌をうたいます。悲しいとき、苦しいとき、歌がでてきません。同様に、主の愛と恵みを感謝して喜ぶとき、主にむかって歌うことができます。しかし、心がにぶくなり、主の恵みを感じられないために沈黙しています。鈍感になった心の殻を破って、心へりくだり溢れるばかりの恵みによって驚きと感動を新しくしましょう。そして、新鮮な、生き生きとした感謝を主に向かって歌いましょう。(KE)

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3月25日(土)の聖言

2017年03月25日 | Weblog

「するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。」使徒12:23

 ヘロデ王は人々の賞賛の声に得意満面だったでしょう。彼は神様の恵みと哀れみを忘れて自分を誇ったのです。しかし、そのとき、虫にかまれて一瞬にして死んでしまいました。神様が彼を打たれたのです。自分を神にするとき、人は肉体的にも、霊的にも死んだものとなります。全てのことが神様のみわざであり、恵みであることを認めて、感謝・讃美を主に奉げましょう。(KE)

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3月24日(金)の聖言

2017年03月25日 | Weblog

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に、」伝道12:1

 若いときはエネルギーに溢れて、自分の力を過信し、思うが侭に生きようとします。しかし、人は自分の力で生きているのではなく、神様によって造られ、生かされているのです。神様の支配のもとに人生は導かれ、終わるときを迎えるのです。神様の存在がなければ、私たちの日々の営みはありません。 全ての根源である創造者のみ手を信じて委ねましょ
う。(KE)

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3月23日(木)の聖言

2017年03月23日 | Weblog

「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」第一ペテロ5:10

 イエス様を信じて救われたら、苦しみも悩みもない別天地の生活になるのではありません。神様は私たちを救って、ご自分の目的に適う者にしようとなさるのです。そのために必要な訓練を与え、鍛錬して、この世にあって揺るがない信仰に生きるものとしてくださいます。今暫くの艱難を耐え忍んで、永遠の栄光を頂きましょう。(KE)

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3月22日(水)の聖言

2017年03月22日 | Weblog

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである」第一ペテロ2:21

 世の中には不条理、理不尽と思えることがあります。イエス様の生涯もその一つです。義人が罪人とされて死を受ける。これほど耐え難いことはありません。しかし、主は徹底して父なる神様を信頼して一切を委ねました。なぜなら、神様は必ず報われる方だからです。私たちは主の生き様に倣うよう召されたのです。(KE)

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3月21日(火)の聖言

2017年03月21日 | Weblog

「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。」イザヤ40:6c-8

 今や春爛漫、桜の花も咲き誇って心浮かれるときです。しかし、桜の花に象徴されるように、その栄華はまことに一瞬のことです。人の世も同様です。変らない、不動のものは神様のことば以外にありません。人は変り、世は移り、浮き沈みの多い中で、神様の言葉を土台にしてしっかりと立ちましょう。(KE)

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3月20日(月)の聖言

2017年03月20日 | Weblog

「主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」エレミヤ23:24
 
 人は神様を見ることができないため、神様も私たちを見ていないものと誤解します。「天網恢恢疎にして洩らさず」と言われるように神様の目を逃れることはできません。神様の目線を常に感じながら生きることが大切です。そればかりか、神様の存在はいたるところに満ちていて、人は神の中に生かされているものです。(KE)

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3月19日(日)の聖言

2017年03月19日 | Weblog

「あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。」第一ペテロ1:4

 高齢者が増えて、“貧困老人”などと言われます。そのため年金や退職金を少しでも増やそうとします。どんなにやっても、経済は世間の景気動向に左右され、大切な虎の子もバブルの泡と消えてしまいます。しかし、私たちには天国銀行に口座があります。主のみこころに従った全てが、そこに記録され、たくわえられるのです。天にあるあなたの資産はどのくらいでしょう。(KE)

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3月18日(土)の聖言

2017年03月18日 | Weblog

「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。」申命記8:4
 
 神の民がエジプトの奴隷生活から解放され、カナンの地を目指して荒野の旅をしました。その間、神様は彼らの生活に必要な物を備えて養い、持ち運んでくださいました。それは決して事のない旅ではなく、波乱万丈の中を通りましたが、それによって民は訓練され、神様の恵みを知り、成長しました。私たちのこの世の旅も約束の地カナンへの旅です。主は共に居て、全ての必要を満たし、御国に相応しく整えてくださいます。(KE)

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3月17日(金)の聖言

2017年03月17日 | Weblog

「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。」ヘブル10:35

 「確信」とは「信仰」のことです。みことばを信じて生きるとき、神様は約束をかならず実行してくださいます。ただ、その時がいつであるか分かりません。そのために「忍耐」が必要です。目の前の状態・状況に振り回されて信仰を失うなら、望んでいる報いを受けることはできません。聖書のことばは神様によって裏書された「約束手形」です。期限がくるまで確信を持ち続けましょう。(KE)

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3月16日(木)の聖言

2017年03月16日 | Weblog

「人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。」エペソ6:7

 イエス様の命を代価にあがなわれた私達は、イエス様に仕えるものとなったのです。しかし、それは奴隷としてではなく、愛のゆえに自らを主にささげてしもべとなったのであって、イエス様がそれを強制しておられるのではありません。ただ、主の限りない愛を知るとき、何一つ報いるすべのない私達はこの身をささげるほかありません。今生きているのは誰のためでもなく、主のために日々のわざを励むのです。なんと大きな恵みでしょうか。(KE)

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3月15日(水)の聖言

2017年03月15日 | Weblog

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

 神様は創造者です。はるか遠い過去に万物を造ったと言うばかりではなく、今も休みなく創造のわざを進めています。あなた自身も、また日々出会う事の全てをみこころに従って創造しておられるのです。そのことに気がつかないため、人を呪い、自分を責め、見るもの、聞くもの全てが癪の種となります。神様の造られるものに何一つ無駄はなく、捨てるものはありません。(KE)

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3月12日(日)の聖言

2017年03月12日 | Weblog

「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」エペソ1:5

 私たちがイエス様を信じて救われたのは、努力や熱心な研究などによったのではありません。私たちが救われるようにと、神様が一方的に選び、御旨にかなったこととして、愛のゆえになされた救いです。ゆえに、私達はただ与えられた恵みを感謝する以外にありません。ただ、警戒すべきは恵みに慣れて感謝を忘れることです。(KE)

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3月11日(土)の聖言

2017年03月11日 | Weblog

「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。」哀歌3:37-38

 人は自分の知恵、力、計画、才覚で生きているように錯覚しています。すべてのことが思うように、願うようになることをもとめますが、所詮、人は自分の力では何もできません。事の大小を問わず、どんなことも神様の手によるものです。それを認めて、神様のみ前に謙遜になりましょう。事がうまく行って高慢にならず、思い通りに行かず落ち込むこともありません。(KE)

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3月10日(金)の聖言

2017年03月10日 | Weblog

「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」ミカ6:8b

 神様が私たちに求めておられることはただこれだけです。神様の義を求め、主のご愛に満たされ、罪赦された者としてへりくだり、よみがえりの主と共に生きることです。それは私たちの幸いであり、平安と喜びです。物質的な豊かさ、平穏無事であることも幸いですが、それらは時と共に変化し、消えうせていきます。「神と共に歩む」こと、これに勝るものはありません。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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