少し時間を戻します。 1964年(東京オリンピックの頃かな) TBSラジオの30分番組で 大学対抗バンド合戦なんていうのがありました。 最初はラジオで偶然聞いて、面白そうだから聞きに行っちゃおうなんて 赤坂の TBSホールへ行きました。
東京コカコーラボトラーズ の提供で 行き始めた頃の司会は 小島正雄さん という、とても上品で紳士服のモデルのようなかっこいい方でした。 あるときから大橋巨泉さんに交代しましたが、 高校生の私にはその理由なんてわかりませんし、どうでもいいことでした。
大編成のフルバンド、少人数のジャズコンボ、タンゴ、カントリー、ブルーグラス、ハワイアン ジャンルは問わず、ごちゃまぜで審査されてました。 その日その時の番組ごとに優勝バンドが選ばれて、年末に優勝バンドのコンテストが、別の会場で行われてました。
ジャズピアニストの 八城一夫さん をメインとして、当時の日本を代表するミュージシャンが審査員を務めてました。 けっこう辛口の批評を言われてましたが、音楽にかかわり始めたばかりの私には参考になったり、わけわからなかったり。
このコンテストから世にでたミュージシャンはかなりいると思います。特にジャズの世界では・・・・・。
この頃を境に アメリカのカントリー系バンド ベンチャーズ、そしてイギリスから ビートルズ が日本に入ってきたわけですが、テレビやラジオの音楽番組のメインは それまでのソロ歌手から グループサウンズ に少しずつ移行していくわけです。
ベンチャ―ズ人気も全国に広がり、 勝ち抜きエレキ合戦 なんていうテレビ番組もありましたが、歌がないのがいまいち盛り上がらなかった原因ではないでしょうか。
その点 ビートルズ には明るい歌、悲しい歌、反戦歌などいろいろなオリジナルナンバーがあり、世界中の人たちの支持を得ました。 当然、グループサウンズの連中も ビートルズ、ローリングストーンズ、アニマルズ、その他アメリカ、イギリスのバンドのカバー、そしてオリジナルを演奏していたわけです。
一方、私が係わっていたハワイアンの世界では、当時一流といわれたハワイアンバンドは相変わらずのスタイルでステージをこなしておりましたが、 マヒナスターズ が6年連続でNHK紅白歌合戦に出演するなど、ムード歌謡コーラスが大衆の支持を得て、多くのハワイアンバンドがそのスタイルに変わっていきましたし、ラテンバンドやごくわずかですが地方のジャズコンボの中にもそんなグループが出現しました。
グループサウンズの平均年齢はおよそ20歳、一方、ムード歌謡コーラスの平均年齢30歳、当然のことですがファンの年齢層にも差が生じるわけです。
当時、 コロムビアレコードでは 平均年齢20歳代前半の ムード歌謡コーラスグループをデビューさせる企画がもちあがっておりました。 グアムへ出発する数日前、コロムビアレコードの関係者からそんな話の内容で、メンバーを集めているという連絡をいただきました。 しかしながら、私はグアムでの演奏
契約をしております。
東京へ戻るまでメンバーが見つからなかったら、もう一度連絡をくださいということで、わたしはグアムへ向かいます。
東京コカコーラボトラーズ の提供で 行き始めた頃の司会は 小島正雄さん という、とても上品で紳士服のモデルのようなかっこいい方でした。 あるときから大橋巨泉さんに交代しましたが、 高校生の私にはその理由なんてわかりませんし、どうでもいいことでした。
大編成のフルバンド、少人数のジャズコンボ、タンゴ、カントリー、ブルーグラス、ハワイアン ジャンルは問わず、ごちゃまぜで審査されてました。 その日その時の番組ごとに優勝バンドが選ばれて、年末に優勝バンドのコンテストが、別の会場で行われてました。
ジャズピアニストの 八城一夫さん をメインとして、当時の日本を代表するミュージシャンが審査員を務めてました。 けっこう辛口の批評を言われてましたが、音楽にかかわり始めたばかりの私には参考になったり、わけわからなかったり。
このコンテストから世にでたミュージシャンはかなりいると思います。特にジャズの世界では・・・・・。
この頃を境に アメリカのカントリー系バンド ベンチャーズ、そしてイギリスから ビートルズ が日本に入ってきたわけですが、テレビやラジオの音楽番組のメインは それまでのソロ歌手から グループサウンズ に少しずつ移行していくわけです。
ベンチャ―ズ人気も全国に広がり、 勝ち抜きエレキ合戦 なんていうテレビ番組もありましたが、歌がないのがいまいち盛り上がらなかった原因ではないでしょうか。
その点 ビートルズ には明るい歌、悲しい歌、反戦歌などいろいろなオリジナルナンバーがあり、世界中の人たちの支持を得ました。 当然、グループサウンズの連中も ビートルズ、ローリングストーンズ、アニマルズ、その他アメリカ、イギリスのバンドのカバー、そしてオリジナルを演奏していたわけです。
一方、私が係わっていたハワイアンの世界では、当時一流といわれたハワイアンバンドは相変わらずのスタイルでステージをこなしておりましたが、 マヒナスターズ が6年連続でNHK紅白歌合戦に出演するなど、ムード歌謡コーラスが大衆の支持を得て、多くのハワイアンバンドがそのスタイルに変わっていきましたし、ラテンバンドやごくわずかですが地方のジャズコンボの中にもそんなグループが出現しました。
グループサウンズの平均年齢はおよそ20歳、一方、ムード歌謡コーラスの平均年齢30歳、当然のことですがファンの年齢層にも差が生じるわけです。
当時、 コロムビアレコードでは 平均年齢20歳代前半の ムード歌謡コーラスグループをデビューさせる企画がもちあがっておりました。 グアムへ出発する数日前、コロムビアレコードの関係者からそんな話の内容で、メンバーを集めているという連絡をいただきました。 しかしながら、私はグアムでの演奏
契約をしております。
東京へ戻るまでメンバーが見つからなかったら、もう一度連絡をくださいということで、わたしはグアムへ向かいます。