セツの 日々つれづれ日記

猫たちの様子や感動した景色など、日々のささいな出来事をアップしています。

いっぱい遊んだ日

2012-12-22 14:15:48 | 猫+撮影散歩
今度雨が降ったらぜったい雪になると思っていたのに。

気温が上がって雨のままでした。

そのほうが安全でいいのですが、ついガッカリしてしまいます。

まだまだおこちゃまなんでしょうか。


雨に濡れた地面が冷たくて、今日のイブ散歩は2分で終了してしまいました。

ぴや~~っと走って、あっという間に玄関まで。

よっぽど冷たかったのでしょう。

枝からのしずくで体もどんどん濡れますしね。

写真を撮る暇もなかったので、数日前に撮った写真をアップします。






むーん。この日の顔は、いつもと少し違ったかもしれません。


ざっざっざっざっ。

土を掘り始めると。大きな石を発見!






ぐぐぐ、と持ち上げて。




ぽーんと落とします。

更に手でちょいちょい。




ふーん。楽しい。




これなあに?




それはてんとうむしだよ。

さわっちゃだめだよ~~~。


さくらんぼの下の土のかたまりを~~~。






くんくんペロペロ。

だめ~~~、なめちゃだめ~~~!!


枝を発見。




爪がお鼻に入ってない?

がうがうっ!




鼻の上のしわがすごいよ、イブちょ。

だんだん興奮してきたイブちょ。








どっしゃーん!


ふう。




今日はすごく楽しそうだねぇ。

じゃあこれはどう?

木の又のところに枝をひっかけてやる。




おお~~~、ガブガブガブ。

剪定したときに落ちた小枝が、いいおもちゃになりました。


あー楽しかった。




むっ、だれか来た!




むむっ! 向こうに行ったか……。





その後はひとしきりイブちょの森で自由に遊び。










最後のにゅっとなさけな~い目、この表情が可愛くて好きです。



裏もチェックですよ。




はいはい、チェックごくろう。

むーん。


ミニバラがほぼ満開になりました。




時折、サーモンピンクっぽくも見えます。


楽しいお散歩はこれでおしまい。


なかよくねんね。おやすみなさい。






今日の風景。






當麻寺奥の院の景色です。

赤の色はまぶしいほど鮮やかで、水辺の景色はなんとも癒されます。

池の右奥に、仏像が見えます。

真ん中のうっすら白い花は、秋に咲くめずらしい桜、十月桜です。

冬桜、とも呼ぶそうですね。

この日はものすごく冷え込んで、手が凍りそうだったのですが、そんな寒い中健気に花を咲かせていてえらいなぁって思いました。



さて、二上山についてのもう一つのお話をしましょう。

ご存知の方も多いかもしれません。

里中満智子さんのマンガ『天上の虹』に詳しく出てくるお話です。

登場人物が多いので、まずはその説明から。


天智天皇……中大兄皇子、乙巳の変(大化の改新)で有名な人ですね。天武天皇の兄、持統天皇と太田皇女の父。

天武天皇……持統天皇の夫、大津皇子・大伯皇女・草壁皇子の父。

持統天皇……鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)、天智天皇の娘、天武天皇の妻、草壁皇子の母。

大田皇女……おおたのひめみこ、持統天皇の姉、天武天皇の妻、大伯皇女・大津皇子の母。

大伯(大来)皇女……おおくのひめみこ、大田皇女の娘、斎宮として伊勢にいる。

大津皇子……おおつのみこ、大田皇女の息子、武芸に秀で、頭も良い人だったと言われている。

草壁皇子……くさかべのみこ、持統天皇の息子、特に優れていたとも表記はないようです。少し病弱?



お話は、天智天皇はすでに亡くなっていて、壬申の乱を勝ち抜いてその後を継いだ天武天皇が、亡くなったところから始まります。

その当時、天武天皇にはたくさんの皇子、皇女がいましたが、やはり母の位が高い大津皇子と草壁皇子が跡継ぎの有力候補となります。

優秀であった大津皇子、『天上の虹』では、皆に愛される人で、天智天皇の覚えもめでたかった人として描かれています。

しかし、彼の母、大田皇女は幼い頃に亡くなっており、持統天皇(その時はまだ鸕野讚良皇女)が母がわりとなっていました。

天武天皇崩御のすぐ後に、大津皇子は謀反の疑いをかけられ、捕らえられてしまいます。

川島皇子による密告、と書かれているそうですが、その裏には鸕野讚良皇女が、自分の息子である草壁皇子を皇太子にるすための策略があったのではないかと言われています。

大津皇子は処刑され、二上山に葬られました。

罪人の姉となってしまった大伯皇女は伊勢より帰され、都へと戻ってきました。

たった一人の弟が、処刑されてしまうなんて、どんなに悲しかったことでしょう。

こっそり伊勢まで会いにきてくれたりする、とっても姉思いの弟だったようです。

大伯皇女が、二上山に葬られた弟を思い、読んだ歌が万葉集に残されています。

その中の一首です。

うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む

(この世の人である私……明日からはもはや、二上山を弟と思って眺めるほか なくなってしまった)

弟を殺された姉の悲痛な心の声が聞こえてきますね。


ここまでして皇太子にした草壁皇子も、病気で若くして亡くなってしまいます。

たくらんでいいように動かそうと思っても、なかなか思い通りにはいかないってことですね。



二上山には、今も大津皇子の墓が残されています。






二上山は、標高517メートルで、登りやすい山です。

古来より、山の神様に豊作を祈願するため、毎年4月23日に山に登り神様をお迎えする『岳のぼり』という神事が行われてきました。

小学校のとき、私も一度登りました。奈良県の山にしては杉の植林がほとんどなく、新緑から紅葉までとても美しいところです。

小さい頃から二上山を眺めて育ったので、一番好きな山なのです。






それでは、また次回。