本朝徒然噺

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国立文楽劇場特別企画公演「祈りのかたち」を観に大阪へ

2007年09月17日 | ニッポンの旅
連休中、大阪(+京都)へ行ってきました。

今回の旅のメインは、大阪・国立文楽劇場の特別企画公演「祈りのかたち」の鑑賞。
宮崎・浄満寺のご住職による盲僧琵琶、長崎・生月島の方々による「かくれキリシタンのオラショ」、山形・佛向寺の一向上人開山忌を模した誦躍(ゆやく)念仏(踊り念仏)を拝見してまいりました。

この手の特別企画公演は東京の国立劇場でも時々行われているのですが、演目はその時その時で異なりますし、普通ではなかなか接する機会を得られないものも披露されるので、大阪まで足を運んだ次第です。

盲僧琵琶

浄満寺のご住職・永田法順師は、お一人で千軒近い檀家を回り、琵琶を弾きながら「釈文」(仏教の教えを説いた語り物)を語っておられる盲僧です。
浄満寺のご住職は代々、領内の盲僧頭をつとめられてきたそうで、法順師も盲僧の最高位「検校(けんぎょう)」となっておられます。
今は延岡地域の盲僧は法順師ただお一人だそうで、後継者の育成にもご苦労なさっているそうです。

釈文の節や声の出し方、琵琶で演奏される旋律などは、浪花節に似た感じでした。
浪花節は「説教節」(仏教の教えを節にのせて語る芸能)の流れを汲んでいるのですが、まさにそのルーツを垣間見たように思いました。

かくれキリシタンのオラショ

「オラショ」は、キリスト教が禁教されていた時代に「かくれキリシタン」と呼ばれる人々の間で伝えられてきた祈りの言葉。
聖書や聖歌の内容を、それとわからないように形を変えて日本語・ポルトガル語・ラテン語などで語ったものですが、キリスト教が禁教されていた時代に宣教師との接触を長く絶たれていたことから、原義を失い呪文のような意味のわからない言葉になってしまった部分も多々あるそうです。

生月島では、明治時代になってキリスト教の禁教が解かれた際、カトリックに移行した人も多かったのだそうですが、「かくれキリシタン」として弾圧に耐えてきたご先祖様をまつる「仏壇」を処分することに抵抗を感じ、そのままの信仰形態を続けた人も多かったそうです。

キリスト教の禁教が解かれた時点で、キリストやマリアの姿も聖書の内容も形を変えて「隠す」必要はなくなったのですから、理屈で言うならば、本来のキリスト教の形に戻るのが自然なのだと思います。
また、「ご先祖の供養」を考えるならばそれは即ち仏教の形をとるわけで、これもあえて理屈で言うならば、仏教に改宗するという選択肢もあったはずです。
しかし、「キリスト教」でも「仏教」でもない信仰形態を続けることを選び、それを現代に伝えている方たちがいらっしゃるのです。
まさに、「祈りのかたち」はさまざまなんだなあ……と思いました。

誦躍念仏

踊り念仏の起源については、歴史の授業でも出てくるとおりなのでここでは説明しませんが、誦躍念仏は「歓喜誦躍(かんぎゆやく)」とも言われ、「阿弥陀仏に帰依する喜びを、念仏を唱えながら踊って表現する」ものとして生まれました。

今回の公演では、先に述べたとおり山形県天童市・佛向寺で執り行われる「一向上人開山忌」を模し、実際の法要と同じ形式で披露されました。
前半は普通の読経で、後半に誦躍念仏が行われます。
誦躍念仏は、初めはごくゆっくり(体をほとんど動かさず、お念仏を唱えながら須弥壇の周りをゆっくりと一周)で、次第に早くなり、動きも大きくなっていきます。その後、再びゆるやかな動きになり、お念仏を唱えて終了します。

私は、前半の普通の読経の時は目が冴えていたのですが、誦躍念仏のところになったら、最初のごくゆっくりのお念仏で急激に眠気に誘われてしまいました(笑)。
低く静かな「ナンマイダー」の響きが、子守唄のように聞こえてしまったのでした
鉦の音でハッと目を覚ましたら、須弥壇を一周し終えたお坊さんたちが一列に並び、次の誦躍念仏を始めておられました……。

劇場という空間の中でしたが、法要の荘厳な雰囲気がとてもよく伝わってきて、感動しました。
実際に山形の佛向寺でも見てみたいな、と思いました。
佛向寺の一向上人開山忌法要は、毎年11月17日に行われるそうです。

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