Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

シルバー・スプーン効果と不平等

2009-10-31 | Weblog
Mark ThomaのEconomist's Viewから:

UC Davisの人類学者Monique Borgerhoff Mulderやサンタフェ研究所のサミュエル・ボウルズらが、古代社会における世代間の富の移転(シルバー・スプーン効果)と不平等に関する共同研究を発表したとの由。

従来、経済学者は物質的な富のみを対象に不平等の研究を進めてきたが、データによる制約を免れなかった。しかし、本研究は家族ネットワークや狩猟・採集の腕前など、多種多様な「富」に調査対象を拡げることにより、世代間の富の継承と経済的不平等の関係の解析に成功したとのこと。

この研究によれば、
(1)物質的な富は社会的ネットワークや狩猟技術などよりも世代間の移転が簡単なため、物質的富に高い価値を置く社会は、より不平等になる傾向がある。
(2)逆に、社会的ネットワークや知識により高い価値を置く社会は、富の世代間移転のリンクを弱めるため、より平等な社会となる傾向がある。
(3)つまり、社会の不平等度は、その社会の重視する「富」のタイプと、社会の統治ルールや規制によって決まる。

更に、本研究のインプリケーションとして、Borgerhoff Mulderは「知識資本はオープンで、かつ親子間の移転が特に有利という訳でもないが、にも関わらずインターネット・エイジは必ずしも平等とは言い切れない」と語っている。

英語でsilver spoonといえば富(とりわけ相続した富)を指すようですね。

日本の貧困と不平等について-実態はどうなっているのか?

2009-10-23 | Weblog
岩本康志東大教授のブログで2日連続して貧困不平等に関するエントリーがありました。厚生労働省の相対的貧困率の公表を契機とした投稿です。

日本の不平等については、しばらく前に「日本の不平等度は国際的にみて高い」とする説(橘木俊詔同志社大教授に代表される)と、「不平等度が高まったかに見える真の原因は、人口高齢化と単身・二人世帯の増加に求められる」とする大竹文雄阪大教授の間に格差論争が起こりましたが、その後はイメージ先行の格差論が跋扈しているような印象を受けます。

上記の2つの記事は、不平等に関する、最新のデータによる簡潔なサマリーになっており有用です。2008年のOECD調査の結果(および厚生労働省公表の相対的貧困率の解釈)を要約すると以下のようになります。
(1)日本の不平等度は拡大しているが、それは世界的な傾向とほぼ同じ程度の拡大であると考えられる。
(2)しかし、相対的貧困率については、先進24カ国平均と比べ、日本の上昇率が高く、1985年には24カ国中8番目だったのが、2005年頃には4番目に上がったと推測される。

岩本教授自身は同一年齢階層内の不平等の拡大は無視し得ないものである可能性を示唆しており、大竹教授の説に(その意義を高く評価しつつも)反論を試みていますが、同時に以下のようにものべています。

...大竹氏は,「近年観測された経済全体の所得格差拡大は,日本が格差社会に移行したことを示すものではない」とのべている。この言明は,格差はこれからも拡大しない,格差への政策的対応は必要ない,という方向へ短絡的に解釈されてしま うおそれがある。実際,大竹氏の見解をそうした方向に位置づけるようなメディアの振り付けも見られたりした。しかし,大竹氏は本書の同じ場所で,将来の格差拡大の予兆(若年者層の消費格差の拡大と国民が将来の格差拡大を予感)を読み取っていることを見落としてはいけない。
(大竹文雄著「日本の不平等」の書評より)

格差論議はともすれば感情的に流れやすいトピックだけに、まず慎重な事実の把握が重要であるという、当たり前のことを再認識させてくれるエントリーとなっています。

都市計画は住宅バブルの真犯人か?

2009-10-14 | Weblog
Cato Instituteのサイトに"How Urban Planners Caused the Housing Bubble"(by Randal O'Toole)というリサーチ・ペーパーがアップされています。サマリーを読んでみると、「要するに、規制的な成長管理は住宅バブルの必要条件である」...ありゃ、都市の成長管理政策は乱開発を抑えて、住民の厚生を高めるためにあるんじゃないの?これでは全く逆効果ですね。リバタリアン的アプローチで知られるCatoなだけに成長管理政策に批判的なのは肯けますが、ちょっと意外な感じがしたのでペーパーを眺めてみました。

読んでみると...すでにクルーグマンが2005年に指摘していたんですね。-米国内でも住宅建築に関する規制の少ない地域では地価の上昇は顕在化していないが、沿岸部の規制の強い地域では住宅供給が限られるために、ひとたび金利が低下して住宅価格の上昇期待が高まると、住宅バブルが引き起こされる。実際にニューヨーク、マイアミ、サンディエゴなどの「規制地域」では住宅バブルが発生している- (初出はNew York Timesのコラムですが、私家版の翻訳はこちらのサイトで読めます。)

O'Tooleのペーパーにもあるように、これは初歩的なミクロ経済学の問題です。つまり、住宅供給曲線が非弾力的であれば、住宅需要が増加しても、住宅価格の上昇は押さえられるが、供給曲線がより弾力的であれば、需要の増加に伴う価格上昇はより大きくなる。即ち、成長管理政策により、新たな住宅建築が抑制されている状況では、住宅需要の上昇に伴う住宅価格上昇は、規制の少ない地域より大幅になる。

標準的な理解では、参入規制(ここでは住宅建築規制)の撤廃は社会全体の厚生を高めます。規制が正当化されるのは外部不経済(混雑や景観の破壊等)がある場合ということになります。
(ただし、都市環境や景観は、外部性だけでは解消しえない価値-地域固有の歴史や文化、コミュニティ等-に関わる問題でもあります)

住宅バブルの原因として、意外にこうしたミクロ経済学的説明は流布していないように思われます(私の不勉強のせいでもありますが)。O'Tooleも指摘するように(1)FRBの低金利政策がバブルを招いた、(2)地域再投資法が低所得者層への安易な住宅ローン供給を後押しした、(3)ウォール・ストリートがサブプライム・ローンのリスク評価を誤った、といった説明のほうが、よりポピュラーではないでしょうか。

O'Tooleに言わせれば、これらの要因は全国共通であり、なぜカリフォルニアやフロリダで住宅バブルが発生し、ジョージアやテキサスでは発生しなかったのかを説明できない、ということになります。

ただし、O'Tooleのように、成長管理政策が住宅バブルの真犯人と言い切ってしまうのは、いささか乱暴過ぎるように思われます。確かに、カリフォルニアやフロリダとジョージアやテキサスとで金融緩和の影響が非対称に現れたのは事実ですが、バブルの直接的な原因は、行き過ぎた金融緩和、グローバル・インバランス、持ち家促進税制等の政策の失敗、乱脈融資と杜撰なリスク管理といったところに求めるのが妥当ではないでしょうか。

とはいえ、成長管理政策がどのように機能しているか、実態をよく観察してみる必要があるでしょう。実際には成長管理政策の結果、中低所得層が排除され都市としての多様性を喪失しつつあるといった指摘もあります。サブプライムの問題が世界的な金融危機に波及する前に、都市政策サイドで何か打つ手はなかったのか、という問題提起もありうるでしょう。

ブエノスアイレスとシカゴの二都物語

2009-10-07 | Weblog
アルゼンチンといえば、2001年の経済破綻に象徴されるように、今でこそ経済危機の代名詞のような存在になってしまいましたが、20世紀初頭には世界で最も豊かな国の一つとして知られていました。そのアルゼンチンの経済停滞の原因について、Edward Glaeserが考察しています。

実のところ、とりたててアルゼンチンに興味がある訳ではないのですが、マクロ経済学者やアルゼンチン経済の専門家ではなく、都市経済学者のGlaeserが書いているところに惹かれて読んでみました。

マクロ経済の視点から見れば、
(1)農業から工業への産業転換がうまくいかず、技術革新に乗り遅れた
(2)日本や韓国といった後発国が輸出主導の経済成長を遂げたのに対し、アルゼンチンは保護主義に走った
(3)国営企業のプレゼンスが高く、国内の規制も過剰であった
(4)銀行セクターが脆弱で、しばしば経済危機の発端となった
といった点にアルゼンチン経済の停滞の原因が求められることになるのでしょうが、そこは都市経済学者らしく、20世紀初頭のブエノスアイレスとシカゴとの比較を通じて、この問題を検討しています(以下はCampanteとの共同論文の要旨です)。

CampanteとGlaeserによればブエノスアイレスとシカゴには幾つかの共通点が見られます。いずれも穀物や牛肉の流通拠点であり、内陸部の農畜産物を都市部に供給するネットワークの結節点として機能していました。両都市の実質賃金を比べるとシカゴの方が7割程度高かったのですが、現在と比べると実質賃金の差異はずっと小さいものに留まっていました。

しかし、より注目すべきは相違点の方です。それは以下の3点に集約されます。

(1)教育レベルはシカゴの方がかなり高かった。19世紀初頭のコモンスクール再興運動の影響から米国の教育レベルが向上したことや、シカゴには比較的教育程度の高いドイツ移民が多かったことが、その原因として挙げられる。これに対し、ブエノスアイレスはスペインやイタリア系の移民が多く、彼らの教育レベルはあまり高くなかった。

(2)シカゴは労働者1人あたり資本装備率でブエノスアイレスを凌駕しており、工業都市としても発展した。工業の発展をもたらしたのはシカゴの高い教育レベルに支えられた技術進歩である。また、シカゴは中西部という広大なマーケットを有していたが、ブエノスアイレスは狭隘な国内市場しか有していなかった。

(3)政治的要因に目を転じると、シカゴは南北戦争以来、成人男性の普通選挙権が認められていたが、ブエノスアイレスでは参政権はずっと制限されていた。さらに重要なのは、ブエノスアイレスはアルゼンチンの首都であるのに対し、シカゴは首都ではないという点である。首都で騒擾・内乱が起こった場合、政権の動揺につながる。ブエノスアイレスへの一極集中はアルゼンチンの政治経済を不安定化させた。

(1),(2)は、経済成長に与える教育の重要性を説いている点で興味深いのですが、割合常識的な観点といえるでしょう。おもしろいのは(3)で、都市経済学者らしい(あるいは社会学的関心の強いGlaeserならではの)視点だと思います。 実際、当時はアルゼンチンにおいて政治的暴動が頻発しており、そのうちの多くはブエノスアイレスで発生しています。シカゴにも暴動は起きていますが、ブエノスアイレスのそれは大統領の交替に発展するなど、国政に直接影響を及ぼしています。

CampanteとGlaeserは、これらの政治的混乱の原因はアルゼンチンの未熟な民主主義だけでなく、ブエノスアイレスへの人口と経済機能の一極集中にも求められるとしています。一般に都市への人口集中と政治的不安定性の間には双方向の因果関係が見られ、古くはアテネ、ローマから19世紀のパリに至るまで例証を挙げることができるとしています。

確かに、政治と経済の中心が江戸と大坂に分かれていた江戸時代は天下泰平の世でしたが、東京に政治経済の中心が移行した明治以降、近現代の日本も多くの騒乱を経験してきていると言えます。

また、計量分析の結果、教育のもたらす人的資本の蓄積が将来の民主政治の安定性に寄与することが示されており、20世紀初頭の教育レベルの相対的な低さが、その後のアルゼンチンの政治的不安定性の源になったのではないか、と解釈しています。

本論文はアルゼンチンのケースを取り上げていますが、教育-政治-経済成長のリンクを考えるうえで、示唆に富んでいると思われます。