本朝徒然噺

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歌舞伎座&国立演芸場へ(11/2)

2008年11月02日 | 芝居随談
3連休中日の11月2日(日)、国立演芸場で行われた、桂雀々&柳家喜多八二人会に行ってきました。

落語会が午後6時30分開演だったので、その前に歌舞伎座に行って昼の部の「廓文章(吉田屋)」を見物
歌舞伎座の昼の部は、来週以降のを別途とっていたのですが、やはり何はさておき山城屋さんの伊左衛門を観たくなり……。
とはいえ一幕見で並ぶのは面倒だなあ……と思い、数日前にチケットWeb松竹を見てみたら、3階席が空いていたのでゲット。3階席で一幕見をしました

「廓文章」の絵看板

何年か前、藤十郎さんがまだ鴈治郎のころ歌舞伎座でなさった「吉田屋」を観た時、夕霧を待ちかねている伊左衛門が小走りで炬燵の上を通るところが、何とも言えず「ふわっ」としていたのがとても印象に残りました。炬燵の上に乗り上げるなんて、本来はお行儀の悪いことなのに、全然そう見えないどころかむしろ上品な雰囲気さえ感じさせて、身をやつしていてもいかにも大家の若旦那といった風情があって、すごいなあ……と思いました。
「おかしみ」のあるしぐさをこんなふうに柔らかく品良く見せてしまうというのが、上方和事の面白さなんだろうなあ……と思って、それからますます上方歌舞伎の魅力にハマったのでした。

今回あらためて山城屋さんの「吉田屋」を観て、やっぱり山城屋さんのなさる和事は「はんなり」という言葉がぴったりだなあ……と、その素晴らしさを再認識しました。
「はんなり」というのは、「明るく上品」とか「上品な華やかさがある」といったような意味の京ことばですが、山城屋さんの伊左衛門はまさにそんな感じで、品があって華があって、そしてどこか色気があって、観ているほうもふんわりとした気分になるような感じがします。

「妹背山婦女庭訓」の定高とか「伽羅先代萩」の政岡のような義太夫狂言の女形をなさるときの山城屋さんももちろん好きですが、和事の立役をなさるときの山城屋さんも大好きな理由はここにあります。
こういう独特の「はんなり」した雰囲気は、東京で生まれ育った「次世代の上方勢」の方たちにはおいそれとは出せないのかも……と思います。だから、今のうちに山城屋さんの和事をたくさん観ておかないと!

勘当されて紙衣姿に身をやつしていてもゆったりとした風情があり、「七百貫目の借財を負っても、この伊左衛門は総身が金なのでびくともしない」という言葉を、嫌みを感じさせずに言ってのける伊左衛門。
そんな「のんびりと育ったご大家の若旦那」の貫禄が終始にじみ出ていて、「はんなり」した雰囲気のなかにどっしりとしたところがあるのも、山城屋さんらしくていいなあ……と思いました。

10月27日にNHKの古典芸能鑑賞会で「河庄」を観た時にも思ったのですが、名古屋で1か月間「娘道成寺」を踊りきった直後だからか、少しおやせになって面差しがすっきりした感じで、若旦那の拵えで出てくるとめちゃめちゃお若く見えます!
ほんとにキレイで形がよくて、素敵でした~

◆◇◆◇◆

「吉田屋」を観た後、ちょっと早めの晩ご飯を食べてから国立演芸場へ。

雀々・喜多八二人会

雀々さんは、これまでにも二度、東京の噺家さんとの二人会をなさったそうで、今回が三度目とのこと。
喜多八さんとは年が一回り近く違うとのことですが何と同期だそうで、雀々さんは以前から喜多八さんと二人会をしたいと思っておられたそうです。
落語に先立って行われた、対談をかねた「ご挨拶」では、同期のお二人ならではの楽しいお話が聞けました。

「ご挨拶」の後、お二人が二席ずつ落語を披露。
大きな動きで汗だくになりながらアツイ高座を繰り広げる雀々さんと、ちょっと気だるげなキャラで江戸前の落語をきっちりと語る喜多八さん。このお二人の対照的な雰囲気がまた面白くて、とても楽しい会でした。

この日のお二人の演題は、下記のとおりです。

「穴どろ」柳家喜多八
「動物園」桂雀々
「うどんや」柳家喜多八
「くしゃみ講釈」桂雀々

雀々さんの「くしゃみ講釈」はまさに「爆笑落語」といった感じで、笑い死にしそうになりました(笑)。

歌舞伎座で山城屋さんの和事を観て、寄席で大いに笑って、そして翌日もお休み……。何だかとてもシアワセな気分になれた一日でした。

◆◇◆◇◆

二人会の時、ロビーで雀々さんの本「必死のパッチ」(幻冬舎刊)がサイン入りで販売されていたので、つい買ってしまいました。

「必死のパッチ」とは、関西で「一生懸命」よりもさらに上を表す言葉なのだそうで、この本では、雀々さんのまさに「必死のパッチ」の少年時代が、あざやかな筆致で描かれています。

お父さんの借金が原因でお母さんが蒸発してしまい、その後、お父さんも借金取りから逃れるように家を出て行き、中学生ながらたった一人で暮らしていかなければならなくなった雀々少年。
想像を絶するような状況のなか、少年は「必死のパッチ」で日々を送り、そして落語と出会います。

こう書くと、何だかとても壮絶な本のように見えてしまいますが、この壮絶な状況をどこかユーモラスに、そして明るく前向きに描いておられるのが、さすが雀々さんだと思いました。
不幸自慢になったり、卑屈になったりする感じがまったくないのです。

文体は「エッセイと私小説の中間」といった感じで、雀々少年やお父さん、近所の人の会話や行動が細やかに描写されており、情景が目の前に浮かんできます。こういったところも、さすが落語家さんだなあ……と思いました。

私は小説を読む時、登場人物の会話をまるで芝居の「本読み」のように、人物の感情をふまえて台詞みたいにして読んでしまう(もちろん、頭の中でですよ)クセがあるので、エライ時間がかかるのですが、雀々さんのこの本は言葉のテンポもよくて、遅読の私でもあっという間に読み終えてしまいました。

電車の中で読んでいたら、隣に座っていた女性が横からのぞきこんで読んでおられたのですが(笑)、その方はつい読みふけってあやうく乗り過ごしそうになったらしく、あわてて電車を降りていかれました(笑)。

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