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自己流経済学再入門、その他もろもろ

「清朝と近代世界 19世紀」を読んでみる

2010-06-20 | Weblog
岩波新書からシリーズ中国近現代史の第1巻「清朝と近代世界 19世紀」(吉澤誠一郎著)が刊行されました。私は中国史にはまったく疎いのですが、日本の近世史・近現代史の見直し・再評価が進むなか、中国近現代史研究の「今」がどのような状況にあるのか確認するには、タイムリーかつ手頃なシリーズになりそうです。

しばらく前に読んだ加藤陽子著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社 2009)においても、教科書的な幕末・明治期の「落ちる中国・伸びる日本」(=弱体化する清・近代国家へ脱皮する日本)史観ではなく、「競い合う日本と中国」(=東アジアの中でリーダーシップを争う日本と中国)という視点が貫かれています。実際、同書では李鴻章、胡適、汪兆銘らに非常に高い評価を与えています。

という訳で「清朝と近代世界」ですが、全体を要約するのは困難なので、主に社会経済史の分野から興味を惹かれた点をいくつか:

(1) 18世紀の清は人口の急速な増加を経験した。17世紀にはおよそ1億人台だったのが、18世紀末葉には3億人、19世紀にはいると4億人に達したとされる。
(同時期の日本は、17世紀に人口急増、18世紀は人口停滞とされるので、この清朝の人口爆発は「驚異的」と評価しうる。)
その背景には生産の拡大、活発な移住、土地開発があるとされる。
しかし、19世紀半ばには人口は停滞ないし減少に転じる。太平天国の乱などによる戦乱が主因である。

(2) 清朝では財政収支の計算、納税、遠隔地貿易の決済等に銀を使用していたが、なぜか清朝は銀貨を鋳造しようとせず、銅銭を大量に発行していた(銅銭は日常取引に使用)。銀と銅銭の交換レートも民間業者に任せていて、相場により交換レートは変動していた。銀貨は19世紀初頭まで海外から中国に流入しており、清朝の経済を支えていたが、アヘンの密輸入が巨額になると、銀が流出するようになった。

これに関しては、斎藤修著「比較経済発展史」(岩波書店 2008)において、村松祐次の先行研究を参照しながら、「中国における政府が伝統的に市場経済の進展を規制しようとはしなかった」が、それは「中国の国家が、貨幣制度や度量衡の制度を含む民間経済のための公的インフラ整備を行わなかったことと表裏一体」と述べられています。経済については自由放任を旨としながらも、市場メカニズムを円滑に機能させるための「制度」の整備には比較的無関心であった、という特徴が、その後の経済発展に与えた影響を考えてみるのも面白そうです。

(3) 19世紀中葉、カリフォルニアやオーストラリアで金鉱が発見され、ヨーロッパに金が流入、貨幣流通量を増やし、景気を刺激するとともに、余剰となった銀はアジア貿易に使われるようになった。
金融の活況を背景に、アジアを活動の場とする英系の銀行(チャータード銀行、香港上海銀行等)が次々と設立され、中国においては貿易金融や清朝への借款等を取り扱うようになった。
また、「洋行」と呼ばれる商社(ジャーディン=マセソン商会等)が主に上海を拠点に貿易を手広く行うようになった。
これら銀行や商社で働く中国人職員は「買弁」と呼ばれた。欧米人からすれば、現地の商慣習に通じ、外国語を解する買弁を使ってはじめて円滑に貿易を行うことができた。彼らは単に職員であるに留まらず、自分の資本を持ち、投資・経営活動も行った。彼らの投資行動はしばしば投機的であり、国際市場動向に翻弄されることにもなった。

買弁といえば通常、卑賤な売国奴的存在として扱われるケースが多いようですが、本書では李鴻章のもとで汽船・電報などの事業を営む買弁である鄭観応が紹介されています。清仏戦争に際し、広東の海防を担当する高官から密命を受け、東南アジアに赴くという役どころです。その任務とは、フランス軍が食糧を確保する場所となっていたサイゴンの情勢を探ることと、シャム国王が清仏戦争に対し、どのような姿勢をとるか確認することの二つだったとされます。功罪の「罪」のほうが重く描かれる傾向はあるようですが、買弁商人が、複数の文化圏を股にかける、ある種のネットワーカーとして機能していたという部分はあるのかもしれません。

個人的にはポメランツの「大分岐」への言及が欲しかった気もしますが、本来、経済史の本ではありませんのでやむをえません。一読し、コンパクトにまとまった良書であると感じました。

ロドリックの「世界経済の政治的トリレンマ」仮説について拾い読み

2010-06-15 | Weblog
本日の日経の経済教室で庄司克宏慶應義塾大学教授が、ダニ・ロドリックの「世界経済の政治的トリレンマ」仮説を使ってユーロ圏経済の現状分析を論じています。参考になる記事ですので、まとめてみます。

ロドリックの「世界経済の政治的トリレンマ」仮説とは、「国際経済統合」、「国家主権」、「民主主義」の3つを同時に達成することはできない、とする説です。庄司教授によれば、この仮説のもとで考えられる選択肢は以下の3つです。

(1)国家主権を二の次にして「グローバルな連邦主義」の下で国際経済統合と民主主義を選択する。
(2)民主主義を二の次にして「黄金の拘束服」の下で国際経済統合と国家主権を両立させる。
(3)国際経済統合を二の次にして、国家主権と民主主義を維持する。

そして、現在EUが選択しようとしている道は(2)の路線であり、ギリシアに対しては財政健全化と国内改革を要求し、「他の加盟国への危機波及に備えて欧州安定化メカニズムの創設が決定され」、「安定成長協定の強化も検討されて」いるが、「少なくとも今のところ、ロドリクの仮説における”連邦主義”的解決へ進んでいるようには見えない」と結んでいます。

ロドリック自身もProject Syndicateにおいて、世界経済史を振り返りつつ、同種の議論を展開しています。ギリシア危機の前には、さらなる政治統合へ向けて順調に移行を進めているかに見えた欧州は、今や進むべき道を見失ったかのように見える、という評価を下しています。

ロドリックは6月9日にもProject Syndicateでこの問題について発言していますが、ここでは短期的な処方箋としてドイツの内需喚起政策と、EUBのインフレ・ターゲットの上方修正の必要性を訴えています。

なお、「世界経済の政治的トリレンマ」仮説の初出(?)と思われるのはこちら。EUの現状を見るうえでも有効なこの仮説は、本来それにとどまらない普遍性をもっています。例えば東アジアにこの仮説を適用したら、どうなるんでしょう?

南欧の財政問題と地下経済

2010-06-10 | Weblog
ギリシアに端を発した南欧諸国の財政危機はユーロ圏を席巻し、東欧も巻き込む兆しを見せていますが、VOXEUではMaurizio Boviが南欧の財政問題と地下経済の関係について寄稿しています。曰く、「公的債務-GDP比率と、地下経済とフォーマル経済との比率は密接に連動しており、当局の主要な政策課題となっている。」

Boviはイタリアのデータをもとに構築した公的債務の持続性に関するDSGEモデルの分析から、以下のように述べています。
(1) 公的債務残高と地下経済の大きさは連動している(地下経済の大きさは、フルタイムの雇用労働者に対するirregularな労働者のシェアで計測。irregularとはどういう定義?)。
(2) 地下経済の大きさは、租税負担の変化と財政支出の変動の双方に反応する。
(3) 財政黒字と地下経済の大きさには正の相関がある。1%の財政黒字の増加は、1%を若干上回る地下経済活動の上昇をもたらす。
(4) 高い税金は、経済活動を地下へシフトさせる(逆に言うと、低い税率は脱税のインセンティブを低める)。1%の税率の上昇は、1%以上の地下経済活動の成長を惹起する。このシフトは、課税ベースを徐々に浸食させる。
(5) イタリアの現在の財政規模(税収、政府経費ともGDPの50%のレベル)では、計画された歳入のうち、国庫に収まるのは約半分で、残り半分は脱税により地下に消失してしまう(!)

これはあくまでイタリアのデータに基づいたモデル分析の結果ですが、財政危機を前にした南欧諸国は緊縮財政を余儀なくされるというのに、歳入となるべきおカネがどんどん地下に流れてしまうのでは財政再建は覚束ないでしょう。

これにたいするBoviの処方箋は以下のようなものです。
(a) 高い公務員給与は地下経済活動を抑制する(収賄の魅力を減殺するため)。
(b) 公務員の数は、地下経済活動のレベルと強い正の相関をもつ。
(c) よって、公務員の給与を上げて、数を減らすのが有効な策である。脱税対抗策として、税率引き下げを補完する効果がある。

さて、実際、南欧諸国の腐敗corruptionはどの程度のものでしょうか。2009年のTransparency Internationalの腐敗認識指数(CPI; Corruption Perception Index)によると、ランキングされた180ヶ国中、スペインが32位、ポルトガルが35位、イタリアが63位、ギリシアが71位(この辺は先進国では最低レベルでしょう)、PIIGSの一員とされているアイルランドが14位です。ちなみにベスト3は上からニュージーランド、デンマーク、シンガポールで、日本は17位、米国が19位、最下位の180位はソマリアです。

腐敗corruptionは近年、開発経済学や移行経済学の分野でも注目される問題となっていますが、先進国レベルの経済でも未だにアクチュアルな事象であるようです。同じく公的債務の課題を抱える日本で同種の問題が生じることはまずないでしょうが、課税ベースの狭小さはかねてより指摘されている通りでしょう。新内閣が舵取りを誤ることのないよう期待します。

*一部表記を改めました。