フルート吹きのほっと一息

楢崎容子です。ご訪問ありがとうございます。
ミニシュナ・トム君は2008年1月10日生まれ。
ただいま10歳です

バッハ 序曲 BWV1067 その2 

2018年10月15日 | 作品あれこれ

 

さて 

本番に向けて楽しい練習が始まりまして・・・

うーん、合わない!!

 

 

何版でやりますか〜、あ、ベーレン持ってます〜

と、この1983のベーレンライター版で練習したら

 

他の皆様は1966のベーレンライター版で演奏しておられました・・・

複付点の楽譜と付点の楽譜じゃ合わないもんねぇ。

付点の方に統一しました。

 

 

この下にあるスコアはオイレンブルク版です

 

主催者にお借りした古いスコアです

1966ベーレンライター版とちょっと違うところもあるけれど

基本付点です。

 

目にできる他の出版社の楽譜も見ましたがほとんどが

付点の楽譜のようです。

 

1983のベーレンライター社はちょっと攻めていたんでしょうかね?

なぜ複付点にしたのか?

Gerhard Kirchnerさんにその理由をぜひお聞きしたいです。

なんかね、わかるような気もするんですよね。

35年前のお話でした。


 

 

コメント

バッハ 序曲 BWV1067 その1

2018年10月04日 | 作品あれこれ

 

久しぶりに

バッハの管弦楽組曲第二番ロ短調を演奏するんです

 

 ベーレンライター版です

 

演奏するのは今回で4回目?5回目?なんですが、

序曲なしで 舞曲のみ全部

序曲なしで 舞曲の抜粋

序曲ありで 舞曲も全部 

序曲ありで 舞曲を抜粋

 

バッハ大好きで

管弦楽組曲を演奏できるのはとても嬉しいことで

今回は序曲と舞曲抜粋。 

ホイホイと練習に勤しむ私です。


さてこの表紙ですが

 

 

ドイツ語、英語、フランス語の三つで書かれていて

Overtureは序曲という意味です。

管弦楽組曲なんてどこにも書いてない!のですが

フルートのパート譜の表紙には(Orchestersuite)とあるので

このカッコは通称なんでしょうかね?

第二番というのもモチロン無しです。

録音物や楽譜を売るために工夫したんでしょうね。

 

 

つづく  かな

コメント

タイスの瞑想曲

2018年09月16日 | 作品あれこれ

 

 オペラは

プラハのオペラ座で一度、

ゼンパーオーパーで一度鑑賞したけれど

ゼンパーオーパーの方は魔笛だったので楽しめたけど

プラハのはセリフが多くわからなかったなぁ。

そんな訳で

オペラの作曲家とはどうしても縁遠くなってしまう。

 

 

タイスの瞑想曲の作曲家マスネはたくさんのフランス語の

オペラやオペレッタを書いていて大活躍していたそうなのだ。

音楽史をいろいろと調べているとマスネはちょくちょく顔を出す。

マスネ門下から輩出されたビッグネームが多いのね。

彼はコンセルヴァトアールの作曲科教授でありました。

 

 

歌劇「タイス」(1894) の第二幕の中の間奏曲が

私たちの知っている「タイスの瞑想曲」で

オーケストラとヴァイオリンと8人くらいのコーラス

で出来ているそうなんだ。

(そのうち、探してみよう)

 

マスネには宗教色の強い作品も結構多かった。

タイスは古代ギリシャの高級娼婦だったそう。

フランスのノーベル賞作家が書いた『舞姫タイス』(1890)が原作。

 

ドロドロな苦悩から心が浄化されていく様子が

タイスの瞑想曲で表されているんだわ。

そうかそうか。

 

コメント

セシルとジョルジュ

2018年04月17日 | 作品あれこれ


1857−1944

 

社会は50年も100年も経つと随分変化する。

電車の無い時代から地下鉄のある時代へ。

電話の無い時代から携帯電話の時代へ。

物質的な変化は判りやすく人間への影響も大きい。

いつの時代も新しいものを探して人間は変化を望む。

でも内面はそう大きく変化しないかな?とも思うのだ。

 

セシルにはピアノを弾く母がいた。

小さな頃にパリに引越しをして自宅は音楽サロンになり

若き優秀な音楽家たちが出入りする環境になる。

ピアノの上手な小さなセシルは作曲もして披露し

ご近所だった20代のジョルジュに見出されるのだ。

音楽学校はまだ女子を迎え入れていない時代。

ピアノ、和声学音楽様式、作曲、ヴァイオリンの個人教授がつく。

18歳でピアニストとしてデビューして51歳でアメリカ公演もする。

国際的に活躍して350曲も作品を残すのだ。

1912年?フルートのためにコンチェルティーノを55歳?で作曲か出版か。

 

古き良き時代のロマン派の音楽は1900年を境に

近代へと露骨に転換するのだけれど

一人の作曲家が生み出す作品は

時代の波に乗って簡単に変化するようなものじゃない。

その人自身だと思う。

 

晩年のセシル・シャミナードが幸せであって欲しい。

コンチェルティーノは今、多くのフルート奏者に愛されている。

ジョルジュ・ビゼーにお礼を言わないとね。

 

コメント

<2>ビュセールとドビュッシー

2017年05月23日 | 作品あれこれ


ドビュッシー(1862-1918)

ユーロになる前に

20フラン紙幣にお顔がのっていました

 

 

フランスが誇る大作曲家

 

 

ジャワ島のガムランや葛飾北斎にも興味を持っていたり

東洋趣味があったのね

 

フルート吹きなら必ず持っていると言ってもおかしくない、

フレンチコンポーザーっていう曲集があります

その最初に乗っているのは

アンリ・ビュセール (1872-1973)

この方、101歳まで!! 長生きでした。

 

ビュセールの曲を20代で演奏したことがあったので

親近感をもっていましたが、

1909年イギリスでドビュッシーが作曲した

ペレアスとメリザンドの指揮をしたり

ピアノ連弾曲「小組曲」をオーケストラ用に編曲したり

ドビュッシーのお手伝いをたくさんしてるんですねぇ。

ローマ大賞も受賞してます。

 

カプレもビュセールもステキな曲を書いていると思うんですが

突出した  才能のドビュッシーと比べてしまうと

優秀な普通の常識・・・のある芸術家になってしまう。

強烈に才能がある人には引き寄せられるんだろうけど

ホントはすごいんだぞ。って言っておこう。

 

しかしね、1872から1973ってさ。

ドビュッシーもプーランクも戦前戦後の現代音楽も含めて

音楽芸術は商業音楽にとって変わられていく?時代の様で

素晴らしい芸術を知っていたビュセールには

どう見えていたのかな。なんだかツライ気がするわ。

 

コメント