Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

当世ポジティブ心理学事情

2009-08-18 | Weblog
Marginal Revolutionのリンクから、ポジティブ心理学の現況のレポート記事へ行ってみました。

ポジティブ心理学は、マーティン・セリグマンがこの分野を創設して以来10年の間に大きな成功を収めましたが、他方でガイド本の乱造に代表されるポジティブ心理学マーケットの膨張などの問題も引き起こしています。ニューエイジっぽい自己啓発への安易な応用には、本職のポジティブ心理学者も懸念を抱いている模様ですが、記事では、ポジティブ心理学者自身の言説や行動自体がそうした傾向を生んでいる面も否めないことを指摘しています。

また、ポジティブ心理学の政策への応用についても慎重な見解が示されています。
例えば、イリノイ大学のEd Dienerはポジティブ心理学の政策への適用を最も声高に主張してきた人であり、ポジティブ心理学の研究は人々が本当に幸せになれるような「善き社会」をつくるためにあると唱導してきました。
セリグマン自身、「幸福になるスキル」の教授を盛り込んだPositive Educationというカリキュラムを行うパイロット・プログラムを試行したり、Ed Dienerの息子であるRobert Biswas-DienerによるStrength Projectと呼ばれる慈善活動(カルカッタのスラムの住民の支援をするプロジェクト)が始まったりと、ポジティブ心理学の名のもと「善き社会」を目指す実践活動は現実のものになっています。

しかし、記事では、ポジティブ心理学が個々人の幸福から一足跳びに「善き社会」の建設にジャンプしてしまうことに幾ばくかの懸念を示しています。実際、今年の国際ポジティブ心理学会では、ポジティブ心理学には、より緻密なアプローチが必要だという意見と、一般市民にも理解できるよう、簡潔で明快なメッセージを打ち出すべきだという意見が相半ばしたとのこと。例えば、政策や実践への応用に積極的なポジティブ心理学者に混じって、幸福の経済学の著名な研究者であるRichard Layardも、政策当局へのアピールを失わないよう、幸福研究の複雑化は避けるべきだという意見を述べています。

今のところ、ポジティブ心理学の研究成果の多くは、Layard流の単純化志向とは一線を画しており、比較文化的・行動科学的な視点を取り入れたり、より長期のデータセットを利用したりする方向へ関心が向いているようです。しかし、政策や実践への応用が進むにつれ、ポジティブ心理学の方向性に関する議論は、より過熱していくと思われます。

個人的にはセリグマンの著書には感銘を受けましたし、ポジティブ心理学により救われたり、癒しを得たりする人は数多いと思います。しかし、政策への応用は、まだ手探りの状態なのかな、という気もします。幸福の経済学や行動経済学の動向も含め、これらの新しい科学の政策への応用過程は今後もウォッチしていきたい分野です。

やっぱり教育が大事?

2009-08-15 | Weblog
VoxEUでHanushekとWoessmannが「やっぱり教育は経済成長にとって重要だ」という論説を書いています。「教育は人的資本を高め、したがって経済成長に寄与する」という命題は一見自明に見え、また、それを支持する研究も多数存在しますが、他方でこれに疑義を呈する学説も少なくありません。

例えば、W.イースタリーの「エコノミスト、南の貧困と闘う」(東洋経済新報社 2003)では、1960年から1990年にかけて、各国の就学率は大幅に上昇したが、その間の経済成長にはほとんど効果がなかったと結論づけています。1960年から1987年の間に、アフリカ各国では人的資本が急成長したが、経済成長は惨憺たる結果に終わり、逆に、この期間に高い経済成長率を達成したアジア諸国は、人的資本も成長したものの、アフリカ諸国ほどの成長率ではなかった(Pritchett 1999)、とされます。(つまり、クロス・カントリーでみれば、人的資本成長率と経済成長率の間に明瞭な正の相関はない、ということです。)また、因果関係は「教育から成長」ではなく「成長から教育」だという説もあります(Bils and Krenow 1998)。つまり、将来の経済成長が予測できれば、教育投資の期待収益率が高まるため、結果として教育水準が上昇することになります。

これに対し、Hanushek and Woessmannは就学率などの教育の「量」ではなく、教育の「質」を考慮すれば、依然として教育は経済成長の重要な決定因だと考えます。読み・書き・算数等の認知能力(cognitive skills)が長期的な経済成長の鍵を握るというのが彼らの主張です。

ラテンアメリカ諸国は就学年数等の教育の「量」については高い水準にありますが、マクロ経済のパフォーマンスは良いとはいえません。実際に、1964年から2003年までの国際的な数学・科学のテストの結果と、経済成長のパフォーマンスとの関係を調べてみると、テストのスコアの悪いラテンアメリカとサブサハラ・アフリカ諸国は低い成長実績しか残しておらず、逆にアジア諸国はテストも経済成長も高いパフォーマンスを達成しています。また、ラテンアメリカ諸国内でも認知能力と経済成長には正の相関が見られます。

「就学率や就学年数よりも、教育の成果そのものが重要だ」とは自明に思えますが、教育の質を明示的に取り入れた実証研究は、まだまだ蓄積が不足しているということなのでしょう。更に言えば、Hanushek and Woessmannが取り上げたのは計測が容易な認知能力であり、数字に表れないヒューマン・スキルや組織資本、文化などの影響はブラックボックスです。

再び、ライフワークについて

2009-08-08 | Weblog
前回、ライフワークについて書いたので、その続きを少々。

ライフワークと一口に言っても、仕事がそのままライフワークとなるケースもあるでしょうし、趣味が高じてライフワークの域に達するといったケースも考えられます。どちらも同じくらい重要といえますが、後者にフォーカスした場合、「余暇」をどう過ごすかがキーポイントとなるでしょう。

経営コンサルタントにして哲学者であるジョシュア・ハルバースタムは、その著書「仕事と幸福、そして、人生について」(ディスカバー、2009年)において、「時間管理の本質とは、余暇を管理すること」と喝破しています。さらに引用すると、

”仕事は外向きの創造であり、余暇は内向きの創造だ。余暇はレクリエーション (recreation)ともいうが、余暇で再生(re-create)するべきものは、わたしたち自身のスピリットだ。よい仕事をすればそれだけ世界を豊かにすることができるのと同様に、よい余暇を過ごせば自分自身を豊かにできる。”

そして充実した余暇を過ごす妨げになる元凶として、テレビの見すぎを挙げています。
(これについては出版者あとがきにもあるように、原著が2000年発行ゆえに、やや古さを感じさせます。同あとがきでは、今ならネットやゲーム、ケータイのほうが影響が大きいのではないかと指摘しています。)

ブルーノ・フライとアロイス・スタッツァー著「幸福の政治経済学」(ダイヤモンド社、2005年)によれば、余暇活動のうち、「抑鬱や不安を軽減させるスポーツ活動や、社交クラブ、音楽・演劇団体、スポーツ・チームへの参加といったグループ活動」は特に満足をもたらすのに対し、最もポピュラーな余暇の過ごし方であるテレビについては、「テレビの見すぎは不幸との相関関係を示している」としています。

しかし、同書において余暇と幸福の関係を述べた箇所はわずか十数行であり、雇用・失業と幸福の関係や、同書の著しい特徴である政治制度・政治参加と幸福の関係に関する記述と比べると、その分量の差は歴然としています。

これは別に同書の責任ではなく(同書は、いまだに日本語で読める幸福の経済学研究のなかでは最も包括的な文献です)、先行研究の蓄積の差、ひいては現代人の生活における余暇と仕事のバランスの不均衡の反映ということになるでしょう。余暇の質についての研究には、まだ深める余地が残されているようです。