いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

4月30日 日々の聖言

2015年04月30日 | 日々の聖言

「その子の父親はすぐ叫んで言った、

『信じます。不信仰なわたしを、お助けください』。」マルコ9:24 


病気の子供を持つ父親はイエス様に癒してもらいたいと願いました。父親は子供を思う

切なる気持ちから、なりふり構わず叫んだのです。まさに、祈りとはこのようなものです。

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4月29日 日々の聖言

2015年04月29日 | 日々の聖言

「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。

もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」マタイ6:1 


神社仏閣に行くと、寄進者の名前と金額が書かれているものを目にします。本人は自慢

しているつもりでしょうが、見る者は、臆面もなく、よくもこんな程度で誇ろうとする厚かまし

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4月28日 日々の聖言

2015年04月28日 | 日々の聖言

「それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、

肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。」ローマ8:12 


この世に生を受けたからには、与えられた人生を生きる責任があります。親に対してとか、

家族に対してという意味の責任ではありません。ましてや、自分の為に生きる責任でもあり

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4月26日教会学校聖言葉

2015年04月27日 | 教会学校聖言葉
「わたしはすでに世に勝っている」

ヨハネによる福音書16.33
 
 最近、勝ち組という言葉が流行りましたが、イエス様はこの世における勝ち組になったからこの言葉を語られたわけではありません。この言葉を語った直後、イエス様は反対勢力に無残にも処刑されてしまいました。表面的にいえばその当時の負け組以外の何物でもなかったのです。


 この言葉で語られている「勝利」が世の中で言うところのものと同じであったなら、イエス様のこの言葉は単なる負け惜しみにしか聞こえないでしょう。

 しかし、イエス様が得られた勝利はそんなものではありませんでした。イエス様の得られた勝利とは、悩みの闇にあってなお、平安のうちに光り輝いていることのできる力、永遠のいのちを得たことに他なりません。その証として、肉体の死をも打ち破りイエス様はよみがえってくださったのです。

 私たちもイエス様の十字架を受け入れ、その愛を心に抱いて生きる時この力を得ることができます。この力を内にいただく時、自らが闇に屈さないばかりか、闇の中で輝く光源として他の人をも照らし励ます力さえもイエス様が与えてくださるのです。この力をいつも抱いて、力強く与えられた使命を果たそうではありませんか。(正野)