「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『草食系男子の恋愛学』

2008年08月01日 | Masahiro Morioka, Mr.
『草食系男子の恋愛学』(森岡正博・著、メディアファクトリー)
  自分の人生を振り返ってみると、いろいろな本や多くの人たちから影響を受けてきたことがわかるが、もっとも大きな影響を受けたのは、やはり森岡正博さんだろうと思う。自分がいまこうやって生きている人生の基本的な枠組みとでもいうべきものは、森岡さんとの出会いなくしてはあり得なかったと思う。わかりやすく具体的な点でいえば、中年の域に達してからあらためて大学進学を志したとき、森岡さんの初期の著書との出会いが後押ししてくれたのはたしかだ。とりあえず大学では物理学を学んだが、やがて学際領域へ方向転換すべく大学院への進学を決めたときも、森岡さんの研究姿勢や研究領域への憧れがもとになっていた。そのとき、もし森岡さんが東京(あるいは関東近辺)の大学に奉職していらっしゃったならば、森岡研究室を受験していたにちがいない。
  とはいえ、森岡さんご本人にお会いしたことはない。一度だけ某学会の講演会で遠くからお姿を拝見したことがあるだけだ。森岡さんのホームページなどを見てみると、けっして人付き合いの良い方ではないようである。それはそれで森岡さんらしいような気がする。いずれにしても、自分なりに森岡さんのイメージ(偶像)を作り上げているところがあると思うので、もし実際にお会いする機会があったとしたら、そのことで偶像を壊されるのがこわいような気もする。反面で新たな「森岡正博」像が自分の中に作られることを期待する気持ちもある。
  たとえば「松本侑子さん」のように「森岡正博さん」というジャンルを新たに設けて、森岡さんの著書を順次取り上げていくことを考えたこともある。しかし、森岡さんの著書は自分自身の全人生や研究に広くかつ深く関わってくるので、実際のところむずかしいと思っている。そこで、次善の策として、これからは森岡さんの新著を追っていく―たまには旧著を取り上げることもあるだろうが―ことにしようと思った次第だ。その第1弾がこの『草食系男子の恋愛学』。たまたま学術系の重厚な本ではなく、一見軽めのエッセイになったが、森岡さんの基本的な姿勢はよく表れていると思う。
  森岡さんの基本的な研究スタイルを一言でいえば、自分を棚上げにしないことと自分の言葉で語ることだといえるだろう。世間一般の区分でいえば、森岡さんは「哲学者」あるいは「倫理学者」ということになるのだろうが、森岡さんは学術系の著書であってもビッグネームの哲学者や学者からの引用がひじょうに少ない。アリストテレスがこう言ったとか、カントがこのように考えたといった記述がほとんど目につかない。仮にあったとしても、森岡さんなりに咀嚼してご自分の言葉に翻訳しているように思う。この本でも、ご自分の体験をベースにして、ご自分の言葉で語られているところが特徴的だ。男子のための恋愛マニュアルあるいはテクニックについての本といった体裁をとっているが、自分を肯定し他者を尊重することの重要性が最大のメッセージのように読めた。結局のところ、その重要性を認識することが、深いところで恋愛を成就させる最良のテクニックになるのだろうと思う。そのことは「草食系男子」にとって心のよりどころにもなるにちがいない。
  言葉でいうほど「自分を棚上げにしない」ことは容易ではない。冷房のきいた部屋で地球温暖化を議論するといった偽善的な行動のレベルを超えて、自分自身の嫌で醜い部分を直視することといったほうがより適切かもしれない。一方で「自分を棚上げにしない」ことは露悪趣味に堕する危険性をつねに孕んでいて、そこにも困難さが潜んでいる。それでも「自分を棚上げにしない」ことを実践していかないかぎり、自分の想いは他者には伝わらず、人類が抱え込んでいる多くの深刻な問題も解決に向かうことはないように思える。自分と向かい合ったとき、われわれは誰一人として自分が第三者ではあり得ないことを実感するが、その実感を踏まえて実践に移していくことの困難さが身にしみるのも事実であり、それは自分にとっても大きな課題である。

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