よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

2月20日(月)の聖言

2017年02月20日 | Weblog

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」ピリピ2:6-7

 イエス様は神と等しい方、神様ご自身と言っても過言ではありません。本来、神の位にあるべき方が被造物である人間の姿になって人の世に住んでくださった。これ以上の「謙遜」が他にあるでしょうか。その上、罪人とされて十字架に掛けられ、墓に葬られて完全に「無」となられたのです。この生涯こそ私たちを永遠の命へ導く道です。(KE)
 

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2月19日(日)の聖言

2017年02月20日 | Weblog

「十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」第一コリント1:18

 十字架は極悪人を処刑する道具です。イエス様は罪人として、十字架に架けられました。何一つ抵抗せず、時の権力に負けたイエス様に多くの人々は失望し、離れて、滅びの道を行きました。十字架の出来事は大きなつまずきの石となったのです。しかし、主は死を打ち破ってよみがえり、信じる私たちに神の力を与えて、生きるものとして下さっています。この十字架こそ新しい命への入り口です。(KE)

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2月18日(土)の聖言

2017年02月18日 | Weblog

「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」ローマ14:8

 イエス様に救われるとは人生の目的が変わることです。人は生まれながらに自分のために生きようとします。自分の夢、計画、願いを実現し、満たそうとします。しかし、本来人は創造者の目的にそって生きるべきです。それが創られた者の幸いだからです。主は私たちのために命を捨てて、新しい命に生きるようにしてくださいました。それが主のために生きる人生です。(KE)

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2月16日(木)の聖言

2017年02月16日 | Weblog

「こうして、ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた。」創世記29:20

 ヤコブは叔父のラバンのもとに寄留していました。娘ラケルを愛しました。結婚の条件として七年間ラバンのために働くことでした。しかし、彼にとってはほんの数日に思われたのです。それはラケルに対する愛の故です。イエス様はご自分の命を捨てて、私たちへの愛を現してくださいました。どのような境遇にあっても、イエス様を愛して生きるとき、愛のゆえに全てを忍び、信じ、望み、耐えることができます。(KE)

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2月15日(水)の聖言

2017年02月15日 | Weblog

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」ローマ11:33

 人は知らないことに不安を感じ、分からないことをそのままにしておくことができないのです。なんとか、理屈や説明をつけて納得しようとします。しかし、私達はどんなことでも、またこれからのことでも、全部を知り尽くすことができません。神様の豊かな知恵と知識により神様のみこころに従って導かれているからです。何もわからない自分であることを認めて、神様のご愛の手に委ねてみわざを期待しましょう。(KE)

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2月12日(日)の聖言

2017年02月12日 | Weblog

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。」伝道11:6
 
 事を始めようとするとき、人は必ず結果を計ります。費やす労力と得られるものとの効率を考えてするかしないかを決めます。そうである限り功利主義の枠から出ることが出来ません。神様が求められることは、結果を考えてのことではなく、神様のみこころを信じて踏み出すことです。結果を出すのは主であって私たちではありません。(KE)

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2月11日(土)の聖言

2017年02月11日 | Weblog

「神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。」詩篇139:17

 天地創造の初めから、今に至るまで神様の創造は休み無く続いています。全てのものを生かし、また終わらせ、そのわざを窮めることはできません。私達のこの世の旅路も、神様の力あるみ手に導かれ、造り出されています。しかし、人は浅はかな知恵で事を行い、事を定めようとします。神様のわざを認めようとしません。事の大小尊卑にかかわらず、全ては神様の手にあるのです。(KE)

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2月10日(金)の聖言

2017年02月11日 | Weblog

「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。」第二コリント2:14

 神様は私達をさまざまな困難や試練に導かれます。それによって、イエス様を求め、信頼し、勝利を得るためです。その戦いを通して私達をキリストのかおりとして、芳しい香りを放つ者としてくださるのです。罪と咎とのため死んで、死臭を漂わせていた者を練り清めて、最高の香料としてくださいます。感謝!感謝!(KE)

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2月9日(木)の聖言

2017年02月09日 | Weblog

「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。」詩篇130:5

 人の助けを待つのでもなく、状況の変化を待つのでもありません。神様が動かれるのを待つのです。これほど確かな望みはありません。見えるところがどんなに絶望的であっても、神様は出来ないことのない方、しかも、あなたを愛しているのです。約束のみ言葉を握って神様のわざを期待しましょう。状態が悪ければ悪いほど、神様らしいことをやってくださいます。(KE)

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2月8日(水)の聖言

2017年02月08日 | Weblog

「また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。」コロサイ4:4
 
 近頃のニュースで特徴的なことは「内部告発」による事件や偽装の発覚です。組織の中にいた者がその組織を告発するのですから、大変勇気がいることです。苦渋の選択と言えます。自分をその立場に置いて考えると、自信がありません。しかし、それを避けて通るなら、自分も共犯者です。「語るべきこと」を知ってはっきり語るには、神様の力が無ければ出来ません。しっかり祈って命の道を歩んでください。(KE)
 

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2月6日(月)の聖言

2017年02月06日 | Weblog

「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」ピリピ3:20

 これは死んでからの話ではありません。イエス様の救いは国籍をこの世から天に変えて下さることです。今は天から遣わされた者として生かされています。まさに旅先ですから、帰国する日を楽しみにしているのです。しかし、物見遊山の旅ではなく、遣わされた者として果たすべき使命があり、それが終わらなければ帰国できません。今日も与えられた務めを励みましょう。(KE)

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2月5日(日)の聖言

2017年02月05日 | Weblog

「主の使は彼女に言った、『あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい』。」創世記16:9

 アブラムによって身ごもったハガルは、女主人サライに苦しめられ、逃げ出しました。荒野の泉のほとりで途方に暮れていたハガルに、神様はサライのもとへ帰るように命じます。大変厳しい、過酷な言葉です。しかし、神様はハガルを苦しめようとしたのではありません。むしろ、神様はハガルが自分を信頼するかどうかを試みたのです。アブラムの子を宿したことによって、ハガルは神様の恵みを受ける者となりました。(KE)

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2月4日(土)の聖言

2017年02月04日 | Weblog

「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」ガラテヤ6:7

 神様は目に見えず、声を聞くことも出来ません。そのため、人はまるでいないかのように振舞います。しかし、神様は隠れたところに居られて、隠れたことを見ておられ、それに報いてくださいます。「因果応報」と言いますが、まさに神様は良し悪しに従って必ず結果を出されます。良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種から良い実は得られません。(KE)

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2月2日(木)の聖言

2017年02月02日 | Weblog

「われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。」歴代下20:12bc

  ヨシャパテ王の時代にアンモン、モアブ、セイルの人々が戦争を仕掛けてきました。しかし、王には戦う力、防ぐ力がない。彼は神様の前に出て祈りました。ヨシャパテ王は自分の現状を繕わず、ありのままに言い表しただ神様だけに信頼しました。それ以外に救いがないからです。実は私達も彼と同じです。「ただ神様だけです」と、心を一つにして信頼しましょう。(KE)

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2月1日(水)の聖言

2017年02月01日 | Weblog

「また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。」マタイ13:22

 聖書の言葉、み言葉は種のようなものです。見た目にはなんの特徴もありませんが、その中には命が満ちています。それと同様に、神様の言葉も私達の日常の言葉と変りません。しかし、そこには命があります。ただ、新しい実を結ばせるには肥沃な耕された畑が必要です。雑草が生い茂った中では育ちません。あなたの心は良き地でしょうか。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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