Good Life, Good Economy

自己流経済学再入門、その他もろもろ

ゴトンロヨン・シティ - ジャカルタの都市デザイン・コンペを愉しむ

2010-05-26 | Weblog
ジャパン・デザイン・ネットのサイトに、国際コンペ"Envisioning the Future of Jakarta -International Architectural and Urban Design Competition"の選考結果が掲載されました。

同サイトによれば、「同賞は、第4回 ロッテルダム国際建築ビエンナーレがインドネシア建築家協会ジャカルタ支部との共催で行ったアイディアコンペティションです。テーマは、拡張したジャカルタ首都圏における「ゴトンロヨン(インドネシアに根付く相互扶助の概念)な都市」」。

欧州発の都市デザインがコンパクト・シティを指向するのに対し、アジアのメガシティは過剰人口、貧困、混沌と環境や伝統的価値との共存を目指します。

First PrizeのJakarta Bersih!は、カンポン(貧困層の居住する密集住宅)の住民を高層住宅(highrise kampung)に移住させ、カンポン跡地を緑地帯として、環境保全を測るとともに、洪水被害からの緩衝地帯とするプランです。高層カンポンの地下にはゴミ処理場があり、内部には学校、病院からモスクまである。しかも、高層カンポンのCBD(中心ビジネス街)に面した側は広告板Billboardになっており、ここからの広告収入によって貧困層の居住資金の一部を捻出しようというポップなプランでもあります。

「通貨燃ゆ」を再読し、スーザン・ストレンジを回顧する

2010-05-18 | Weblog
谷口智彦著「通貨燃ゆ」が文庫化(日経ビジネス人文庫)されたので、久しぶりに再読してみました。国際政治経済学International Political Economyの視点から国際通貨制度を読み解いていく手法が小気味よい好著ですが、著者の敬慕するスーザン・ストレンジの人物像に関する記述が興味深いので、今回は(メインのストーリーでなくて恐縮ですが)そちらを取り上げます。

スーザン・ストレンジといえば「カジノ資本主義」や「マッド・マネー」等の著作で著名な国際政治経済学者であり、「構造的権力」(国家が、他の国家や企業集団等とどのような関係を結ぶかを決定する枠組みとしての力を指す)をキー概念とする国際通貨制度の研究で著名です。しかし、そのアカデミック・キャリアはかなり特徴的なものです。以下は経歴は「通貨燃ゆ」および英国ウォリック大学Centre for the Study of Globalization and Regionalizationのニュースレターに掲載されたObituaryに拠ります。

・1923年 ドーセットに生まれる
・バースのRoyal SchoolおよびLondon School of Economicsに学ぶ
・卒業後、Economist誌の記者となる
・その後、Observer誌のワシントン特派員となり、ホワイトハウス詰めの最年少記者となる(10年ほどのワシントン勤務の後、1949年までニューヨークの国連特派員を勤める)
・英国に戻り、Observerの経済記者を続けると同時に、University College, Londonにて国際関係論を講じる(1949-1964年)
・このとき既に2人の子どもを持つ母親であり、1955年には再婚し、その後4人の子どもをもうける(Obituaryによれば、"As she would tell anyone who cared to listen, her then Head of Department would continually complain about her always being pregnant."とのこと)
・1965年(43歳) Royal Institute of International Affairsのリサーチ・フェローとなる
・その後、チャタム・ハウスのTransnational Relations Projectのディレクターとなる
・1971年(48歳) 最初の著作Sterling and British Policy上梓
・1974年(51歳) British International Studies AssociationをAlistair Buchanとともに設立
・1978年(55歳) London School of Economicsの国際関係論教授に就任、10年間その地位に留まる
・彼女は学部生向け講義はあまり得意ではなかったようだが、Ph.Dの学生のスーパーヴァイザーとしては極めて高い評価を得ていた模様
・1986年(63歳) Casino Capitarism(邦題「カジノ資本主義」)上梓
・1988年(65歳) States and Markets(邦題「国家と市場」)上梓
・1989年(66歳) フィレンツェのEuropoean University Instituteの国際政治経済学教授となる
・Rival States, Rival Firms: Competition for World Market Sharesを刊行
・5年間、Europoean University Instituteに勤務した後、Warwick Universityで国際政治経済学を講じる
・1995年(72歳) 米国International Studies Association (ISA)初の女性会長となる
・1998年(75歳) Mad Money(邦題「マッド・マネー」)刊行
・同年 肝臓がんにより逝去

彼女のアカデミック・キャリアの原点がジャーナリスト時代にあったのは明らかですが、真に生産的な時期を迎えたのは、実に60代も半ばになってからです。国際政治経済学は、経済学と政治学というestablishedな学問分野の狭間にあって、市民権を得るのに苦労があったようですが、その学際的なアプローチを大成させたのは、むしろストレンジがアカデミズムの傍流に位置していたからかもしれません。

また、Obituaryでも"Moreover, her family was an integral part of her academic life."と述べられているように、彼女は家庭生活においても充実した人生を送った人のようです。再び、Obituaryから引用します。

Married twice, she is survived by her husband Clifford Selly and five of her six children whom she described in her ISA Presidential address ‘as wonderfully tolerant and affectionate to her...a liberation.’

「回想の都留重人」を読んでみる

2010-05-10 | Weblog
尾高煌之助、西沢保編「回想の都留重人」(勁草書房、2010)を読んでみました。

都留重人といえば、私の学生時代は戦後を代表するリベラルな知識人として高名でしたが、その学問上の業績は、知名度に比してもあまり知られていないという印象でした。その意味で、本書の刊行は貴重です。

近年、都留教授に対する批判・中傷・誹謗がネットやマスコミ等で見られたようですが、それに対しては小宮隆太郎東大名誉教授の明確な批判が掲載されています。また、工藤美代子著「われ巣鴨に出頭せずー近衛文麿と天皇」で展開された都留批判に関しては、小宮教授のみならず鶴見俊輔氏も懐疑的であり、その信憑性に疑問符を投げかけています。

都留経済学については、それが既存の経済学の批判という形で展開され、体系的になっていない(というより、そもそも体系化することに興味がないと思われます)ため、全貌をとらえがたいものになっています。そこで伊東光晴京大名誉教授の「経済学者 都留重人」(本書所収)から引用すると、

「市場経済を都留さんはまずマルクスの物神性論でとらえる。」
「個々の経済主体は価格の動きを見て、自らの経済行動を決定する。しかし、その価格そのものは経済の基礎的条件(技術、制度、資源状態等々)の変化を反映しているのである。市場での商品の売買、それぞれの価格はこうした社会関係を反映していながら、経済主体にはそれを意識させない。」
「こうしたマルクスの物神性論で市場経済を把握した都留さんは、ここに三つの視点を導入する。第一は、今日こうした基礎的条件を含め、今日の経済社会の変化をもたらすものは何かであり、第二はこうした市場メカニズムによってとらえられないものへの注視であり、第三は政治経済学の視点である。」

第一の視点の例としては、科学技術の発展とそれに伴う産業構造の変化(寡占的大企業の台頭、多国籍化等)
第二の視点の例としては、外部性の問題と都市・公害問題への関心
第三の視点の例としては、「ムダの制度化」「福祉の指標としての国民所得の否定」「素材的把握と価値的把握」(これがまた判りにくい概念です)といった都留氏独自の概念の導入

その全体像を論じることはもとより不可能ですが、例えば「市場メカニズムによってとらえられないものへの注視」という視点は、現代の経済学における幸福、社会関係資本、感情等といった経済「外」的なテーマの追究の、かなり先駆的な形態ともとれます(もちろん、方法論的にはまったく異なりますが)。

その他にも、経済政策、公害問題や人物像に至るまで、興味深い論考が数多く収められていますが、ここではあと一つだけ。

同じく伊東教授の論考から引用すると、都留教授は「1961年アメリカから帰国された直後、私に資本主義と社会主義との違いは、経済成長率のちがいとか、景気変動とかではなく、都市発展の違いの中にあらわれるという話をされた。」そして、都市問題を見るうえでは外部性を重視し、「外部経済の利益と不利益を受ける主体が違う」ところに着目した政治経済学的視点をそなえていた。

都留教授自身は都市問題・都市政策を直接深めることはありませんでしたが、多様な資本主義の発展様式を考えるうえで、示唆するところ少なからぬものがあるように思われます。