Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

物語としての希望

2009-04-29 | Weblog
先日、東大出版会より「希望学[1] 希望を語る 社会科学の新たな地平へ」(東大社研・玄田有史・宇野重規編)が出版されました。社会科学において必ずしも十分検討されてこなかった「希望」について正面から取り上げた意欲作です。

奇しくも池田信夫上武大大学院教授のブログでも最近「希望」についてしばしば取り上げられています。「希望学」とはだいぶ色合いを異にしますが、そこでも経済における希望の果たす役割について考察されています。

池田教授は「希望というのは、人々の心を動かす上で、経済学の想定する功利主義よりはるかに強い力をもっているようにみえる」と述べ、歴史的にはそれは例えば社会主義やユートピア思想として現れたとしています。つまり、希望の源泉としての「大きな物語」の存在が人々を駆り立てるのです。その意味では、おそらく高度成長や金融バブルも希望の創出に寄与していたといえるでしょう。

同時に池田教授は「自分が望めば今とは違う生活ができるという希望(オプション)がつねに存在することが、市場の意味である」、「それでも市場は社会主義よりすぐれている。それは人々がその状態を自分で選んだと納得でき、そして努力すればよりよい未来が開けるという希望があるからだ」とも述べられており、市場経済に対する信頼を表明しつつも、日本経済の将来に対する見方は極めてシニカルです。教授は今後の日本経済は潜在成長率の低下による長期停滞を迎えると予測しており、むしろ「明日は今日より良くなる」という希望を捨てる勇気をもつべきなのではないかと結んでいます。

他方、「希望学」もやはり日本社会に漠然と存在する閉塞感を出発点にしています。ここでは、編者である玄田有史東大教授の論文について述べます。

希望学プロジェクトの行ったアンケート調査(2006年実施、20歳から59歳の2,010人の男女が回答)の基本的なファインディングスとしては、
(1)回答者の8割近くが何らかの希望を有していると回答している。
(2)希望をもつ個人のうち、8割が「実現できる」「たぶん実現できる」と回答している。
(3)希望の内容としては「仕事」に関するものが突出して多く、他を引き離している。
(4)希望を持つ人は、もたない人に比べ「現在、幸福である」と答える割合が高い。
等々が挙げられます。 アンケート結果を見る限り、日本人から希望が失われつつあるとは結論づけられませんが、玄田教授自身、1990年代以降「将来に希望がもてないという雰囲気が社会全体に蔓延した可能性を示唆する統計的証左は十分ある」としています。

希望を規定する要因としては教育や就業の機会、所得水準といった経済変数、家族や友人との交流などの対人関係などが容易に想像されますが、それだけで尽くされないものがあるのではないか、と玄田教授は問い続けます。

ここで呈示されるキーワードは「希望の物語性」です。そう、ここでも希望は物語として語られます。教授は「豊かさや人間関係の他にも、希望を大きく左右する要因が存在する」可能性を示唆し、未来に対する「想像力」が失われたとき、人は希望を失うのではないかと推論します。その「想像力」を支えるのが「過去から現在、現在から未来へ共有される社会の物語構造」としての希望なのです。

物語としての希望は必ずしも社会主義のようなイデオロギー=「大きな物語」である必要はないはずです。先の池田教授の言にしたがえば、フェアでイノベーティブな市場経済が希望の物語を提供するかもしれませんし、もっと身近な成功体験が物語性を持つこともあるでしょう。物語は社会のあらゆるレベルで存在しうるのではないでしょうか。

神経科学は貧困を説明しうるか?

2009-04-06 | Weblog
神経科学の発展が貧困とストレスの関係を解明しつつある。The Economistが注目すべき記事を掲載しています。

話は3年前に遡ります。ペンシルヴァニア大学のMartha Farahが「貧困のなかで育った子どもは、中流家庭に育った子どもよりワーキングメモリの容量が小さい」と発表したのです。ワーキングメモリとは、数秒程度保持可能な記憶(例えば、電話をかけるときに、一時的に電話番号を覚えておく、といった当座の目的のためのごく短期的な記憶)のことで、長期記憶はワーキングメモリを通して形成される、と言われています(例えば、岡本浩一著「上達の法則」PHP新書 参照)。

さらに記事では、Evans and Schambergの最新の論文の成果を紹介しています。「貧困層の記憶の容量が相対的に小さいのは、ほぼ確実に子どもの頃に脳に受けたストレスが原因である」というのが彼らの論文の結論です。ちなみに被験者は、実験当時17歳の白人の少年少女195人で、男女比率は半々です。

彼らは最低・最高血圧、BMIなどの6つの変数で構成されるアロスタティック負荷と呼ばれる指数(つまりストレスの度合いを示す指数)を用い、貧困層の子どものほうが、中流階級の子どもより、6つの変数のいずれも平均して高いことを発見しています。 また、被験者のワーキングメモリの容量がアロスタティック負荷と相関していることもつきとめています。

もちろん、相関関係は必ずしも因果関係ではありませんが、記事によればEvansとSchambergは統計的手法を駆使し、他の要因をコントロールしたうえで、貧困層の記憶容量の減少は専らストレスによって説明できることを示した、としています。

この結論は他の脳神経科学の実験結果によっても支持されます。すなわち、ストレスは神経伝達物質neurotransmittersのはたらきを変えてしまい、新しい神経細胞の発達を抑圧し、そして、前頭前皮質prefrontal cortexや海馬(いずれもワーキングメモリにかかわる部位です)の容積を縮めてしまうのです。

これらの知見を敷衍すれば、貧困は世代を超えて連鎖する、少なくともその傾向がある、ということになるのかもしれません(The Economistの記事では、そう示唆しています)。もっとも、このエントリーには、論文の結論に懐疑的なコメントも多数ついているように見受けられます。この論文がこれからどのように評価されるのか、素人ながら注目したいところです。