Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

新型インフルエンザ vs 経済危機?

2009-05-20 | Weblog
巷では新型インフルエンザの話題で持ちきりです。ついテレビのニュースに目がいく今日この頃、兵庫や大阪では市民生活がかなり制限される事態になっている由、他人事と高を括ってもいられません。

少し前のエントリーになりますが、New York TimesにSimon Johnsonが"Swine Flu vs. Financial Panics"という文章を書いています。彼は新型インフルエンザの蔓延には警戒感を示しながらも、経済的なインパクトという点においては、金融システム危機よりも軽微なものにとどまるだろうという見解を示しています。何故なら、新型インフルエンザと金融システム危機という、いずれもpandemicな現象に対し、公衆衛生学は経済学よりうまく対処しているから、というのがJohnsonの見たてです。

いわく、
「医学の進歩に対する世間の信頼は厚いが、経済学に対する信頼感はそれほどでもない」
「公衆衛生の専門家は、市民に対するコミュニケーションを重視している。これに対し、米国の金融当局は市場とのコミュニケーションに失敗し、危機を拡大させた」
「公衆衛生システムは常に危機対応を想定して組み立てられている」
そして「パンデミックに対し予防的措置を講ずることは、医師や製薬業者、保険業者ら医療関係者の利益に反しない。逆に、金融には本来リスクがあるにも関わらず、金融業者は自分たちはうまくリスクをマネージできていると言いたがるが、これは誤りである」

Johnson自身は前IMFのチーフ・エコノミストであり経済学界のインサイダーである訳ですが、コミュニケーションと制度設計の双方において、金融システムには問題が多かったというのが彼の言わんとするところです。

コミュニケーションの面においては、マスメディアというフィルターを通すことは不可避ですので、コミュニケーションの失敗をすべて経済学に帰することはややアンフェアかもしれません。しかし、公衆衛生学や疫学が経済学より専門的でないとは言えないにも関わらず、新型インフルエンザと金融危機を比べれば、一般市民にとって理解しやすいのは明らかに前者でしょう。

Johnsonは経済学も感染症の蔓延を防ぐため努力を重ねてきた公衆衛生の歴史に学ぶべきだとして文章を結んでいます。それは一方では経済の分野における政策当局と市場とのコミュニケーションを考え直すことであり、他方で「市場か、介入か」という古くて新しい問題を再考することでもあります。

貧困層のポートフォリオ・マネジメント

2009-05-17 | Weblog
NYUのJonathan MorduchがForbesに「貧困層のポートフォリオ・マネジメント」について寄稿しています。彼の近著(共著)であるPortfolios of the Poor: How the World's Poor Live on $2 a Day の内容を紹介する記事なのですが、通念に反し、途上国の貧困層がいかに賢明にポートフォリオ管理を行っているかを説いています。

同著では、貧困層の消費や貯蓄行動を綴ったfinancial diariesを用い、実際に貧困層が将来を見据えた貯蓄を行ったり、貧しいながらも故郷に送金したり、隣人に小額の貸出を行ったりして、お金を賢明にやり繰りしている様子を描き出しています。

注目すべきはグラミン銀行のムハマド・ユヌスのアプローチを「貧困層が自営業者となることによって生産性を大幅に引き上げることに成功した」としながらも、「実際には途上国の貧困層の多くはentrepreneurshipには興味がなく」「自営業者であっても、医療費、教育費、食費といったビジネス以外の借入需要が多い」と述べているところです。そして、「マイクロファイナンスは緊急時に利用できるキャッシュを確保するための保険やローンへのアクセスをいかに拡大させるか」を再考すべきだとしています。

マイクロファイナンスの現状に関する議論についてはよく知らないのですが、基礎的なデータの集積によって、マイクロファイナンスへの理解がより深化していくのは歓迎すべきでしょう。

同著については今週のThe Economistも関連記事を掲載しています。こちらは途上国貧困層のキャッシュフロー管理が経済学でいう「消費平準化」consumption smoothing(所得の変動に関わらず消費水準を一定に保とうとする行動。借入、保険、予備的動機による貯蓄等が所得の不確実性を克服するキーになる)にあたる、としています。また、西アフリカのsavings clubsのように強制的に貯蓄する仕組みを作って貯蓄に対するコミットメントを強化するなど、行動経済学にも通じるアプローチを実際に貧困層が実践している点にも言及しています。

なお、Forbesの記事は、Living in Peaceのサイトにあるリンクを辿っていって見つけました。マイクロファイナンスに関する情報の収集にいつも利用させていただいております。

犬は勘定に入れません

2009-05-09 | Weblog
コニー・ウィリス著「犬は勘定に入れません」が先月文庫化されました(ハヤカワ文庫より上下2巻で発売)。翻訳の単行本は2004年発売、おもしろそうなので以前から気になってはいたのですが、文庫化を機に、ようやく購入に至りました。内容については今さら言うまでもありませんが、解説にもある通りSF、ミステリ、コメディ、恋愛小説、歴史小説など様々な要素がないまぜになった傑作です。本格派のSFファン、ミステリファンならではの楽しみ方もできる作品のようですが、その辺の分野には疎い私のような読者も十分に堪能できる第一級のエンタテインメント小説です(何より笑えます)。

ヴィクトリア朝イングランドの文化や生活様式がコミカルに描かれているのもこの小説の魅力のひとつです。執事と召使、降霊術、女性の地位、マナーとタブーなどなど。また個性的な登場人物のなかにあって、ひときわ異彩を放つぺディック教授の奇矯なキャラクターも印象的です。当時のオックスフォードの教授陣は相当変わり者が多かったようですが、この愛すべき歴史学教授も恐るべき探究心と自分勝手さで周りを振り回します。論敵であるオーバーフォース教授が「歴史は個体群に働く(確率論のような)自然力に支配される」と主張するのに対し、ぺディック教授は「歴史を動かすのは人間の力であって自然の力ではない」、「グランドデザインは実在する」(歴史には人知を超えた目的・計画・意思の力が働いている)と言って譲らず、高尚な議論に基づく低次元の喧嘩を繰り広げるのですが、実はそれすらもが謎解きの伏線となっています(なお、オーバーフォース教授の立場はダーウィンの進化論を歴史に適用したものらしい)。

上下2巻本ですが、あっという間に読み終えることができます。リラックスして楽しめる作品でございます。

幸福の経済学

2009-05-02 | Weblog
日経の「やさしい経済学」に連載されていた筒井義郎阪大教授の「幸福の経済学」が昨日付で終了しました。「幸福の経済学って一体何?」という素朴な疑問に対するわかりやすいサマリーとなっています。

ここ数十年の間に多くの国で生活水準は改善したが、その割りに国民の主観的幸福感はあまり変化していない-所謂「幸福のパラドックス」をどのように説明するか。これがこの連載の中心的なテーマです。この「幸福のパラドックス」をもって、「物質的な豊かさは幸福をもたらさないのではないか?」という疑問が生じますが、「いや、必ずしもそうではない」というのがこの連載の結論です。

「幸福のパラドックス」を説明する仮説として、筒井教授は以下の2つの仮説を挙げます。
(1)相対所得仮説-幸福感は他の人の所得との比較で決まってくる。
(2)順応仮説-人は生活水準の上昇にすぐ慣れてしまうので、所得上昇にともなう幸福感も頭打ちになる。
実証分析においても、この2つの仮説は「幸福のパラドックス」をよく説明することが報告されています。

しかし、筒井教授は「物質的豊かさのもたらす幸福感は相対的・一時的なものであるから、精神的な豊かさこそ永続的かつ重要である」と短絡する考え方には与しません。その根拠として、教授は再び阪大のアンケート結果を挙げます。例えば、「あなたが生まれる年を選べるなら」として、1910年、50年、80年を比較させると、最近年ほど選ばれる傾向がある。あるいは、「あなたが生まれる国を選べるとしたら」として、いろいろな2国の比較を尋ねると、所得の高い国が選ばれる傾向がある。これらの結果から、やはり所得や生活水準が人々の選択行動の判断基準として重要であることが見てとれます。また、主観的尺度のみで幸福感を測ることの限界についても指摘されています。

「幸福の経済学」は経済学に縁のない人にも近づきやすいテーマであるだけに、その解釈は慎重に行う必要がありそうです。なお、筒井教授と阪大の大竹文雄教授、池田新介教授との共同論文である「なぜあなたは不幸なのか」というディスカッションペーパーが公表されています(2005年発表)。日本で行った大規模なアンケート調査の結果をまとめたものなのですが、この結論部分がとても面白い。いわく、
(1)男性は平均的には女性より不幸であるが、喫煙習慣をコントロールすると、有意に不幸であるとはいえない。
(2)すべての属性をコントロールすると、20歳代から60歳代まで、年齢が高いほど不幸である。
(3)世帯所得と一人あたり所得が大きいほど幸福であるが、その増加は逓減的である。平均的な幸福度を見ると、高い所得階層では幸福度の飽和が観察される。 .....

と、17の観察結果を列記し、こう続けます。
「このような分析の結果、浮かび上がってきた不幸なあなたの姿は、
鄙びた村に住む年寄りで中学校卒。職業は販売職。年のせいか健康に優れず、結婚はしなかった。所得も資産も少なく来年増える見込みもないので、借家住まいである。.....」
あまり書くとネタばれなので、あとはリンク先へどうぞ。