「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『ヴァニラの記憶』

2006年05月05日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『ヴァニラの記憶』(松本侑子・詩、樋上公実子・画、白泉社)
 松本侑子氏のホームページには彼女の著作の一覧が載っている。ある時、そのなかで「ヴァニラの記憶」というタイトルに目が止まった。詩集であるという。松本氏の詩は一度も読んだことがなかったので、どのような詩を書かれるのだろうかと興味を持った。さらに、単なる詩集ではなく、松本氏の本の装画も画かれている樋上公実子氏の画集でもあり、いわばお二人のコラボレーション的な本であるらしい。そうとわかったら、ますます手に入れたくなってきた。しかし、すでに書店に並んでいる本ではないらしく、結局アマゾンのマーケット・プレイスで入手することができた。
 マーケット・プレイスで入手する本は要するに古本である。誰かが明らかに手に取り、たぶん目を通した本である。しかし、その誰かがその手許から離してしまった本でもある。その誰かがなぜこの本を手離してしまったのだろうかと、ふと思った。さほど深い理由があったわけではないのかもしれない。自分も時おりやるように、その時の気分で「本棚に残しておく」ではなく「古本に出してしまう」の方にたまたま分類してしまっただけなのかもしれない。しかし、それでも、「古本に出す」の方を選択したのは無意識的にしろ何らかの判断が働いていたはずである。
 一見して詩集にして画集のこの本はエロティックだと感じた。もちろん、世間やふつうの男たちが思っているような「エロ」ではない。大判の紙面からは、本書の末尾で樋上氏も書いているように「強い大人のエロティックな香りが流れ」出てきて、見る者をその世界へと引き込んでいく。松本氏の詩も同様に、読む者を卑猥さとは無縁のいわば上質のエロティックな詩の空間へと誘ってくれる。樋上氏の絵と松本氏の詩が重なり合うことで、大人のエロスは倍化、いや累乗化され、『ヴァニラの記憶』を手に取った者のこころは深いところで揺り動かされる。
 この大人のエロスとは、女性性の表現としてのエロスと言い換えることも可能だろう。その表れの最たるものは女性の二面性であろう。樋上氏の絵にはしばしば並列的に二人の女性が画かれている。また、松本氏の詩にも対比的な表現がよく使われているように思う。それは女性の二面性の表現であるにちがいない。しかし、このような女性の二面性は、ふつうの男にとってはなかなか理解しがたく、受け入れにくいものである。男が女を見るときは一面的にしか見ることができず、男にとっての女はつまるところ「天使」か「悪魔」かである。女性の二面性を理解することのできない、あるいは見ようとしない男は、物事を一面的にしか見ることのできない、いわば子どもの思考から抜けきることができないでいるのである。その意味で、「子ども」の男にとって「大人」の女を理解することは並大抵のことではなく、「成熟」した女から見れば男はいつまでたっても「未熟」であるにちがいないと思う。
 そのような「子ども」の男が樋上氏の絵と松本氏の詩に接したならば、かなりの衝撃を受けるのではないだろうか。男にとっては受け入れがたい事実を、当の女性から突きつけられるのである。女性性の発露である大人のエロティシズムが、男が自分に都合よく描いてきた陳腐なエロティシズムを瓦解へと追いやるかもしれない。このことは明確に言語化できないにしても、無意識的に相当なショックを与えるはずである。その結果として、この本を「古本に出す」に分類してしまったのではないだろうか。ところで、そのような想像をしてしまう自分という男は「子ども」ではないのかと問われるかもしれない。これではまるでフェミニストであると公言しているイヤミな男のようである。少なくとも「子ども」の思考から抜けきっていると断言できる自信は自分にはない。しかし、「大人」になろうとして女性を見上げている「子ども」としての自覚はあるつもりだ。「大人」への道のりは長くとも、千里の道の一歩は踏み出していると思っている。
 ところで、「古本に出す」選択をしたのが男であるとはかぎらない。女性であったならばどうなるのだろうか。それは、その女性が自らの内なる女性性にいまだ目覚めていないのかもしれない。あるいは、男の「子ども」的な思考を内面化しているとも考えられる。女性といえども、この社会のなかで自動的に「大人」の女性になれるとは思われない。生物学的な基盤はあるにしても、社会のなかでのさまざまな軋轢を経験することで自らの女性性を自覚していくのではないかと思うのだが、どうだろうか。できることならば、松本氏や樋上氏にその答を聞いてみたいものである。
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