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ライフワークの視点からみた「ルノワール-伝統と革新」展

2010-03-22 | Weblog
(遅ればせながら)国立新美術館の「ルノワール-伝統と革新」展に行って参りました。東京での展示は4月5日までなので、ようやく間に合ったという感じです。もともとルノワールが特別好きという訳ではないのですが(「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」は好きですが、裸婦像はそんなでもないかな、という程度)、やはり実物の素晴らしさには感嘆させられました。

展覧会の内容については既に多くのブログで紹介されているので、ここで特に付け加えることはありませんが、中でも面白かったのが、ポーラ美術館が中心となって行った「光学調査で探るルノワールの絵画技法」関連の展示および映像です。これについても多くのブログで報告されていますが、敢えてその一部を紹介いたします。

光学調査の映像(展覧会にて繰り返し上映されていた)では、1888年の「水のなかの裸婦」と1915年の「水浴の後」を比較しています。どちらも水浴する裸婦像を描いたものです。前者はルノワール47歳の頃の作品で、「アングル様式」と呼ばれる作風からの脱出を試み、自己のスタイルを模索していた時代に描かれたもの、後者は74歳の頃の作品。ルノワールは78歳で亡くなっているので最晩年の作品群に属します。

調査を行ったポーラ美術館の内呂博之学芸員によれば、
(1)前者の人体の輪郭部分は幾重にも加筆されており、修正しながら輪郭を整えていった様子が窺える。最初は比較的スリムな裸婦像が、徐々に豊満なフォルムに描き足されていった。
(2)これに対し、後者は輪郭を描きなおした跡がない。いわばタッチに「迷いがない。」
(3)さらに両者の緑の使い方にも差異が見られる。前者ではエメラルドグリーンが主体であるが、後者はヴィリジャンのみを使用している。ルノワールは1890年代以降、明るく鮮やかで、透明感溢れる画風へと移行しており、そのためには透明度が高く発色の豊かなヴィリジャンが適しており、それまで使用していたエメラルドグリーンはほぼ完全に使われなくなったと見られる。

これらの知見から、ルノワールは1880年代に見られた画風をめぐる迷いから脱却し、晩年には独自のスタイルを完成させた、という見方も可能になるでしょう。

実際に40歳以降のルノワールの歩みを年表風に辿ってみると、
1881年(40歳)春にアルジェリア、秋からイタリアに旅行。ラファエロ、ポンペイの壁画に感動する。
1885年(44歳)長男ピエールがパリで誕生。
1890年(49歳)パリ市庁舎でアリーヌ・シャリゴと結婚。
1894年(53歳)次男ジャン(後の映画監督)がパリで誕生。88年から兆候を見せていた、リウマチが再発。
1900年(59歳)パリ万国博覧会に作品11点が展示される。フランスの最高勲章・レジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ章(5等)を受ける。
1901年(60歳)三男クロードがエッソワで生まれる。
1904年(63歳)サロン・ドートンヌで特別展示をされ、好評を博す。
1907年(66歳)リウマチの病状悪化。南仏カーニュに土地を買い、家を建てる。
1910年(69歳)ミュンヘンに最後の大旅行をする。帰国後、歩行が困難になり、以後、車椅子の生活を余儀なくされる。
1915年(74歳)次男ジャンが第一次世界大戦で足に重傷を負う。妻アリーヌは見舞いに行くが、帰宅後、床につき、ニースで56歳の生涯を閉じる。
1919年(78歳)レジオン・ドヌール勲章のコマンドゥール章(3等)を受ける。 12月3日、カーニュで78歳の生涯を閉じる。
(以上、国立新美術館「ルノワール-伝統と革新」展のサイトより転載)

以上のように公私に亘って様々な出来事が去来しています。驚くべきは、60歳で三男誕生!生きるエネルギーに溢れていると言うべきでしょう。晩年はリウマチに苦しんだルノワールですが、そんな中でも(光学調査に見るように)自らの画風を確立していきました。

以前何度かライフワーク関してエントリーしたことがありますが、この高名な画家の一生も見事なライフワーク論のお手本となっていることを発見した展覧会でありました。