Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

Pessimism Gap?

2009-02-27 | Weblog
Daniel Pinkのブログを見ていたら、こんなエントリーがありました。

いわく、「CNNの調査によれば、アメリカ人の10人に8人が、この国は悪い方に向かっており、良い方向に向かっていると答えた人は21%に過ぎなかった」

ふむふむ、当然でしょう。

「しかし、質問に答えた人の4人のうち3人が、個人的には良い方向に向かっている、と答えたそうだ」

つい読んでいて、ふき出してしまいました。

このエントリーから、David Whitman著の"The Optimism Gap"という本の紹介へリンクが貼られているのですが、本の紹介文によれば、アメリカ人は自分の人生については楽観的なのに対して、アメリカという国全体に対しては全く逆の態度をとっており、社会問題を過大視し、政策担当者の能力を軽視する傾向があるとのこと。そういった傾向が、国家予算の削減や社会保障改革といった課題の解決を困難にしている、といいます。こうしたOptimism Gapが問題の根底にある、という問題提起です。

省みるに、日本はどうでしょうか? 社会問題については悲観的な回答をするケースが目立つように思われます。内閣府の世論調査では、個人的な問題についても同傾向なようです(もっとも「充実感を感じているか?」などの設問では世代や性別でかなり傾向が異なるので、あまり単純に論じられませんが)。

でも、表面的な言説とは裏腹に、最終的には日本は何とかなるさ的安心感が、そこはかとなく底流にはあるような気もします(証拠はあるのかと言われると、はっきりしたものはないのですが)。ひょっとしてアメリカと逆?
だとすれば、このようなPessimism Gapを埋める必要があるのかもしれません。

「ベーシック・インカム入門」

2009-02-23 | Weblog
先日、ベーシック・キャピタルについてちょっと書いたので、本日はベーシック・インカムについて。折りよく山森亮著「ベーシック・インカム入門」(光文社文庫)が発売されたので、早速購入してみました。

まず、ベーシック・インカム(以下「BI」)の定義から。著者はアイルランド政府が2002年に出した「ベーシック・インカム白書」からの定義を引いています。即ち、
(1)個人に対して、どのような状況に置かれているかに関わりなく無条件に支給される。
(2)BI給付は課税されず、それ以外の所得はすべて課税される。
(3)望ましい給付水準は、尊厳をもって生き、実際の生活において選択肢を保障するものでなければならない。その水準は貧困線と同じかそれ以上として表すことができるかもしれないし、「適切な」生活保護基準と同等、あるいは平均賃金の何割、といった表現となるかもしれない。

BIといえば、M. Friedmanの提唱した「負の所得税」とも極めて近く、左右両派から支持を集めうる素地を持っています。
Friedmanが1962年の「資本主義と自由」において提唱した「負の所得税」とは、所得が基礎控除を下回る場合に(基礎控除-所得)の差を補助金として支給するというもので、Friedman自身、貧困の救済を目的として提唱しています。いわゆる公的扶助(生活保護)は、所得が多くなると受給権を剥奪されてしまうため、労働のインセンティブを損なってしまいますが、負の所得税は就労インセンティブを損なう程度がより少ないと考えられています。
ちなみに、Mankiwは自身のブログで、多くの経済学者によってコンセンサスを得ている経済問題のリストを紹介していますが(池田信夫氏のブログでも言及されています)、「政府は”負の所得税”の考え方に従って福祉制度を改変すべきである」という設問には79%の経済学者が同意している、としています。
なお、BIと負の所得税の違いについて、著者はJ.E.Meadeを引いて「経済効果は同じように設計しうる」としています(行政上の実際の運用は異なりますが)。

また、就労インセンティブを阻害せずに貧困から脱却するという負の所得税の発想は、現在ではBI/FT(ベーシック・インカム/定率所得税)という形に置き換え議論されている、とも述べられています。稼得所得に対する限界税率を一定にすることにより、就労インセンティブを損なわないようにする考え方です。主唱者のA. Atkinsonによれば、いまだにBI/FTが現実の制度として導入されない理由は、
(1)現行の社会保障制度の基盤である社会保険への支持
(2)BIが無条件に支給されることへの嫌悪ないし危惧
の2つだとされています。
財源は大丈夫なのか?という問いも切実ですが、これに関して本書は割りに淡白に扱っており、財政上の試算は一切紹介していません。「BIが必要だという合意があれば、あとはそれに見合う財源を調達するだけ」ということなのですが、やはりBIの実現可能性という観点から、この分野でどのような議論がなされてきたのか、多少は紹介してほしかった気がします。

本書はBIの歴史や学説史に多くのページが割かれており、また環境問題への含意についても述べられていますが、ここでは私の個人的な関心に引き付け、理論的な面についてのみ言及しました。本書はBIについてコンパクトで見通しのよい説明を与えていますが、紙幅の関係か、特に理論面では物足りないところもあります。随分前に購入したまま積ん読状態になっているT.フィッツパトリック著「自由と保障」あたりを紐解いて、もう少し理解を深めたいと思います。





ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル

2009-02-19 | Weblog
「ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル」(スザンナ・クラーク著、ヴィレッジ・ブックス)全3巻をようやく読了しました。残業が続いていたもので、ブログも書かずに(笑)時間を捻出し、なんとか読み終わりました。おもしろかった割りに、意外と時間かかったなー。

ファンタジー小説に関してはまったくの門外漢ですが、新聞の書評と帯の宣伝文句と表紙デザインに惹かれて購入。「大人のハリー・ポッター」なる触れ込みだけあって、出てくる妖精も可憐な存在ではなくて、すっかりダークなキャラだったりします。

ストーリーについてはあちこちで書かれているので、ここではもう少し周辺的なことを。舞台は19世紀初頭のイギリス、対仏戦争の記述がかなりの紙幅を占めています。著者のインタビューによれば、政治史と軍事史のリサーチにはかなりの時間をかけた由。当時の時代背景は、例えばこんな感じ。作品中に出てくるリヴァプール卿ら政治家ののんびりした雰囲気とは逆に、かなり激動の時代であったことを改めて認識させられます。国際政治では対仏戦争からウィーン体制に至る転換期にあたり、産業革命の浸透、経済の不況、政治的急進主義の台頭など、社会の変化は急であったにも関わらず、保守党政権はむしろ安定していたというのも興味深い点です。

著者の最も好きなキャラクターはチルダマス、ノレル氏のモデルがいるとしたら自分自身、と答えているのも面白い。ストーリーが進むにつれ、ストレンジがどんどんディープな世界にはまっていくのに対し、チルダマスはより思慮深く精彩あるキャラクターになっていきます。多くの登場人物が、あたかも魔術をかけられたかのように、徐々にぼやけた印象になっていくのですが、チルダマスのみ-著者の言葉を借りれば-subversive and independentな人物として描かれているように思われます。

The New Middle Class

2009-02-15 | Weblog
The Economistが新興経済諸国の中間層について特集記事を組んでいます。全体的なトーンは、中間層の台頭が経済発展と政治的安定に果たすポジティブな効果を強調しており、MITのBanerjee, Duflo, Acemogluらのアカデミックな貢献がその理論的バックボーンとなっています。

中間層の増大と経済発展のリンクは、(1)消費、(2)人的資本形成、(3)企業家精神などのエートス、(4)所得分配と民主主義等々、多面的です。記事では、中間層の消費行動が新種のイノベーションを誘発する、としてタタ・モーターズが2,500ドル程度の価格帯で売り出した自動車ナノなどを例として挙げています。途上国の貧困層が肥沃なBOP市場(Bottom of the Pyramid)を潜在させていることは夙に知られるようになっていますが、経済発展による中間層の増大がビジネスチャンスの拡大を意味することは想像に難くありません。ナノとともに引き合いに出されているのが、同じインドの銀行であるICICIのモバイル・バンキングですが、これもdemand-drivenなイノベーションの例だといえます。

さらに中間層の特徴として、教育投資に熱心であること、エリート層に比べ企業家精神に富んでいることなどが指摘されます。これらが経済成長の駆動力であることは論を俟ちません。

しかし、中間層の台頭と民主主義の関係については一筋縄ではいかない、としているのは意味深長です。中間層の多様性は政治的分裂を招く危険性を孕んでおり、最近のタイの政治的混乱やスリランカの国内紛争などは、比較的広範な中間層を有する国であっても、あるいは、あるがゆえに生じている事象だといえます。

にも関わらず、中間層の台頭は政治的安定に資する、という結論は動かしがたいようです。中間層の増大による所得分配の平等化はエリートと貧困層の政治的対立を緩和し、社会の安定に寄与すると期待されます。事実、NYUのEasterlyは中間層が大きくなればなるほど、革命やクーデタといった社会的混乱を示す指標は低くなるという関係を見出しています。

以上のように、この特集記事は新興経済諸国における中間層の勃興がもつ意味を、極めて簡潔・明瞭に描いて見せます。とすれば、さらに先進国-とりわけ日本における中間層の位置づけについて思いを馳せてしまうのは必定でしょう。個人の振舞い方としては、例えばダニエル・ピンクが「ハイ・コンセプト」The Whole New Mindで描いてみせた「6つの感性」-デザイン、物語、全体の調和、共感、遊び心、生きがい-がとても魅力的な導きの糸になってくれそうに感じています。

では、社会デザインとしてはどうか?うーん、と考えていたところ、たまたま今日読んだ今北純一著「マイ・ビジネス・ノート」(文春文庫)にベーシック・インカムならぬ「ベーシック・キャピタル」というコンセプトが紹介されていました。ベーシック・キャピタルとは、国がすべての国民に最低限の資本を貸与する、という考え方です。今北氏の議論のミソは、ライフサイクルの終期に偏ったセーフティネットである年金制度に対し、20-30代の人生のディベロップメント・ステージに資金を貸与する社会制度を導入することにより経済を活性化しよう、という狙いにあります。もちろん、このアイディアそのままで実現可能かどうかは議論の余地があると思いますが、成熟社会が活力を維持していくための思考実験として、興味深いものがあります。