Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

「ソウルフルな経済学」

2008-12-29 | Weblog
ダイアン・コイル著「ソウルフルな経済学」2008 インターシフト

本書については、池田信夫氏や阪大の大竹文雄教授などの著名ブログで紹介されているので、ご存知の方も多いと思います。近年の経済学の発展を数式を使わず平易に説明している点でとても有益な本ですが、それ以上に一見「非人間的」とさえ見られがちな経済学が、実はヒューマンな問題関心に裏打ちされた「ソウルフル」な学問であることを示すのに成功しているところに最大の魅力があります。

個人的な興味からすると、幸福の経済学について書かれた第4章、行動経済学や神経経済学に直接スポットを当てた第5章に最も惹かれます。幸福の経済学に関する論文は90年代以降劇的に増えているようですが、何故か日本語でまとまって読める文献が少なく(B.フライらの「幸福の政治経済学」は残念ながら未読)、その意味でも貴重です。

R.レイヤードらに代表される幸福の経済学の主唱者たちのパターナリスティックな見解に対して著者は懐疑的です。著者によれば幸福論者は、経済に道徳を取り戻そうとするあまり「不吉なまでに清教徒的で狭量」だということになります。

レイヤードは著書"Happiness"において、幸福をもたらす要因として以下の点を挙げています。
 ・人間は社会的存在であり、友情や結婚は人を幸せにする
 ・信頼関係が重要。そのために、学校での道徳教育や、家族や地域の絆を強める政策が求められる
 ・絶えざる変化が幸福をもたらすとは限らない。むしろ、安定や将来の予測可能性が安心感を与える
 ・人は利得よりも損失を過大に評価する。損失のリスクを冒すより、人は現状維持を求めるものである
 ・他人と比べてどうか、ということが重要
 ・豊になればなるほど、追加的な所得から得られる満足度は逓減する
 ・内面的な成長が重要。教育の目的は内面的な強さの涵養にあり、また成人にとっては瞑想、ポジティブ心理学等が役に立つ

また、
 ・失業は所得の喪失以上に社会との繋がりを絶ってしまうところにより深刻な問題がある
 ・公共政策は、幸福度を高めるより、惨めな状況を緩和する方がたやすい
とも述べています。

そして、以下のような政策提言をしています。
 ・(特に第三世界の)貧困削減のためにより多くの公共支出を行う
 ・家庭生活をより豊かにするために、労働時間のフレックス化や育休、託児所の充実を図る
 ・こころの病に対処するための予算を増やす。精神医学を重視する
 ・失業率を下げる
 ・子供を対象にした広告を禁止する
 ・学校教育における道徳科目の重視

これらは、市井の生活を営む一般市民の目から見て、常識的に納得しうる内容であるとはいえ、中には政府が政策として実施するにはなじまない項目も含まれていると言えます。人が生きるうえで道徳が必要なのは明白ですが、それを国家が一方的に押し付けることに対しては、やはり慎重ならざるをえません。
(なお、クーリエ・ジャポン 2008年2月号に「フランスの哲学誌と考えた幸福の世界地図」という記事が掲載されました。ここでは、幸福の経済学が自由を束縛する可能性があるとして、リベラリズムからの警戒感について指摘するなど、幸福の経済学にやや懐疑的な立場をとっています。さらに引用すると、「幸福の経済学が、常識から外れない学問になるには、幸福の概念が複数あることを前提に『人間にとって幸福とは何か』を吟味すべきだろう」としています)

幸福の経済学は、物質的な豊かさが幸福度のすべてではない、とする点ではまったく正しいと言えますが、著者は「GDPを成長させる諸政策を放棄せよと助言するのは軽率にすぎ」るとしています。著者の言を引けば、

「ベンジャミン・フリードマンの素晴らしい著書で論じられるように、忍耐、民主主義、社会的流動性、公正性などの他の価値観を実現するには、経済発展が不可欠だ。トレードオフはあるかもしれないが、それは物質主義に対する道徳性ではなく、異なった道徳観のトレードオフなのである。」

と、まあ、ここまで書いてきましたが、幸福の経済学が「経済学に人間性を取り戻した」分野であることに変わりはなく、今後も有力な研究分野であろうと推察されます。この分野から、より興味深い知見がもたらされることを期待してやみません。
(引用はすべて訳書によりました)


大平正芳と上田辰之助

2008-12-28 | Weblog
「大平正芳 『戦後保守』とは何か」(福永文夫著、中公新書)を購入、読んでみました。著者がはしがきで述べているように、「読書家で文筆家としても知られ、『戦後政界屈指の知性派』と評され」、「派手なパフォーマンスとは無縁の、知性と言葉に重きをおく政治家」の仕事に対する興味もさることながら、立ち読みで大平が東京高商で上田辰之助に師事したことを知ったのが購入の直接的なきっかけです。

上田辰之助については、その著作をまったく読んだことがないため、偉そうなことはいえないのですが、例えば都留重人の自伝である「いくつもの岐路を回顧して」に出てくる都留との軽妙な英詩文のやりとりのエピソードが印象的で、以前から気になる存在でありました。

都築忠七一橋大学名誉教授の「上田辰之助教授の戦後」という文章で述べられているところによると、上田教授は「蜂の寓話」のマンドヴィルからマキャベリ、ホッブズに連なる利己心の哲学と、シャフツベリ、ハチスン、アダム・スミスに至る利他の哲学を対比し、前者から来る「経済人」理解を「徹底した経済人」、後者から来るそれを「倫理性をもった経済人」と捉えていたようです。そして、利己心と利他心をつなぐ思想として(スミスとともに)ベンサムの功利主義を配置し、そこから個人主義やフェビアン社会主義へとつながっていくと解釈されています。

マンドヴィル流の徹底した経済人による個人的利益の追求はスミス的予定調和には至らず、政治の知恵によって人為的に調和させなければならないと解されます。この「徹底した経済人」像は普遍的であり、洋の東西を超えて「蜂の寓話」が受け入れられてきた所以でもあります。 他方、ハチスン、スミス、ベンサムの流れからは、市民社会の発展とともに社会性、道徳性を高めたホモ・エコノミクスが出現してくるというという主張が導き出されます。これが上田教授の戦後の研究テーマ「18世紀初めのイギリスのミドルクラスのリベラリズムの世界」の通奏低音だった、というのが都築教授の解釈です。

ここで福永著「大平正芳」に戻ると、大平の卒論「職分社会と同業組合」は上田教授の強い影響のもと執筆されており、そこで示された「社会職分の原則」(社会全体の共通の目的を実現するため、社会または国家の一構成員が受け持つ役割を指す)と「協同体思想」は、大平の政治思想の源流となっていると指摘されています。

「協同体思想」が時として無惨な全体主義思想に転化する危険性はつとに指摘されていますが、大平の場合は、国家主義的色彩は稀薄で、権力の行使についても抑制的な姿勢を維持しました。経済運営の面ではむしろ小さな政府と財政再建を主張しており、恩師である上田教授から引き継いだ思想は、むしろ「田園都市構想」や「文化の時代」といった政策研究会のテーマに生かされているように感じられます。

Rebuilding Infrastracture

2008-12-27 | Weblog
ちょっと油断していたら、前のエントリーから2週間も経過してしまいました。これはいかん。
という訳で、気を取り直して久しぶりにエントリーします。

オバマのfiscal stimulus planに関しては、既にあちこちのブログで取り上げられていますが、公共支出によるインフラ整備について、経済学だけでなく都市デザインの観点から見てみるのもたまには乙なものです。

Metropolis Magazineのサイトに"Broadening the Definition of Infrastracture"という記事(正確には本の紹介記事です)が掲載されていました。いわゆる「土に埋めた壷を掘り返す」式の公共事業ではなく、住民の創造性を刺激し、生活の質を高める方向にもっていければ、今回の財政出動が、計測可能な経済的価値以上のものを生み出す可能性もあるのではないでしょうか。マネーに対する幻想が消し飛んでしまった今こそ、新しい価値を見出す好機なのかもしれません。

米国の労働市場

2008-12-11 | Weblog
Edward L. Glaeserが"A stimulus package that helps unskilled workers"というコラムをNew York Times(12月10日付)に書いています。先週の雇用統計で、米国の失業率は6.7%を記録しましたが、Glaeserによると、この数字は労働者の教育水準の違いによる不均衡を隠蔽しているとのこと。先月の大卒労働者の失業率は3.1%で横這いだったのに対し、高卒労働者の失業率は6.3%から6.8%に上昇したそうです。また、過去1年間の推移を見ると、大卒労働者の失業率は1%未満の上昇に留まっていますが、高校中退者になると、7.6%から10.5%に跳ね上がります。 Glaeserは、Obamaの景気刺激策は高スキルの技能を必要とする運輸、クリーン・エネルギー、通信インフラなどの分野に偏っており、最もサポートを必要とする低スキルの労働者の利益につながらない、と懸念しています。

Glaeserは、再分配よりも、社会的リターンを最大化する分野に公共投資を集中させること自体には経済合理性があると見ているため、Obamaの景気対策に必ずしも反対という立場ではありませんが、その代わり「低スキルの労働者により高い技能をつけさせるような対策・分野に財政資金を投入すべし」と唱えています。例えば、失業者や若者がコミュニティ・カレッジなどの教育機関に通うためのバウチャーに資金補助せよ、といったことです。

いわゆる「どマクロ」の財政政策ではなく、その中味をよく吟味して、長期的な生産性を高める用途に資金を振り向けよ、という主張にはまったく同感です。ところが、前日(12月9日)のNew York TimesでAlan B. Kruegerが、「大卒労働者の労働市場からの退出が顕著になっている」というコラムを書いているんですねぇ。Kruegerの言うには、先月の大卒労働者の雇用は28万2000人減ったのに対し、大卒労働者の失業は2000人程度した増えなかったのだそうです。これは、経済の先行きを悲観した大卒労働者が求職活動を控えたため、失業にカウントされなかったということらしいのです。特に2008年3月以降、失業率に関してはless-educated workersの上昇幅が大きいのですが、雇用の減少は大卒労働者のほうが大きい、とのことです。つまり大卒労働者にとっても、この不況は極めて厳しいものがあると解釈できそうです。Kruegerは「不況の深刻さは失業率だけを見ていてもわからない」として、雇用者の人口に占める割合を見たほうが、労働市場の動向がよくわかるのではないか、と示唆しています。

長期の人的資本形成を見据えたGlaeserの提案自体はもっともなものですが、現下の米国の状況は想像以上に厳しいと見るべきかもしれません。

行動経済学者アダム・スミス

2008-12-08 | Weblog
いちおう「経済学再入門」をうたっていますので、本日はアダム・スミスについて書きます。

アダム・スミスというと「神の見えざる手」から連想されるように、政府の介入を極力排した自由な市場経済の信奉者、という理解が一般的なのでしょうか?日本では水田洋に代表されるように「道徳感情論」に注目する流れがありますので、さすがに「自由競争一辺倒の人」的解釈はあまり目にしないように思いますが、「見えざる手」のイメージが強いのは事実でしょう。

しかし近年、「道徳感情論」のスミスを行動経済学の視点から再解釈する動きが顕著になっているようです。今年のサントリー学芸賞に選出された堂目卓生著「アダム・スミス」(中公新書)のあとがきで著者が述べておられるように、スミスの「同感」や「公平な観察者」といった概念は、脳科学におけるミラーニューロンやセオリー・オブ・マインドとも関連しています。

Journal of Economic Perspectivesにその名もずばり、"Adam Smith, Behavioral Economist"というサーベイ論文が載っています。2005年の論文なのでやや古いのですが、行動経済学から見たスミスの理論を手際よくまとめています。

著者たち(Ashraf, Camerer and Loewenstein, 以下ACLと略す)は、「道徳感情論」でスミスが用いたpassionsとimpartial spectatorをまず取り上げます。人々の行動はpassionsの直接の影響下にありますが、同時に内なる観察者であるimpartial spectator(「公平な観察者」)による自己抑制に服します。ACLはpassionsとimpartial spectatorによるdual-process frameworkが人々の選好preferencesを考えるうえで示唆を与えてくれることを示していきます。ACLが例として挙げているのは  
  ・損失回避 loss aversion  
  ・異時点間の選択 interteproral choices  
  ・自信過剰 overconfidence  
  ・利他主義 altruism  
  ・公正さ fairness
です。例えば「異時点間の選択」についてスミスは、passionsは近視眼的であり、今日の楽しみを将来の楽しみよりも高く評価するのに対し、impartial spectatorは今日の楽しみも将来の楽しみも同様に評価すると述べています。そのバランスによって人々の選好(貯蓄・消費行動など)が決まってくる訳です(ただし、紙幅の関係からか、損失回避、自信過剰とdual-processの関連はあまりはっきり書かれていません)。

ACLは、スミスが「利他主義と公正さが市場における信頼関係の形成に資する」と考えていたと指摘しています。これは「利己心が社会全体の経済的利益につながる」という一般的な「国富論」の理解とまったく逆の命題です。
利他主義の根底にあるのは同感ですが、スミスは同感は道徳的行為の源泉としては些か信頼の置けないものと見なしていたようです。例えば、人は知らない人に対しては、かなり冷淡になれることに見られるように、同感は不安定なものと捉えられます。この不安定さを緩和するのは矢張りimpartial spectatorです。
これに対し公平さは、より信頼のおける美徳です。ここでもimpartial spectatorが、他の人々によって「公平だ」と認識される規準を内面化する役割を果たします。この利他主義と公平さが市場における信頼を生み出し、さらに信頼関係が継続的取引と、そこから生じる利得を生み出す、というのがスミスの見解です。

次に取り上げられるのは消費や富についててすが、ここでのスミスはちょっと風変わりな議論をしています。いわく、「経済活動は、富や地位が永続的な幸福をもたらす、という人々が抱く幻想の産物」だと言うのです。「健康問題、拘禁状態、貧困、富裕といった状況の継続は主観的幸福度に対し長期的なインパクトを与えない」という近年の行動経済学の成果は、この説を裏付けています。この辺はスミスの幸福観とも関連している部分で、先述の堂目教授の著書にも「繁栄を導く人間本性」と題された、とてもおもしろい章があります。

このように、ACLはスミスが行動経済学の先駆者と呼ばれるに相応しいことを、手を変え品を変えて示してくれます。スミスの学説の紹介であるとともに、行動経済学の最近の成果をサーベイする意味でもreadableなので取り上げてみました。

少々付け加えると、個人的には堂目教授による「アダム・スミス」の香気溢れる筆致にとても惹かれるものがあります。この本ではスミスの社会観、幸福観があますところなく語られ、「道徳感情論」から「国富論」への展開、時論家としてのスミスも取り上げられます。この本についても書きたかったのですが、よりコンパクトで、かつ行動経済学との関連が直接述べられているACL論文を先に取り上げることにしました。今回は長くなったので、この辺で。

A Remaking of the U.S. Economy?

2008-12-07 | Weblog
近年はすっかり(日本以外では?)景気対策としては非正統的と見なされるに至った拡張的財政政策ですが、現下の世界金融危機においては大規模な財政政策の発動に正面切ってその効果を疑問視する意見はあまり見られないようです。やはり、100年に一度の危機だけあって、対策も非正統的にならざるを得ないということなのでしょう。

そんな中、Wall Street Journalのブログ(Real Time Economics)に、"Will Stimulus Help Employment in a 21st Century Economy?"というエントリーを見つけました。話の枕は大幅に悪化した今回の雇用統計なのですが、更にEconLogのArnold Klingの「マクロ経済学はサービス産業における構造的失業の解決策をもたらさない」というコメントを引いて、大規模な景気刺激策の発動のみでは必ずしも問題は解決しないと示唆しています。Klingは自身のブログで、財政政策や金融政策は耐久財産業の刺激策にはなるが、より高度な教育・訓練を必要とするITのような産業にはもっと複雑な調整が必要だ、と述べています。

今回の経済危機が、米国のリーディング・セクターであった金融に大打撃を与えていることは紛れもない事実であり、これは単にマクロ経済政策により、GDPの落ち込みをサポートすれば解決する問題ではなく、より長期的に影響を残す可能性を孕んでいます。WSJのブログでは"Perhaps, the answer isn't to recreate jobs in the services industry, but to remake the U.S. economy."としており、"...something of that magnitude is going to take years of retraining workers, building new industries and likely massive government spending. It is increasingly clear that the road out of the current recession will be a long one."と結んでいます。

Christina Romer

2008-12-04 | Weblog
すでに旧聞に属するのかもしれませんが、先日オバマのeconomic teamの顔ぶれが明らかになりました。その豪華な布陣に、大いに期待する向きもあれば、船頭多くして...にならなければよいが、といった説も無きにしも非ずのようです。

そんななか、Council of Economic Advisers (CEA)のチェアに選出されたChristina Romerに注目する声が、そこここに聞かれるような気がします。HarvardのEdward L. GlaeserもNew York Timesに"Obama's Most Interesting Pick"というコラムを書いています。Romerについては、(著名な人ですから)名まえくらいは聞いたことがありますが、その業績については詳しく知りませんでしたので、ここでGlaeserのコラムを少々眺めてみます。

Romerが最初に注目を集めたのは、1980年代半ばに発表された景気循環の歴史についての研究に関してです。Glaeserによれば、Romerの登場以前は、FRBの創設など、経済政策立案能力の向上のおかげで、第2次大戦後は第1次大戦以前と比べ、米国のoutputのvolatilityが小さくなった(生産活動が安定化した)、という説(SummersとDe Longに代表される)が通説となっていました。しかし、RomerはGDPデータの新しい推定値を使い、第2次大戦後は第1次大戦以前と比べ、必ずしも景気循環が平準化したとはいえない、と結論づけました。この論文は、過去30年間のなかで、最も影響力をもった経済史学上の業績と位置づけられるようになりました。

Glaeserいわく、Romerの論文は「20世紀の間、経済政策は一貫して進歩してきた」という考え方に真っ向から挑戦するものです。最近の研究で、再びRomerは、1950年代から60年代にかけてマクロ経済政策の質が急速に悪化した、との見解を表明しています。

1980年代以降のRomerの業績は、金融政策の有効性に集中しています。Romerは(というか、DavidとChristinaのRomer夫妻は)、FRB議事録の精読を含む新しい分析手法を使い、Milton Friedmanの「monetary contractionsは持続的な失業の増加をもたらす」という説を裏付けています。また、大恐慌に関しては、ニューディールではなく、貨幣供給の拡張が回復の決め手となったという議論を展開しています。

これらの業績からGlaeserは、(1)不況対策としては、金利引下げが、財政出動より常に効果的であり、(2)財政政策は、迅速かつ巨額でなければ効果を発揮しない、とのimplicationsを導いています。

これで米国の政策当局はBernankeとRomerという、大恐慌研究の泰斗2人を得たことになります。Bernankeに対しては、かなり厳しい評価も出ているようですが、彼らの研究成果がどのように生かされていくのか、注目したいところです。

"Farewell, New Labour"

2008-12-02 | Weblog
今週のThe EconomistがPre-Budget Report発表以降の英国の経済政策を巡る議論について書いています。まとめとしてちょうど良いので、拾い読みしてみます。

ブレア以来のNew Labourが唱導してきたfiscal prudenceの柱は、まず第一に「投資するためにのみ借入れ」、第二に「公的純債務をGDPの40%以下に抑える」というものです。併せて、与党は選挙の際に、所得税の最高税率を40%に据え置くことを公約しています。今回の財政出動プランにおいて、これらはすべて破られる運命にあります。公的純債務は2012-13年にはGDPの57%まで累増する見込みで、しかも、これはかなり楽観的なマクロ経済予測に基づいて計算されています。また、所得税に関しては、2011年から高所得者層に対し、45%の最高税率が課せられるようになります。

財政政策の柱は付加価値税の引き下げ(ただし一時的)、貧困家庭への補助、中小企業融資への政府保証等が含まれますが、財政出動の規模がmodestであること、将来の増税含みであることなどから、景気刺激効果は限定的と評価されています。また、金融と不動産という、英国経済を支えてきた両輪がともにひどくダメージを受けているため、税収の落ち込みが懸念されており、財政収支の悪化は避けられない-与党の想定以上に-状況です。

加えて、財政に与える効果は微々たるものであるにも関わらず、高所得者層を狙い撃ちにした増税に対して、同誌は"This looks like gesture politics of the class-war sort. Farewell, New Labour."、あるいは"..., pinching the rich may be turn out to be a profound political mistake."と懸念をあらわにしています。同誌は現下の危機的状況における財政出動自体は否定していませんが、New Labourのもとでの英国の目覚しい経済パフォーマンスを支えていたと見られる自由な市場経済への志向性や、かつての集団的志向から、より個人の努力を是とするカルチャーへの転換といった流れを労働党は自らの手で変えてしまった、と感じ取っているようです。

今回の財政出動は基本的にはpragmaticな不況対策・選挙対策であって、必ずしもNew Labour路線の完全な転換を示すものとはいえないと思いますが、労働党は-かなりすばやい政策対応を矢継ぎ早に繰り出しているにも関わらず-思惑通りの支持を得られていないように感じられます。

同誌は保守党に対しても同様に厳しく、影の蔵相のGeorge Osbourneに対しては、議会ではうまく与党を攻撃したことは認めつつも、"he offered almost nothing by way of alternative economic policy"と切って捨てています。

おもしろかったのは、自由民主党の影の蔵相、Vince Cableを"the most perspicacious of all senior politicians over the financial crisis"と評価しているところ。不勉強でCableという人についてはよく知らないのですが、economic liberalとして知られているようです。