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「大草原の小さな家」 ローラ・インガルス・ワイルダー  福音館書店

2005年07月16日 | ’05年読書日記
少し前に、「大きな森のちいさな家」の感想を書きましたが、この本はその続き、続編です。
「大きな森」に移住者が増え住みにくくなったからと、インガルス一家は新しい土地を求めて旅に出ます。

住み着いたのは「インディアン・テリトリー」である、オクラホマ州の大草原。
…というところまでは別にいいのですが、私がビックリしたのは「住めるようにするために」何もかも…家も、家畜小屋も、井戸までも!!…自分たちだけで作り上げているところです。

家が出来るまでは、料理も草原のど真ん中で火をおこしてやります。食事するのももちろん外で。
寝るのは手作りの馬車の中で。(オオカミがいるのにー!!)家族5人揃って寝ます。

お父さんが「ちょっくら材木集めてくるで」(こんな静岡弁ではありませんがもちろん)といい、そこら辺にある自然の材木(丸太)を運び、お母さんとふたりでそれを積み上げてログハウスみたいなやつを造ります。
…と,これはやっぱりちょっと無理があったようで、お母さんは材木の下敷きになって足を怪我してしまい、お父さんは近所に住む独身の男性に手伝ってもらう事になるのですが。

この、「開拓者精神」「フロンティアスピリット」…って言うんでしたっけ?…これは,本当に凄まじいものですね!!( ̄○ ̄;)スゴイ。すごすぎる。とても真似できません。たくましすぎる。御見それいたしました、です。多分私がこういう過酷な生活しようと思っても、病気したりなんだりで足手まといになるのが落ちです。この時代にアメリカ人として生まれていたら、私はきっと自然淘汰されてたな、うん。^_^;


この小説の時代背景は、1870年代半ばごろ。
場所がインディアンの住む土地、「インディアン・テリトリー」なので、お話の中にもインディアン(ネイティブアメリカン?っていうんですよね確か今は)がよく出てきます。

最後に「アメリカ・インディアンのこと」という題で、日本女子大学教員の清水知久さんが解説をしているのですが、この時代は”白人”と”インディアン”との対立の時代だったようで、お互いがお互いを虐殺しあったり、白人がインディアンを差別しようとしたり、かなりひどい事が日常的に起こっていたようです。「西部開拓とはインディアンにとっては生活の侵略であり…」などと書いてあり、このお話も最後には「合衆国政府の方針」によって、1年間かけて築き上げてきた家と畑を捨てて、また新たな土地を求めて旅をする事になってしまいます。

こういう「裏の事情」も含めてこのお話を読んでみると、なかなか深いものがあるな、と思います。




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記憶を埋める女 ペトラ・ハメスファール  学習研究社

2005年07月12日 | ’05年読書日記
ある夏の日の午後、20代の主婦が、夫と子供とともに湖畔に遊びに出掛けます。
その時、隣にいたカップルのうち男性だけを、この主婦は刺し殺してしまいます。
逮捕された彼女は取調べを受けるのですが、その供述は妄想と現実(…と、彼女による故意の嘘)が交じり合い、真相を究明しようとする警部や弁護士を混乱させてゆきます。

*****************************************


後書きに、
冒頭でショッキングな無差別殺人事件が発生するが、…客観的事実と登場人物たちの心理(特にヒロインの妄想、虚偽)が並列されている為、読み手はどれが真相なのかわからず翻弄されてしまう。
…とあるように、私のように、空いた時間を見つけて細切れに読むと、意味が分からず頭の中がゴチャゴチャになってしまいます。
いろいろな登場人物の心の中身が、「一人称」で突然出てきたり、彼女は、という形で「三人称」で出てきたり、また、時間の流れを無視して物語が昔のことに戻ったり今に戻ってきたりするので、正直私には読みにくい本でした。

それでも、主人公の生い立ちはなかなかひどく、「これではたまらない気持ちになるのも無理はない」と共感しました。

かなり分厚い本ですが、出来れば1日か二日で、しかも「ものすごく集中して」一気に読んだ方が理解できる本だと思います…といいますか、何かの学問を研究するかのように一つ一つの文章を熟読していかないと、理解不能な感じの本です。



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大きな森のちいさな家 ローラ・インガルス・ワイルダー  

2005年07月07日 | ’05年読書日記
これは、1870年~1880年代に作者が過ごした少女時代のことが書かれてある本です。

場所は、アメリカ・ウィスコンシン州。
「大きな森」の丸太小屋に、ローラと、とうさん、かあさん、姉のメアリィ、妹のキャリーとが生活しています。
ローラが5歳から6歳までの一年間の森での生活が、何もかも初めてで好奇心いっぱいのローラの目を通して、冬、春、夏、秋と季節を追って描かれています。

これは児童小説ですが、この年代の生活の様子…まだ開けていない頃の「アメリカの生活」…を詳しく知る事が出来、とても興味深く読めました。

今では考えられないほど「手間ひまをかけないと生活自体が成り立たなかったんだろうなぁ…」…と思いました。

まず食料ですが、これはお父さんが猟をしてしとめて来たクマ、鹿などの肉と、後は牛(酪農もしていたらしいです、この一家)から絞った牛乳でお母さんが作るチーズやバター。
後は野菜も自分のうちで作っていたようです。
着る物は、とうさんが街に行った時にクマの毛皮などと取り替えてきた布で、お母さんが作っていたようです。

ウィスコンシン州はこの本についていた地図を見ると、アメリカの中央あたり、…の一番北に位置していますので、本文中にもある通り、冬の厳しさはかなりのものだったようで、ローラもメアリィも冬は外に出て遊ぶ事さえままならなかったようで、外で体を動かして遊ぶ事の大好きな小さい子供にとってはかなり我慢を強いられる事だったのでは、と思いました。

この本には、たいした大きな事件もおこらず、ただ淡々と日々が過ぎて行くのですが、読んでいて一家の、大変だけれど幸せそうな様子が感じ取られ、ほのぼのとした気持ちになりました。




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体は全部知っている  吉本ばなな  文藝春秋

2005年06月28日 | ’05年読書日記
吉本ばななさんの、短編集です。
中に入っている短編のタイトルは、

*みどりのゆび
*ボート
*西日
*黒いあげは
*田所さん
*小さな魚
*ミイラ
*明るい夕方
*本心
*花と嵐と
*おやじの味
*サウンド・オブ・サイレンス
*いいかげん

…となっています。

この方は有名な作家ですが、私は”流行っているものはなんでも避けたい”…という変なくせがあり、今まで一冊も読んだことがありませんでした。(読まず嫌い、ってやつでした)

今年に入ってからのこのブログを見れば分かるんですが、私はあまり日本の女性作家の本を読みません。(日本の男性作家、と言うのも少ないけど)

その、数少ない日本の女性作家たちの作品と比べると、(比べるのはもともと好きじゃないが…)この人は「格が違う」…みたいな感じを受けました。

人間観察が鋭い!そして深い!すごいぞ!!…と、感銘を受けました。
「あー、そうそう、そう言われればそうですよね!」と納得するところが沢山ありました。

*ボートでは、アル中で、「私」を引き取る資格がない、と言われ数日間「私」(主人公)を連れて逃亡していた母親の思い出を語っているところが、不覚にも泣きそうになる位によかったです。

また、*ミイラは、偶然出会った同世代の男性に、数日間軟禁状態に置かれた女子大学生の話ですが、実際軟禁状態にされるのはたまったもんじゃありませんが、最後に書いてあった文章がなぜか深く共感できるものでした。

***************************************
「ミイラ」…の最後の部分

ものごとはふつう、いろいろな角度から成り立っている。

+中略+

時々思う。しかし今の、いろんなことをたように含んだこの生活の方が、絶対に、正しくて幸せなのだろうか?
あの夜、目を開けたまま抱き合って布団の中で聞いた雷の音の美しさ。もしかしたら、私は、あのままあの世界から出る事が出来なくなっていたかもしれない。

想像する。たとえばあの猫のように、ミイラにされてしまった異次元の私を。たとえば私の、息が出来なくなるほどの愛情に打ち壊されて頭を割られて死んでしまった彼を。
それはそんなに悪い事にはどうしても思えなかった。

***************************************
他に、田所さん、サウンド・オブ・サイレンス、おやじの味、いいかげん…など、ああ、いいなぁ、と思った短編が他にいくつもありました。

また、この作家の他の本を読んでみようと思います。





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ピエールとクロエ   アンナ・ガヴァルダ  新潮社

2005年06月28日 | ’05年読書日記
夫から離婚を切り出され、失意の最中にある女性(クロエ)が、夫の父親(義父・ピエール)の誘いで仕事をしばらく休み、娘とともに義父の実家で過ごします。
そこで、クロエは、いままで冷酷で嫌な人のイメージしかなかった義父のいろいろな打ち明け話を聞き、今までと違った角度で夫の父親をとらえはじめます。


…という話ですが、このお義父さんにとって、自分の結婚はあまり幸せなものではなかったようです。
浮気(本気?)していますし。父親は家族の元にとどまりましたが、その息子も、同じように浮気をして、息子は家族からはなれる事を決心します。

幼い頃から心の通い合わない両親を見て育ったためなのか、父親の二の舞いにはなりたくなかったのか。

クロエは、ピエールの事を「愛情のかけらも持たない、クソ親父」…だと思っていたわけですが、ならばなぜ、ピエールの勧めに従って彼の実家などへ行こうとしたのかがちょっと疑問です。

ピエールは離婚はしなかったものの、心の通い合わない結婚生活に思いをはせ、後悔の念にさいなまれていますが、同じく結婚に失敗してこちらは離婚が決まってしまったクロエは、これからどのような人生を送っていこうとするのかが少し興味深いところです。






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「泣きたい気分」 アンナ・ガヴァルダ 新潮社

2005年06月14日 | ’05年読書日記
作者は、1970年生れの、中学校に勤務している女性だそうです。
200ページほどの本の中に、12の短篇が収められています。

原題は、

Je voudrais que quelqu’un m’attende quelque part (誰かにどこかで待っていて欲しい)

…だそうです。

原題、邦題ともに、かなりかなしい話を連想させますが、文章は口語体(話し言葉)でユーモアがあり、読みやすかったです。


すみません、つづきはのちほどpcから…

ppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp
ccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccc

内容は、「悲しくてやりきれない気分」の人々が出てくるものが多かったのですが、それがくら~く感じられずに、テンポよく読めるのは、やはり作者の文章にそうさせるものがあるからではないかと思います。
この本は、1999年に出版され、フランスではベストセラーになったそうです。





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嫉妬 アニー・エルノー 早川書房

2005年06月13日 | ’05年読書日記
nasusabuさんのブログを拝見して、この本に興味を持ちました。

本の名前は「嫉妬」となっていますが、一冊の本の中に、「嫉妬」「事件」と、二つのお話が収められています。
嫉妬の方は、付き合っていた彼がもうひとり彼女を作ってしまい、その彼女の事を知りたくて知りたくてたまらなくなり、そのことに心を占拠されてしまったという内容です。
私は全然惚れっぽくない人間なので、こういう経験もない…のですが、ここまでひとつの物事に意識が集中して抜け出せないのは、やっぱりちょっとキツイだろうなぁ…。

「事件」の方は、産むつもりのない子供を妊娠してしまった女子学生が、「法を犯して」堕胎をするくだりがえがかれています。
(法を犯して…この頃のフランスでは、堕胎は禁止されていたようです)

堕胎が法で禁じられている為、誰にも大っぴらには頼れず、なんとか手術してくれる人を探す主人公。
結局失敗し、病院で処置を受けるのですが、ここでまた、「労働者階級への差別」が描かれています。
フランスでは、日本より階級意識が強いんでしょうか。
「階級意識」というものが、どうも好きではない私がもしフランスに住んでいたら…労働者階級に属していてもいなくても生活しづらいかもしれないな、などと思いました。







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蓼喰う虫  谷崎潤一郎  岩波文庫

2005年06月07日 | ’05年読書日記
妻とは「肌が合わない」からと、妻が愛人を作るのを(積極的に)容認し、円満に離婚する為に模索している主人公のお話です。

この本の中に
 
「要にとって女というものは神であるか玩具であるかのいずれかであって、妻との折り合いがうまく行かないのは、彼から見ると、妻がそれらのいずれにも属していないからであった」

…という一文があります。
「神」か「玩具」ですか。ふ~ん。ずいぶんな事いいますねぇ。(T_T)/~~~
いずれにしろ、人間扱いしてないってことですか。
でもそれがこの人(要)の本心で、正直なところなんでしょう。

「妻も自分も傷を負わず、3人(自分、妻、妻の愛人)にとって一番いい方法を取ろう」とするあたり、要は妻を人間扱いしている、とは思えます。

この主人公、いつまでもぐずぐずと結論を出さないで、「どうやって妻の親に話そうか」とか、「子供にはいつ切り出そうか」などと考えてばかりいるのですが、「誰も傷つかずに離婚する」こと自体どうやら無理そうなので、なかなか結論が出ないのでしょう。
結局子供には自分のいとこから離婚の事を切り出されたりしています。

ラストは、わざとこういう終わり方にしたのでしょうが、少々尻切れトンボな感じを受けました。




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「よその子」「ヴィーナスという子」「シーラという子」 トリイ・ヘイデン 早川書房

2005年05月27日 | ’05年読書日記
著者はアメリカ人の児童心理学者(女性)。昔、情緒障害児の受け持ちをしていた経験があり、その時のことを小説風にまとめたノンフィクション作品です。

タイトルにある様に、私は、よその子→ヴィーナスという子→シ-ラという子、という順番で読みましたが、発表年月日はこの通りではありません。

まず、作品に出てくる子供たちの家庭環境のあまりの劣悪さに唖然としました。
目の前で自分の父親を継母に射殺された子(よその子、のトマス)、実の親に身体的虐待を受け、その時の後遺症から、ほとんどの学習に問題がないのに読み書きだけが出来ない女の子(よその子、のロリ)、母親に高速道路の路上に置き去りにされた少女(シーラ)、などなど、ここに書くのがはばかれるほど非人間的な扱いを受けた子がほとんどです。

中には先天性の障害(自閉症)の為にトリイのクラスに来る子もいて、その子の家庭はなんともない、普通の家庭だったりしますが。

まず、これが想像上の、架空のことでもなんでもない、事実を基にしたノンフィクションだ、という事に愕然とします。
トリイ・ヘイデンが教鞭をとっていたのは、つい最近の事ではなく、どうやら70~80年代あたりのようです。

私は、教育の事にそんなに詳しくはありませんが、勝手な思い込みで、アメリカはこのての教育に関しては進んでいる→先生方も、きっちりと研究された方法で、情緒障害児の教育を行っているんだろうな、と想像していましたが、それは大きな間違いだったようです。

へイデン先生は、全くの手探り状態で、一人一人の子供の内面を探り、時には味方になってくれるはずの同業者(先生や助手)を敵に回しながらも、何とか子供を理解し、少しでもいい方へ導こうと努力をしています。
その努力たるや読んでいて気の毒になるほどです。
何か事件が起こるたびに、ほとんど泣きたい気分になりながら、一つ一つの事柄に対処していきます。

かなり分厚い本でしたが、とても面白かった…面白いというのは適切ではありませんね、えー、とても惹き付けられたので、一気に読めました。




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「宮殿泥棒」 E・ケイニン 柴田元幸訳 文春文庫

2005年05月23日 | ’05年読書日記
原題は、”The Place Thief”となっています。

前にも書きましたが、300ページほどの文庫に、4つの中篇小説が載っています。

その4つのタイトルは…

会計士
バートルシャーグとセレレム
傷心の街
宮殿泥棒

…となっています。

私が特に面白いと思ったのは、「傷心の街」と、「宮殿泥棒」です。

前に読んだ同じ著者の本では、人は、変われる、或いは人が、劇的に変化するとき、という瞬間をモチーフとして、好んで取り上げていたような印象を受けました。

この本では、ん~、どうでしょうか、私が読んだ感じでは、「変わる人」も取り上げているような気がするのですが(会計士)、前に読んだ小説よりも人は本質的には変わらないもの…かもしれないという作者の気持ちが見て取れたような気がします。

「宮殿泥棒」…名門校聖ベネディクト高校の教師である「わたし」は、生徒であり、大物政治家の息子であるセジウィク・ベルの、あまりの放蕩ぶりに手を焼き、父親に会いに行ったり、いろいろと努力をします。
彼と関わっていく中で、「わたし」はベルの「底知れぬ狡猾さ」に唖然とするのですが、数十年後、大企業の社長となったベルと再会しても、その狡猾さが無くなるどころか輪をかけてひどくなっている事に気付き、心底落胆します。

この小説を書いたとき作者は30代の後半ぐらいになっており、前に読んだ本よりも、人物のえがき方、その心中(しんちゅう)の描き方に深みが増しているような気がします。
「深みが増す」という事イコール”人間に対する落胆の色”も濃くなっている印象を受けます。

また、「傷心の街」では、妻に出て行かれた中年男性が、大学生の息子も独立し始めて家に寄り付かなくなり、これから自分はどうやって生きていこうかと悩み苦しんでいる様子が描かれています。
この中年男性の心の描写が、本当にこれでもかというくらいに緻密で丁寧であり、作者が深く感情移入している様子が見て取れました。

また、後書きには
”For kings and planets"(1998),”Carry me across the water(2001)”の2冊の長編を出版、中堅作家として安定した地位を築きつつある…
とあり、お医者さん稼業と平行して作家としても仕事を続けている事が分かり、ファンとしては嬉しい限りです。
この2冊も翻訳され、日本に紹介される事を期待しています。




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とけい

ぽいんとぼきん