よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

9月26日(月)の聖言

2016年09月26日 | Weblog

「主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。」詩篇26:2

 不純物が混ざると、その素材は脆くなり役に立ちません。金属の品質のよい物を得るために何度も燃える高熱の炉に入れて焼きます。それによって不純物を取り除くのです。私たちの心と思いも同じです。苦しみという炉によってさまざまな欲得自我などを焼き尽くして、純粋に神様を信頼する者と変えて下さいます。主の試みを喜んで受けようではありませんか。(KE)

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9月25日(日)の聖言

2016年09月25日 | Weblog

「隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。」ルカ8:17

 秘密が人に知られないようにと隠します。確かに、人の目や耳に届かないようにすることはできますが、神様の目には全てがあらわになっています。人に知られていないから安心と思うのは「頭隠して尻隠さず」の類で、神様には何一つ隠し事はできません。また、人に知られるくらいは大したことではありませんが、神様に知られていることのほうが重大です。(KE)

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9月24日(土)の聖言

2016年09月24日 | Weblog

「あなたは人をちりに帰らせて言われます。『人の子よ、帰れ』と。あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。」詩篇90:3-4

 今年も九ヶ月の月日が過ぎてしまいました。人の一生も、同様に、「夜の間のひと時」にすぎません。神様が定められた終わりのときがいつであるか分かりません。しかし、長いように思えても一瞬に過ぎてしまいます。うっかりして過ごすことはできません。神様が与えられた命をみこころにそって力を尽くし生きようではありませんか。(KE)

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9月23日(金)の聖言

2016年09月24日 | Weblog

「たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」第一コリント13:3

 人の行動、わざには必ず動機があります。好き嫌い、快不快、損得、義理、義務、喜怒哀楽などさまざまです。動機がなんであれ、愛がなければその業は一瞬に過ぎて消え行く行為にすぎません。ただ十字架を通して現された神様の愛をいただき、その愛に促され励まされて生きるときすべてに命を与えるわざとなります。(KE)

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9月22日(木)の聖言

2016年09月24日 | Weblog

「主なる神は言われる、『見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである』。」アモス8:11

 ノアの箱舟は、全ての生き物が乗り込んだ後、後から扉が閉ざされました。花婿を迎えに出た乙女たちは油を買いに出た間に婚宴の戸が閉められました。全てに「とき」があります。主のことばを聞くときはいつまで許されるのでしょうか。今日で終わるかもしれません。あるいは明日でしょうか?今、主の言葉を聞いてください。(KE)
 

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9月21日(水)の聖言

2016年09月21日 | Weblog

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。」詩篇91:4

 猛暑の夏もなんとか過ぎて気がつけば九月も終わりになりました。それぞれに事の多い夏だったことでしょう。しかし、その中で神様の愛の「羽」におおわれ、その翼に避け所を得させていただきました。私達は身勝手で、神様を利用しているような不埒な者ですが、神様は信頼する者に真実に答えてくださいました。心からの感謝を捧げて前進しましょう。(KE)

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9月20日(火)の聖言

2016年09月20日 | Weblog

「すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。」第一コリント6:12

  人は何かに囚われて身動きできなくなります。「ねばならない」「べきである」などと思うとき、その考えに縛られ、囚われた状態です。それは苦痛であり、喜びがありません。イエス様を信じて生きるとき、すべてのことが「許されて」います。ただ、主の愛に促され、感動して、自発の意思に従うのみです。(KE)

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9月19日(月)の聖言

2016年09月19日 | Weblog

「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」イザヤ35:3

 昔、祈るとき、立ったままで天に向け両腕を伸ばして祈りました。手が弱る、ひざがよろめくとは祈りが欠けて信仰が揺れ動く状態です。現実の問題や課題を目にするとき、思わず信仰がなえてしまいます。また、祈っても、祈っても、事がすすまない時、諦めようとします。そうなると信仰を失い、いよいよ望みのない惨めな境遇に落ちてしまう。み言葉のように自分の信仰を堅くして、主に向かい手を上げつづけましょう。(KE)

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9月18日(日)の聖言

2016年09月18日 | Weblog

「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。」詩篇94:19

 悲しみや心配事を一人で抱えて思い悩むのは大変キツイことです。誰かに打ち明けると、幾分かは心が軽くなります。しかし、どんなに言葉をつくしても伝わりません。また、事柄によっては誰にも言えないときがあります。実はそういうときこそ助けが必要なのです。神様はあなたの思いを聞いて下さる方、心を全て知って下さる方です。神様から来る力、慰めに勝るものはありません。(KE)
 

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9月17日(土)の聖言

2016年09月17日 | Weblog

「したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。」ガラテヤ4:7

 イエス様を信じて、神様の救いを受けた者を「神の子」としてくださいます。それはまた神様が「お父さん」になってくださることです。同時にお父さんの資産を受け継ぐ資格が与えられることでもあります。なんと素晴らしい身分でしょうか。子供は親の元にいるとき安心していますが、離れると不安になり心配になります。どんなときでも父なる神様のもとに留まりましょう。(KE)

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9月16日(金)の聖言

2016年09月16日 | Weblog

「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。」使徒17:28a

 世の中にはいろんな物が存在していますが、多くは自分とかかわりの無い存在です。神様も同様に、いらっしゃるとしても自分には関係ないと言うなら、神様が存在しないのと同じです。神様を信じるとは今生きている自分自身がまさに神様の存在証明であると認めることです。あなたの人生の始まりから、今に至るまでの生涯、またその終わりまで、神様がいますゆえであることを信じる。これが神様を信じることです。(KE)

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9月15日(木)の聖言

2016年09月15日 | Weblog

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

 周囲を見るとこれが神様のわざだろうかと疑いたくなる現実があります。しかし、聖書は神様の造られたもので満ちていると宣言しています。目の前の現実がどうであれ主が言われるように、「知恵をもって造られた」と信じることが私たちの信仰です。主のみわざによって今日も生かされ、さまざまなことのなかに置かれていることを感謝しましょう。(KE)

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9月14日(水)の聖言

2016年09月14日 | Weblog

「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」第二コリント3:17

 人は気がつかないうちに、有形無形、様々なものに縛られ囚われて生きています。普段の生活では不自由を覚えませんが、何か尋常でないことに出会うと、自由でないことに気づきます。殊に厄介なのは自分の心です。意固地になったり、へつらったり、恐れたり、怒ったりします。しかしイエス様を信じて自分も十字架に死んだものとなり、主の霊にのみ従って生きるとき、何ものにも支配されず、囚われず、自由です。(KE)

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9月13日(火)の聖言

2016年09月14日 | Weblog

「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13b

 神様は私たちを清くし、鍛え、みこころに適う者にしようとされます。そのためにさまざまな試練を通して造り変えられます。しかし、神様は私たちの全てを知り尽くしているから、能力以上の要求はしません。弱く、小さく、足らないだらけであることも知っています。主が備えられた試練を真っ向から受けて、鍛えられ、変えられたいものです。(KE)

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9月12日(月)の聖言

2016年09月12日 | Weblog

「夜、初更に起きて叫べ。主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」哀歌2:19

  イエス様は私たちが滅びないように父なる神様にいつも執り成していてくださいます。それによって赦され生かされています。私たちの周囲には悩み苦しみに虐げられた人々がいます。自分はなにも出来なくても、そのような人達のために神様の憐れみと助けを祈ってあげることが出来ます。これはあなたの大きな特権です。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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