風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

蘇我馬子

2011-11-12 12:04:02 | 古代史
ちょっとついでがあって、奈良の明日香村に行ってきました。
飛鳥の石舞台古墳、蘇我馬子の墓と言われています。
飛鳥時代、親仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が争ってました。
物部氏の祖は饒速日(ニギハヤヒ)、神武東征に先立ち天磐船で河内に降臨しました。
蘇我氏の祖は武内宿禰、孝元天皇の孫で応神天皇や仁徳天皇に仕えました

馬子は、物部守屋と結んだ穴穂部皇子を炊屋姫(かしきやひめ)を奉じて殺害、
群臣とともに守屋を滅ぼしました。傀儡の身に不満を持った崇峻天皇も殺害し、
炊屋姫を即位させ初の女帝である推古天皇としました。
厩戸皇子(聖徳太子)を摂政に立て、仏教の奨励、冠位12階や17条憲法、
遣隋使の派遣など、蘇我氏は先進的な政権だったようです。


馬子は蘇我氏の氏寺として法興寺(飛鳥寺)を建立しました。
発掘調査によると、一塔三金堂という高句麗式の壮大な伽藍だったそうです。
推古天皇の頃には飛鳥大仏が完成、作者は鞍作鳥(止利仏師)です。
杏仁形の眼、仰月形の唇、などの飛鳥仏の特徴を持ってます


聖徳太子16歳の像、室町時代の作とのこと
蘇我氏との関係なんでしょうか?


阿弥陀如来、藤原時代の作とのこと、どういう関係なんでしょうかね

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の収穫物 | トップ | 乙巳の変 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古代史」カテゴリの最新記事