平成24年 10月 4日 木曜日
「夢と行動…2012」
競馬界で「武 豊」以来の最年少記録を更新した青年がいます。
彼は小学生の頃から、ジョッキーになるという夢を持っていたそうです。
小学生の頃に、例えば、卒業文集に書くことといえば、
「プロ野球選手になりたい」とか、
「ケーキ屋さんになりたい」とか、
(これは、古いかもしれません)
「社長になりたい」とか、
そういうものが多いですよね、
それは、自分の好きな、または興味のある世界で活躍している具体的な人物がいて、
その人に憧れ、その人がなれたなら、「自分もそうなりたい。」という夢から始まるのでしょう。
しかし、その子供達も、現実の多くは、夢として語ることで終わるのでしょう。
その小学生達は、中学に進学し、受験・進学という現実世界に対応していくうちに、いつか語った夢は、夢として消えていきます。
一方、この競馬界の少年は、小学生の頃から、ジョッキーになりたいという夢を語るとともに、
それを実現するための「行動」を発起したのです。
ひとつは、自分の身長が大きくならないように、サイズの小さい靴をはき続けました。
こんなことを現実に行う小学生が、果たして何人いるでしょうか?
「夢」を語った瞬間から、彼にとってそれは「夢」ではなく、自分が絶対に達成する「目標」にしたのです。
彼自身が、成りたい自分像を描き、何を為すべきかを、自分で調べ、考え、「行動」していったのです。
世の中のすべての人が、夢を目標に変えて、「行動」すれば、成りたい自分になれるとは限らないでしょう。
それでも、「行動」しなければ、「夢」は「夢」で終わってしまうことも明らかです。
そして、「行動」しても、達成できない「夢」かもしれません。
しかし、「行動」しなければ、その可能性さえ生まれないのです。
もっといえば、夢を語れる人は幸せです。
それを「目標」にして、がむしゃらに生きている人は、挫折感を味わうこともあるかもしれませんが、生きているという充実感を感じていると思います。
私も、夢を語れなくとも、心に抱いた人生を歩みたいと思っています。
それは、妻との幸福な生活、娘や息子の人生の無事を祈るという…夫として、親としての当然の思いとしての夢なのです。
そして自分の人生を、心豊かに生きたいと思います。
その夢のために、ささやかに行動していきます。
自分自身の夢を心に秘めて、それを実現させるために、ささやかに「行動」する人生を歩みたいと、齢(ヨワイ)五十五を迎える今、思っています。
「夢と行動…2012」
競馬界で「武 豊」以来の最年少記録を更新した青年がいます。
彼は小学生の頃から、ジョッキーになるという夢を持っていたそうです。
小学生の頃に、例えば、卒業文集に書くことといえば、
「プロ野球選手になりたい」とか、
「ケーキ屋さんになりたい」とか、
(これは、古いかもしれません)
「社長になりたい」とか、
そういうものが多いですよね、
それは、自分の好きな、または興味のある世界で活躍している具体的な人物がいて、
その人に憧れ、その人がなれたなら、「自分もそうなりたい。」という夢から始まるのでしょう。
しかし、その子供達も、現実の多くは、夢として語ることで終わるのでしょう。
その小学生達は、中学に進学し、受験・進学という現実世界に対応していくうちに、いつか語った夢は、夢として消えていきます。
一方、この競馬界の少年は、小学生の頃から、ジョッキーになりたいという夢を語るとともに、
それを実現するための「行動」を発起したのです。
ひとつは、自分の身長が大きくならないように、サイズの小さい靴をはき続けました。
こんなことを現実に行う小学生が、果たして何人いるでしょうか?
「夢」を語った瞬間から、彼にとってそれは「夢」ではなく、自分が絶対に達成する「目標」にしたのです。
彼自身が、成りたい自分像を描き、何を為すべきかを、自分で調べ、考え、「行動」していったのです。
世の中のすべての人が、夢を目標に変えて、「行動」すれば、成りたい自分になれるとは限らないでしょう。
それでも、「行動」しなければ、「夢」は「夢」で終わってしまうことも明らかです。
そして、「行動」しても、達成できない「夢」かもしれません。
しかし、「行動」しなければ、その可能性さえ生まれないのです。
もっといえば、夢を語れる人は幸せです。
それを「目標」にして、がむしゃらに生きている人は、挫折感を味わうこともあるかもしれませんが、生きているという充実感を感じていると思います。
私も、夢を語れなくとも、心に抱いた人生を歩みたいと思っています。
それは、妻との幸福な生活、娘や息子の人生の無事を祈るという…夫として、親としての当然の思いとしての夢なのです。
そして自分の人生を、心豊かに生きたいと思います。
その夢のために、ささやかに行動していきます。
自分自身の夢を心に秘めて、それを実現させるために、ささやかに「行動」する人生を歩みたいと、齢(ヨワイ)五十五を迎える今、思っています。