松井彰彦著「不自由な経済」(日本経済新聞社;2011)が週末発売となったので早速購入、読んでみました。
松井氏といえば、東大大学院経済学研究科教授にしてゲーム理論の専門家です。私自身はゲーム理論(というか数理経済学全般)には疎く、それゆえ著者の主著である「慣習と規範の経済学 ゲーム理論からのメッセージ」のような理論書を読み解くのは困難です。
しかし、本書「不自由な経済」は平易な言葉で市場経済について語っており、極めてリーダブルです。
では、「不自由な経済」とは何か?
著者によれば、市場のはたらきを抑え、過剰な規制を導入して統制色を強めることにより、それは生まれます。
「市場を拒むことは、不自由な経済を作ることである。それは人と人のつながりを断ち切ることに他ならない。」(p.7)
本書では一貫して、人と人とをつなぐ場として市場をとらえるという視点が採られています。市場の原則を無視した介入は、たとえ善意から出たものであっても、市場へのアクセスを断ち切ってしまい、往々にして意図せざる結果をもたらします(こうした事例として、労働者派遣法改正のケースが採りあげられています)。
また、「医療、教育、福祉の三分野は、その重要性にもかかわらず経済学の知見がほとんど活かされてこなかった代表的分野といえる。統制経済の弊害によって疲弊した現場が崩壊する前に、経済学がなすべきことは数多く残されている」(p.116)という見解も注目に値します。実際、本書ではこの三分野に関わる話題が多く収められています。著者は障害学と経済学を架橋するプロジェクト「総合社会科学としての社会・経済における障害の研究」(READ)の代表者でもあります。本書では、在宅就労制度の普及とITの技術進歩により、在宅就労者の労働市場が形成され、障害者の就労環境の向上につながる可能性が示唆されていますが、それは同時に長期疾病者や育児中の母親の就労にもプラスにはたらくでしょう。このようなインクルーシブな制度設計の提唱が、本書のキモだと言えます。
「市場は万能ではない。だからといって、市場を縛ることは不自由な経済を作ることである。私たちはこれまで女性には危険とか、障害者には無理といって、市場参加者をえり分け、市場を縛ってきた。だが少子高齢化が進みその余裕はない。今後は、どうすれば人々が市場に参加できるようになるかという視点を持ち、互いを認め合う社会の構築へ向けた取り組みが必要となろう。」(p.78)
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さて、そもそも本書に興味をもったのは何故かと言えば、
(1)著者のツイッターでのtweetがおもしろい。tweetの内容から察するに、教育に関しては「アツい」教師であり、かつ、子煩悩なパパである。
(2)「高校生からのゲーム理論」(ちくまプリマー新書;2010)のように、若い世代に向けた教育活動に力を入れている。また、同書に見られるように、ストーリーテラーとしても卓抜である。
(3)福島県立相馬高校の学生と以前から経済教育を通じた交流があり、彼らが大震災で被災した後も継続して支援を行っている。
といったところが理由です。私は著者とは一面識もありませんので、著者の人物像についてはほとんど私の思い込みです。本人にとっては甚だ迷惑なことでしょうが、こうした本の読み方もツイッターの効用の一つではないか、ということでご寛恕を請いたいと思います。
日経新聞で最もおもしろいのは日曜日の書評と、最後の文化面、と常々思っている。
今日の朝刊の文化面に、西洋史家の樺山紘一氏が「サラマンカのウナムーノ」についてエッセイを綴っている。
「ミゲル・デ・ウナムーノ。20世紀初め、三度にわたり(サラマンカ大学の)学長を務めた詩人、作家そして哲学者である。」
ウナムーノ。はて、どこかで聞いたことがあるような、と思い、少々記憶を辿ってみた。
ほどなく行き当ったのは、長田弘氏の詩「十二人のスペイン人」。
『世界は一冊の本』という詩集に収められた「十二人のスペイン人」は、長田氏曰く、「1930年代の終わりにヨーロッパの端で起きたスペイン市民戦争がそれからの世界に遺した経験の切実さを尋ねて」、「スペイン市民戦争の時代をよく生きた、十二人のスペイン人の密やかな紙碑」として書かれた詩だ。
「ウナムーノ」は、その連作詩の冒頭に置かれた一編である。
再び長田氏自身の解説を引くと、ウナムーノは「バスクの人。20世紀スペインを代表する文人思想家。1936年、市民戦争勃発後、共和国スペインに対するフランコの反乱を厳しく批判、幽閉のうちに死んだ。」
次いで、樺山氏のエッセイから。
「米西戦争でアメリカに敗れて衝撃を受けた知識人たち、いわゆる『98年の世代』のなかにあって、スペイン人の思考と文化の独自性をとことん追求した。よく、キルケゴールになぞらえられるが、ウナムーノは内省するスペイン人のシンボルにほかならない。」
一国の危機にあって、自国の来歴と在り方について考え抜いた人、であるらしい。
最後に長田氏の作品「ウナムーノ」からの抜粋。
毎日の挨拶に¡se vive!
「生きています」とこたえる人びと。
憂い顔の哲学者は、頑固に信じていた。
人間一人は世界全体ほどの価値がある。
「生まれ、生き、そして死ぬ一人一人が
この世を生きぬいたことにより
誇りをもって死んでゆけないようなら、
世界とは、いったい何だろうか?
Miguel de Unamuno y Jugo (1864-1936)
(『生の悲劇的感情』(神吉敬三・佐々木孝訳)による)
今日の朝刊の文化面に、西洋史家の樺山紘一氏が「サラマンカのウナムーノ」についてエッセイを綴っている。
「ミゲル・デ・ウナムーノ。20世紀初め、三度にわたり(サラマンカ大学の)学長を務めた詩人、作家そして哲学者である。」
ウナムーノ。はて、どこかで聞いたことがあるような、と思い、少々記憶を辿ってみた。
ほどなく行き当ったのは、長田弘氏の詩「十二人のスペイン人」。
『世界は一冊の本』という詩集に収められた「十二人のスペイン人」は、長田氏曰く、「1930年代の終わりにヨーロッパの端で起きたスペイン市民戦争がそれからの世界に遺した経験の切実さを尋ねて」、「スペイン市民戦争の時代をよく生きた、十二人のスペイン人の密やかな紙碑」として書かれた詩だ。
「ウナムーノ」は、その連作詩の冒頭に置かれた一編である。
再び長田氏自身の解説を引くと、ウナムーノは「バスクの人。20世紀スペインを代表する文人思想家。1936年、市民戦争勃発後、共和国スペインに対するフランコの反乱を厳しく批判、幽閉のうちに死んだ。」
次いで、樺山氏のエッセイから。
「米西戦争でアメリカに敗れて衝撃を受けた知識人たち、いわゆる『98年の世代』のなかにあって、スペイン人の思考と文化の独自性をとことん追求した。よく、キルケゴールになぞらえられるが、ウナムーノは内省するスペイン人のシンボルにほかならない。」
一国の危機にあって、自国の来歴と在り方について考え抜いた人、であるらしい。
最後に長田氏の作品「ウナムーノ」からの抜粋。
毎日の挨拶に¡se vive!
「生きています」とこたえる人びと。
憂い顔の哲学者は、頑固に信じていた。
人間一人は世界全体ほどの価値がある。
「生まれ、生き、そして死ぬ一人一人が
この世を生きぬいたことにより
誇りをもって死んでゆけないようなら、
世界とは、いったい何だろうか?
Miguel de Unamuno y Jugo (1864-1936)
(『生の悲劇的感情』(神吉敬三・佐々木孝訳)による)