由来書によると、ここから北方40m辺りに首塚があったとある
「こんな時代もありました」(1985年)には次のように記されている
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その首を葬った所が御殿辺1890番地、山本倉庫裏である。
以来ここに首塚を設け、明治初年までは古塚に老松一本聳えていた。
白旗神社のものであり、祭典の際はここに御仮屋が設けられ、
首塚の前で神事が執り行われたものである。
明治初年廃仏毀釈の際、民間に払い下げられた。
最初に所有したのは、大日野屋角阪(門坂?)醸造店であったが潰れた。
次に白旗横町の肥料商・岸村氏に売却された。
首塚の前に4寸角供養塔を建て、
岸村氏の老婆がよく供養していたが、岸村氏は大正中期にまた亡びた。
昭和初年に綿糸布商・駿河屋分家・外岡氏の所有に移った。
家族に病人や不幸が続き、易者に従って石碑を建立したが、
昭和14,5年ごろ一族離散、一家死に絶えてまた潰れてしまった。
明治維新以来、100年3代の所有者がいずれも滅亡してしまった。
それ以来、忌地として懼れられ、誰も買う人はなかった。
ところが最近、この歴史的事実を知らぬ人が買取り、
義経公の碑を首洗い井戸の辺りに移動して、アパートを建設した
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また、山本悦三氏(白旗神社の元氏子総代)の
著書「史蹟 源義経公の首塚の復旧について」にも記されてるとのこと
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と言うわけで、井戸の横に義経の首塚が建っている
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