いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

9月17日教会学校聖言葉

2018年04月15日 | 教会学校聖言葉
「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」
ペテロの第一の手紙5.5
 
 ユダ王国のウジヤ王様は若いころ神様に対して忠実でありましたが、神様の恵みを受けてその心が高ぶり、祭司が行うべき儀式を行って、その身を滅ぼすに至りました。

 自分はこんなにあからさまに高ぶることはないと思うかもしれません。
しかし、自分は正しいと思った時点で神様に対する越権行為です。
なぜなら正義は神様の性質であり、人が正しさを主張することなどできないからです。
つい自分を義とするサタンの誘惑に負けそうになりますが、神様に対する謙虚さを失わないようにしましょう。
自戒をこめて。(正野)

8月27日教会学校聖言葉

2018年04月15日 | 教会学校聖言葉
「わたしは主に罪をおかしました」
サムエル記下12.13

 何か過ちや失敗をしたときに、まるで心にとげが残っているように事あるごとそれを思い出しては胸が痛む、そのようなことはないでしょうか?
おそらくほとんどの人はそのような経験をしたことがあると思います。

 その心のとげを抜くためには、イエス様の前に悔い改め、罪を認めることが必要です。
イエス様の前に罪を認める時、主はイエス様の十字架の故に赦しを与えて心のとげを取り去り安らかな心にしてくださいます。
少しでも早くイエス様のもとに心の重荷をおろしましょう。(正野)

8月20日教会学校聖言葉

2017年08月23日 | 教会学校聖言葉
「耳を傾け、わたしにきて聞け」
イザヤ書55.3

 初めての旅先でガイド役がいれば非常に心強いものです。
言われるとおりに動いていると快適かつ安全に旅を楽しむことができます。
逆にガイドが止めるにも関わらず、自分勝手に行動して失敗すればそれはその人の責任です。

 同じように神様の声に耳を貸さず勝手なことをすれば、目的を見失い人生という旅がつらく厳しいものになります。
しかし神様の聖言葉に聞き従うなら旅路にあって必要、平安と喜びに満たされ進むことができます。
自分の人生は常に新しい場所に向かう旅であることを忘れないようにしましょう。(正野)

8月13日教会学校聖言

2017年08月23日 | 教会学校聖言葉
「わたしはあなたと共にいる。」
イザヤ書41.10

 神様は私と共にいて下さるとおっしゃっています。
しかし、現実の生活では悲しみや苦しみばかりで、神様が共におられるように思えない現実があります。

 しかし、神様はその現実の中で神様を求めて手を伸ばすなら、必ずその手を取って存在を現して下さいます。
ヤコブは荒野で主の臨在を体験し、そこを天の門と呼びました。
人生の荒野にあって主に出会い、そこを神の国と呼べるなら、なんと幸いなことではないでしょうか。(正野)

8月6日教会学校聖言

2017年08月07日 | 教会学校聖言葉
「人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」
サムエル記上16.7
 
 ダビデが王様として選ばれる際に神様が語られた聖言葉です。
戦争が絶えない時代ですから、当時の王様は勇猛さを求められたに違いありません。
しかし、神様が選ばれたのはおよそ戦向きとは思えない、姿の美しい少年のダビデでした。

 神様は力のないものに力を与え、無から有を生み出す方です。
事を成すのに相手の能力など関係ありません。
ただひとえに神様に信頼し、従うかどうかを見られます。
自分を磨くこともいいですが、主に頼む信仰に勝る力はありません。(正野)