フルート吹きのほっと一息

フルートのこと、音楽のこと、作曲家のこと。そして愛犬トム君との日々。
一緒に楽しんでくださると嬉しいです

音楽芸術は・・・

2023年09月26日 | 恩師 増永弘昭先生

50歳を超えたら50年単位が具体化してきた。

人類の歩みに逆戻りは無いわけで、
インターネットや人工衛星が無い時代を
再び経験することはないのだわ。

こんな時代に
音楽芸術はどうなっていくのだろう??
娯楽としての商業音楽は今を生きている。
私が長年取り組んできた
西洋のクラシック音楽は、音楽芸術は、
これからの社会でどんな扱いとなっていくのだろう?

きっとたくさんの音楽家がそんなことを
考えているんじゃ無いかな。

西洋音楽の歴史は長いのか短いのか
400年ほどだ。
徳川家康が活躍していた頃
バッハはまだ生まれていない

400年のうちの50年は私も重なっている。
現代音楽の時代の中で育っている私は
この訳の分からない音楽が理解できるように
なるんだろうか?と不安に思いながら過ごして来た。

ほんの少しの理解と関わり。取り組み。
現代の戦後の作品たちはこれから評価されるのだわ。
きっとね。よくも悪くも。
良いと思われる作品が残って行き
演奏されるチャンスがあった曲が評価の対象になる。

恩師、増永は現代音楽に深く取り組んでいた。
時代に生きる演奏家として日本人としてのアイデンティティと
向き合っておられたのだろうなと思い起こす。
亡くなられて20年をとっくに超えて
まだ問いかけている私がいるんだな。

しばらくお墓参りに行けていない。
関東の門下生の皆さん、行って来てください。

 


押された背中

2022年08月21日 | 恩師 増永弘昭先生

なかなか「演奏会を開く」にたどり着かない
悶々としたコロナウィルスの日々が続いています

モチベーションを探しつつ
気力、健康、体力をふるいにかけ
人生最後の演奏会だとしたら

魂が求めている音楽はどれか?
どんなプログラム構成で演奏するか?
コンサートという時間をどう組み立てるのか
などと考えてみたりします。

初めてのリサイタルの時は
自分からやりたいなどとは
ひとかけらも思わずでした。
背中を思いっきり押してくださった恩師に
多大なる感謝です。

「ならさき、君はリサイタルをやりなさい。
メインの曲は何にしますか?
大きな流れを作らないとなりません」

ええええっ とおののきましたが、
先生の言うことは全てを絶対受け入れる・・・という
スタンスのもと20代を過ごしていたので
拒否すると言う選択肢はなく
知っている曲名を挙げたものです

『プログラムを考えている時が一番楽しい」
と、先生は仰っていましたが、
あの時は・・・恐怖でしたね

今は・・・
引き継いできたノウハウの蓄積を
自分の中で再構築して
自分の価値観と判断で
実現できる最大のパフォーマンスが
重ねてきた日々の証となるかなと

恩師には聴いていただきたい
天国でも良いので

 


H.P.シュミッツ先生 来日と講習会のメモ

2022年08月11日 | 恩師 増永弘昭先生

H.P.シュミッツ先生 

 

1984  初来日 芸大が招聘 木曽福島で講習会 (途中でシュミッツが通訳として増永を呼ぶ)

1985 芸大が招聘 三ヶ月滞在 表参道で下宿していたそう 増永通訳

1986 増永/muramatsuflute 招聘企画 軽井沢1週間 大阪二泊三日

1987 増永/muramatsuflute 招聘企画 軽井沢1週間 

1988 増永/muramatsuflute 招聘企画 軽井沢1週間 

1989 増永/muramatsuflute 招聘企画 大阪(三宅さん) 福岡(前田さん)

1992 まで続く

1995 シュミッツ永眠

2001 増永弘昭 永眠 

 

増永先生のお宅で伺ったお話のメモです

1987の講習会ではわざわざ軽井沢までニコレが見にきました。

大物登場に会場が沸き立ちましたねえ・・・

あの夏から35年も経っているんですねえ


20年経ちました

2021年10月24日 | 恩師 増永弘昭先生

 

10月24日は恩師、増永弘昭先生の命日です。
2001年に他界されて、もう20年が経ちました。
59歳。脳腫瘍でした。

悲しすぎて記憶に蓋をしていました。

10月上旬の病室で
固い長い握手をしたのが最後です。


DVDの画像です
この写真、術後なのでほぼ坊主です。
1999/5/16



懐かしい音
頑固な演奏
エネルギッシュで
ここに増永ありと


アルプスの少女 ハイジ と ロマン派

2019年06月18日 | 恩師 増永弘昭先生

 

増永先生 

 

「ドイツにいた頃、テレビ放送で日本のアニメ

『アルプスの少女ハイジ』が放送されていたんですよ。

ドイツで日本のアニメを放送しているなんてびっくりしました。

教育的番組として喜ばれていたんですよ。

テーマ曲は取り替えられていましたけれどね」


というような話を25年くらい前にされていました。

 

アニメはわかるけど?と思って、すっかり忘れていました。

ようやく「教育的」の意味が・・・。

 

 

読み進めると私の大好きな年譜。

 

ジョルジュ サンドリヒャルト ワーグナーが列記されています。

「文化人」という括りでのロマン派、面白いわ〜。