フレッツカンパニー

ウクレレ、真空管アンプなどの修理調整、さらにウクレレ、ベースなどのレッスンをやっています。

むかしばなし 38

2008-08-29 05:00:47 | Weblog
とにかく今月は忙しい。

ライブ、ウクレレスクール、修理、9月の終わりには学園祭がある女子高の軽音楽部のコーチなどなど・・・・・。

6月1日、アユ釣りの解禁時には毎週行くつもりだった小田原の 酒匂川 、まもなく3か月過ぎようというのに2度しか行っていない。
近場の 二子玉川 も3度である。

アユ釣りにはまって毎週釣行している弟の釣果を聞くのが楽しみになってしまった。
こんなはずでは・・・・・。

仕事でも趣味でも、なんでもないことを思い出しました。

ハワイでは カメ は幸運をもたらす動物らしい。
日本も亀は万年なんておめでたい動物に思われているのでしょうね。

19歳のころ、大井町の佐藤製薬に勤めながら、夜は銀座のクラブでバンドやってました。

両方の収入を合わせると、大卒の4倍くらいのギャラが入っていたわけです。
ついつい欲しい楽器を分割であれもこれも・・・。

そうしているうちにコロムビアからレコードデビュー、ところが収入はというとおよそ半分。

調子に乗って買っていたつけがじわじわとふところを脅かし始めました。

母の知り合いが製麺業をやっていて、朝5時から9時まで働かしてもらうことになりました。

3月も終わりのころ、たぶん大井町駅前の阪急ホテルの工事現場だと思うのですが、早朝の歩道をアルバイト先にむかっていると、はるか先の歩道の真ん中に20センチ位の黒い石が見えました。

それを見ながら進んでいるうちに、わずかに動いているような気がしたのです。

小走りで近ずくと、それは亀でした。

引き返すわけにもいかず、ばけつをかりてアルバイトが終わるまでその中でお待ち願いました。

池上線の洗足駅の前にある洗足池には、かなり大きい亀がこおらぼしをしているのを以前見たことがあったので、その亀を池の奥にある岩の近くに放ちました。

ポカンと浮かんだその亀は泳ぐ気配も見せず、首をもちあげ私のほうを見つめております。

まわりに誰もいないのを確かめて、亀に向かって声をかけました。
「はやくどっかへ行ってくれよ、帰れないからよ」 ってね。

30分ほどたってようやく水の中に消えていきました。

あれからおよそ40年、万年には程遠いけど元気なんだろうか。

池上線に乗って洗足駅のアナウンスを聞くとき、車で池の脇を通るとき、あの亀を思い出すのです。


わたしのつり  8

2008-08-20 05:49:49 | Weblog
今月はライブの仕事が多くてその練習やリハーサルでなかなか投稿できませんでした。

平成20年8月17日(日)栃木県大田原市黒羽町亀久の 安養院 というお寺でジャズとハワイアンのライブをやってきました。

那須塩原駅から迎えの車でお寺まで30分ほどの道のりですが、途中、見え隠れする 那珂川 が懐かしく友釣りのつり人をみかけると、その姿が見えなくなるまで見とれておりました。

平成4年8月 そろそろ鮎釣りも終期に入ろうとするころ、自宅近くの上州屋で鮎の友釣りの道具を15万円ほどで揃えました。

その月の30日、車で那珂川へ向かいます。

はじめて行く場所、はじめての友釣り、道を間違えながらもどうにかたどりつきました。

おとり屋さんに入ったものの買い方もわからなくて、今日、生まれてはじめてやる釣りだからいろいろ教えてくださいと、おじさん、おばさんおかまいなくお願いしました。

おとりを買って草むらをかき分け川岸にでたとき、目の前に広がる景色にしばらく見とれておりました。

そこは通称 馬洗い というところでした。

水はきれい、対岸は竹林、川のところどころに岩の頭が見えて、まるで水墨画でも見ているようでした。

この釣りを一生の趣味にしようと決めました。

写真はその日から10年後くらいの、小田原 酒匂川 での友釣りです。

わたしのつり  7

2008-08-13 04:48:45 | Weblog
高校2年生の暮れでへら鮒釣りを中断してから5年ほどして、投げ釣りをはじめました。

オリンピックの3本つなぎの投げ竿を使用しておりましたが、腰が弱いというのか、いまいち物足りなさを感じておりました。 

みち糸3号と力糸、はじめたころは4色までとばして、糸ふけをとると3色半、およそ80メートルくらいでした。

みち糸の色が継ぎ目なしで変わるなんて、このときはじめて知りました。

東海道線で大磯、二宮、国府津あたりをホームグランドにしておりました。

ハンマー投げほどではありませんが、回転して投げるつり人をみかけると、その投げ方に見とれておりました。

竿だけで回転の練習して、つぎにおもりだけ飛ばす練習して、6色から7色まで飛ぶようになりました。 

この釣りは3年で終了しました。

写真は小田原の みかみ釣具店 で当時注文販売していた2本つなぎ、3・8メートルの投げ竿です。

一本が2メートルちかくあって、電車の乗り降りには気をつかいました。
乗客のなかには、この竿のことを聞いてくる人もいました。

わたしのつり  6

2008-08-05 04:07:36 | Weblog
若竹へら研に入会するまでは小池釣り堀で使う 丈八(18尺)の竿、1本しかありませんでしたし、それ一本で一日楽しめたのです。

ところが、はじめて野釣りにいっていろいろな長さの竿が必要であることがわかって、アルバイトでお金ができると、九尺から十五尺まで順々にそろえていきました。

高価な竿は買えませんでしたが、一応段巻きの竿をそろえました。

大井町から近い野釣りの雰囲気のあるへら鮒の釣り場というと、東横水郷というのがありました。

川崎市の等々力緑地のあたりです。 大小7つくらいの池があって、別に東横道場という釣り堀もありました。

ここ以外には、常磐線我孫子から成田線に乗り換えて 木下(きおろし)、小林、安食(あじき)あたりへ毎週、でかけておりました。

写真は高校2年生の12月、東横道場での若竹へら研の納会です。
この年は1月と4月に優勝しましたが、年間成績は8位でした。
しかし平均釣果、技能部門では1位となりました。 入会して4年目です。

このときを最後にへら鮒釣りを中断します。
楽器に夢中になったからです。

むかしばなし 37

2008-08-01 05:16:07 | Weblog
国立に修理専門店を出したのは1975年ころです。

中央線沿線にはバンドをやっている連中が多いと聞いていたのでどこかの駅の近くで始めたいと思っておりました。

新聞の不動産蘭に学生街と書いてあるのを見て購入することに決めました。

一年目の売り上げなんてまあ悲惨なものでした。 税務申告した立川税務署の職員が心配してくれたくらいです。

国金からの融資で小さいスタジオを一階と二階に一部屋ずつ作りました。
使用時間200時間なんていう月もありました。

この頃スタジオを使用してくれた連中のなかには スターリン の 遠藤道朗 さんなんかもいましたが、みんな貧乏ミュージシャンで、修理代やスタジオ代を ツ
ケ でなんて、結局そのまま、あとはおぼろとなってしまいました。

当時、忌清志朗バンドでベースを担当していた リンコ・ワセイ さんもご自分のベースの修理・調整にきてました。

スタジオが繁盛したのもつかの間、国分寺や立川におおきなスタジオができて、使用時間はずいぶんと減りました。

夜は相変わらず、銀座で弾き語りをつずけておりました。
そして相変わらずギターを買い集めておりました。 

ハワイアンバンドをやっていたせいか、エレキギターには興味なく フルアコ、セミアコ を集めておりましたが、あるときモデルは忘れましたが、モズライトを手に入れました。

いきなり知らない人から年式やらモデルの問い合わせがありました。
モズライトは全国ネットで、どこのだれが何を持っているという、情報がいきわたっているそうです。

一番多い時で、60本くらいはあったと思います。
やがては家賃やローンの返済に当てることになります。

いま手元に残っている楽器は10本程度です。

写真は中央が 高校3年生の時買った、 Gibson Super 400C 、左側が Gibson Charlie Christian Model、右側が Martin C-2 です。
どとらも国内にはそう無い代物と思います。