広島の強さはスカウト陣のお目の高さ。レギラー日本人選手が全て生え抜き。さらに獲得した選手を育てる上手さ❝広島の場合、“1年間は、触らない”という不文律があって、現場の都合で無理をさせないし、あれこれコーチがいじって素材をつぶすことがない。❞この徹底した姿勢は企業経営や家庭での子供の教育にも生かせそうです。お金をかけてFA取得のトップ選手ばかり集めても、ファンは付いてきません。筆者は2年前に黒田選手が入団した時からのにわか広島ファンですが、ファンの長い目で暖かく家族を見守るような姿勢にはビックリでした。しかし、現実にはマエケンの移籍で獲得した資金を有効活用した効果が大きかったのも事実。スカウト(外人選手含む)確かな目+暖かく見守るファン+長期投資する資金などがしっかりかみ合った25年ぶりの優勝です。日本一になって欲しいですが、日本ハムが出てくると二刀流、大谷翔平が脅威です。
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「1番から9番まで全員がチーム生え抜き。広島ファンが熱くなるはずだな」
地元広島でのV瞬間の最高視聴率が71%を記録したそうだが、待ち続けた25年という月日とともに、広島育ちの生え抜きの選手を揃えた“愛されるチーム”であったこともファンの熱狂を呼んだ。
25年ぶりの優勝の背景には広島独特のドラフト戦略がある。
元ヤクルトの名スカウトだった片岡宏雄さんに言わせると、広島のスカウティングには特色があって、スカウト間で「広島向きの選手」というものがあったという。
「広島のスカウト陣は優秀だと思う。その理由は、全員が広島育ちで、長く携わってトップにしてもコロコロと変わらないこと。人が変わらないから方針も一定している。スカウトにもチーム愛というものが芽生える。これは非常に大事なことだ。
我々の間では、昔から“広島向きの選手”っていうのがあって、野手は、体に芯がある選手が基本、内野手なら小柄であろうが肩と足。外野手なら肩と足と強打。江藤智、野村謙二郎、東出輝裕、前田智徳らが、その象徴だったが、今も広島が獲得する選手の特徴は変わっていない。ピッチャーも伸びしろのある素材重視を好む。また、お膝元の広島、中国地方の選手を徹底して拾いあげる。亡くなった宮川孝雄スカウトが九州地区に強かったので、逸材を発掘してきた。良いと噂のある選手は、中学、高校1年くらいから、ずっと追跡しているのも、広島のスカウトの特徴。だから広島向きの選手を取り逃さない」
現在、広島のスカウト陣は、71歳の苑田聡彦・統括部長、白武佳久・部長以下、総勢9人。九州地区担当の末永真史がスカウト転身4年目で最も若いが経験豊富なベテランが多い。脈々と伝統のスカウティングが継承されているのである。
優勝を決めた9月10日のラインナップを見ても、広島流ドラフト戦略の形跡が見える。
「1番・遊撃」の田中広輔(27)は2013年のドラフト3位。東海大相模、東海大からJR東日本を経た遅咲き。高校、大学では、巨人・菅野の同期で、全日本大学の合宿では球拾いをしていたが、担当の尾形スカウトがずっと見ていた。その全日本大学合宿で、レギュラーだったのが「2番・二塁」の菊池涼介(26)。レベルがそう高くない岐阜の中京学院大だったが、体の強さを買って2011年にドラフト2位指名した。下コピー
「3番・中堅」の丸佳浩(27)は2007年の高校生ドラフト3位、千葉経済大学付属高では2度甲子園に出場、3年の選抜は投手だったが、広島は最初から外野手として狙いをつけた。4番ーム愛というものが芽生える。これは非常に大事なことだ。
我々の間では、昔から“広島向きの選手”っていうのがあって、野手は、体に芯がある選手が基本、内野手なら小柄であろうが肩と足。外野手なら肩と足と強打。江藤智、野村謙二郎、東出輝裕、前田智徳らが、その象徴だったが、今も広島が獲得する選手の特徴は変わっていない。ピッチャーも伸びしろのある素材重視を好む。また、お膝元の広島、中国地方の選手を徹底して拾いあげる。亡くなった宮川孝雄スカウトが九州地区に強かったので、逸材を発掘してきた。良いと噂のある選手は、中学、高校1年くらいから、ずっと追跡しているのも、広島のスカウトの特徴。だから広島向きの選手を取り逃さない」
現在、広島のスカウト陣は、71歳の苑田聡彦・統括部長、白武佳久・部長以下、総勢9人。九州地区担当の末永真史がスカウト転身4年目で最も若いが経験豊富なベテランが多い。脈々と伝統のスカウティングが継承されているのである。
優勝を決めた9月10日のラインナップを見ても、広島流ドラフト戦略の形跡が見える。
の新井貴浩(39)は、1998年に駒大からの6位指名だったが、これは知人に頼みこんでの“縁故入団”。「5番・右翼」の“神っている”鈴木誠也(22)は、担当の尾形スカウトが1年秋から追いかけていた。巨人が狙っているという情報を入手したため、北條史也(阪神)を指名する予定を鈴木に方向転換、2位で指名している。
「6番・左翼」の松山竜平(31)は、2007年、九州国際大からの社会人、大学ドラフト4位。九州六大学リーグで最多安打の新記録を作り、首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回を獲得したが、守備に難があって、守備位置が外国人枠と重なるためセの球団からは敬遠されていた。「7番・三塁」の安部友裕(27)は福岡工大城東から2007年の高校ドラフト1位。唐川侑己(ロッテ)の外れ1位だったが、怪我で甲子園に出場していない全国的には無名の安部の俊足と高校通算39本の強打を買った。まさに「広島向き」の選手だったわけだ。
しかし、広島のスカウト戦略は、ずっと順風だったわけではない。
1993年から逆指名が導入されたことにより、資金力で劣る広島は、その初年度は一人も事前に逆指名を取りつけることができず、以降、ピンポイントで、UFO投法の山内泰幸や、1996年には、沢崎俊和、黒田博樹、2002年には、永川勝浩らを獲得したが、他球団のような札束攻勢ができなかったため敬遠され、2006年まで続いたこの制度で、広島は計7年間分はその枠を使えず放棄する事態に陥っていた。
だが、2007年から自由枠(逆指名)が撤廃されると、現在のチームの主力となる選手を広島流ドラフトでスカウティングしていくことになる。
スカウトの熱心さにも、他球団のスカウトが脱帽するものがあって、現在スカウト統括の苑田氏が、夏の甲子園でも、ずっとネット裏で観戦を続けていることをみかねた片岡さんが「日射病になってしまうぞ。ちょっとは休憩しないと」と、言葉をかけた。しばらくして、苑田スカウトの姿が見えなくなった。「どうしたの?」と他のスカウトに聞くと、今でいう熱中症で倒れてホテルで寝込んでいたという。
「スカウトは、選手を取った後に現場でどう育てられるか、監督、コーチとの相性まで考えて獲得するが、広島の場合、“1年間は、触らない”という不文律があって、現場の都合で無理をさせないし、あれこれコーチがいじって素材をつぶすことがない。
取った後の重要な育成方針もぶれていないのも、選手が出てくる理由だと思う。広島の練習のきつさは有名だが、素材のある選手が、基本から徹底して鍛えられるので、一度レギュラーになった選手は選手生命が長くなる。新井や黒田がその象徴だろう」
“広島独自のスカウティングの目線”で、好素材を獲得して、2軍のコーチングスタッフが徹底した反復練習で鍛えて育成する。時間をかけて熟成された広島のスカウト、育成方式が、25年ぶりVの背景にあったことは間違いない。広島がチーム作りのモデルケースを示したのかもしれない。