Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

Through the Looking Glass into Economics

2009-09-26 | Weblog
ここのところ、The Economistがマクロ経済学や金融理論を批判する記事を載せたり、Krugmanの経済学批判物議を醸したりDe Longシカゴ学派をけなしたりと、(マクロ)経済学の有効性を問い直す動きが慌しく展開しています。

こうなってくると、経済学界の外からこの動きを眺めるとどのように見えているのか、ちょっと気になります。

脳神経科学を扱うThe Frontal Cortexというブログに"Empiricism, Economics and Mystery"というエントリーがありました。筆者であるJonah Lehrerによれば、現在の経済学が置かれている状況は1909年に物理学者が置かれたいた状況と同じであるとのこと(物理学史はよく知りませんが、量子力学の幕開けと呼ばれるプランクの法則の発見が1900年、アインシュタインの特殊相対性理論の発見が1905年だそうです)。

いま経済学の置かれている状況は経済学特有の事象ではなく、知識の不確実性に関する普遍的な問題の繰り返しに過ぎない、という訳です。

もっともLehrerも、経済学(や金融工学)が人々の生活に直結する学問であるところにその特異性があり、「ひも理論の誤りが明日明らかになったとしても、誰も関心を持たないだろうけど」と言ってますが。

我如何にしてケインジアンとなりし乎 by .....

2009-09-25 | Weblog
New York TimesのEconomix Blogに"Richrd Posner's Keynesian Conversion"なるリンクが貼られていたので辿っていくと、何とRichard Posnerその人が"How I Became a Keynesian - Second Thoughts in the Middle of a Crisis"なる記事を書いていました。

Posnerといえば(言わずもがなですが)シカゴ・ロー・スクールの上級講師かつ裁判官で、シカゴ学派を代表する法と経済学の専門家、かつThe Becker-Posner Blogでも著名であり、その思想的背景はリバタリアン的というか、要するにケインジアンの対極にあると思われている人。いやー、それが「我いかにしてケインジアンになりしか」とはビックリです。

さらーっと読んだ感じでは、大規模な財政政策を安易に容認するような粗っぽい議論ではなく、経済における心理的要因や不確実性の強調、富の退蔵を不況の元凶と見なす態度、時論としての「一般理論」の洞察力の確かさ、といった点を高く評価しているように見受けられます。また、議論を展開するうえでPosnerが「非自発的失業」という概念を受け入れているのも興味深いです。

ケインズの文明論者的側面-今世紀中に人々の物質的欲望は充足され、1人あたり消費は頭打ちとなるであろうと予言していたこと、スキデルスキー流に言えば成長の限界論者"Green"としての側面-についても、ある種の共感をもって語っているのも印象的です。

それにしても、これをベッカーが読んだら何と言うんだろ?

マクロ経済とライフコース

2009-09-17 | Weblog
3週間ほど前の話で恐縮ですが、大竹文雄教授のブログで"Growing up in a Recession: Beliefs and the Macroeconomy"という興味深い論文が紹介されていました。マクロ経済の変動が人々の価値観の形成に影響をあたえるという仮説を検証した論文です。

この論文では米国のデータを使い、18歳から25歳までの多感な時期に不況を経験した世代は、(1)人生における成功は努力よりも運によって決まると思う傾向が強く、(2)より政府の再分配政策を支持する傾向が見られ、(3)公的な機関に対する信頼が弱い、と結論づけています。また、40歳以上で不況を経験しても、その人の価値観に大きな変化は見られないが、18歳から25歳までに不況を経験した場合、その影響は後年まで残るとしています。

この研究の背景にあるのは2つの社会心理学説、即ち、(1)コアとなる価値観は、精神的な可塑性の高い成人期初期に育まれ、それ以降はあまり変わらないとするimpressionable years hypothesisと、(2)人は若年期には柔軟に社会的環境に適応するが、年をとるとともに柔軟性が徐々に失われていくとするincreasing persistence hypothesisです。いずれにしても、若年期が価値観の形成にとって決定的に重要とする立場と言えます。

これに対するのがlife-long openness hypothesisで、人は年齢に関係なく環境に対する柔軟性を持っており、たえず人生の諸局面において価値観を変化させうるという考え方になります。 本論文では、impressionable years-多感な成人期初期の経験が価値観の形成に決定的に重要だという仮設を支持していることになります。

この論文から連想されるのが、いわゆるライフコースの社会学と呼ばれる研究分野、とりわけその代表作ともいえるG.H.エルダーの「大恐慌の子どもたち」(明石書店 1986, 原著は1974)です。以下では安藤由美著「現代社会におけるライフコース」も参考にしています。

研究の対象となったのはカリフォルニア州オークランドで1920年から21年にかけて生まれたアメリカ人(オークランド・コーホート、以下AC)とその親たちで、彼らの大恐慌体験とその後の人生を1930年代の初頭から60年代にかけて追跡調査した結果が「大恐慌の子どもたち」です。

大恐慌のもたらした経済剥奪が、子どもたちのライフコースにどのような影響を与えたかが本書のテーマであり、経済変動と子どもたちの心理的・社会的発達をつなぐ「リンケージ」が(1)分業における変化、(2)家族関係の変化、(3)社会的ストレスです。即ち、経済剥奪の度合いの大きかった家庭(「剥奪群」)の場合、
(1)父親の失業や社会的地位の低下により、子どもたちは早くからパートタイム就労するなど、早期の社会化を促す学習経験をさせた。
(2)父親の権威の失墜により、家庭では母親の役割が強まるとともに、伝統的な性役割を助長する環境を生み出すと同時に、子どもが早く大人になるよう促した。
(3)家庭の経済損失状態が生み出すストレスは、低い自己評価、エリートに対する批判的態度等を惹き起こした。

しかし、剥奪状態のインパクトは中流階級と労働者階級とで大きく異なっており、エルダーは前者にとってはプラス、後者にはマイナスにはたらいたと総括しています。剥奪中流階級の男女は、より健康で、自我の強さ、個人的資源(知能や身体的魅力)の利用や成長に関してより高い評価を受けており、より自信があり、あまり防衛的でないことが特徴的だったのに対し、労働者階級の場合、なんらかの障害があるケースが多かったとされます。

また、恐慌による経済剥奪が価値観の形成に長期にわたり影響することも指摘されています。男女に共通する価値観は、「結婚生活における家庭中心性と子どもを重要視すること」であり、剥奪群に関しては民主党支持の傾向が見られました。ただし、経済剥奪と「おカネの力」への信仰、あるいは物質主義的態度には明瞭な関係は観察できなかったとされます。

エルダーのライフコース研究は、その後バークリー・コーホート(以下BC;オークランド・コーホートより10歳程度若く、幼児期に大恐慌を経験した集団)との比較研究に発展します。

大恐慌の影響は、ACよりもBCに顕著に現れました。ACは思春期に困窮した経験から、仕事を重視し中年期までの高い職業的地位に就くことができたの加え、家族関係や子育てにも責任ある態度を示したのに対し、BCは、その後の追跡調査において、将来に対し希望がなく、自信もない傾向を示したといいます。もっとも、BCも中年期までには自尊心や自己主張に関して著しい改善が見られたと報告されています。

経済学と社会学というアプローチの違い、対象となった年齢層の違いはありますが、いずれの研究も人間の可塑性と環境との関係を直接の研究テーマとしています。ここでいう「環境」とは、経済変動のような個人の力を超えた「与件」であり、その「環境」が個人に与える影響も、世代の差や歴史的状況によって一様ではありません。人間の発達に関しては、よくNature or Nurture?(生まれか育ちか)という問題設定がなされますが、これらの研究はNature, Nurture or Society?という視点が重視されるべきであると示唆しているように思われます。

夏の読書日記(続)

2009-09-02 | Weblog
前回の続きを少々。

反タクシン勢力の国際空港占拠事件以来、すっかり不安定な政治の国というイメージが染み付いてしまったタイですが、80年代後半の経済ブーム以降現在までの同国の足取りを堅実な筆致で綴っているのが末廣昭著「タイ 中進国の模索」(岩波新書 2009)です。タイの政治・経済動向を押さえるには最適の書物となっていますが、同時に急速な経済のグローバル化に伴う伝統社会の変容も印象的に語られます。著者は社会変容の源を、消費社会化、少子高齢化とストレス社会の到来、高等教育の大衆化の3点に求めているのですが、それは「微笑みの国」と称されたタイの「タイらしさ」が喪われていく過程でもあります。

興味深いのは国王による「足るを知る経済」の理念の提唱です。「節度を守り、道理をわきまえ、外から襲ってくるリスクに抵抗できる自己免疫力を社会の内部につくる」と定義されるこの理念は、タクシン政権下では反故にされたものの、タクシンの失脚により再びクローズアップされているようです。実際、2006年から始まる第10次5ヵ年開発計画では「寂静な生き方にもとづくタイの幸福」をスローガンとし、仏法の中道に従った政策を経済運営の基本に置くとされています(末廣昭 アジアの幸福と希望、東大社研・玄田有史・宇野重規編「希望学1 希望を語る」所収)。

もっとも、著者はこの「足るを知る経済」という開発理念がどの程度成功を納めているかについては積極的な結論を留保しています。仏教に基づいた開発政策としてはGross National Happinessのブータンの例が有名ですが、人口サイズ、国民の凝集性、経済の発展段階等を考慮すると、ブータンのようなアプローチを採れる国は限られているように思われます。むしろ著者が述べるように、「足るを知る経済」に象徴されるような「社会的公正の道」と、グローバル化と自由主義に基づく「現代化の道」の適切なバランスを探っていくのが現実の姿でしょう。

同書でもう1点印象的なのが、タクシン元首相その人です。同書を読むと、タクシンが良くも悪くも稀代の政治イノベーターであったことが判ります。企業経営の感覚を政治の世界に持ち込み、国王と並ぶ「もうひとりの国民の父」として振舞ったタクシンはその急進性と縁故主義ゆえに国民の離反を招いてしまったものの、タイ政治史において前例のない強い首相でした。

ここで想起されるのが、中根千枝著「タテ社会の力学」(講談社学術文庫 2009、初版は1978)です。同書によれば、東南アジア社会には、日本的な小集団(場を共有する仕事仲間や家族経営体など)も中国・インド・西欧などに見られる個人参加による類別集団(ギルド、組合、宗教団体など)も見られなません。代わりに見られるのが、個人と個人を結ぶネットワークの累積・連続を基盤とした人間関係です。ベースはあくまで個人と個人であり、著者いわく、東南アジアの人は日本人と比べ、ずっと個人に主体性があり、日本的集団規制から自由であるといいます。しかし、それ故に人々をある目的のために動員するには強力なリーダーシップが必要だということでもあります。実のところ、この学説がどの程度信憑性があるのか判然としないのですが、確かに東南アジアにはホー・チ・ミン、スカルノ、リー・クァン・ユー、マハティールなど、国の歴史を塗り替えてしまうような政治家が出ているのは偶然ではないのかもしれません。


夏の読書日記

2009-09-01 | Weblog
8月に読んだ本から幾つか、徒然に感想など書いてみます。

夏といえば、近現代史もの、戦争ものがいっせいに書店に並ぶ季節、その中でもリーダブルな1冊が加藤陽子著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社 2009)です。高校生を相手に、日清戦争から太平洋戦争までの日本の選択を講義するというスタイルをとっているため読みやすいのですが、何せ講義の相手が栄光学園歴史研究部の生徒だけに、並みの社会人よりはるかに歴史を知ってます。質疑のレベルは高いです(と思います)。講義のスタイルも、外交や軍事の当事者が、どのようなことを頭に思い描きながら行動したのかが明快に伝わってきて、単なる客観的歴史叙述とは一線を画しています。各戦争において中国サイドからの視点が強調されている点も注目されます。

続いて「チェーザレ」(惣領冬実著)の7巻。モーニング連載中の漫画ですが、単行本は一応発売のたびにチェックしております。この巻では主人公のチェーザレ・ボルジアらの活躍は後景に退き、逆に歴史薀蓄ものとしてのおもしろさが際立っています。カノッサの屈辱(おぉ、何と懐かしい響き)は「その時代においては皇帝の勝利。だが後世においては教皇の勝利」であったとの解釈に、うーむ、そうでしたか、と唸ることしきり。教皇派と皇帝派の闘争にダンテの「神曲」まで飛び出し、重厚な展開になってます。

もう少し軽い歴史ものでは木村雄一著「LSE物語-現代イギリス経済学者たちの熱き戦い」(NTT出版 2009)も楽しく読めます。London School of Economics and Political Scienceの創立以来の歴史を、その中興の祖ともいうべきライオネル・ロビンスを軸に描き出した作品です。フェビアン社会主義、オックスフォード流の歴史主義経済学、ベヴァリッジの福祉国家論、ハイエクの自由主義経済学などが共存しえた自由な学風と個性的なファカルティ、それらが簡潔な筆致で語られます。今でこそLSEは英国における経済学の主流派中の主流ですが、かつてはケンブリッジの後塵を拝する存在でした。この本を読んでいて、逆にケインズの時代には世界のトップを走っていたケンブリッジの経済学が、なぜ現在のような、どちらかというと異端派的存在になっていしまったのか不思議に感じました。森嶋通夫著「終わりよければすべてよし」にあるように、英国の経済学者は戦争により、ハロッド、ヒックス、J.ロビンソン、ミードらの下の世代がすっぽりといなくなってしまい、世代間の継承がうまくいかなかったという事情はあるでしょう。しかし、LSEやオックスフォードに比べ、ケンブリッジがその後辿った道は、いささか特殊だったようにも思えます(マルクシアンやスラッフィアンの影響が強かったという事情はあるのかもしれません)。