沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

どこを走る?

2005-08-12 | 浜松のくらし
旧浜松市内は歩道が多く、区画整理した市道は4車線で歩道も広い。
ところがここは郊外の道で、県が管理する国道。歩く人が少ない所や拡幅用地が無い所では、歩道は道路側溝の蓋の上になる。
側溝の蓋の上を走ると、ボコボコボコボコッと連続音がする。音だけなら構わないが、路面の振動を忠実に拾う。長距離自転車こいだお尻は、この振動を拒否する。一方、アスファルトは滑らかでお尻も快適だ。一番いいのは白線の上。ドライバーは、なんで車道を走るんだと思うだろうなぁ。
ドライバーは急坂でも右足を少々踏むだけですいっと登って行けるけど、こっちは立ち漕ぎをして自分の呼吸を聞きながら、腕やわき腹お痛みに耐えてる。どっちが健康的で、どっちが環境にやさしいだろうか。自転車で走ると、目の不自由な人や車椅子の人とすれ違い、気づいたり、声をかけたりできる。駐車する時は自転車を考えて注意してね。町なかの面白いものは歓迎。


引佐高校

2005-08-12 | 環境教育
引佐(いなさ)高校の前を通過です。休憩です。7年前に体育館で全校生徒を対象に環境教育の授業に来ました。今から思えばちょっと無謀。
リンゴを地球に見立てて、切って地球の食糧問題や南北問題などをやりました。川を汚したのは誰かもやったと思う。覚えてるかなぁ。
帰りは先生に浜松駅まで車で送ってもらったが随分遠いと感じた。アクトタワーと三方原の防風林に驚いた。後にこうやって自転車で通りかかることになるとは、あの時思いもしなかった。

夕立

2005-08-12 | 浜松のくらし
ゴロゴロ空がなって激しい夕立だぁ。龍潭寺の入口でしばらく雨宿りさせてもらう。
やはり雨宿りの地元のおばあさんと世間話。「今年は夕立が殆ど無く涼しくなってうれしい。」「引佐のひよんどりや横笛が素晴らしい。」
寺の人が来て傘を貸そうかと言われたが、自転車なのでとお断りする。親切な人たちだ。やがて雨が上がり、雨宿りの御礼を言って出発。


小堀遠州

2005-08-12 | 浜松の歴史
遠州といえば、遠州地方、遠州鉄道、遠州灘海岸とあるが、小堀遠州もお忘れなく。井伊家が小堀遠州に造らせた龍潭寺(りょうたんじ)庭園。遠州の古刹 龍潭寺
近江出身の小堀政一は、家康に駿府城の築城を命じられ、その功績で遠州地域を任され小堀遠江守政一(こぼりとおとうみのかみまさかず)、通称・遠州と名乗った。滋賀のプロフィール 人物編
建築、造園、茶道の達人だ。
畳に座って日本庭園を見ていると落ち着きます。正面が守護石、右下が亀島、左の方に鶴島、心字池。左甚五郎作と言われる、歩くと床が鳴る鶯張りの廊下もあります。


無銭飲食ダメよ

2005-08-12 | 浜松の歴史

家康は、三方ヶ原の戦いで浜松城へ逃げ帰る途中、道ばたの小さな茶店であずき餅を食べていた。

そこへ武田軍の追っ手が来たため、慌てて代金を払わず逃げ出した。

「無銭飲食は許さない!」

と茶店のおばあさんは家康を追いかけ、追いついたこの地で会計を済ませた。

それが「銭取り」の地名の由来らしい。

近くで働いている人に尋ねてみたが、地名とこの標識「銭取まんじゅう跡」以外には何もないようだ。

追いついただけの場所だから、現地には何も残っていない。

どうしてこの場所と特定できたのか謎だ。

また、おばあさんには非がないのに「銭取り」とは気の毒だ。


家康の武田軍夜襲と供養

2005-08-12 | 浜松の歴史
犀ヶ崖は家康が信玄と戦った史跡です。三方ヶ原の戦いで生涯で唯一負けた家康が浜松城に逃げ込んだ後、反撃しようと犀ヶ崖近くに夜営する武田を急襲し、深い谷に騎馬隊が転落死した。突然現れる深い谷に、夜で不案内な武田軍は気づかなかった。
後年、たたりが出たため家康は僧侶を招き太鼓を一週間鳴らし供養した。こうして遠州大念仏が広まったそうな。
犀ヶ崖資料館