或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

最近の若いもんはわからん

2012-04-07 04:16:51 | 日記
古今東西かわらないのかもしれないが、

人に瞋恚を抱かせて楽しんでいる。

それも自分たちが、対象となった人物が、

「あいつ怒っとる」、

と判じられれば満足なようで、

別にこちらは何とも思ってなかったり、

逆に憐れみを感じていたりしていても、

勝手に、「瞋恚を抱いた」、と判じるようである。


洋の東西を問わず、昔から繰り返されてきた、

若者たちの、「大人への反逆」、というもののうちの、

一つなのかもしれない。

まぁ私も言うほど年寄ではないし、

まだまだ本当に「大人」、と言える人たちから見ると、

まだまだ若輩者ではあろうが。


しかしまぁ、若者のことを嘆ずるのは古代ローマで既にあったことのようであり、

いつかはあの若者たちも、逆の立場となって、

嘆ずることになるのであろう。

「歴史は繰り返す」、と言うが、

こういう習俗的なことも、大昔から、人間は、

「何にも変わっちゃいない」、ということの証左となっているだろう。

これを「進化の停滞」ととるか、「大人への階段として必要な事」ととるかは、

人によるだろう。


いわゆる「カミナリおやじ」というものがいなくなった今、

若者たちは、相手が怒っているのかどうかさえ、判じることができなくなってしまっているのかもしれない。

それはそれで、やはり「憐れ」、であると思える。

まぁ私自体がまだまだ相手に瞋恚を抱かせるような言動から抜け出せていないかもしれないが。

ただまぁ、見ていて、聞いていて、

「憐れな若者たち」、

という風に映ったんだな、私の耳目には。