フレッツカンパニー

ウクレレ、真空管アンプなどの修理調整、さらにウクレレ、ベースなどのレッスンをやっています。

わたしのつり  10

2008-09-24 04:38:52 | Weblog

2008年9月23日(火)秋分の日

13日に続き四度目の鮎釣りです。

酒匂川へ通い始めたころ、5,6か所あった田畑も、今は畑が一つと田んぼが二つになってしまいました。

稲穂は黄色く色つき、刈り取りを待つだけですが、刈り取られた田んぼをみると、今年のアユ釣りもそろそろ終わりなんだなぁなんて、さみしくなります。

昨日の酒匂川はかなりの増水と濁りで、本日の友釣りは無理だろうと思っていた人が多かったとみえて、釣り人の数は前回の半分ほどでした。

開始したころは30センチくらいの透明度でしたが、想像以上に追いもよく、11時過ぎの食事までに20匹くらいは掛けておりました。

型はやや小ぶりでしたが、どれも おとり になるサイズです。

10時すぎには、いくらか水もひきはじめ、透明度もかなり良くなってきましたが、その分鮎の追いはじょじょにとうのきました、というより、居着きの鮎をつりきってしまったのでしょう。

午後は場所の選定ミスで数はのびません。

チャラ瀬がよかったように思いますが、ぼくは平瀬を泳がせておりました。

その時、その場の判断がまだまだです。

本日の釣果25匹です。

むかしばなし 41

2008-09-17 11:59:45 | Weblog
思いもよらない方からメールをもらって、懐かしく、嬉しくです。

出会ったきっかけは、お互い国際音楽学校、ピアノ調律科に入学したからです。

京浜急行、六郷土手から5分位のところにありました。

わたしがそこへ行くきっかけになったのは、パープルシャドウズをぬけて、八重洲の デラ というライブレストランで弾き語りをしていたときです。

チェンジで出演していたグループで、ギターを弾いていた中村さんという方が休憩時間に、ピアノの調律学校へ行き始めたという話をしてたからです。

そろそろ修理専門店を出そうか、なんて思い始めたころで、調律師になろうなんて気はさらさらなかったし、なれるとも思ってなかったけど、修理の看板を出す以上、ピアノのことを少しくらいは知っておこうと、思い立ったわけです。

山田先生という80歳に近いか、それくらいの方が講師をされていて、若干将来を心配した次第です。

2年制でしたが、1年ちょっとでやめてしまいました。

メールいただいた彼とはあまり話したことはなかったのですが、記憶にあるのは、わたしが修理の仕事をしてると知ってか、ギターのピックアップのことを質問してきたことと、学園祭のときバンドやったことです。

彼を含めて入学した生徒のほとんどは私より歳が一回り以上も若くて、演奏した曲は聞いたことはあっても、自分が所属していたバンドではやったことがなく、時代を感じました。

今思えば、なにしに行ったかわからない1年ちょっとでしたが、今日まで生きてきて決して無駄ではない、1ページです。

写真、中央右が校長、左が調律科講師の山田先生、その隣が私、右から2列目、前から二人目のブルージーンのジャンパーの青年が、メールくれた彼です。

羽生さん、楽器弾いたり、歌ったり、音楽やっててよかったよね・・・・・。

わたしのつり  9

2008-09-14 01:25:37 | Weblog
6月1日解禁以来三度目の鮎つりです。

弟は毎週のように釣行していて、釣果を聞くのがせめてもの楽しみになってしまいました。

昨年もなかなか釣行できなかった分、今年こそはと意気込んで解禁日を迎えたたのですが、今年は昨年よりさらに釣行できそうもありません。

JR 東海道線 品川 から 小田原へ、 小田急線で 富水駅へ 徒歩10分で酒匂川畔 岡田おとり店着。

7,8年前までの鮎釣りは車での釣行がほとんどでしたが、渋滞や事故をかんがえると、のんびり電車で、帰りはビールでも飲みながらというのが グー。

我が家から1時間ちょっとでこんなきれいな水にひたれるのはここ 酒匂川 と 秋川 くらいかな。

秋川は歩きだといささか不便だし。


数日前、どっかの間抜けな廃棄物処理会社が薬品流して、小川の生き物がみんな死んだニュースやってたけど、やった野郎も悪党だけど、無許可でやってた奴らを見逃してたこの国の役人共も同罪じゃーなかんべか・・・・・。

市中引き回しのうえ、貼り付け獄門なんてゆうの、復活しないとだめなんじゃないの?

あまーい、あまーい罰則のせいか、頭の切れるずる賢い悪党どもが、悪事をやり得にしてしまうような国になってしまったんですねー、日本てぇ国は、なんちゃって。


頭に来るいやーな話は忘れて、小田原アリーナ向いにある高圧線の上手の瀬、弟は瀬肩、わたしは10メートル下で開始しました。 午前7時30分です。

30分経過しましたが一度の当たりもありません。

弟はその場を見限り対岸に移動しましたが、私のほうはその直後やっと一つ掛かりました。 20センチです。

友釣りはとにもかくにも、元気な おとり です。
一つ取れればこっちのもんです。  

五つほど入れ掛かりとなりましたが、徐々に型は小さくなっていきます。

瀬での釣りは追い気のある元気なアユから掛かってくるので、当然の結果です。
お昼まではこの瀬を釣りきる覚悟で続けました。

鮎釣りは自分の釣りをしながら、たえずまわりの釣り人を見て、いまどんな川相で掛かっているかチェックしているのです。

不思議なことですが 追い時 というのがあって、ある時間になるとパタパタ釣れはじめます。
わずか10分足らずです。

このタイミングを逃すと、その日の釣果は半減します。
上手な方は別ですが。

すぐ下に高圧線があるのでなんとなく恐怖心を持ちながら釣っております。

11時30分、の食事までに15匹が掛かりました。

仕事の関係で1時30分に納竿しなくてはなりません。 

残りおよそ1時間、この瀬の上のトロ場に移動し、あたりを待ちました。

良型を3匹掛け、終了です。

本日の釣果、およそ半日で18匹でした。
20センチをかしらに、まーまーの型が揃っております。(写真)



むかしばなし 40

2008-09-08 22:16:10 | Weblog
パープルシャドウズを抜けて、国立に修理店を出すまでの数年間、アメリカへ行ったり、名古屋、岐阜のギター工場に住み込んだり、ピアノの調律学校へ通ったり、弾き語りやったり、いろいろな技術を勉強しましたが、もう一つ、レザークラフトがあります。

レザークラフトといっても、さまざまな技法、そして作品があるのですが、わたしが勉強したのは カービング という技法です。

始めたきっかけはギターやベースを肩からつるす ストラップ を作る事でした。

厚さ5ミリにちかい牛革の表面を水で湿らし、あらかじめ作図した図案の主要な線を革の表面に書き込みます。

革に水分が残っているうちに、専用カッターで線をなぞり、厚さの半分くらいまで切り込みを入れます。

つぎに模様のついた刻印をハンマーでたたいて凹凸をつけ、様々な絵柄やイニシァルを浮かび上がらせるのです。

当時、自由が丘駅のすぐ近くで教室を開いていた、竹森耕志氏 に師事します。

師匠は春汀流という生花の流派の家元でもありました。

一輪ざしの花瓶に、小ぶりの柘榴をいけた絵姿は、テレビなんぞで大騒ぎするど派手ないけばなより、はるかにわたしの心を打ちました。

カービングの流れるようなラインも非常に繊細で、これまた惹かれるものがありました。

教室に通い始めて何年たってからなんて覚えておりませんが、やがて師匠の代行でよそのクラフト学校へも出向くようになりました。

師匠は10年ほどまえ、この世を去りました。

写真は、ある年の暮れ、日本橋のデパートでの作品展に出品したものです。
生徒は御婦人方が圧倒的でしたので、バッグやベルトなどの出品がほとんどでした。
これにはかなり抵抗がありました。

このバイオリンのボディ、ネックはすべて皮革です。

作品展が終わって年も明け、いくらか春めいてきたころ、自由が丘の教室で 皮革による装丁 の講習会が開かれることになりました。

講師は 皮革作家の 寺田澄史 先生です。
その知識の広さ、奥の深さには恐れ入谷のなんとか・・・・・です。

むかしばなし 39

2008-09-02 02:48:12 | Weblog
国立に修理店&スタジオを開店し、夜は銀座のクラブで弾き語りの毎日が続いておりました。

5年位してから、大井町の自宅のすぐそばにテナントビルができました。

そのビルの二階の一部屋を借りて、国立の店と同じことを始めました。

開店当初はお客の来ない毎日でした。

銀座の仕事が終わって深夜、宣伝ビラと糊を大量に溶いたバケツを車に乗せて、品川区、大田区、港区、世田谷区の高校や大学のまわりに貼りに行きました。

大森のある学校では、まわりにある電柱やビラが貼れそうなところに宣伝ビラを貼り終わって、校門の名前を見てがっかり、そこは小学校でした。

当然のことですが、違法行為です。
パトカーに誘導され、近くの交番で始末書を書いたのも、二度、三度。

学園祭が近くなるころには、予約を断るくらいにまでなりました。

どうにかなりそうと思い始めたのもつかの間、ある夜、銀座から帰って店番をしていると、警官が二人やってきました。

騒音の苦情が入っているということでした。

翌日、ビルのオーナーに尋ねますと、それまで事務所だった店の真上が、普通の賃貸住居になったということでした。

しかたなくスタジオの建設業者に相談すると、カラオケボックスがはやりはじめたから、試しに行って見ましょうということになりました。

そうですねぇ、今から25年くらい前かな・・・・・。