よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

6月23日(金)の聖言

2017年06月23日 | Weblog

「それから人々にむかって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである』。」ルカ12:15

 日本をはじめ世界の各国々は豊かさを求めて自然を破壊し、地球の温暖化を引き起こしています。その根本は豊かな物質によって命が増し加わると誤解した結果です。「貪欲」は偶像礼拝であって罪だと言われています。必要以上のものを持ちたいと言う欲求から、与えられているものを感謝する心へ変ることが今求められています。(KE)
 

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6月22日(木)の聖言

2017年06月22日 | Weblog

「王は彼女に言った、『王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう』。」エステル5:3

 ペルシャ王国の王妃となったエステルは、同胞の危機にあたって大胆に王の前に出ました。必死の覚悟で立つ王妃にかけた王の言葉です。これはまた神様が私たちにかけてくださる呼びかけです。「何を求めるのか。あなたの願いは何か」と。神様は御子イエス様の命をも惜しまない方。まして、私たちの願いを聞いてくださらないはずはありません。ただ王妃のような切なる願いが必要です。(KE)

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6月21日(水)の聖言

2017年06月22日 | Weblog

「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」創世記7:16b

 ノアは神様の命によって箱舟を作りました。はじめた時、彼はその全体計画を全く知らず、ただ神様の言葉だけをたよりに作業を進めたのです。命じられたように全ての生き物を箱舟に入れおわったとき、箱舟の戸が閉ざされました。ノアが閉めたのではありません。「主は・・・閉ざされた」のです。もはや内側からも外側からも、それを開くことはできません。箱舟はイエス様の十字架です。今は救いの戸が今や閉ざされようとしている終末です。あなたは大丈夫?(KE)

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6月20日(火)の聖言

2017年06月21日 | Weblog

「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。」詩篇139:1-2

 自分のことを誰も知ってくれないと嘆きますが、どんなに身近な家族であっても、その人の思いや心の隅々を知り尽くすことは出来ません。人と人との関係には限界があります。しかし、創造者である神様はあなたのことを内外共にすべて知っています。これはなんと慰められることでしょう。ことごとく知られているのだから、神様の前で飾らず裸になりましょう。(KE)

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6月19日(月)の聖言

2017年06月19日 | Weblog

「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15

 人が悪しきことを思い計る時、誰も知るものがいないと思っています。しかし、「頭隠して尻隠さず」のように、隠しているつもりでも、神様の目には全て明らかです。神様の視線を絶えず感じることができるなら、幸いな生涯を送ることが出来ます。企業は政治家の不公正な行為や虚偽も、その原因は神様に見られている事を忘れるからです。(KE)

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6月18日(日)の聖言

2017年06月18日 | Weblog

「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終った』と言われ、首をたれて息をひきとられた。」ヨハネ19:30

 「すべてが終わった」とは、何が終わったのでしょうか。イエス様の生涯が終わっただけでなく、人々の罪を贖うわざが完成したことであり、イエス様を信じる者の古き人生も終わったのです。今なお、解決のつかない問題、悩み、先の見えない闇にあるとも、「すべてが終わった」と信じて、大胆に主の十字架を見上げてください。無条件で信じることがすべてです。(KE)

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6月17日(土)の聖言

2017年06月17日 | Weblog

「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」 マルコ11:23

 力強い言葉ではないでしょうか。神様を信じる信仰に立って生きるとき、絶望、行き止まり、お先真っ暗とはなりません。いや、むしろ常に暗やみを押しのけ、明るい光を見つつ生きる生活です。どんなことも肯定的に受け取ることができるのです。祈りは神様の無限の力を引き出すカギです。(KE)

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6月16日(金)の聖言

2017年06月16日 | Weblog

「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」 ヘブル11:8

 信仰に生きるのは「石橋を叩いて渡る」生活ではなく、神様を知らない人から見ると無謀な冒険的な生き方に見えるでしょう。予算を組み、スケジュールを立て、根回しも終り、何もかも確かだとなって始めるのではありません。「行き先を知らない」で、ただ神様の約束を信じて踏み出すとき、道なきところに道が備えられ神様の祝福を受けるのです。(KE)

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6月14日(水)の聖言

2017年06月14日 | Weblog

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」マタイ5:6

 「義」を求めるとは周囲の人々に自分の「義」を押し付けることではありません。ましてや、義侠心や正義感に駆られることでもありません。「まことの義」を求めること、神様の義を信じて自分をゆだねることです。世には義憤を感じさせる事態が山積しています。神様はそれらを放置しているように思われますが、そのとき信仰にたって主の義、裁きに委ねるのです。主は必ず報われる方です。(KE)

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6月13日(火)の聖言

2017年06月13日 | Weblog

「すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。」マルコ10:22

 品行方正、非の打ちどころのない人物。それなりに自己満足している。それでもまだ求めることがあってイエス様のところへ来ましたが、主の言葉に触れて自分の姿を知りました。高く自己評価し、どんなに誇ってみても、主の言葉の前には「顔を曇らせ」「悲しみ」「立ち去る」ほかありません。主の言葉の光に照らされて自分を知り、主の憐みを素直に求めるなら、どんなに幸いでしょうか。(KE)

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6月12日(月)の聖言

2017年06月12日 | Weblog

「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。」ヨハネ17:16

  イエス様を信じて救われた者は、この世から選び分けられ、神様の側につくもの、神の子となります。その結果、この世の生き方と違ってきて、神様を知らない世の人々から誤解されたり、疎外されたり、変人扱いされたり、時には非難されることもあります。世の多数がイエス様を受け入れないのですから当然のことです。その代わり、神様は私たちの後ろ盾、責任者となり、守り、助け、報いてくださいます。(KE)

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6月11日(日)の聖言

2017年06月11日 | Weblog

「ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。」第一コリント2:12

 世には霊にまつわることが多くあります。悪霊、背後霊、亡霊、霊障など、不気味なものを表す言葉として用いられます。確かにさまざまな霊が存在するでしょうが、「神からの霊」はそれらと異質なものです。人に祟ったり悪しきことを起こすものではなく、私たちに神様の恵みを悟らせる力です。この霊によらなければだれも神様を知ることができません。(KE)

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6月9日(金)の聖言

2017年06月09日 | Weblog

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ4:13

 人の力は小さくて、走ることも、飛ぶこともできませんが、車に乗ると早く走ることが出来ます。また、新幹線や飛行機だともっと早く走り、飛びます。人が突然強くなったのではなく、乗り物に自分を置いた結果です。私達は力弱く小さくても、力あるものの中に自分を置いておくなら、無力を嘆く必要はありません。神様はできないことのない方です。この方が握ってくださるのですから、これほど心強いことはありません。(KE)

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6月8日(木)の聖言

2017年06月08日 | Weblog

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」マタイ7:13-14

 イエス様に救われ幸いを味わう時、多くの人が救われるようにと願います。しかし、イエス様の救いを頂くことは同時に少数者になることです。この世から聖別され主に従う道は世捨て人ではありませんが、狭く細い道です。日本の社会で少数者になることは厳しい困難を伴います。しかし、そこに命があるのです。(KE)

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6月7日(水)の聖言

2017年06月07日 | Weblog

「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

 私達は不平・不満の多いものです。その原因は「自分」の願い、思いにしがみつくからです。そこには神様を思う心がありません。私達は被造物であり、神様は造物主です。神様の手によらないものはありません。しかも、人の知恵・知識を越えたご計画に基づいて創造されたものばかりです。心を低くして神様を信じて見直す時、驚きと感謝以外にありません。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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