3連休2日目の7月16日は、祇園祭の宵山の日。
前日、大阪・松竹座で歌舞伎を観たあと京都へ移動し、京都市内のホテルに宿泊していたので、朝から山鉾町を見物することができました。
たくさんの山や鉾があり、全部は掲載しきれないので、ピックアップしてご紹介します。
↑大政所御旅所
四条烏丸を少し下がった(南に行った)ところに、大政所御旅所というのがあります。
現在、御旅所(祇園祭の間に八坂神社のお神輿が移される場所)は四条河原町の付近にあるのですが、昔はこのあたりまでお神輿が来ていたそうです。
かつては、長刀鉾の長刀(現在、鉾の上に立てられているものとは別のもので、名刀工・小鍛治宗近の作と言われるそうです)がこの大政所御旅所に移され、厄よけ祈願のために一般の人にも拝戴させてくださったそうです。
ガイドブックや雑誌では、まだこの「神剣拝戴」の儀式が行われているように書かれているのですが、長刀の警備・管理をする人手が確保できないため、実際にはもう何十年も行われていないそうです。
↑大政所の前でパチリ。この日は、外を歩き回るので、涼しくてお手入れも楽な「小千谷縮」を着ました。帯は紗献上の博多八寸帯です。
小千谷縮は、新潟県の小千谷地方で織られる麻織物で、縦のシボ(細かな皺)が大きな特徴です。
↑綾傘鉾(あやかさぼこ)
午前中に綾傘鉾を見に行ったら、ちょうど「傘」の布を取り付けていました。綾傘鉾の法被を着た若い衆さんが、暑いなか一生懸命取り付けていました。
↑綾傘鉾のお飾り
綾傘鉾の会所には、江戸末期の綾傘鉾を写したミニチュアの鉾が飾られていました。
↑綾傘鉾の「地囃子」(左)と「棒振り踊り」(右)
夜になると、綾傘鉾の会所付近では「地囃子」の演奏と「棒振り踊り」が披露されます。
巡行当日は、地囃子と棒振り踊りの人たちが、綾傘鉾とともに巡行します。
↑大舩鉾(おおふねぼこ)のお飾り
大舩鉾は、幕末の戦乱で消失してしまったため、現在は山鉾巡行に参加していません。しかし、鉾の貴重な装飾品が残されており、会所に飾られます。
金色の大きな御幣や、かつての大舩鉾を写したミニチュアなどが飾られていました。
↑船鉾(ふねぼこ)
船鉾は現存しており、巡行に参加します。鉾全体が船の形をしており、船の中にお囃子の人たちが乗ります。
↑杉本家住宅
伯牙山(はくがやま)のある町内には、杉本家という旧家の住宅があります。宵山の日には、一般の人にも有料公開されていました。
文化財に指定されている重厚な町家建築の中には、豪華な屏風など貴重な調度品が飾られていました。
↑白楽天山のご神体
「鉾」にはお囃子の人など人間が上がりますが、「山」には人間は上がらず、ご神体を乗せます。
会所にはそのご神体が祀られ、巡行の際には山の上に移されます。
白楽天山のご神体は、中国の白楽天と道林禅師です。
↑月鉾
夕方になると、鉾の上で祇園囃子が演奏され、四条通に雅びなお囃子の音が響きわたりました。
↑月鉾の天井画
月鉾のひさしの下に描かれている絵は、円山応挙によるものです。
↑山伏山のご神体
山伏山のご神体は、町家の2階に飾られており、通りからよく見えるようになっています。
↑蟷螂山(とうろうやま)
蟷螂山には、からくり仕掛けのカマキリが乗っています。
↑宵山の提灯
夕刻になると、山や鉾の周りに飾られている提灯に灯がともり、幻想的な雰囲気に包まれます。これは北観音山(きたかんのんやま)の提灯です。
↑日和神楽(ひよりかぐら)
宵山の日の夜には、各山鉾町で、翌日の巡行の晴天を祈願して「日和神楽」が演奏されます。囃子屋台をひきながら、各山鉾町と四条御旅所との間を往復します。写真は南観音山の日和神楽です。
↑南観音山の「あばれ観音」
南観音山では、宵山の日の夜11時ごろ、ご神体の楊柳観音(ようりゅうかんのん)像を布でくるんで台に乗せ、町内を走り回ります。「あばれ観音」という、一風変わった風習です。ご神体を担いだ若い衆が元気のよいかけ声とともに走り抜けると、沿道の人々から大きな拍手が送られました。
前日、大阪・松竹座で歌舞伎を観たあと京都へ移動し、京都市内のホテルに宿泊していたので、朝から山鉾町を見物することができました。
たくさんの山や鉾があり、全部は掲載しきれないので、ピックアップしてご紹介します。
↑大政所御旅所
四条烏丸を少し下がった(南に行った)ところに、大政所御旅所というのがあります。
現在、御旅所(祇園祭の間に八坂神社のお神輿が移される場所)は四条河原町の付近にあるのですが、昔はこのあたりまでお神輿が来ていたそうです。
かつては、長刀鉾の長刀(現在、鉾の上に立てられているものとは別のもので、名刀工・小鍛治宗近の作と言われるそうです)がこの大政所御旅所に移され、厄よけ祈願のために一般の人にも拝戴させてくださったそうです。
ガイドブックや雑誌では、まだこの「神剣拝戴」の儀式が行われているように書かれているのですが、長刀の警備・管理をする人手が確保できないため、実際にはもう何十年も行われていないそうです。
↑大政所の前でパチリ。この日は、外を歩き回るので、涼しくてお手入れも楽な「小千谷縮」を着ました。帯は紗献上の博多八寸帯です。
小千谷縮は、新潟県の小千谷地方で織られる麻織物で、縦のシボ(細かな皺)が大きな特徴です。
↑綾傘鉾(あやかさぼこ)
午前中に綾傘鉾を見に行ったら、ちょうど「傘」の布を取り付けていました。綾傘鉾の法被を着た若い衆さんが、暑いなか一生懸命取り付けていました。
↑綾傘鉾のお飾り
綾傘鉾の会所には、江戸末期の綾傘鉾を写したミニチュアの鉾が飾られていました。
↑綾傘鉾の「地囃子」(左)と「棒振り踊り」(右)
夜になると、綾傘鉾の会所付近では「地囃子」の演奏と「棒振り踊り」が披露されます。
巡行当日は、地囃子と棒振り踊りの人たちが、綾傘鉾とともに巡行します。
↑大舩鉾(おおふねぼこ)のお飾り
大舩鉾は、幕末の戦乱で消失してしまったため、現在は山鉾巡行に参加していません。しかし、鉾の貴重な装飾品が残されており、会所に飾られます。
金色の大きな御幣や、かつての大舩鉾を写したミニチュアなどが飾られていました。
↑船鉾(ふねぼこ)
船鉾は現存しており、巡行に参加します。鉾全体が船の形をしており、船の中にお囃子の人たちが乗ります。
↑杉本家住宅
伯牙山(はくがやま)のある町内には、杉本家という旧家の住宅があります。宵山の日には、一般の人にも有料公開されていました。
文化財に指定されている重厚な町家建築の中には、豪華な屏風など貴重な調度品が飾られていました。
↑白楽天山のご神体
「鉾」にはお囃子の人など人間が上がりますが、「山」には人間は上がらず、ご神体を乗せます。
会所にはそのご神体が祀られ、巡行の際には山の上に移されます。
白楽天山のご神体は、中国の白楽天と道林禅師です。
↑月鉾
夕方になると、鉾の上で祇園囃子が演奏され、四条通に雅びなお囃子の音が響きわたりました。
↑月鉾の天井画
月鉾のひさしの下に描かれている絵は、円山応挙によるものです。
↑山伏山のご神体
山伏山のご神体は、町家の2階に飾られており、通りからよく見えるようになっています。
↑蟷螂山(とうろうやま)
蟷螂山には、からくり仕掛けのカマキリが乗っています。
↑宵山の提灯
夕刻になると、山や鉾の周りに飾られている提灯に灯がともり、幻想的な雰囲気に包まれます。これは北観音山(きたかんのんやま)の提灯です。
↑日和神楽(ひよりかぐら)
宵山の日の夜には、各山鉾町で、翌日の巡行の晴天を祈願して「日和神楽」が演奏されます。囃子屋台をひきながら、各山鉾町と四条御旅所との間を往復します。写真は南観音山の日和神楽です。
↑南観音山の「あばれ観音」
南観音山では、宵山の日の夜11時ごろ、ご神体の楊柳観音(ようりゅうかんのん)像を布でくるんで台に乗せ、町内を走り回ります。「あばれ観音」という、一風変わった風習です。ご神体を担いだ若い衆が元気のよいかけ声とともに走り抜けると、沿道の人々から大きな拍手が送られました。
初めてだったので、ナニがナンだか分からないけど見た、と言う感じ。
藤娘さんの記事を拝読し、旅の余韻に浸っております。
巡行が雨で残念でしたが、おそらく最初で最後の見物なので、天気はともかく見ることが出来て良かったです。
kazuraさんも祇園祭にいらしたのですね~!
山と鉾がとてもたくさんあって、一日ではなかなか見きれませんよね。
私も、鉾の上に上がったのは一つだけで、あとはひたすら歩いて回ったという感じでした……。
巡行の日は、あいにくの雨でどの山や鉾もビニールがかけられてしまい、装飾品が見えにくくなってしまって残念でしたね……
でも、kazuraさんもお祭りをご堪能された様子で、何よりです
激しい雨のなかで山や鉾を曵いたり鉾の上に乗ったりしている人たちにも怪我がなく、無事に終わったのでよかったです