フレッツカンパニー

ウクレレ、真空管アンプなどの修理調整、さらにウクレレ、ベースなどのレッスンをやっています。

むかしばなし 29

2008-06-29 00:37:54 | Weblog
J・シャングリラ 解散、半年くらい前から 銀座 タクト 、銀巴里 、新宿ラ・セーヌ などの出演が多くなりました。

その時々でチェンジバンドは異なりますが、中にはいまや大スターとなった井上陽水さんの姿もありました。 当時は アンドレ・カンドレという芸名だったと思います。

あるとき パープル・シャドウズ の演奏を聴く機会がありました。
その中に ハワイアンをジャズコーラスにアレンジして一世を風靡した インビテーションズ 、ハワイアン サーファーズ 、大スター ドン・ホー のバックバンド アリーズ などのコピーがあり、夢中で聞き入っておりました。

グループへの誘いに心はかつてないほどゆれうごきました。
マハロ・エコーズ のリーダー 恩田さんに正直な気持ちを伝えました。

内心はわかりません、もしかしてはらわた煮えくり返っていたかもしれません。
恩田さんは快く承諾してくれました。

いまも恩田さんのバンドでベースを弾いているのは、そのときの恩があるからです。
いや、よそのバンドじゃ使ってくれないからでした。
 
スチールギターが弾けなくなるまで付き合うつもりです。

写真は リーダー 小林隆 が抜けてからの ブルーハワイアンズ です。
一番前が 恩田さん、二番目 ビブラフォンの 内田さん、 四番目 裏声の清水さん、最後尾 長嶋さん みなさん元気に演奏されています。 

銀座タクトでは毎月、スケジュールを載せた小冊子を発行していて、表紙の裏側にはいろいろなバンドの写真が載っていました。
高校生だった私にはだれもかれもみんな大スターでした。

むかしばなし 28

2008-06-24 19:18:19 | Weblog
4枚目シングル、深夜シンフォニーは全く売れず、いくつかのバンドからの寄せ集めで結成された J・シャングリラ は解散の日を迎えることになりました。

当時はレコードデビューなんてことは、よほどの話題にでもならなければできない時代でしたので、それができただけでも楽器に多少なりとも係わってよかったと、今更ながら思っている次第です。

平成7年秋、解散後およそ40年ぶりに一同に会う機会を得ました。 
ご覧のとうりの変わりようです。キーボードの野村、ドラムの中山は事情があって参加できませんでしたが、皆元気です。

その後、メンバーは個々の道を進むことになりましたが、私はというと解散後、新宿のクラブに出演していた、吉本さんという ジョージ・シアリング スタイルのピアノを弾くコンボバンドに参加します。

数か月後、マヒナスターズから分裂した マハロエコーズ の 恩田さん(スチールギター)からお誘いの連絡をいただきます。

この頃はまだハワイアンバンドにいささかの未練があって、担当の楽器はキーボードでしたが参加することにしました。

横浜 山下公園の端にあったバンドホテルが演奏場所でした。

キーボードにもそろそろ慣れ始めたころ、パープル・シャドウズ からの誘いをいただきました。


むかしばなし  27

2008-06-11 04:32:38 | Weblog
デビュー曲のムード歌謡路線から少しずつそれはじめ、3枚目を最後に司会とボーカルの田中二郎が抜け、静岡県三島市出身の 中山隆 がドラムで参加しました。

渚に夢ひとつ、女ともだち に期待はしたものの、いまいちぱっとせず、時間は過ぎてしまいました。

さらに4枚目となると 深夜シンフォニー という台湾民謡に日本語をつけた、どう考えてもヒットなんて考えられないような曲でした。

1時が過ぎたなら2時がくる、待ってた彼女はまだこない、まだこない・・・・・

こんな歌詞の羅列にいったい誰が感動するって言うんだい。自分たちの曲でありながらできればレパートリーに入れたくない曲でした。

1996年10月10日(株)バーン・コーポレーション 発行 
初版 秘蔵シングル盤天国 邦楽編 76-77頁 目的不明歌謡 に
J・シャングリラ 深夜シンフォニー が載っておりました。 

コメントに (いったいこのレコードの発売に関わった人間の何人が本気でヒットすると思ったのだろう) とあります。 

発売に関わった方々には申し訳ないとは思いますが、まさにそのとおりなのです。

よりによってこのレコードのジャケットのど真ん中にわたしが映っているのです。

むかしばなし 26

2008-06-02 21:08:53 | Weblog
3枚目の A面 渚に夢ひとつ B面 女ともだち が発売になる二か月ほど前、仕事でリードボーカル 笹木日出男 の出身地である金沢へ行きました。

町から小一時間、だんだんと山に上りはじめたところになると樹齢何百年の大きな杉並木がみえて、その奥に大きな古民家が忽然と現われました。

彼のお母さんやお姉さん、その他関係者が出迎えてくれました。

その古民家は料亭だったのです。

私たちの明日は自分だけの心配でなく、家族や親戚縁者、発売に携わる関係者、そしてファンの方たちの心配でもあるのです。

ちょっとおおげさかな・・・・・。

会場では今度発売されるレコードのことや、仕事の内容その他、質問攻めにあい、いい加減なことは言えないのでその返答の四苦八苦しました。

落ち着いて飲み食いするどころではありません。 心残りです・・・。

橋本淳、筒美京平のコンビによる曲といってもあまりピンとこなかったようです。