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自己流経済学再入門、その他もろもろ

「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」について知りたかったこと

2009-12-11 | Weblog
池澤夏樹「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(小学館 2009;以下「ぼくたち」と略記)を読んでみました。

本書は池澤氏と、聖書学・比較宗教学の研究者であり、池澤氏の親戚でもある秋吉輝雄教授との対話という形式をとっており、聖書について、ユダヤ人について縦横に語り合い、飽きさせません。とはいえ、聖書に関する知識をほとんど持たぬ私のような者にとっては、かなり歯応えのある内容となっています。

本書を通じて繰り返される通奏低音のひとつが「時間論」です。古典ヘブライ語には過去形がない、という話に始まって、言語の生み出すセム・ハム語族系のメンタリティへと話が及びます。  

ヘブライ語では、過去に話された会話もすべて直接話法となる。しかし、聖書がヘレニズム世界の共通語であるギリシャ語に翻訳される過程で、過去形で語られる物語へと移し変えられた。そして、聖書は過去から現在・未来にかけて直線的に進むクロノス的時間軸に沿った物語に再編成された。

しかし、秋吉教授曰く、「ヘブライ語の聖書を読むかぎりでは、ユダヤ人にとって歴史というのは過去から現在に縦に連なるものではなく、どうも並列的というか横軸としてとらえているよう」であり、こうした時間感覚の違いが西欧との歴史観の違いを生み出している、という論へと展開されます。

動詞の共時制という言語特性は、「過去はそのまま現在である(!)」という無時間性のメンタリティを生み出します。これは、未来は過去よりも良いものだという進歩史観とは、まったく相容れないものです。池澤氏に言わせれば、イスラエルとパレスチナの間には「時間を超えて、対決が無時間の空間で起こっている」のです。時の経過とともに過去が忘却されるということがない。いつまでも水に流されることのない、無時間の歴史。  

以前読んだ「時間の比較社会学」(岩波書店、初版は1981)において真木悠介は、ヘブライズムの時間意識を「線分としての時間/不可逆性としての時間」と定義しました。ヘブライズムの時間は直進する時間ですが、それは近代社会におけるクロノス的時間(均質な数量としての、直進する時間)ではなく、カイロス的時間、出来事の「始まり」と「終わり」によって画期される(量ではなく質としての)線分的時間として捉えられています。

そして、ヘブライズムの直進する時間意識は、終末論に起源があるとされます。「古き世」即ち現存する世界と、「新しき世」即ち来るべき世界とを区切る「終末」は一回きりのものであり、不可逆の過程であると認識されています。

「ぼくたち」の時間論は、真木の所説とは異なっているように見受けられます。少なくとも「ぼくたち」で語られるヘブライの時間意識は、言語の特性から来る時間的遠近法の欠如によって特徴づけられており、終末論による影響は指摘されていません。

どちらの説が適切か、私には判断する術はありませんが、言語の育むメンタリティから、2500年の時を超えて現在の中東情勢までカバーしてしまう「ぼくたち」の時間論に魅力を感じます。真木の時間論においては、ヘブライズムはヘレニズムと並んで近代社会の時間意識を準備した架橋として描かれますが、「ぼくたち」の解釈では、現代社会の只中に、まったく異質な時間意識を持つ集団・民族が、かなり広範に存在し、かつ現代の国際政治に影響を及ぼし続けていることになります。
(とはいえ、日本の社会学の古典ともいえる「時間の比較社会学」に難癖をつけるつもりは毛頭ありませんので、念のため)

なお、現代のヘブライ語は東欧系のアシュケナジームが作ったものなので時制を持つ、とのことです。



「それでも人生を肯定」

2009-12-10 | Weblog
12月9日付の新潟日報に、人類学者である加藤九祚国立民学博物館名誉教授のインタビュー記事が掲載されました。加藤教授の第7回パピルス賞(在野の優れた研究成果に贈られる賞とのこと)受賞を受けての記事です。記事の見出しは「それでも人生を肯定」-

ロシアや中央アジアの論文・書籍を紹介する雑誌「アイハヌム」を2001年から個人で刊行してきた業績が評価されての受賞です。恥ずかしながら加藤教授に関しては今まで名前しか存じ上げず、学問的業績についてはこの記事で初めて知ったのですが、とても印象に残る内容だったので紹介します。

記事では、まず加藤教授の略歴が綴られます(一部、ウィキペディアを参考にしました)。

◆小学校時代は優秀な成績を納めるも、経済的な理由から進学せずに鉄工所で働く
◆その後、小学校の代用教員に採用される
◆上智大学予科の進学。ドイツ哲学を学ぶ
◆1944年(22歳)満州に出征
◆1945年8月から4年8ヶ月、シベリアに抑留
◆1950年(28歳)帰国
◆1953年(31歳)上智大学文学部独文科卒業、平凡社に就職
◆1963年(41歳)最初の著書「シベリアの歴史」刊行
◆1971年(49歳)平凡社を退職。1年間、浪人生活を送る
◆1972年(50歳)上智短大非常勤講師となる
◆1973年(51歳)助教授となる
◆1975年(53歳)国立民族学博物館教授に就任
◆1976年(54歳)「天の蛇-ニコライ・ネフスキーの生涯」で大仏次郎賞受賞
◆民博退官後、76歳で考古学の研究を始める
◆2009年(87歳)第7回パピルス賞受賞

一見して、平坦ならざる歩みであったことが見てとれます。とりわけ、シベリア抑留という苛酷な体験をされているのが目を惹きますが、この間に「日本陸軍のソ連兵捕虜尋問用の日露対訳会話集を拾い、ソ連兵に質問してロシア語を勉強」したといいます。抑留経験について、教授は「シベリアの大学に留学したと思えばいい」と前向きにとらえ直したことが人生の転機だったと振り返っています。

また、加藤教授は人の縁にも恵まれた方だということが窺われます。この短い記事の中に、少なくとも4つの重要な人の縁が介在したことが語られます。

◆小学校の代用教員に採用された陰には、小学校の恩師の推薦があった
◆上智短大に職を得たことについて、教授は「上智大の恩師に救ってもらった」と述懐している
◆民博教授に就任したのは、64年に行われたソ連・コーカサス旅行で知り合った梅棹忠夫氏の誘いがあったため
◆大仏次郎賞の受賞には、井上靖氏の強い推薦があったとされる。井上氏のシルクロード旅行の際、加藤教授は通訳として同行していた

教授は自身の半生を振り返り、
「回り道をしたが、それなりに勉強した。先生や友人に恵まれ、どんな境遇も無駄ではなかった」
「マイナス面を見れば、やり切れず、悲しく、つらい思いをしたことはたくさんある。けれど多くの人に助けられた。プラス面を考えれば余りがあります」
「世界には目を背けたくなる悲惨も多いが、それでもなお人生を肯定する」
と述べられています。ご自身の歩んできた軌跡に対する、見事な総括です。

ウクライナ、ギリシャ、アイルランドといえば...

2009-12-05 | Weblog
PSD Blogより:

"Dr. Doom" Nouriel Roubiniはかねてよりドル・キャリー・トレードのアンワインディングの危険性を指摘している模様ですが、IMFのHeiko HesseがRoubini説をサポートする記事を寄稿しています。

米ドルと代表的なリスク・アセット・クラス(MSCIインデックス、S&P500、原油価格等)価格との逆相関の度合いが2006年以来、最高水準に達していることが、ドル・キャリー・トレードの存在の傍証である、というのがその論旨です。

そして、Roubiniはリスクからの逃避がドル・キャリーのアンワインディングの引き金を引くと警鐘を鳴らしています。

では、ドバイのケースはどのように影響するか?

PSD Blogでは、以下のありうべき2つの見解を紹介しています。
(1) ドル・キャリー・トレードの存在は誇張されており、影響は小さい。
(2) ドバイが引き金となり、ソブリン・リスクを嫌う投資家が資金を引き上げ始める。とりわけウクライナ、ギリシャ、アイルランドに注意。