Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

再び移行経済と死亡率の関係について

2009-01-25 | Weblog
先日、移行経済に関するLancetの論文について書きましたが、今週のThe Economistに同論文についての記事が掲載されました。ただし、こちらはLancet論文を批判する立場です。

同誌によれば、Lancet論文は「大規模な民営化と死亡率は明らかに相関しているが、必ずしも民営化から死亡率への因果関係を示すものではない」としています。また、同論文は「1994年までにロシアはショック・セラピーを全面的に施行した」としているが、その頃には急進的な経済改革は頓挫してしまっていたこと、更には市民が手にした民営化のバウチャーは僅かな現金に換えられてしまい、雇用にはたいして影響を与えなかったことなどの事実誤認を含むと指摘しています。

先に紹介したNew York Timesには、「相関関係と因果関係を取り違えている」といった批判に対するLancet Authorsからのコメントが書き込まれており(本物でしょうね?)、自身の統計分析の正当性を主張しています。方法論の論議になるとちょっと手に負えなくなるのですが、疫学の専門家が、相関関係と因果関係を取り違えるという初歩的なミスを冒すものだろうか、という気もします。ただ、同論文はあくまでクロスセクション分析であり、個々の国の経済改革プロセスを精査している訳ではないでしょうから、より詳細な分析が必要なのは確かだと思われます。

不況の処方箋

2009-01-23 | Weblog
Mankiwのブログを見ていたら、AlesinaとZingalesのWall Street Journalへの寄稿へのリンクがあったので、とりあえず行ってみました。

今回の経済危機はただのrecessionではなくdepressionであり、「悪い均衡」から「良い均衡」へとジャンプするためのショック療法として、大規模な財政出動が必要なのだ - というのが、ケインズ型財政政策待望論の背景にある考え方のようですが、AlesinaとZingalesによれば、「悪い均衡」が生じたのは信用市場において投資家が資金を出さなくなったからであり、真の問題はどうやって投資家のリスク・アペタイトを取り戻すかであって、取り沙汰されている財政刺激策が有効かどうかは不明である、としています。

更に、問題の根っこには米国の貯蓄不足に起因する経常収支の不均衡があり、例え財政刺激策が有効であったとしても、経常収支の不均衡を一層大きくしてしまう、と危惧しています。

彼らの解決策はキャピタル・ゲイン課税の一時的撤廃や資本支出やR&D投資に対する税控除です。彼らはこれらのタックス・インセンティブにより投資家が現下の麻痺状態から抜け出すことができるとしていますが、これが「悪い均衡」からジャンプするのに十分な刺激かどうかは判断しかねるように思います。

とはいえ、財政ポジションの過度の悪化を防ぎつつ、景気にも顧慮する政策ミックスが求められる難しい局面において、Alesina=Zingalesの提言は有効だと思われます。また、再分配政策としても、公共投資より減税や失業手当の拡充のほうが効果的だ、とも述べています。

本日のWSJにはBarroも寄稿しています(これもMankiwからのリンク)。やはり、公共投資よりも減税によって投資、生産、労働へのインセンティブを高める方策を勧めています。

さて、Obama's Economic Teamはどのように動くのでしょうか?

小さな政府志向の平等主義者

2009-01-20 | Weblog
前のエントリーに続いて、再びNew York Timesより。少しばかり日付はバックしますが、ご勘弁を。Edward Glaeserが米国の財政政策を巡る議論の背景となっている経済思想について書いています。

Glaeserによれば、現在、米国では財政政策を巡って「大きな政府志向のリベラル」と「小さな政府志向の保守主義」が議論を戦わせており、前者にとっては公共支出、後者にとっては企業や富裕層に対する減税がお気に入りの政策手段です。

ここで忘れられているのが、「小さな政府志向の平等主義」small-government egalitarianismであり、この思想の支持者は減税を好みますが、その恩恵を受けるのはあくまで「普通の市民」で、具体的には中低所得層をターゲットにした減税策(payroll tax cuts for poor and middle-income Americans)です。ターゲット減税策は、スピードにおいても、効率性においてもインフラ投資よりも有効である、とGlaeserは結論づけています。財政政策はとかく二分法的な議論に陥りがちですが、効率性と衡平性に鑑み、この意見は傾聴に値するように思われます。

ただ、ターゲット減税は、日本のように所得の捕捉が不完全な国では実行が困難でしょう。阪大の大竹文雄教授がつとに主張されているように、納税者番号制度の導入が前提となると思われます。こうした制度インフラ不在のまま、セーフティ・ネットの欠如を糾弾するのは、議論の順序が逆という気がしてなりません。

大竹文雄のブログ:納税者番号制度

移行経済戦略と死亡率の曖昧ならざる関係

2009-01-18 | Weblog
最近はTransition Economicsという表現を目にする機会もすっかり減ってしまいました。中東欧諸国の多くは実質的に移行過程を完了したとも言えますし、「学」としての移行経済学も、政治経済学や開発経済学、地域研究の中に発展的解消を遂げたように思われます(もっとも、中央アジア諸国やヴェトナム、そして何より中国がいまだ移行過程の只中にあるのも事実ですが)。

そんな中、久しぶりに移行経済に関する論争が、意外にも医学ジャーナルであるLancetを皮切りに始まった模様です。

"Mass privatisation and the post-communist mortality crisis: a cross-national analysis"と題された論文の著者たちの主張は、「大規模な民営化が移行諸国間の成人死亡率を上昇させた。ただし、社会資本social capitalの高い国は、民営化の影響が緩和される」というもので、返す刀で「ショック療法」の主導者であったジェフリー・サックスを批判しています。

更にスティグリッツも参戦しています。彼は論旨は「ポーランドのような、より漸進的な改革を行った国はより民主的な方向に進み、ショック療法を採用した国は経済が壊滅的な打撃を被った。結果的に改革の揺り戻しが起こったのはショック療法を採用した国だ」とまとめられそうです。

90年代の議論では、ポーランドは典型的なショック療法を採用した国として、よくハンガリーと対比されていたように記憶していますが、現在の解釈では漸進的改革の国と位置づけられているのでしょうか?Lancet論文でもポーランドは漸進主義の国と目されているようです。

ただ、「漸進的な改革を行った国は、より民主的な方向へ進んだ」というのは重要な論点であり、経済制度が持つ慣性を顧慮しない改革は社会を破壊する危険性を秘めていると言えるでしょう(もっとも、だからといって、平成不況における日本政府の対応の遅れを無理やり肯定する方向に議論を持っていくつもりは毛頭ありませんが)。

また、Lancet論文でsocial capitalに注目しているのもおもしろい(ちょっとデュルケームっぽい?)と思います。同論文では、少なくとも1つ以上の何らかの社会組織(労働組合、教会、宗教団体、スポーツクラブ、政治組織など)に参加している人の割合が高いほど、民営化の死亡率に対する回帰係数が低くなる(social capitalが高いほど、民営化の死亡率への影響が緩和される)としています。

Chance favors the prepared minds

2009-01-08 | Weblog
新年もあっと言う間に8日になってしまいました。
ようやく本年第1回目のエントリーです。

福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」を読み返していたら、あるフレーズが目にとまりました。

Chance favors the prepared minds.

チャンスは、準備された心に降り立つ。

これは、DNAの二重らせん構造を発見したワトソンとクリック、そしてその発見に対して重大な影響をもたらしたロザリンド・フランクリンを巡るエピソードの中に出てくるフレーズです(「チャンスは、準備された心に降り立つ」は同書第7章のタイトルでもあります)。

二重らせんの発見に至る重要なデータとなったDNA結晶のX線写真の価値に対して、最も「準備された心」を持っていたのはフランシス・クリックだった、という文脈でこのフレーズは使われているのですが、このエピソード自体は(詳細は書きませんが)ある意味、「スキャンダル」とも呼べるべきものです。

にも関わらず、クリックに対する著者のまなざしが暖かいのは、クリック自身が誠実に学究としての人生をまっとうしたからであり、共同研究者のワトソンが、ノーベル賞受賞後も科学行政の分野で華々しい業績を挙げながらも、人種差別発言などでしばしば厳しい批判を受けているの比べると、彼の生き方が一層際立ちます。彼が後に取り組んだのが、脳のバインディング問題という、いわば意識の謎を追究する分野だったというのも何か示唆的な気がします。

ともあれ、

Chance favors the prepared minds.

1年の始まりに相応しいフレーズとして、記憶にとどめておくつもりです。