ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

包む アート

2010-04-05 01:10:55 | 美を巡る
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ちょうど2年前、五行歌の歌会に初めて出ることになったとき、
伝えられた題詠は「包む」だった。
五行歌の何たるかも知らないままに(いまでも…ですが)
作ったのが、これ。

   クリストは包んだ
   都市も 空気も
   自然のあらゆる風景と
   それを不思議がる
   ギャラリーの心までも

包む、といえばクリスト。
私は短絡な思考でさっさとこんな歌を作ったわけだが、
「いや、待てよ」
この巨大アートを創り上げる芸術家は
いったいどれほどポピュラーなのだろうか、と考えて
この初めての歌は、結局お蔵入りとなったのだった。

六本木ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTへ
「クリストとジャンヌ=クロード展」を見に行く。

思ったより人が入っている。若者、外国人が多いかな。
メインフロアでは、巨大パネルで時系列に彼らのプロジェクトを紹介。
そして、本や花束など日用品を包んだ初期の作品の展示。
別室ではドキュメンタリー映像の上映。

実は私だって、クリストとジャンヌ=クロードとそのプロジェクトについて
よく知っているわけではない。
オーストラリアの海岸を10万㎡の布で覆ってしまったり(1969)、
コロラド州の谷間に全長400mもの布のカーテンをかけたり
(1971『ヴァレー・カーテン』)
カリフォルニアの谷間に長さ40kmの布のフェンスを張ったり
(1974『ランニング・フェンス』写真)、
マイアミの11の島をピンクの布で包囲してしまったり(1983『アイランズ』)、
パリのポン・ヌフを布で覆ってしまったり(1985)、
茨城とカリフォルニアの双方で、直径8mもある黄と青の巨大な傘3000本余を
一斉に開かせてしまったり(1991『アンブレラ』)、
ニューヨークはセントラル・パークの全長37kmの遊歩道に、
オレンジ色の布をはためかせたゲートを並べたり(2005『The Gates』)、・・・・・
本やニュースで知る限りでは、びっくりするけれど、
スケールが大きすぎてよくわかんない。
実際に見たらもっと驚くんだろうなあ。
いったいなんてことをする人たち!?
でも、とっても魅力的!

ずっと気になっていた彼らのライフワークがここで一望できるというのならば
行かなくちゃ、と
企画展を知ったときからソワソワしていたのだった。

1935年6月13日にブルガリアで生まれたクリストと
同年同月同日にモロッコで生まれたフランス人のジャンヌ=クロードは、
23歳のときにパリで出会ったときから二人で一人。
まさに運命共同体。
・同じ飛行機に乗らない
・税金関係はジャンヌ=クロードが行う
・ドローイングなどの作品制作はクリストが行う
この3点以外は、二人は常に行動を共にしてきた。
昨年11月18日に、ジャンヌ=クロードが急逝するまでは。
「彼が歯医者だったら、私も歯医者になっていた」という彼女の手記には
クリスト=(イコール)自分という堂々たる意志がにじみ出ている。

しなやかに形態を変化させる布という素材を主に好み、
数日間、あるいは数週間だけ展示(設置)したら、撤収するその刹那主義。
(それを遊牧民的と自ら言っている)
期間限定のプロジェクトのために何年もの年月をかける情熱。
そのためには誰の援助も受けない潔さ。
何億ともかかる総費用は、その都度、クリストの作品を売ったりして賄ってきたという。
誰からも口出しされないために。

大自然や公共の建造物を巻き込んでのプロジジェクトは
時に裁判沙汰になったり、スタッフ(作業員)を危険な目に遭わせたりもした。
一方で、何年もかかってようやく許可が出たというのに
もう気持ちがなくなった、別の計画が進んだなどという理由で頓挫したものも多い。

しかし、いったい何のために?
ますますわからなくなってしまった私の頭にチラリとよぎった言葉。
これは思想?
作っているのは各々の作品ではなく、彼らの思想、
あるいは希望を形にしているということ?

別室で見た『ヴァレー・カーテン』と『ランニング・フェンス』の
ドキュメンタリーは、始まるなりもう目が離せず、
1時間半が何て短く感じられたことか。

ジャンヌ=クロード亡き後も、クリストは
継続中のプロジェクト『オーバー・ザ・リバー』と『マスタバ』を
引き続き2人の名で、遂行する。


4月6日まで。
クリストとジャンヌ=クロード展
http://www.2121designsight.jp/candj/about.html

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