ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

水城は 関わりなかった !!

2009年06月13日 00時06分13秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
水城を あれだけ 調べていながら
反論も 賛意も 表せないのでは 
悔しい、と思ったのだが ワタシは
根本から 間違っていたことに
やっと 気づいた。
xxxxxxxxxxxx

九州で「水城」を 見た。
その先に 山がある。
その山に 
トンネル状の水路があるのだろうか。

さらに 帰ってからの 不思議は
博多湾から 御笠川を 
上るのは いいとして
水城大堤・上大利水城・春日水城・
大土居水城・天神山水城
これらは 東から西へ 並び
ソシテ ひとつひとつが 山で 
途切れさせられていること。

原点の「まぼろしの邪馬台国」の
該当部分を 読み直した。

P・387
「私はここを二日市水道と呼んでいる」。
それは 
「地動の変化で 埋没している」。
そうか 現在は ナ イ のだ。 

宮崎康平氏は 
「水行すれば十日」の 説明を 
博多湾から 長崎県の諫早湾まで の 
水行 となる と している。
御笠川と宝満川とを 結んだところに 
古代運河があった、というのだ。

xxxxxxxxxxxxxxx
その 水路を
「水城」だと 思い込んだ のは 
だれでもない ワ タ シ。

本を ちゃんと 読んでいれば
もし、それが 
つながっていたとしても 
年代が違う、なんて 疑問は 
おこらなかったはず。

間違いの元は 
行く前に買った本「邪馬台国への旅」に
あったのかと 思った が これも
なかった。

我が思い込みの 激しさは
「特許」を とっている 
けれども 
いかにも 恥ずかしい。
この本の 拡大コピーを 
自分の旅行記の 最後に 
貼ることに した。
お詫びになる かな。

康平氏が 21の傍国を 
有明海沿岸に 比定したことは 
これで なんとなく わかった。

しかし わからないところ が 
著書「まぼろしの邪馬台国」から 
また また 起こった。
  
これでは いつまでも 話を
閉められない。
素人の 悲しさ かな。 

しかし、邪馬台国は 畿内説、
大阪 奈良 かも しれないのですから
じぃ~~~~ と 待ちましょう。

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水 城 の 結論 出ず

2009年06月11日 17時47分50秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
邪馬台国と水城の関係書類は
図書館からは県立を含めて 
十二冊の本を 借り出す。
新書二冊、古本三冊を 購入した。
ネット検索で 資料も 見つけた。
東北歴史博物館でも 調べた。

まだまだ 勉強が たりないのは 承知だが、
一応の結論は 出さねばなるまい。

しかし。
宮崎康平説の「水城」に 対する考証は
ゆきづまっている。 

九州に行く前は 年代の違いが 
解決できなかった。

魏志倭人伝に おける 弥生時代 
その卑弥呼の 死亡時期は 
250年ごろと される。
水城が 作られたのは 
白村江の戦いのあとだから 
600年代。

倭人伝の 卑弥呼の時代は 
水城が 作られた それより 
ず~~~~と まえでは 
水路を 使うことは 出来ないでは ないか ?
なんか おかしい。

そうか。
この 水城に こだわった ために 
ぐちゃ ぐちゃ になったのかもしれない。

躓いたら 原点へ 戻れ。
「まぼろしの邪馬台国」を 
丁寧に 読み直してみよう。

てな わけで 結論は 出ず。
また 勉 強 しなおし。

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卑弥呼の墓 ホント ?

2009年05月30日 10時18分22秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 
06年 5月の 奈良
箸墓古墳 遠景 
よくぞ あの 周りを 歩けたもんだ なぁ
結構 な 丸さ ? だった
xxxxxxxxxxxxx

今日も 邪馬台国 書きたくなった。
何しろ 夕刊で 
築造時期一致、 卑弥呼の墓か
を 読んでしまったのだから

夜は 2局のニュースを みて
ゾウさんと 「行った 行った」をして
興奮状態。

しかし いま
九州を 調べている。
水城を 調べているんだから

県立図書館の 本を 6冊も 借り出して
もらったのだから それを よみおわるまでは

日本の古本屋で 買った 本を 読み終えるまで
九州説に なっておこう。 カナ。

しかし まあ
土器の炭化物 から 年代が わかるとはねぇ。
スミ とは ねぇ。聞いてはいたが
放射線炭素については いま 読んでいる
「太宰府は 日本の首都だった」に 詳しいが
理解は 難しい。

こうなれば 箸墓の 玄室の
発掘が 出来るように させてください って
運動したら いいのに な。

宮内省は どうして OK 出さないの ?
どうしてか なんとなく わかるが
広い心で 発掘を 許して くれないかな?

日本考古学協会では 「お願い」したこと
あるのかな ?

九州に 遠慮している ?
そうよね。卑弥呼祭りを 毎年している
ところも あるんだから いろいろと
問題 発生 する ? のかな

でも 知りたい 
いや 知りたくない 
困ったな。

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付録 「頑張った ね」

2009年05月29日 09時31分27秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
「わたしの 邪馬台国」付録
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目が悪い ゾウさん へ 
   邪馬台国に行きたいという
   わがままに 付き合ってくれて
   ありがとう。
   頑張って 運転してくれて 
   ありがとう。

これを いわないと 罰が当たる。

現在(5月29日)
目は マダラ では あるが
ちゃんと見える日が 多くなっているそうな。
2本に 見えていたのが 本来の1本
二個が 本来の 一個 なのだ そうな。
7月 28日が くれば ちょうど 2年。
どうか 直ってください。

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記事が少ないので もっと 付録

九州へ 行く すこし前の 夕刊に

奈良の 纒向(まきむく)遺跡 での
発掘で「卑弥呼の宮殿」?
を 報じていた。

この地域には 卑弥呼の墓と 想定されてきた
箸墓 古墳があり、
日本最古級の前方後円墳が 6 基 もある。
しかし 時代が 異なることで
九州説が 有利だったが

今回の 発掘した 建物跡は
女王・卑弥呼が活躍した時期と ほぼ一致しており、
卑弥呼がまつりごとを行った宮殿の一角 との見方が
浮上しており
邪馬台国畿内説に 弾みが 着いている そうな。

そうでしょうとも 
でも まだ まだ 決着は つかない
つかない 方が 面白い


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やっぱ 家が 一番かな ☆ 

2009年05月28日 08時34分17秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 昨日 一言 書いた 
志賀島(しかのしま)蒙古塚の 
その 入り口
昭和のはじめに 建てられている。
文永の役の際
難破した蒙古船の乗組員の首をはねた。
その二百数十人の 霊を 弔う 塚。

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飛行機 内
席は やはり 窓際では なかった。
がっかり。 自分で とりたかった なぁ。ドジ。
天気が よいのに まともに 外を見ることができない。
通路側から 端っこの 若者と ゾウさんの
ふたりの 頭のあいだを 狙って 
右左に 首を動かし、 隙間から 外を見る。
雪の山々が見える。 日本は 「山国」 を 実感する。

還りは 何ごとも 起こらず に
夜 9時すこしまえ 帰宅。
   我が家の ベット に 眠る。 あ~~~~~。
   我が家が 一番 を
   再認識するために 旅 に 出るのかもしれない。
と メモに あった。
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何日か まえに 孫から 修学旅行へ 
行ったという 手紙などが ついていた。 
横書きの 文章の 右脇に 
「やっぱ家が一番かな☆」 と あった。
この 感覚が とっても 嬉しかった。
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これで 一応 九州の 旅日記は 終わる。
行くまでの 5回と 23回を 書いた。 
ご清聴ありがとうございました。

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この 文章を 推敲して 冊子にしたいが ……。
デジカメに なってから
旅行記は 「奈良」が 一冊あるだけ。
写真なし 、その上に
文章の推敲なしの だが …

アルバム縮小の 写真整理は この旅のために
いったん 休んで いる し、
筑紫地方の「水城」も 調べている。 
さて さて

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金印は もっと 小さいのです 

2009年05月27日 02時24分46秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 金印公園
  本物は 2、3センチ。
  これは ず~~~と 大きいことが
  わかる だろうか 
xxxxxxxxxxxxxxx

天へ 吸い込まれそうになって
ちょっと いい気分 に なって 
まもなく 高速道を でる。

博多湾 南岸の 志賀島は 
左右に 海が 見えるような
細ながい 半島を 行く。
蒙古塚まで いってから 2分 もどる
と 金印公園。

公園には 階段を登る。
中国後漢王朝から 送られた 
金印の モチーフが ある。
「漢  委 奴  国王 金印」と 刻まれている。 
「漢の わ のな の 国王」と 読む。

上記 写真に 見るような 大きさは ない。
本体 は  23mm × 23mm × 23mm 
で とっても 小さい。

これの レブリカ は
大宰府の 宝物館で 見て いる。
たしか ヘビ型の 持手が ついていた。 
日本史の教科書などにも出てくる
この印は 「国宝」に 認定されている。

志 賀 島 から レンタカー会社へ 急ぐ。
車破損の 休日 保証金
つまり 車を 壊した 罰金を 支払う。
意外と 時間を とられた。
 
飛行場まで 地下道を とおる。
ゾウさんが あせったように 先にいく。
こっちも つられて しまって
席を取ることを 忘れて 
チケットを 渡してしまった。
設定して くれたが … それで
席を好きな所に とることが できなかった。

そんなに 急いで 入ったくせに 
待合室で 弁当を 食べると
写真撮りをしたり お菓子をかったり
ゾウさんは 落ちついて いない。

急いだのは
ちょろちょろ する ためだったの ? 
飛行機は 10分遅れた。

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墓地になって しまった 守山

2009年05月26日 08時55分52秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
昨日書き忘れたこと。

お墓の話 追加。

ゾウさんが 昼寝をした守山大塚古墳は
宮崎康平・和子夫妻が 見て まわった 古墳の
その ひとつであることは 間違いないと思う。

当時、こんな風に 今風の墓地には 
なっていなかっただろうと 思う のだが。
映画では 
実物大の 古墳を 作った と 聞いているが
その 古墳は 円墳だった。
ここも 丸いものを 想像できる。
そうだと 嬉しい。

長崎市へ 向かう。地図の 下方に
曲崎古墳群が ある。
積石墓あり、との 書き込みが ある。
行きたかった ところ だ。
岩手の 和賀の 古墳と どう違うのか
見たかった。

さて 最後の日。
ホテル出立。 出迎えのときの にぎやかさは
間違いだった かのように 
出入り口には たったの ひとり。
チィップを 使わなかった から ?
余計な お世話は いらないから 
これで いいのだが、 なんか 変。

何人も に ずらりと 並ばれたら
荷物の 整理なんか していられないと 思って
食事のまえに 車のものを 片付けていたのだ。
やれ やれ。 そんなら そうと いってて くださいませ。
拍子抜け。 

土曜日だから 高速道が 混むかと おもったが
早くに 出た せいか すんなり と いく。

福岡近くになったら 混んできた。
志賀島へは 都市高速になる。
月隅か 半導橋か。  
なにも見えないが 右手が福岡空港であろう 
あたり で 
左右の コンクリ-トの塀 しか 見えず 
前面は 道だけが 駆け上がり
そのまま 天へ 吸い込まれそうだった。
空は まっ青。 雲ひとつなし 
ちょと いい気分 に なった。 

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古代の 上に 現代の 墓 ?

2009年05月25日 09時39分54秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 守山古墳

昨日書いた 駅舎へ いくまえに
役場へ 車を 止めた。
役場観光課へ お礼に寄る。 担当の方に 
切手代を 支払おうとしたが 処理されていた。

それから 予定の 原城を 検討するが
無理と判断。
岩手の 舟越安武さんの 彫刻 「原の城」の
戦に疲れた うつろな目の 兵士の いた ? 
原 城 を見たいと思ったが もう 時間がない。
戦は 島原の 乱 だったのかな。

日が暮れる前に 宿に 戻るには 無理になる。
何しろ あの 稲佐山の 坂の中腹まで 
迷いながら 恐怖と戦いながら 行くのだから。

諫早湾の 周辺に 泊まることも 考えて
インターネットで 探して ある。
荷物も 全部 車に 入っている。 
でも
お金もったいない ですから
ともかく 豪華な宿へ 辿りつく 努力をしてみよう。
この判断が正しかったとは 思えない。

飛行機とホテルが セットの プランで
こまるのは こんな風に 都合のよい 土地に 
宿を 取ることが できないことだろう。

長崎に 戻らなければ 
島原半島を ぐるりと めぐることができたのだ。

あきらめて 帰ることに。
ゾウさん 運転中 あくびを たびたびするので
車を 止められる場所を 考える。
道を すこし 入ったところに 守山古墳が あるはず。

あった。 しかし 古墳は な い。
ぐるりと まわるが それらしいもの なし。
古代の墓の 上に 小山のように
現代の墓が 建っている と 考えた けれど。

ゾウさん 20分 寝た。 元気になった。

稲佐山の ホテルには 案の定 迷った。
それでも 方向は 大体 わかっているし 
お日様も まだ 高いし
もったいない時間に 到着できた。

ゆっくりと 髪を洗って テレビタイム。
コンビニで 買った お弁当を 食べる。 
あと 1日になった。
ゾウさんの 腰痛 は 良くなっているようだ。

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男の 子守唄で 眠る子

2009年05月24日 00時44分04秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 島原駅舎 
    「駅」の 字の 下方にあるのが
      子守唄の像

資料館を 辞して 城跡へ 戻る途中 
ご親切な カステラやさんに 寄る。
さっきの女性は 配達に出かけて 留守。
カステラを 1250円 × 2本 購入する。
(1本は お世話になっている 近所の方用)

車の中で 先に買っていた 
400円の 端切れを 食べる。
文明堂の よりは 荒めだが しっとりとしていて
ザラメらしき 甘さも ほどよく、 おいしかった。 

それから 役場へ 車を おいて 島原駅へ。 
宮崎康平さんの 島原の子守唄の 銅像を 観にいく。
こんな 優しい歌を 作る方が
横暴な 人とは 思いたくない が。

過労により 失明したうえ
先の妻が ふたりの子を 残して 家出をしてしまった。
どんなに 途方にくれたことだろう。
幼い我が子を あやすために、
この子守唄を作ったのだそうだが 意味は異なるが
泣きたい思いは 伝わってくる。

島原の子守唄は 子守りの少女が、
外国に行く からゆきさんと よばれる 
職業? に たいして
お金儲けが 出来ることへの 羨望と 
蔑む 気持ちが 重なっていると いわれている。

おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
ナシの木 育ちよ ……
そして 
オロロン オロロン オロロンバイ と 歌う。
 
あん人たぁーちゃ 二個も あん人たぁーちゃ 二個も
純金の指輪はめとらす
金な何処ん金 金な何処ん金
唐金 げなばい ショウカイナ
オロロン オロロン オロロンバイ
オロロン オロロン オロロンバイ

この 4番は 知らなかった。 意味は
あの人たちは二個も、
分厚い金の指輪をはめてるよ。
あの金はどこの金だろうか。
唐から持って帰った金だそうだ。

なんとも 哀しいが
この 子守唄で 幼い子が 眠ってくれて
嬉しかったのだそうな。

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自費の 資料館

2009年05月21日 08時14分43秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 資料館の 門口

諫早湾を 南下して 
島原城跡へ 車をおいた。

「まぼろしの 邪馬台国」で 奥さん役の
吉永さんが 作成していたのをみた。
その 立体地図を 見たかった。

観光課から 送られた パンプに
それが 榊原郷土資料館にあることが かいてあった。

武家屋敷の道を 通る。
映画では 主役たちが 雪のなか 
むつましく 歩いていた のだ。 
今日は 快晴。 
私は 足の マメを つぶさないように
杖に すがっている。
ゾウさんは 写真撮りだから 追いぬいたり
追い抜かれたり を している。

榊原郷土資料館は 見付かったが
門は閉まっていた。
土・日・休日だけ 開館だって。
今日は 金曜日。 がっかり。 
足が 痛いのに 20分 歩いて 来たのになぁ。

途中 カステラの店あり。
カステラの 端っこの ひと包みが 400円。 
おなかがすいていることに 気づいた。

店のかたと 長崎カステラの 話を した。
うちのは 防腐剤を 遣っていないんです。
私の家がある地方の
「○○では 文明堂のが よく 売られている」
と 言ったら 「え そんな 遠くから」
それなのに  榊原郷土資料館は  …と
話を 変えた。
そしたら その方
    館長さんは、わたしの 
    国語の先生だから
    一寸待ってね。 
と 電話を かけてくださる。
交渉成立。「いま 開けます」とのこと。
あの距離を 戻る ?
もう いいかな …… とも 思うが
せっかく 電話をしてくださったのに。
それでも 足が 軽くなって 
武家屋敷前を 再度 資料館へ 戻る。

榊原郷土資料館の 門前で 待っていたら
まもなく 扉が 開いた。

いままでは 毎日開けていたのだが 
体調が 悪いので と 館長さん。
土 ・日 ・休日だけにしているのだ という
館長さんは 確かに ゾウさんよりは 
ご老体だった。元先生は
   建物も このなかの 資料収集も
   自費で まかなって きた、 と。

入館料 200円 × 2 を さしだしたら
遠くから きてくださって 嬉しい から 
と いって 受け取ってくださらなっかった。
帰りに 本を 2冊購入してきた けれど。
続きは 明日。

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日田・吉野ヶ里説 宇佐説 朝倉説 中津説 山陰説

2009年05月20日 09時31分50秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 吉野ヶ里 
ここも 邪馬台国 を
狙っている ところです。
xxxxxxxxxxxx

我が家で取っているのは 東北の 地元紙だが
その 新聞 昨日 5月19日(火) 夕刊に
「邪馬台国は どこにあった ?」
の 記事。

大分県宇佐市で 
第5回日本邪馬台国論争大会が 開かれた、と。
驚いたことには 23年ぶりだという。
1986年 だから S 60年代から
開いていなかった。  何で ?

私と 同じ 
昨年の 映画「まぼろしの邪馬台国」が 
再開の きっかけだ そうな。
5人が 朝倉説 中津説 山陰説
日田・吉野ヶ里説 などを 述べた。
 
「など」とは なにか HPで 探したら 
地元 宇佐説 だと いう。
卑弥呼の 墓が あるのだそうな。

上の五説の アマチュア研究家たちの ほかに 
別の説を唱えた 飛び入りさんが いたらしい。 
「つまらない」という 書きこみも あったが 
それでも 聞きに 行きたかった。
九州は 遠い。

奈良に 行ったときは 畿内説になり
九州へ いったいまは 
宮崎康平の 諫早湾周辺説になっている。
いいかげん だなぁ。

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心がけが良いと お天気が良い 

2009年05月17日 10時04分22秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真は 大宰府天満宮の 飛び梅。
今日の 文章には かかわりないのだが
なんで 菅原道真の 住まいだった
榎社 ではなく ここに 飛んだ の
という 疑問が 起こったので。
なんでも 不思議に 思う私が おかしい ?

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昨日の 島原の 続きは まだ 書いていない。
書き溜めたものの 残りは この余談 1話だけ。

火曜日の 文章の会の 宿題を
完成させてから また旅行の 続きを 
書くことに します。
旅日記は また 休みます。 
xxxxxxxxxxxxxx

帰宅したとき
ここは まだ 花過ぎの 季節にはなっていなかった 
九州の桜は 終わっていたのに。
この 気候の差を 測りかねて、の 失敗を書く。

出かけるまえの 衣類の 準備。
なにを 持ったらよいか 迷って 数日
旅行カバンに ただ ただ 放り込んでいた。
そのことを すっかり 忘れて
考えなしに カバンを閉めた。

出かけてしまった。下着・靴下が 足りなかった。
特に ワタシのは。
Tシャツなど 上に着るものは  
ゾウさんのは たくさん 入っていた。余るほど。
 
わたしの トップは 1枚も なかった。
着たきり雀。同じ服で 5日間 過ごした。
若い模様の Tシャツが 2枚あったので 
暑い日は それで 凌いだ。

なにを 着ようが
カメラに 写ってしまうのは なぜか 
どっかの「おばあちゃん」だから 
1枚で 結構 と も 言えるが ?

被写体の 大きさを 知りたい。
その ためにだけ そのものの 脇に たって 
ゾウさんに 撮ってもらう。
また ゾウさんも モデルにする。

そうだ。 お天気さんには 助けられた。
福岡に着いた 最初の日に 
霧が かかっていただけ、それから4日間 快晴。
天候に恵まれた 時は 
「日ごろの 心がけが いいからだ」というらしいが
ゾウさんは 天気が 悪い日に
「心がけが 悪かった」と 思うのが いやだから
言わない のだ そうな。

私は 言う。思い上がり で 言う。
辛抱が あったから いま いい日が ある ……

そんなことは ない とも 思う。
よそ目では 最初から 最後まで 
苦労なしの 幸せな人もいる。
よそ目では なんとでも 言える。

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白い杖の康平さんの 碑のまえに 赤い杖

2009年05月16日 00時24分52秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
やっと 宮崎康平氏の「邪馬台国」へ 着いた

10年くらい前
宮崎康平 著「まぼろしの邪馬台国」を 読んだ。
九州へ 行きたいと 思った。

昨秋 映画「まぼろしの邪馬台国」 を 観た。
地名を 聞いても 位置も 方向も わからず
原作と 同じく 理解できない。
九州へ 行きたいと 思いは つのった。

「まぼろしの邪馬台国」の諫早周辺が 
九州説の ひとつでしかない ことは 知っていた。 
今回 ネット検索で 見つけた本 「邪馬台国の旅」
東京書籍を 購入。
我こそは と 名乗っているところが 
九州だけでも 30箇所もあることが わかった。

吉野ヶ里と 宮崎説の 諫早湾周辺。 
その 2箇所だけでも 回りたいと 考えた。  

宮崎氏の 諫早湾説の 情報が 
欲しくて ネット検索する。
島原市商工観光課の方が だしている らしき
サイトに たどりついた。
「パンフ・送ってくださる」 という。
メールして パンフレットを 受け取った。
宮崎説に 関する資料は なかったが
島原を すこし知ることは 出来た。
( 17日 島原、お礼を 言ってきた )

この東北から 九州は 遠い。 
列車では 着くだけで 1日ががり。
飛行機を 利用して 九州にいくことにした。
そして いま 吉野ヶ里から 島原
幸せ である。

諫早湾北岸
小長井の長戸鬼塚古墳を見る。

イサハヤ湾干拓堤防道路(無料)を 
通り 南岸に きた。
ここが 宮崎説の 邪馬台国 
いま 島原城址の 碑の前に いる。
白い杖で 邪馬台国を探る 
宮崎康平氏の碑のまえに
腰痛予防の 赤い杖で わたしは いる。 

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ガリガリガリ~~~は 音相応

2009年05月15日 08時25分15秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
写真
ガリガリガリは こんな 車でした
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

14日 福岡で 何もできず
15日 大宰府 吉野ヶ里 ほか
16日 長崎観光
ソシテ 17日は 島原市ほかを 予定していた。

17日 
途中で 車の あの ガリガリガリ音の 
本当の 意味を知った。
助手席の ドアの下に 
80センチぐらい 横に 2本
引っかき傷が ついていた。

長崎駅の 券売機の 左側の ポール立ては
確認してしたときは 
セメントの 固まりは 壊していなかったので
車のホイールに 傷が ついた だけだ 
と 思っていたが。 
やっぱり あの ガリ ガリ ガリ は
音相応の 傷を つけていたのだ。

レンタカー会社で かけてきたはずの
保険証を 探す。
わが 持ち物には まじっていない。 
その夜は 荷物を 全部 だして 探した。 

次の日
車の 運転席側の ポケットから でてきた。 
事故が 起こったら 連絡するように と
書いてある。

高速道を 走ってもらいながら
助手席から 電話を した。
返すときに 決済すれば いいのだという。

保険を かけていたので
金額は 車の 休業補償代の 2万円。
飛行機へ乗るまえに 支払いを して
けりを つけた。

誰も 傷つけなかった。怪我をしなかった。
これくらいで すんで 良かった。
上々と 思うことにする。

いつもの 喧嘩も なかった。
あ ちょっと やった。
早く 来てくれない ゾウさんに いらだった。
そんなぐらいで 大したことはなかった。
緊張していて やっている暇が なかったのだ。

xxxxxxxxxxxxxxx
車の ナビゲィション との 
お付き合いも ついでに 書いておく。

ナビ様 
  変な お客に 困ったでしょう。
  右へ、と 指示をだしているのに 左に 行く。
  曲がりきれないから と まっすぐ 行く。  
  そして 動かなくなる。

おちょくって いるんではないのです。
ホント 動けなかったんですよ~~~。

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からすみのお茶漬けは オツな味?

2009年05月14日 00時35分04秒 | 2009・9 わたしの邪馬台国 
 写真は 長崎駅 と 多分
「くんち」の「龍踊(じゃおどり)」の 龍?

夕暮れが 始まった。
長崎二十六聖人殉教者記念像に 別れて
駅舎まで 移動する。 
すこし早いが 夕飯を 食べなくちゃ。
シャトルバスで 早く 帰って
明日の 下調べを 確認しなくちゃ。
 
食堂は 若者向きが多い。 入りそびれた。
佐賀で 食べた ちゃんぽんの
本場ものを 食べたい が 見付からない。

ゾウさんが 卵焼で 具を 包み ケチャップを 
かけたもの(?)を 食べたいという。 
どこでも 食べられるんだけれど なぁ。
まあ、 ひとつだけ 買おう か。

駅まえの 椅子で 「おくんち」の 龍を 下から 
ながめながら 食べた。
お箸は いつも カバンの中に あるから
両はしから つついて 食べた。 味は 忘れた。

駅舎の前の 旗に 「白い たいやき」と
いう 名前があった。 テレビでやっていたな。
食べてみよう。 ゾウさんの 感想
普通の カリカリした 
タイヤキのほうが いいや。
値段は 憶えていない。
東北地方では 120~130円 だが
それよりは 高かった。

そして
さだ まさし さまが 「朝刊」 で
僕の好物の からすみを~~~
手土産にと くれたのに
わざわざ また 煮て
駄目にして~
と 歌っていたから 
いつか、と 思っていた「からすみ」を 買った。
一番小さい 10センチもないのが 1400円。 

薄くスライスして、お酒のさかな
または お茶漬 ……
と あった。 帰宅 してから お茶漬けに した。

ゾウさん「食べないよ」 というが
もう買うことはないから「試しに」と 勧める。
ぼら を 乾燥させたんだそうだが
苦みが きつい。名物に うまいものなし かな。
好きな人は 病み付きになりそうな 味 ?

食べ物では 次の日に
購入した カステラの話が あるが
また あとで

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