風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

サツマイモ、落花生

2011-10-23 17:08:43 | 屋上
ちょっと収穫してみました。
落花生、紅あずま、安納芋です


葉っぱが枯れかけてからと思ってたのに
いつまで待っても枯れないので一部だけ試しに掘りました。


紅あずま、土の厚さがないためか、
捻くれてたり、ドテッと丸かったり


安納芋、小さいです


落花生、ゆで落花生にしましたが、
既に種子状態で固かった、収穫が遅かったみたい
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寿福寺

2011-10-23 12:13:05 | 鎌倉33観音
第24番 亀谷山・寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)【十一面観音】

鎌倉五山の第三位のお寺です。
開基は北条政子、栄西を開山とし、1200年(正治2)に建立です。

源頼朝の父義朝の屋敷があったゆかりの地、後ろは源氏山と呼ばれます。
義朝は、平治の乱で平清盛に敗れ、東国に逃げる途中、長田忠到に討たれました。
家人の岡崎義実は義朝の館跡のこの地に仏堂を建てたそうです。

鎌倉入りした頼朝がこの地に舘を造ろうとしましたが、この仏堂があり、
また土地として狭小であったことから断念(吾妻鏡)、大倉の地に幕府を作ります。
頼朝が亡くなった翌年、政子は寿福寺の建立を思い立ちました(吾妻鏡)


参道の石畳、中央のは「氷裂敷」とか「氷紋敷」、通るなということらしい。
両端は桂離宮に似たのがあるので「桂敷き」なのか?
あまり古いものではないらしいけど、いいねぇ


栄西禅師は宋から茶の種を持ち帰り、お茶の栽培を広めました。
3代将軍実朝が二日酔いの時、お茶とともに「喫茶養生記」を献じます(吾妻鏡)。
政子や実朝もよく訪れ、やがて七堂伽藍に塔頭も14を数えたとか


柏槇の古木


古そうな大木です


御朱印は庫裏で、ご住職に書いていただきました


いただいた御朱印、達筆です
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