格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

A級戦犯岸信介の正体(後)

2015-08-18 18:54:47 | 阿修羅


『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社)/右・2015年4月、米国連邦議会で演説する安倍信三(首相官邸HPより)


安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため米国と交わした裏取引きが!
http://lite-ra.com/2015/08/post-1400.html
2015.08.17. リテラ


戦後70年特別企画 安倍首相の祖父“A級戦犯”岸信介の正体(後)

 安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介は1945(昭和20)年9月15日にA級戦犯容疑で逮捕される。当時は誰もが岸は有罪とみていた。それはそうだろう。

 満州官僚時代に軍部と結託してアヘン取引に手を染め、アヘンを求めて中国領土を侵す軍をバックアップし続けた。取引で得た巨額の利益を戦費に回し、一部を政治資金として活用して軍国主義者の象徴といえる東条英機を首相にまで昇りつめさせた。さらには東条の片腕として商工大臣、軍需次官を務め、国家総動員体制、大東亜共栄圏の自給自足体制の確立を遂行するなど、戦時日本の寵児として辣腕を振るった。岸が戦争遂行の中枢にいたことは疑いようがない。そんな岸を戦勝国が犯罪者リストから外すわけがないのである。

 にもかかわらず、岸は満州時代の盟友・東条英機の絞首刑が執行された翌日の1948(昭和23)年12月24日に不起訴処分で釈放された。東条の絞首刑と岸の生還、明暗を分けたというには余りにも落差の大き過ぎる結末だった。
 


 あるいは岸の満州時代の上司であり、東条内閣では内閣書記官長として共に支えてきた星野直樹は終身禁固刑に処せられた。満州では岸は星野よりはるかに手を汚し、閣僚として戦争遂行にかかわった度合いも、岸のほうが大きかったはずである。当然、研究者やジャーナリストにとってもこの処遇の違いは興味の対象となる。岸はなぜ、戦犯を逃れたのか。

 ひとつは、岸がもともと用意周到でなかなか尻尾がつかめない存在であることがあげられるだろう。有名な「濾過器発言」にその片鱗が垣間見られる。岸は1939(昭和14)年10月に満州を離任する際、数人の後輩たちを前にこう語っている。

「政治資金は濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、かかわりあいにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」

 要は、証拠を残すなということであり、嫌疑に対して敏感になれということでもある(実際、岸は東条内閣時代に書いた書類をすべて焼却してしまっている)。

 だが、それだけでは訴追はまぬがれない。岸はアメリカに対して具体的な“工作”を行っていた。そのひとつは再びアヘン絡みの話だ。東海大学名誉教授、太田尚樹氏の著書『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社文庫)に元ハルピン特務機関員の田中光一のこんな証言が載っている。

「麻薬はどこの国でも最大の関心事でした。もちろん、アメリカだってそうです。戦後、GHQが克明に調査して関係者に尋問したのに、まったくと言っていいほど処罰の対象に指定しなかったのは、不思議だと思いませんか。あれは明らかに、情報提供の代償となったからです。甘粕はもうこの世にいませんでしたが、里見、岸なんかが無罪放免になったのは、そのためなんです。エッ、東条にはどうかって? 彼は直接戦争責任に結びつく訴因が多過ぎて、GHQは阿片の件で取り調べるだけの時間がなかったのです。アメリカは裁判を急いでいましたからね」

 証言に出てくる「里見」とは、里見甫のことだ。「アヘン王」と呼ばれた陸軍の特務機関員で、上海を拠点にアヘン取引を仲介していた。岸とアヘンの関わりを調べる中で繰り返し出てくる名前でもある。千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を揮毫したのが岸だったことは前回、紹介した。その里見も戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されている。そして、田中の証言通り、不起訴者リストの中に「里見甫」の名前は載っていた。

 つまり、岸や里見はアメリカにアヘン情報を提供する見返りに戦犯訴追を免れたというわけだ。

 もうひとつ、岸には戦争責任逃れのための「東条英機裏切り」工作というのも指摘されている。満州の関東憲兵隊司令官だった東条英機が中央に戻り、陸軍次官、陸軍大臣、首相へと上り詰める原動力になったのが、岸がアヘン取引で得た豊富な資金だったことは前回書いた。岸は東条内閣を商工大臣、軍需次官として支え、戦争を主導した。ところが戦争末期にこの仲が決裂する。それどころか、岸VS東条の対立がもとで内閣が崩壊してしまったのだ。

 毎日新聞に掲載された「岸信介回顧録」(1977年5月11日付)によれば、岸は〈サイパン陥落のあと「この戦争の状態をみると、もう東条内閣の力ではどうしようもない。だからこの際総理が辞められて、新しい挙国一致内閣をつくるべきだ」ということでがんばった〉という。

 そして、東条内閣は瓦解。下野した岸は郷里に帰り、防長尊攘同志会をつくって、引き続き「打倒東条」の政治活動を続けた。

 この一連の行動について毎日新聞記者だった岩見隆夫氏が非常に興味深い証言を採取している。証言の主は満州時代の岸の部下だった武藤富男だ。武藤は東条内閣が崩壊した直後の昭和19年7月、岸とともに満州を牛耳った「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右の語尾をとってこう言った)の一人、星野直樹(前出、A級戦犯)を訪ねた。

〈その折、星野は武藤にこんなつぶやきをもらしている。
「岸は先物を買った」
「どういう意味ですか」
「東条内閣を岸がつぶしたということだ」
 しかし、どうして先物買いになるかについて星野は語ろうとしなかった。
「戦後、再び星野さんに会ったとき、もう一度『先物を買ったというのは、岸さんが敗戦を予期していたということなのですか、それとも戦犯を免れるためという事まで考えて岸さんは東条内閣をつぶしたとあなたは見通したのですか』と問い質してみたのですが、相変わらず、星野さんは黙したまま答えてくれませんでした」
 と武藤はいった〉(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』中公文庫)

 この「先物買い」というのはまさに、敗戦を見込んで、わざと東条と反目したということだろう。前出の太田尚樹も同じ見方をしている。

〈打倒東条は国難の打開、つまり国家のためという大義名分が成り立つ一方で、戦犯を逃れることはできないまでも、連合軍から大きなポイントを稼ぐことができると読んでいた〉
〈満州以来の二人の関係は、刎頚の友といった関わりではなく、結局は、互いに利用し合っていただけだった〉
〈つまり東条は岸の頭脳と集金力を利用し、岸は陸軍を利用しながら権力の座を目指したが、その陸軍の頂点に、権力の権化と化した東条がいた。だがアメリカ軍の攻勢の前に、東条の力など見る影もなくなってきている。こんな男と便々とつるんだまま、一緒に地獄に落ちるのはご免である〉(前掲『満州裏史』)

 この変わり身の早さこそ岸の真骨頂といえるが、さらに、岸には獄中で、もっと重大なアメリカとの政治的取引を行っていたのではないか、との見方がある。その取引が、岸を訴追から救い、そして戦後、内閣総理大臣に押し上げた最大の理由ではないか、と──。

 それが何かを語る前に、戦後アメリカの対日政策には2つの流れがあったことを指摘しておく必要がある。ひとつは民政局(GS)に代表されるニューディーラーを中心としたリベラル勢力で、日本国憲法の素案づくりにも携わった。民主化を徹底する立場から旧指導者への処分も容赦がなかった。もうひとつは治安を担当する参謀本部第2部(G2)を中心とした勢力で、対ソ連、対中国戦略を第一に考える立場から、日本を再び武装化して“反共の砦”に育て上げようと考えていた。GHQ内部ではこのふたつの勢力が対立していた。

 占領当初はGSの力が強かったが、米ソ冷戦が本格化するにつれて「反共」のG2が「対日懲罰」のGSを凌駕するようになる。こうした流れの中で、G2は巣鴨拘置所に拘留されていた岸との接触をはじめた。再び、前回紹介した原彬久氏の『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)を引く。

〈G2およびこれと連携する人脈が獄中の岸と接触していたことは、確かである。例えばGHQ経済科学局のキャピー原田は、巣鴨の岸から「戦後復興」問題でたびたび意見を聞き、しかも原田みずから上司のマーカット少将に「岸釈放」を説いている(朝日新聞、平成六年九月二二付)。いずれにしても、こうした文脈を抜きにしては、岸が不起訴、無罪放免となっていよいよ戦後政治の荒涼たる舞台に放たれるその道筋は理解できないだろう〉

 G2は実際、1947(昭和22)年4月24日付で最高司令官のマッカーサー宛に岸の釈放を求める異例の「勧告」まで出している。獄中で岸はアメリカとどんな取引をしたのだろう。自らの命のためならかつての盟友を売る男である。いったい何と引き換えに、無罪放免を勝ち取ったのか。

 これについては「週刊朝日」(朝日新聞出版)2013年5月24日号が渾身のリポートを掲載している。〈「星条旗」の下の宰相たち〉というシリーズの〈第3回「ストロングマン」〉。筆者は同誌の佐藤章記者だ。まず、岸はアメリカにとってどういう存在だったのか。同記事を引く。

〈戦後の米国のアジア政策は、米国の国益を守ってくれそうな、その国における「ストロングマン」を探し出すことから始まる。韓国における李承晩、台湾における蒋介石がその典型だ。日本においては吉田茂であり、鳩山一郎、緒方竹虎と続いて、1950年代半ばに岸の番が巡ってきた〉

 では、岸に与えられたミッションは何だったのか。

〈(日本国憲法)第9条があるために日本は自衛目的以外の軍隊が持てず、米国との相互的な防衛能力を保有できなかった。つまり、米国が攻撃を受けても日本は援軍を出すことができない。さらに言えば、米国の軍事戦略に乗っかる軍隊を持つことができない。
 この相互防衛の考え方が、集団的自衛権の解釈として、1951年の旧日米安保条約締結以来、日米間の問題となった〉

 まさにいまの安倍政権が強引に進める新安保法制につながる話だ。この問題解決こそ、岸がアメリカから言われた最大のミッションで、そのために最初に着手したのが〈「建設的勢力」の結集〉つまり保守合同だ。では、カネはどうしたのか。


戦後70年特別企画 安倍首相の祖父・岸信介の正体(前)
安倍首相が心酔するお祖父ちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラックマネーを集め戦争を遂行(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/733.html






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A級戦犯岸信介の正体(前)

2015-08-18 13:20:25 | 杉並からの情報発信

戦後70年特別企画 安倍首相の祖父・A級戦犯岸信介の正体(前)

安倍首相が心酔するおじい ちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラック
マネーを集め戦争を遂行

2015.08.16 litera

http://lite-ra.com/i/2015/08/post-1396-entry.html

後世の歴史家たちはこの2015年という年をどう評価するだろう。「戦後70年」と
いう節目の年に、先の大戦でA級戦犯の容疑がかけられ た人物の孫が内閣総理大
臣を務め、その孫は再び日本を“戦争のできる国”にしようとしていることを、だ。

そう、今さら説明するまでもないが、安倍首相の母方の祖父は、昭和の妖怪と呼
ばれた岸信介元首相だ。安倍首相は日ごろからこの祖父につい て、敬愛の思い
を隠さず、“おじいちゃんコンプレックス”ともいえるほどの心酔ぶりを示している。

安倍首相が集団的自衛権行使と改憲に向かってひた走っているのも、激しい反対
の中、日米安保条約改定を断行したおじいちゃんを見習い、そ しておじいちゃ
んのやり残した仕事をなしとげようとしていることが最大の動機になっているの
は間違いない。

だが、そのおじいちゃんは、戦後、内閣総理大臣をつとめただけの人物ではな
い。戦時中、東条英機首相(当時)率いる内閣の閣僚として戦争 遂行の一翼を
担い、一時は「A級戦犯」容疑者として拘留されていた戦争犯罪者でもある。

いったい岸信介とはどんな人物だったのか。戦時中、何をしたのか。終戦から70
年、もう一度、おさらいしてみよう。

岸信介は日清戦争が終わった翌1896年、山口県に生まれた。元首相の佐藤栄作は
実弟だ。兄弟の父は岸家の人だが長州藩士に連なる佐藤家 の娘と結 婚したた
め、佐藤家の分家の形で佐藤姓を名乗った。中学生のときに岸が父の実家である
岸家に養子入りして、「岸信介」が誕生する。

地元の高等小学校を卒業した後、名門岡山中学から山口中学に転校し、いずれも
首席を続けた。東京帝国大学入学後も、後に民法学の大家とな る我妻栄 と首席
を分け合う秀才ぶりだったという。卒業後の岸は商工省の革新官僚として統制経
済(経済・産業を国家の統制下に置こうとする社会主義的政 策)の旗手と なる
が、それは国粋主義を唱える大学の恩師、上杉慎吉と大アジア主義(日本を盟主
とするアジア諸民族連帯の思想)の大川周明、国家社会主義の 北一輝の強い 影
響だったと言われている。

若手官僚として頭角を現した岸を一気に飛躍させたのが1936(昭和11)年に満州
官僚へ転出したことだった。満州国という実験国家を自 らの「作 品」と呼び、
実質的な最高首脳の一人としてソ連の計画経済を模した統制経済(産業開発5カ
年計画)を強力に推進することになる。同時にそれ は、岸が戦争に 手を染める
きっかけにもなっていった。

わずか3年の在任だったが岸は満州で3つの“財産”を手に入れている。統制経済に
よる国家経営のノウハウ、東条英機(当時、関東憲兵隊司令 官)を筆 頭とする
関東軍人脈、そして湯水のごとく使える金脈だ。岸に関する評伝、研究書は数多
あるが、いずれも明確に指摘しているのが、後に東条英機 を宰相にまで 持ち上
げたのは岸の資金力があったからだ、という事実だ。

〈のちに東京に帰った東条が陸軍次官、陸相、総理へと中央の階段を昇り詰めて
いくにつれ、今度は岸が集金力にものをいわせて、東条に莫大な 政治献金をし
た〉(太田尚樹『満州裏史』講談社文庫)

岸と東条は満州時代に公私に絆を深めていく。毎日新聞記者の岩見隆夫氏が書い
た『昭和の妖怪 岸信介』(中公文庫)には、満州事情通の小坂正則の次のよう
な証言が紹介されている。

「岸さんは日本に帰ってきてから、ずいぶんと東条さんのために政治資金をつ
くってやった。翼賛選挙でも莫大な選挙資金を必要とするのに、首 相である 東
条さんはああいう男だからカネがない。そこで岸さんが鮎川に頼んだ。鮎川は日
産の株を満州投資証券へ譲渡する時、七千万円、確かな数字では ないが、その
ぐらいを浮かせて鮎川の財団である義済会にプールしてあった。このうち三千万
円ほど抜いて岸さんに渡し、岸さんはこれを東条に回してやったり した」

ここで出てくる「鮎川」というのは日本産業(日産)財閥の総帥で岸の遠縁に当
たる長州出身の鮎川義介のことだ。岸は日産を満州に誘致し、 南満州鉄 道(満
鉄)に対抗する満州重工業開発(満業)を設立させた。一方、当時の満鉄総裁は
岸の母方の叔父に当たる松岡洋右(後の外相)で、このふた りが表向きの スポ
ンサーだったと言われているが、実はそれだけでは説明がつかない。

岸に長時間インタビューをした岸研究の第一人者、東京国際大学名誉教授の原彬
久氏は『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)でこう書いて いる。

〈巨額のカネを動かして人脈と権力を培養し、人脈と権力を動かしてカネを集め
るという手法はまぎれもなく岸のものだったのである。(中略)
 当時、岸の部下であり、戦後明治学院院長となる武藤富雄は、次のように回想
している。

「私は岸さんから毎月二〇〇円(現在の約二〇万円)の小遣いをもらっていたこ
とを覚えています。当時の満州といえどもカネの使い方は予算で決 まっていま
し たから、領収証のとれない使途不明のカネを自由に捻出することは、たとえ
総務庁次長でもそう簡単ではありません。私は毎月二〇〇円ものカネを ポンと
渡して くれる岸さんをみて、『これはなかなか豪気な人物だな』と思うと同時
に、『何かの名目をつけて、ある程度のカネを自由に使う方法を知っている ん
だな』と感 じました」
 岸は同僚官吏はもとより、民間人、それもいわゆる満州浪人、無頼漢に至るま
で彼のそばに来るものには惜しげもなくカネを与えていたといわれ る〉

資金の源は何だったのか。多くの研究者やジャーナリストが指摘するのがアヘン
取引による利益である。当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁 じていた が、
満州専売局を通して登録者に販売できるシステムを採っていた。事実上、野放し
だ。にもかかわらず一方で売買が禁止されているため、価格は 吊り上げ放題
で、巨額の利益が上がる仕組みになっていた。

満州を抑える関東軍はこの収入に目をつけ満州国の西隣りに接する中国熱河省へ
侵略の兵を進めた(熱河作戦)。熱河にはアヘンの原料となる ケシ畑が 広がっ
ていたからだ。「満州の背後を固める」というのは口実で、アヘンを求めての進
軍だったというのである。消費地も満州国内だけでなく北 京、上海、広 東、厦
門へと拡大していった。

こうして得た莫大なアヘンマネーを岸ら首脳陣は、国家経営や戦争遂行、謀略工
作に回す一方、一部を私的に着服していったという。

 近衛文磨の女婿で細川家の当主に当たる細川護貞氏(細川護煕元首相の父)が
戦時中、裏の政治情報を日記の形で残していて、岸関連の書物に たびたび引用
されている。1944(昭和19)年9月4日付の記述はきわめて示唆的だ。岸に関する
部分を抜粋する。

〈岸は在任中、数千万円、少し誇大に云えば億を以って数える金を受け取りたる
由、然もその参謀は皆鮎川(義介)にて、星野(直樹)も是に参 画しあり。結
局此の二人の利益配分がうまく行かぬことが、(東条)内閣瓦解の一つの原因で
あった〉(『細川日記』中央公論新社)

星野直樹は大蔵省から満州に派遣された官僚で岸の上司に当たる人物だ。当時の
数千万円といえば、いまの数百億円に匹敵する。これだけでも驚くが、 同年10
月16日付の箇所にはこんなことも書かれている。

〈朝、K君を訪問、談たまたま東条に及びたるに、彼は昨年中華航空にて現金を
輸送せるを憲兵隊に挙げられたるも、直ちに重役以下釈放となり たること あ
り。是はその金が東条のものなりしを以ってなりとのことにて、以前より里見某
なるアヘン密売者が、東条にしばしば金品を送りたるを知り居る も、おそらく
是ならんと〉(同)

要は、アヘン利権を巡って岸や東条を始めとする満州人脈が複雑に絡み合い、時
には利益分配で揉め事も起きていたということである。そし て、岸はそこから
少なく見積もっても数千万円、“少し誇大にいえば”億単位のカネを手にしたとい
うわけだ。

ところで10月16日付の『細川日記』に出てくる「里見某」は、里見甫という元新
聞記者で、中国に渡って里見機関という特務機関を率いてい た。実態は、陸軍
の依頼でアヘン取引を扱うブローカーだ。中国では「アヘン王」の異名で知られ
ていた。

1948(昭和23)年2月の極東軍事裁判(東京裁判)の法廷でA級戦犯被告となった
星野直樹の国際検事団による罪状朗読の中に「一九三 八年(昭 和十三年)から
一九四五年(同二十年)まで、北支派遣軍の特務部の下で、中国においてアヘン
作戦を実行した証人サトミは、一九四〇(同十五 年)まで彼に よって販売され
たアヘンは、ペルシャ製のものであったが、その後彼は満州産アヘンを販売した
と証言した」とのくだりがあるほか、里見とアヘン に関する証言 は数限りない。

その里見の墓が千葉県市川市の総寧寺という寺にあるが、墓碑銘を揮毫したのは
誰あろう岸信介その人だった。「アヘン王」里見と岸の浅から ぬ関係を示す証
拠のひとつだ。

満州国のアヘン政策は日本軍の戦争遂行資金に深く関わっていた。それどころ
か、陸軍が中国大陸を深く侵し続けた理由のひとつにアヘン利権 拡大の側面が
あったことは見逃せない。

こうしたシステムを動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げ
られたカネが対米主戦派の東条英機を首相に就任させる原動力 になって いたと
いう構図である。それだけではない。「満州は日本の生命線」とは岸の叔父、松
岡洋右が初めて唱えたスローガンだが、実際にこの言葉を用 いて日本を戦 争へ
と導いたのが岸だった。

満州着任後、岸は産業開発5カ年計画の実行を進め、日産の誘致にも成功し、裏
ではアヘン政策を拡大させたが、それでもまだ満州国の経営資 金は足り なかっ
た。そこで岸が打ち出したのが、日本が戦時体制にあることを最大限に利用する
ことだった。岸は日中戦争が始まるや「戦略・兵站基地満 州」を前面に押 し出
すことによって、5カ年計画への資本導入を日本政府に強力に働きかけたとい
う。岸にとっては持論の国家統制経済遂行のまたとないチャンス だった。前出
の原彬久氏は前掲書でこう書いている。

〈日中戦争、いや日中戦争ばかりでなくそれに続く太平洋戦争への道は、国家主
義者岸信介にとってはそれほど不都合な時代状況ではなかった。 それどこ ろ
か、岸にとって日本の戦時体制は、ある意味では自らの野心と才能を時代に投影
し検証していく格好の機会となっていくのである〉

だが、岸が信奉した統制経済は満州国が掲げた「五族共和」を実現したとは言い
難い。東京裁判の証言台に立った元満州国皇帝、溥儀はこう証言 している。

〈溥儀証人 専売されていた最も主なものはアヘンでした。その他、例えば綿花
とか糧食というような種々雑多なものが専売されておりました。統制経済が行わ
れてから一切 の物資は日本人によって接収されて、鉱業あるいは工業などは全
部日本人によって統制され、中国人は経営することができなくなりました。

検事 綿布統制法は実際的に、強制的に実施されたものですか。
 溥儀証人 これらの統制法は全部実施されて、その結果中国人は冬になっても
綿や綿布を手に入れることができなくなったために、寒さで多くの人が凍死し、
あるいは病気 になるような状態でした(後略)〉

岸が在満時代に入手したアヘン金脈と人脈をフルに使って東条内閣をつくり上げ
たことは前述した。帰国後、岸はその東条内閣で商工大臣とし て、ある いは軍
需次官として東条とともに対米戦争を指導していくことになる。岸が内地で辣腕
を振るったのも統制経済の実行だったことは言うまでもな い。再び、原氏 の前
掲書より引用する。

〈岸が、まず最初に考えたことは、「日本の置かれている情勢から、国防産業を
中核として国防国家を考えなければいけない」ということであっ た。つまり、
「国防国家」実現のためには「国民生活がある程度不自由になってもやむを得な
い」ということである〉

こうして日本はドロ沼の日中戦争から太平洋戦争へと転げ落ちていくことにな
る。そして岸は、その戦争遂行のため、国家のすべての人的・物 的資源を 国家
が統制運用できる国家総動員体制、国家統制による軍需生産増進、大東亜共栄圏
の自給自足体制確立など戦時経済体制推進の先頭に立って旗振 り役を務めて い
た。当然、戦争責任を問われても不思議はない。

ところが岸は、満州時代の盟友東条英機、松岡洋右、星野直樹、鮎川義介らとと
もにA級戦犯容疑で逮捕されるが、不起訴処分によって釈放さ れる。な ぜ、岸
は戦犯被告から逃れることができたのか。それは、今、安倍首相が安保法制を強
行しようとしていることと、根っこのところでつながってい る。次回は、 この
昭和史の謎に迫ろう。(野尻民夫)








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米支配層はISを育成

2015-08-18 12:22:01 | 杉並からの情報発信


集団的自衛権を行使できるようにしろと命令してきた米支配層は軍情報部の警
告を無  視してISを育成

2015.08.13 櫻井ジャーナル

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201508130000/

安倍晋三政権は国会を無視して「安全保障関連法案」を成立させようとしてい
る。日本を法治国家だとは考えていないわけで、その安倍政権が描く日程 表に
基づいて防衛省が部隊の編成計画など立てたとしても不思議ではない。

この法案を成立させる目的は集団的自衛権の行使、つまり、アメリカの戦争マ
シーンに自衛隊を組み込むことにある。2000年にジョセフ・ナイとリ チャー
ド・アーミテージが作成した「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて
(通称、アーミテージ報告)」が公表されたが、その中で日本に 対して武力行
使を伴った軍事的支援を求め、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の
同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれ ば、より緊密かつ効
果的な安保協力が見込まれる」としている。

アメリカで大統領選挙があった2000年にはネオコン系シンクタンクのPNACが「米
国防の再構築」という報告書を公表、東アジアの重要性を謳 い、オスプレイの
必要性も強調していた。この報告書の基になったのが1992年にアメリカの国防総
省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォル フォウィッツ・ドクトリン」。

アメリカを「唯一の超大国」と認識したネオコン/シオニストが中心になって書
き上げられたもので、潜在的なライバルを潰して覇権を確たるものにし ようと
している。潜在的なライバルには旧ソ連や中国だけでなくEUや日本も含まれる。
さらに、地球規模に影響力を及ぼせる強国を生む出すのに十分 な資源を抱える
西南アジアも支配の対象だ。

ネオコンが東アジア重視を打ち出した一因はロシアを属国化したという安心感が
あったはずだ。1991年の段階でネオコンの大物、ポール・ウォル フォウィッツ
はイラク、イラン、シリアを殲滅すると語っていたが、2001年9月11日の出来事
を受け、攻撃対象の国はイラク、イラン、シリア、 リビア、レバノン、ソマリ
ア、スーダンに広がった。その後、ロシアが再独立、ネオコンはウクライナでネ
オ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使っ たクーデターを起こしてロシアを
脅しにかかる。

中東や北アフリカで使われたのがアル・カイダ。1997年から2001年までイギリス
の外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとは CIAから訓練を受け
た数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダ
はアラビア語で「ベース」を意味、「データベー ス」の訳としても使われてい
る。この指摘をした次の月にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲わ
れ、急死した。享年59歳。

アル・カイダは統一された戦闘集団ではなく、登録された戦闘員にすぎず、何ら
かのプロジェクトが計画されると雇われることになる。その最大の雇い 主はサ
ウジアラビアで、イラク、リビア、シリアなどの攻撃にはNATO諸国やイスラエル
も手を組んでいる。

調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌
で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシ リア、イラ
ン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書き、その中心には
リチャード・チェイニー米副大統領、ネオコン/シオニスト のエリオット・エ
イブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてバ
ンダル・ビン・スルタンがいるとしている。

この記事が出る前年、イラクで活動していたアル・カイダ系武装集団のAQIが中
心になってISIが編成され、今ではIS(イラクとレバントのイス ラム首長国。
ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)と呼ばれている。

シリアに対する攻撃が始まった2011年3月以来、反シリア政府軍に拠点を提供し
てきたのはトルコ。同国にある米空軍インシルリク基地で反政府軍 を編成、訓
練してきたが、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフラ
ンスの特殊部隊員。それ以降、現在に至るまでトルコは反シ リア政府軍の拠点
であり、ISへの兵站線はトルコ軍が守ってきた。

ISが密輸している石油はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所
有するBMZ社が扱い、ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治 療に協力、秘密裏
に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督しているとされている。

昨年10月2日、ジョー・バイデン米副大統領はハーバード大学でISとアメリカの
「同盟国」との関係に触れ、ISの「問題を作り出したのは中東に おけるアメリ
カの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べ、
その「同盟国」はシリアのバシャール・アル・アサド政権 を倒すために多額の
資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘
員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大 化させたと語っている。

そしてここにきてDIA(アメリカ軍の情報機関)が2012年8月に作成したISに関す
る文書が公表され、アメリカ政府がISの勢力拡大を自分の 意思で決断したこと
が明確になった。その中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリ
ム同胞団、AQIであり、反シリア政府軍を西側 (アメリカ/NATO)、湾岸諸国、
そしてトルコが支援しているとしている。反シリア政府軍を支援すると言うこと
はアル・カイダ系武装集団を助け ることを意味し、現在の状況は予想されてい
た。文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物
だと認めた上で、そうし た勢力をDIAの警告を無視して支援してきたのは政府の
決定だとしている。

アル・カイダ系、あるいはISのような武装集団が勢力を拡大することを承知でア
メリカ政府はリビアやシリアの反政府軍を支援、今でも方針を変えて いない。
現在、トルコとの関係が強いISにしても、本気で叩こうとしていないことは兵站
ラインを放置していることでも明らかだ。こうしたアメリカ の戦争マシーンへ
日本を組み込もうとしているのが安倍政権だ。






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天津爆発の黒幕?

2015-08-18 03:19:29 | 謀略と真相



天津爆発の黒幕? 習主席が江沢民を軟禁か

2015/08/18 01:29




 天津市浜海新区で起きた一連の爆発事故で、地元当局は16日、死者数112人、行方不明者は95人に上ったと発表した。事故原因は不明のままで様々な推測が広がるなか、中国語大紀元は15日、天津の爆発が原因で、習近平・国家主席は早手回しに江沢民・元国家主席及び息子の江綿恒氏を軟禁したと報道し、北京指導部に近い情報筋の話として報じた。

 報道によると、今回の爆発は、江沢民派が習政権との権力闘争の敗北に追われて仕出かした致命的な猛攻撃だったという。爆発の報告を受けた習主席は、二日連続で徹夜して対抗措置を講じた。その結果、一時的に江沢民と息子の身柄を押さえ、同時に、江沢民グループの中心人物、曾慶紅・元国家副主席を自宅に軟禁した。

 習主席はもともと、今年後半に経済と株式市場の問題を先に解決し、「最後のトラ」である江沢民に対して「徐々に攻めていく手法」を踏襲して措置を遅らせるつもりだった。しかし、習主席は爆発事故を機に、やむを得ず最後の切り札を出したという。

 習近平政権は発足以来、経済運営において、天津市を2015年自由貿易試験区の設立や京津冀(北京・天津・河北省)一体化プロジェクトという2大国家戦略の都市に昇格させ、経済成長に大きな期待を寄せている。今回の爆発事故による詳しい被害状況は明らかにされていないが、中国経済への深刻な影響も懸念されている。

天津の爆発、証拠隠滅のためか

 米華字ニュースサイト・博訊網は14日、匿名情報筋の話として、天津の爆発は「起爆装置を仕掛けたトラックで危険物倉庫を発火・爆発させた」と伝えた。つまり、当日の夜遅く、当直スタッフの油断に乗じ、仕掛け人らは仕掛けたトラックを倉庫の近くに停めて速やかに現場を去り、約10分後にトラックが爆発したという。

 「その狙いは証拠隠滅だ」「当初、党幹部らは北戴河会議を終えて津冀(天津・河北省)の都市間鉄道を爆破する暗殺計画を立てたが、情報漏れのため失敗に終わった。党幹部らが突然日程を変更したことで、在庫物の焼却処分を余儀なくされた」(同情報筋)

 倉庫には大量の軍民両用化学品が保管されていた。硝酸カリウム、硝酸ナトリウム、硝酸アンモニウム、シアン化ナトリウム、トルエンなどの原料および大量の完成品や半製品だ。これらの化学製品の保管期間は今年の後半までとなっていたという。

 中国共産党の元最高幹部ら「長老」や現役指導部は例年、8月上旬ごろには河北省の北戴河に集まって非公式の「北戴河会議」を開き、重要政策や人事を協議する。会議後、党幹部らは通常、北戴河に近い天津市に寄り、視察や談話の形で外部に会議の概要情報を発信していた。

 香港政論誌『動向』7月号によると、今年は、例年の北戴河会議を開く可能性は低いが、秘匿性の高いハイレベルな会合を天津市の浜海新区で開く可能性があるという。浜海新区はまさに今回の爆発の事故現場だ。

江派メンバー、張高麗副首相が関与か

 博訊網によると、爆発が起きた倉庫を有する「瑞海公司」の実質的な総責任者は中国共産党・序列7位の張高麗副首相の親戚で、中国の政界に影響力を振るうだけでなく、軍部にも密接な関係を持っているという。

 張高麗は江沢民から厚い信頼を受け、江の力強い推薦によって党中央政治局常務委員に選出され、最高指導部入りを果たした。それまでに、5年間にわたって天津市のトップを務めていた。

 中国国内のみならず世界にも衝撃を与えた天津の大規模な爆発事故は、いったいただの偶発的な事故か、それとも権力争い絡みの陰謀なのか、真相の解明には今後の動静に注目が必要だ。

(翻訳編集・王君宜)



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