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ぴよ姉の気晴らし日記

ぴよ姉の気晴らしの日々(Since* 2006.4.17)

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  このブログについて
  カテゴリは雑多で、以下、1.2.3.のようなことが主です。
  個人の備忘録、データベースとして活用しています。
  体質に合わない方はご遠慮ください。
  もし気に入っていただけたなら、どうぞごゆっくりお過ごしください。

   1.バレエ/ダンス
   踊ることをこよなく愛す、何でもダンサー。

   2.芝居・ライヴ
   お芝居を観るのが好き・・・最近は行けず
   ライヴは行ったらログを残すようにしています。
   記憶力はなく、多々間違いもあるかもしれません。ご了承ください。
   イチオシ10-1mmクン達のライヴは減っています。

   3.母子家庭・軽度発達障がい(非定型自閉症・知的障がい)
   発達障がいの子供達(もう大きい)と泣いたり笑ったりして日々暮らしています。

  ハンドルネーム 『ぴよ姉(ぴよねえ)』 とは?
  バレエ演目「眠れる森の美女」 パ・ド・シス (6人の踊り)を踊った時の仲間に呼ばれていた愛称
  カナリアの精を踊ったから 「ぴよ」 なんだそう。


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 【更新履歴】
   あんまり覚えてないながらも今後もライヴレポログ更新予定(公開するかは未定)

  ★★★CDJ0910レポのザッと書いたVer.ですが、読んでほしいので残します★★★

     2010.1.3(sun) CDJ 09/10 ~ざっと書くとこんなん編~ @ 幕張メッセ(12/31~1/1)

   この記事はコメントに目を通してもらいたくて残している。
   ブログなんてオレ様で好き勝手書いている自分の為のログなんだけど、
   読む人によっては不快になるのだと教えてもらった。
   今頃になって思うのだけれど、こんな風に伝えてきたことは彼女の心の寂しさだったのではないでしょうか?
   そして最終的には己に返ってくるのではないの?と思ってる。(ご自身へのメッセージ)
   しかし!これからは人に伝えることにも気をつけないとだなぁ~と感じさせられた。
   傲慢さはどうしても出ちゃう。それは自分ログだから否めないけど、
   すっかり文章が書けなくなっちゃったのには困ったものだ。





49日法要

2012-08-20 02:17:57 | Family
 猛暑になった日曜日、例年ならサマソニの予定だったね。

今年は母の49日法要。うちからお墓へお引越し。
3ヶ月近くずっと我が家にいた母も父や伯母や祖父や祖母のいるところへ。
本当はどうなのかわからないけど、そうやって故人と会えると思うと安心する。
生きるものの心が救われるように考えるんでしょう?そう信じよう。

いつも日曜日に母とお墓参りに行っていた。
なので日曜日は比較的道路は空いているのはわかっていた。
それでも2時間近く余裕をみて、なんだかんだ1時間半前に出て50分ぐらいで着いた。

暑い!そしてセミがこぞって鳴いている。
昨日の日本列島の荒れ模様からは想像できない見事な夏の日差し。
お願いしたご住職さんは自ら運転されて現地へ。
暑いので皆さん集まっていたから早めに始まった。
そして最初から25分ぐらいお時間頂きますと説明。まるで講師のようだ。

私達がバタバタと準備をして、お線香1本と言われたけど、
ご住職は私が差し出した高級線香(鳩居堂)を根こそぎ1束持って行った(え?笑)
ほどなく始まった。とにかくジリジリ日差しで暑い。
時間はまだ10時少し過ぎたぐらい。
途中のお経が般若心経なのはわかった。
やがて、お焼香をしていく。弟から私、子供達、あとは順不同で進めていく。
最後に近づいたときに、父の位牌をどかして夫婦連名にしてもらった位牌だけ残す。
仲良く二人の戒名が並んでいる。良かったね。

暑さがハンパない。日傘をささないと熱中症で倒れる。
でかいパラソルかテントでも建てたいところだ。

これはいかん!と思ったのか、説教はせず挨拶だけして終わった。
弟がお布施などを渡して法要が終わった。
親戚だけのつもりだったけど、川崎にいたときの母のお友達も参ってくれた。
暑い中、来てくれて気持ちが有りがたい。また再会を約束して別れた。

しばらく待っている間にまさかの近くの場所でやはり納骨。
なんか少し気まずかった。
一行は会食会場へと移動。いや~暑い暑い。涼しいところへ一刻も早く!
車が私達だけだったので、結局ピストン輸送もままならず歩かせてしまった。

初めていくお店だったけど、なかなか美味しかった。完食!

突き出し?⇒お刺身⇒焼き魚⇒天ぷら⇒煮物⇒
うな丼・お吸い物・香の物⇒シャーベット


世話係りの方もとても感じよかった。沢山の気遣いありがとう。

いろんな思い出話から、これからの再会の約束など。話は尽きなかったなぁ。
母も笑顔で様子を伺っていた事でしょう。






ありがとう。またね。

2012-07-06 10:22:27 | Family
 4日の夜に母が亡くなりました。

最後に言葉を交わしたのは4日の朝。
朝ごはん食べないかな?とパンとかヨーグルトはどう?
と聞いてみると、ここのところいらないの一点張りだったのに
『パン 半分 食べる』と言って口にしてくれた。
食事(といってもパンをひとかけ)とクスリ(ポカリみたいなものと胃酸を抑える錠剤)
パン(スナックパン)は口にしたけど、明らかに喉の方まで送れなくてね。
私の顔を見て、とてもすまなそうにちょっとだけ笑った。

クスリも頑張って飲んだ。
ペットボトルのちいさいやつにチューブで飲めるヤツをつけて水を入れていた。
まず錠剤、飲めたか飲めないのかはわからない。
一生懸命水を飲んでたけど…。
ポカリみたいなものはコップに水100mlで顆粒を溶かしたもの。
これは2口ぐらいでもうだめという顔をした。

自分でスグに横になった。「横になるの?」コクリと頷く貴女。
窓を少し開けて、「湿度高くて暑いからドライ入れとくね、寒くない?」
『うん、ありがとう』
「今日遅くなるけど、栄養缶は後で○○(娘)にやってもらうから飲んでね。
ごめん!じゃ、いってきます!」
小さい声で『いってらっしゃい』とカラダを少し起こして手を振ってくれた。

それが最後だった。

まるで食べれなかった(せいぜい一口二口)
とうとう食べないと言い出したのが29日。
息子から職場に電話がきた。

私が帰った頃は時間外だったので、ERに電話。
相当渋られたけど頼み込んで頼み込んで何とか点滴してもらった。
問診、簡単なお腹のエコー、尿検査、血液検査、栄養剤(点滴)という対応。
エコーでざっと見ると(ちゃんとした検査じゃないと言ってた)、
胆嚢に泥状のものが溜まっているみたいで「胆石はやったことあるか?」と聞かれた。
血液は先生から取ってもらい、尿検査をしようにも脱水症状がありでないようだった。
それでも「点滴していれば出るから!」ってテキパキした看護師さんに言われて、
うんと頷いて目を閉じる。

『少しは楽になってる?』と聞くと又頷く。

あああ無力だ。何度も何度もやっていることが空回りで無力さを感じた。
先生からは脱水症状といわれ、消化器科専門医の診察を早めに受けてくださいと。
頼み込んで医者に診てもらうって何なんだ?医者って命を救うのではないのか?
その日は胃酸を抑えるクスリと整腸剤を処方され返された。

医者に行くと『あ~よかった』と思う私たちだったけど、
返されるときに「あ~またたらいまわしなんだね」ってがっくりした。

その翌日(30日土曜)からまだどんどん衰弱していった。
専門医の医者に連れていくつもりが母は疲れきっていて拒否した。
1日の日曜日一日はずっと母と話した。
お友達から電話が来ていたので電話したりして、母も沢山話した。
切なくなったり、弱気な貴女に怒ったり、本当に一日話した。
だけど疲れたと思ってしまった自分が情けなかった。
言葉を伝えられない貴女なのに、イライラしてしまう心の狭い自分が嫌だった。
誰もがこの一ヶ月の疲れのピークだったのだ。

ERに行く前日あたりからの母はご飯は食べようとしたけど食べれない。
処方されたクスリだけは飲んでくれて安心した。
でもただの整腸剤と胃酸を抑えるものだけ。
その頃は吐くこともなくなってしまったよね。

さすがに食べない母を看ているわけにはいかない。
嫌がる母を月曜日の夕方医者に連れて行くことにした。
私は15時で早退して帰ってきた。
だだをこねて力なんてない衰弱さなのにものすごい力で抵抗する。
「もういい」と何度も言う。この辺りには何度も死ぬことを意識していた母。
最初は年内、次に3ヶ月、そして来月、3日、明日。
死へのカウントダウンを自分で決めていく。

日曜日に母のお友達に数人電話した。
誰もが元気になって会ってお話しようね。って言ってくれたよ。
ありがたい。

「そうだよね?」母に問うと力を抜いてくれ息子におぶさった。

息子がおぶって下までおろす。しがみつく母の力は強い。
車に乗せるときに抱えて、降りる時に抱っこして、また息子がおぶる。

消化器専門医に診せたら、脱水症状と極度の衰弱ということで即点滴だった。
もう口から入っていかないのだから点滴しかないんだよ。
しかしながら虚しくも栄養缶と散剤(ポカリみたいなもの)と錠剤(胃酸を抑える)
を出されただけ。

でも先生は言った。かわいそうになぁ…。
これはかかりつけの医者や紹介された医者が責任をもつべきだよなぁ。
紹介されて検査に行ってから、その後は行っていない…。

検査で行っても、検査で入院しても、明らかに衰弱していたらさ、
栄養の点滴もしてくれたっていいじゃないか?
もともと呼吸器科だった。
レントゲンで肺に影が見えて、CT設備のある医者でCTを撮って、
紹介された公立病院にいったけど、
検査、検査結果、検査入院、検査結果に1ヶ月余り費やす。
ところが結果は異常なし。
あとは戻されて、かかりつけの医者へと言われる。
何て事務的でPCに状況を入力するだけに必死でろくに患者の顔も見ない医者達。

2日に医者に連れて行き、翌日3日の朝は飲んだらしい。
でも夜は食べない、飲まない。
娘に『明日天国に行く』って上を指差したらしい。

そして4日、昼は食べないし飲まない。
朝の水がボトルの1/3になっていたから娘が補充しておいたらしい。
昼に用意したものは食べないからクスリを飲まそうとすると『もういい』と。
夕刻、職場にいる私に電話が入った。
何だか眠そう。クスリも顔を横に振り全く飲まない。
その様子を聞いて伝えた。

「そっかー眠れてなかったから眠いのかもしれないね。ゆっくり寝かしてあげよう。」

そう言って電話を切り、代々木第一体育館前でもう一回電話をする。
息子が言うには、「落ち着いて横になっているから大丈夫」。

本当は大丈夫なんかじゃなくて何の力も残っていなかったのかな?
でも朝は普通に接してくれてたから思いも寄らなかった。

19時頃、枕から頭が落ちていたから、息子が抱えて枕に頭をのせてあげた。
21時頃、うーはーって小さい呻きが聞こえたと言う。

その時だったんだね。

帰宅したのは23時55分ごろ。
買って来た食材を子供達に引渡して、今日の様子を聞いてから母を見にいった。
日付が変わったら母の83歳の誕生日だ。

いつものように、「ばあちゃんどう?」
もう0時がくる。気がついたら、お誕生日おめでとうを言うつもりでいた。

だけど明らかに様子が違っていた。
叫んだ!叫んだけど答えは返ってこない。
もう顔も腕も脚も冷たくなっていてタオルケットをかけている部分だけが少し暖かかった。
筋肉硬直が始まっていてカラダの下になっている部分はうっ血していた。
既に息を引き取っていたのだ。

119に0:02に連絡。
救急隊員によって取りつけられた心電図は数値0と確認できませんのメッセージ。
死亡を確認した。


私達は36日間(約1ヶ月)貴女と共に過ごせました。
大変だったけど今は感謝をしています。

ありがとうね。
明日の七夕に荼毘にふす。


もう一度貴女の娘で生まれたいと思ってます。



※書き留めておきたくてろくに読み返してもいないけどアップします。






初詣

2012-01-03 19:16:01 | Family
 今年も家族で初詣に行ける幸せ。

娘のアルバイトがあったため、バタバタで途中で職場まで送ってくる始末。

神社の三が日はとても忙しい。
実家の近くの神社は大晦日から元旦にかけて物凄く並ぶ。
以前、私たちが住んでいた近くにも神社があった。
そこは明けてすぐは混雑してたけど、次の日に行くともうガラガラ。
空いているって嬉しい!
いやぁ…こんなときに人が全くいないのもご利益がないような気がしてしまう。

なんて我侭(笑)

今(ここ2年)は伊勢神宮の神様と同じ「天照皇大神(アマテラススメオオカミ)」である神社に行っている。

今日はバタバタしてしまって、手水舎(てみずや、ちょうずや)をすっとばしてしまった。
大丈夫なのか?
本殿前に行って、順番が来た時もあれ1礼2拍手だっけ?いやいや2礼2拍手だよ!
と思い出しているうちに順番を追うことだけに必死で感謝や祈念を忘れてしまった。
お伊勢様の参拝の仕方を調べたら、こんな感じでした(大まかに記載)

 1.鈴を鳴らす。
 2.お賽銭を入れる。
 3.二礼
 4.二拍手
 5.(名前・住所)・感謝・祈念
 6.一礼

境内には屋台が出ていたので、たい焼き・たこ焼きをいただき(粉!粉って炭水化物(T_T))
その後でおみくじを引きました。
張り切って引いたので、勢い余って棒がどっかに飛んでいってしまいまして…w
それではなく、もう一回やり直しました。(それだったらどういう結果だったのだろう?)
今年は【末吉】です。そんなに悪くもないけど、まったく良くはない。
そんなもんです。そうだよ。適度でいいさ。

今年の抱負はやっぱり
力まず、皆仲良く、明るく、元気

だって、笑う門には福来る なんだもの。







床屋

2011-10-02 09:51:10 | Family
 できることなら毎月綺麗サッパリしたい。

不精なのとお金がもったいないといって行かない息子。
でもさすがに結べるほど邪魔になってくる長さになると行こうとするからいいね。
むしろ女性2人のほうが伸ばせてしまうから行けていない(苦笑)

先日、息子と私で自転車のパンクを直しに行った時の事。
出来上がるまでの待ち時間が30分ぐらいあってフラフラと散歩していた。
「カットしよう」というタイミングでいつも話しにあがるのだけど…
1,000円カット屋さん(名称を知らない
かなり前に駅の方に開店していたので様子を見に行った。

 私
「あの~こちらはカットするだけのお店ですよね?
 シャンプーはしてもらえるのですか?」

 店の女性
「シャンプー込みですと2,200円です。」

1,000~1,500円がカット代だったと思うから一段と高くなる感じ。
帰宅して調べてみる。
本来カットだけのお店でも洗髪台は設置しなくてはいけないという条例の話。
これは全国的にではなくて、どこかの自治体でのことらしい。千葉?

店舗って、いろいろ決まりがあるんだね。
ライヴハウスも飲食店なのか風俗店なのか
深夜営業に関しては取り決めが色々あるらしいし。


数日後、帰宅したら息子が話し始める。(←いつも唐突)

 息子
「行ったんだよ。でもやめた」

 私
「え?どうした?混んでたから?」

 息子
「1時間待って、順番が来て座ったら、色々言うんだ。
 俺は短くしてください。って言ったんだよ。そしたら…
 今日はどうなさいますか?髪は立たせますか?遊ばせますか?」

ううっ、それは試練だった。
曖昧な表現は敵。本当にパニックになりかねない。
それでも成長してきたから、判断がつくようになった。

 息子
「じゃ、いいです。」

 私
「えええ?1時間も待ったのにカットしないで帰って来ちゃったの?」

 息子
「いやいいんだ。いったん外に出てフラフラしていたから大丈夫。
 明日、高いけど(近所の床屋は3,500円)普通の床屋に行くよ」

いや、私には意外だった。
1,000円カット屋さんってスタイルなどの要望を聞いてくれるとは。
そういう意味では床屋ではなくて、美容室よりなのかもしれない。
この経験が刻まれた息子はこれから1,000円カットに行く事はないだろう。

ところで、娘と私。
娘は長くなりすぎると自分でカットしてしまう。
もちろん技術なんてないわけで、長さを切るだけだからザンバラ。
私もあまり行く方ではなくて、カットモデルの仕事がないかな~とか。
当然、長いことが多いが、さすがにひと月ほど前にカットした。

それもライヴ終わりの22時過ぎ。
渋谷のセンター街あたりを歩いててキャッチされてのこと。

 美容師さん
「髪の毛切りたいと思いませんか?」

 私
「思ってます。」

この時間に何?どこで??
研修というか勉強会というかオーナーが見てくれるような環境下でのカット。
通常7,000円が3,000円らしい。
何だか不安ながらも「3,000円ならカットしてほしい」という気持ち。

店舗はタワレコのある交差点から少し入った雑居ビルの中。
なんだか居酒屋のように賑やかな店。
雨の日だったし、ちょっと警戒ぎみ、ぼられたらどうしよう?
でも受付もしっかりしているし、美容師の感じも悪くない。

ただ、この時間なので一部の美容師とお客さんのノリがやばかった。
看護士さんの下ネタを聞き出す美容師。
そう、終始、会話がお下劣な感じなのです。
時間帯もFREE営業のところなので、
看護士さんやキャバ嬢やホストやらが通ってそうなお店。

ドキドキでしたが私をキャッチしてくれた30代の彼女は普通だった。
カットも上手くて良かった!!
帰りにお話してくれたオーナーさん(40代男性)も、
見かけよりかわいらしくて優しい方で安心しましたよ~。
お会計もポッキリ3,000円じゃなかったけど、ぼられませんでした。
※ 3,150円と消費税が外税だった(ホントは内税よね?)

また安くカットしてもらえる機会があったらいいな~。
さすがに娘も髪が伸びたので美容院に連れて行かなくちゃ~。


 公開ログとしては3週間振りに更新。(このペースは老化の証拠です。)





自立に向かって(1)

2011-08-05 00:55:54 | Family
 子供たちのこと報告しますね。

そう話してどれだけ経っているでしょう?
このカテゴリー【Family】で書くことが久しぶり!
どう書き出そう?緊張する。

一時、必死だったキーワード「発達障害」・「自閉症」
何かを掴みたかった、掴もうとした。
だから知ろうとして本を買って、そのキーワードの放送をすべて録画して観た。
性格もあるんだろう。人によって全く状況は変わってくる。
あくまでも参考程度。サラッと観て削除。
個人差があるということがわかっただけよかった。

となると、普通に接して個性に合わせていく。
それがいい。特別視することを本人が一番嫌うからだ。
だけど分かっていて欲しいこともある。
今も複雑。接し方も試行錯誤。凹む毎日。
でも互いに頑張ってる。それでいいよ。


まずは息子。

学校と関わっていた頃にあんなに必死になったのは何故だろう?

本人→教師→保護者
教師と保護者の間にはさまざまな人がいた。
スクールカウンセラー・養護教諭・校医
同級生の保護者・地域で活動する人(民生委員)など。

今は学校ではない地域の自立支援センターとの関わり。

本人→自立支援センター(⇒就業支援)
  →担当医(精神科)
  精神障害者保健福祉手帳の更新時に診断書作成

保護者である私は毎回顔を出すわけではない。
もう親の意思とかじゃなくて本人の意思で動いていく段階。
成長したよな~、ほっといても自覚ができてきている。

電車でどこかに行くこともままならなかった。
何度か一緒に行っても人に委ねてくっついていくだけ。
独り立ちさせるために、メモを渡して通院。
アクシデントがない想定内のことだけだったらできる。
ルーチンの中で何か異なる事態が起こったら、ややパニックになる。
それでもできる範囲内で彼なりにこなせるようになった。
でも大変!携帯に電話が来るわ、帰宅したらテンション上がり気味で説明を懇々と。

できたことは褒めよう。
だからといって、でも~と最後に否定的なことをつけがち。
それはアウト!一言多いのをぐっと抑える。
ついつい子供には遠慮がなく喋っちゃうから親も大変!

自分自身のコントロールがマダマダ。
なかなか就業に結びつかないのは生活習慣が小学生からずっと変わっていないこと。
変わっていないのは結果として決まった時間に寝る起きるができない。
ということは、決まった時間、約束した時間にいけないことが多い。
実際には、成長して変わってきている。
けど、それは意識が変わってきたということ。
時間がかかる。
例えば見えないものを探せない。
衣類が表面的に見えていないと=無い になる。
引っ張り出して見せると、「ああ在った」と納得する。
すべて透明下にないといかんのだなー。

自分の思考などからというよりも、こうだよ という基本的考えがあって進める。
ある意味、マニュアル人間みたいなものか?正確にはまるで違うけど。

成長しているだけに、こうだよ を伝えると
「馬鹿にしている」「おかしいと思ってる」と精神的に自分を追いやる傾向。
だからといって、とても繊細ってわけでもない。

これからも成長していくのだろう。
おじさんになっていったらやはりおじさんな考えになるのだろうか?
なんだか考えにくい。
子供⇒思春期⇒その年齢は超えて落ち着いたはずなのに、まだ思春期みたいだ。

まだまだ見えない自立という状況。
就労に結びつかない今は、料理をする、家事をする、ごみを出す…
実際に生活していく上ですることを学んでいる。

これは自立していない実家生活の人だって一緒かもしれないね。
特別に思っている私の方が自立を遠ざけているのかも?

ホント!だいぶ楽になってきたのは確か。
私も息子も娘も健康ならいい。

そんな風に思えるようになったんだから、私のメンタル面は落ち着いた気がする。