あの頃私が主に聞いていた放送局は現在の「KBS京都」当時のKHKラジオ京都で、お気に入りの番組が多数ありそれは大抵おなじみの、ヒット曲がオープニング・テーマとして流れました。
お昼前後には「シネマ・サロン」という番組があり、当時ヒットしていた「禁じられた遊び」の主題曲をバックに京都中心部の映画情報が流され、こんなのを聴きながら公開中の映画の、詳しい内容や知識を仕入れていました。
昼の12時台では「お昼のヒットソング」がサンバ「ブラジル」のリズムに乗って流れてきました。これを担当していたのが少しひとくせある変わったトークで、人気が出てきた I と云うアナウンサーでした。
当時はラジオ・アナがタレント並みの人気を得るということは、異例のことでしたがリクエスト形式の音楽番組などでは、こう云うケースが多かったようです。
当時のローカルな放送局では女性アナを含めても、すぐに聴取者に声や名前を覚えられることが多く I さんは当時アナウンス課長として現役アナではトップの地位にあり、マニアの間でも人気は抜群でした。
その I さんが担当する番組が午後にもあり、オープニングに使われたのが、ピアノ演奏による「二人でお茶を」でした。時間帯が午後3時台と云う半端な時間だったので、リクエスト者が少なくてリクエスト採用率が高いことが、マニアの間に判って来てだんだんと人気が出てきました。
その人気の秘密ははリクエスト名を本名のほかに、ニック・ネームでの投書を認めた点がありました。勿論、真実性を保つという意味から、正規の住所氏名も必須条件でしたが、公共の電波管理が厳しかった当時としては画期的なことでした。
ローカル局で聴いている人もリクエスト・マニアも、範囲が限定されていると云うことは、その仲間の中ではバーチャルの世界とは云いながら、お互いに自然と親近感を感じるようになっていきました。
ここでリクエスト仲間の間から自然発生的に湧いてきたのが、このリクエスト・マニアを一つにまとめてお互いに交流したり、放送局に番組編成についての意見を述べたりすることを、組織的に行えないだろうか?と云う希望でした。
実際にいつもしゃれた可愛いメッセージを添えて、思い出の曲をリクエストしている、XXちゃんと云うネームの女の子はどんな人やろ‥とか想像したものです。
こうして出来上がったのがK友の会(仮称)と云う組織でした。当時の放送局関係者の話では、このような地方のラジオ番組の愛好者の組織と云うのは、全国放送でも聞いたことがない大珍事と云うことでした。
当時のラジオ・リクエスト・マニアの集団が、現在のインター・ネット以上の威力があったラジオ放送の一角や、放送局の現役アナを巻き込んだことはいうことは
実に画期的なことでした。
私はこの頃はこの動きを外野席から応援していた程度でしたが、それでもあのネームで、しゃれたフレーズのハガキを出していた人は人はどんな人‥とかそんな楽しいレポートが放送されることを楽しんでいました。
こうして京都市内某所にこのリクエスト・マニアの知名度の高い人‥ハガキの数の多い人とか、目立ったネーミングの人とかが、始めて顔を合わせる幹事会を作ることになりました。
これは当時の常識から言えば革命的な事件で、今までの実体のなかったバーチャルの世界が現実の世界になる、歴史的瞬間が近づきつつありました。
当時は京都の隣県‥云わば外野席で成り行きを、少なからぬ関心を持って見守っていました。 (続く)
お昼前後には「シネマ・サロン」という番組があり、当時ヒットしていた「禁じられた遊び」の主題曲をバックに京都中心部の映画情報が流され、こんなのを聴きながら公開中の映画の、詳しい内容や知識を仕入れていました。
昼の12時台では「お昼のヒットソング」がサンバ「ブラジル」のリズムに乗って流れてきました。これを担当していたのが少しひとくせある変わったトークで、人気が出てきた I と云うアナウンサーでした。
当時はラジオ・アナがタレント並みの人気を得るということは、異例のことでしたがリクエスト形式の音楽番組などでは、こう云うケースが多かったようです。
当時のローカルな放送局では女性アナを含めても、すぐに聴取者に声や名前を覚えられることが多く I さんは当時アナウンス課長として現役アナではトップの地位にあり、マニアの間でも人気は抜群でした。
その I さんが担当する番組が午後にもあり、オープニングに使われたのが、ピアノ演奏による「二人でお茶を」でした。時間帯が午後3時台と云う半端な時間だったので、リクエスト者が少なくてリクエスト採用率が高いことが、マニアの間に判って来てだんだんと人気が出てきました。
その人気の秘密ははリクエスト名を本名のほかに、ニック・ネームでの投書を認めた点がありました。勿論、真実性を保つという意味から、正規の住所氏名も必須条件でしたが、公共の電波管理が厳しかった当時としては画期的なことでした。
ローカル局で聴いている人もリクエスト・マニアも、範囲が限定されていると云うことは、その仲間の中ではバーチャルの世界とは云いながら、お互いに自然と親近感を感じるようになっていきました。
ここでリクエスト仲間の間から自然発生的に湧いてきたのが、このリクエスト・マニアを一つにまとめてお互いに交流したり、放送局に番組編成についての意見を述べたりすることを、組織的に行えないだろうか?と云う希望でした。
実際にいつもしゃれた可愛いメッセージを添えて、思い出の曲をリクエストしている、XXちゃんと云うネームの女の子はどんな人やろ‥とか想像したものです。
こうして出来上がったのがK友の会(仮称)と云う組織でした。当時の放送局関係者の話では、このような地方のラジオ番組の愛好者の組織と云うのは、全国放送でも聞いたことがない大珍事と云うことでした。
当時のラジオ・リクエスト・マニアの集団が、現在のインター・ネット以上の威力があったラジオ放送の一角や、放送局の現役アナを巻き込んだことはいうことは
実に画期的なことでした。
私はこの頃はこの動きを外野席から応援していた程度でしたが、それでもあのネームで、しゃれたフレーズのハガキを出していた人は人はどんな人‥とかそんな楽しいレポートが放送されることを楽しんでいました。
こうして京都市内某所にこのリクエスト・マニアの知名度の高い人‥ハガキの数の多い人とか、目立ったネーミングの人とかが、始めて顔を合わせる幹事会を作ることになりました。
これは当時の常識から言えば革命的な事件で、今までの実体のなかったバーチャルの世界が現実の世界になる、歴史的瞬間が近づきつつありました。
当時は京都の隣県‥云わば外野席で成り行きを、少なからぬ関心を持って見守っていました。 (続く)
思わず惹き込まれそうなムードを感じました
曲名は少し覚えてないんだけど「浪漫飛行」とかでしたか。私の手持ちのとダブルかも?
JAL星空のフライトとか、夜の浪漫を求めて旅に出たくなりました。
くじらさん、買われたらまた教えて下さい。ほんまに憧れますね。