ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

40 ジョンの 予言 

2007年08月02日 08時12分38秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
中国に関する ことを テレビで 聞いてしまった
ので 書いておく

ジョン・タイターは「タイム・トラベラー」で
2001年の アメリカを  訪れた ヒト ?

「軍事作戦」の目的で 2036年の 未来から 
来たことになっているんだ と。
数々の 「予言」を 投稿した。 
その内容が 衝撃的 だったため 
注目を 集めたのだ そうな。

 ・オリンピックは 2004年を 最後に 
  正式な形での 開催は ない。
  2040年には 再開される

 ・2008年 アメリカ初の女性大統領が 誕生する

 ・2015年 ロシアは、
  アメリカ、中国、ヨーロッパの 主要な都市に
  核攻撃を 始める (第三次世界大戦)

 ・その大戦前に、中国は 
  台湾、日本、韓国を 併合する。

など など 

オリンピックは 来年。その 北京大会は ない ?
しばらくは 中止する ってこと ?     へ~~~~。

女性大統領は 実現しそう だって 言うが

第三次世界大戦 勃発。 戦争 起こる ?  核を 使う ?
それは 世界が、 地球が 破滅するってこと だ よ。

あらそいごとは 喧嘩程度でも イヤだ
中国の 強引さを 見てきた クマは
信じてしまいそう。

ジョン・タイターは 未来人? 宇宙人? 
これは 信じられないのに … 
戦争 は 起こる 気がする。  

アメリカの 人たちは その ヒト ?
を みたんだろうか。 
投 稿 だけを 信じたんだろう か。

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39 こちらこそ どうも

2007年07月28日 00時59分32秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真 … 小さくして 下のほうへ 
入れようとしたのですが 出来ませんでした。
まあ、ボケているから いいでしょう。 
疲れて もたれている ところを ゾウさんが 
撮っていました。 も~~~~。
一番 小さい 赤いトランクが クマのです。
リュックは こうして 常に 前にしていました。
黒い 手帳が 2日めから 
私のバックに 「2冊」入っていましたから
心配で

zzzzzzzzzzzzzz
Yさん  Finさん  Kさん から 
昨日 コメントが入っていたので また 
旅行記 書いています。 
 ありがとう !!  
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

仕事ね (Y)   2007-07-27 16:04:08

中国旅行記お疲れ様でした
興味深く読ませていただきました
ブログは半ば使命のようになってますよね
「必ず毎日出さなきゃ」って思うと
キツクなるから「楽に続けなきゃ」とは思うのですが、
今日は何を書こう~ と悩んでいたりします
そう言う風に育てられたんだね ハハッ

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

結局ブログはやってない (Fin) 2007-07-27 20:02:25

旅行日記 お疲れ様
(お疲れ様 等 労いの言葉は 本来
目上の者が目下の者に対してすること
なのだそうだけど 他に言葉知らないしねぇ…)

ところで ぼやきの方が多い気がするけど
トータルすると どうなのかな?
楽しめた割合が 高ければ良いんだけどね

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

面白かった! (K)   2007-07-27 23:59:35

普通の紀行文には、書かれない様な、
細々とした エピソードを たくさん紹介してもらって、
へえ~と思うことが 多かったです。
買い物の様子やら、水騒動、旅行のお仲間の多彩な面々…。
ちょっと 不平不満の多い旅 だったのか?
と 心配されないように 良かった面も
書き込みしてみては  如何でしょうか?

Fin君へ。
ご苦労様も、お疲れ様も、
意味合いは同じような気がしますね。
ご苦労様は、目上の者が目下の者に
労って言う言葉、
お疲れ様は、だれに対しても使えると
教えているところが 一般的だと思います。
ですから、今回の様にお疲れ様!は、正解です。

クマさん、お疲れ様でした。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
おかげさまで した。
読んで もらっているのだから… と
それを 感じながら 書き続けました。
 
ゾウさんへの 文句を 書いたときも
本人が 「そうだ。 そうだった」と 
たのしんで 読んでくれたので 助かりました。
こんなときは 鷹揚な ゾウさんは ありがたい。

zzzzzzzzzzzzzzzzz
読んで くださっている 人数など
アクセス数に でるのは とても 励みに なりました。
段々 増えるのが わかる というのは 
ブログに 仕組みとしては なかなか です。

旅行の よかったことは あとから くるようです。
じわじわと 嬉しさが わいてきて おります。
このことは 制作をはじめた 旅行記の 
「はじめに」に 書き出しました。が 
そうだね。 ブログにも
書かなければ 誤解を 招くで しょう。

クマの 長男 S君に お礼を 言います。 
   ○ 行きたいところに 行って …。
     中国でなくとも いいから と 
      旅費 を 送って くれた。
   ○ 1度 中国を あきらめた ときに
     「旅行社」の パンフを たくさん 

中国行きは それまでも 考えたのだが
1歩 踏み出せなかった。
Yさん  Finさん  Kさんからも 情報を
もらった。 こうして 押しまで して もらって
この ツアーを 見つけたのでした。   
最初で 最後の 外国旅行が 出来たのです。
未知の国へ 行けたのですから 満足なの です。

そうだ 添乗員さんが とっても いい人でしたよ。
ここへ 写真を 小さく 入れようとしましたが 失敗。
プライバシー 問題も ありますから 削除しました。
冊子には 入れます。 
33歳? 35歳?  独身です よ。 どうし ます ? 

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38 長安と仙台は 2700キロ

2007年07月26日 10時45分21秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
象の足物語は 一応 最終回です。
ホテルから 長春空港までは バス。
そこで聞いた ガイドさんの 話を 書きます。 

…… ここは 長安の 都でした。
日本の 昭和の時代は 満州と 呼ばれました。
溥儀の 宮殿が あります。
すこし前までは 満州時代 ここに 住んでいたという
日本人が 観光で 訪れることが 多かったのです。
最近の 若い人からは 忘れられてしまって
観光客が 減りました。
市花は 日本から 来た 君子蘭です。
長安と 仙台は 2700キロです。
また 訪れてください。……

クマには 耳が 痛いことでした。
戦争の 加害国の 日本人なのだということを
忘れていたことを 
ちょっと 忘れて 楽しんだことを
恥じました。

象の足を ほんの すこし なでただけの 
わたくし クマの お話は これで 一応 終わります。
あとは 思い出し しだい 書きます。
ご静聴に 感謝 いたします。
 
追伸 
帰国してから 
中国から輸入しているものに 食料だけでなく いろいろな 
危険な 含有物が含まれているという ニュースが
以前より 余計流れて いるように 思われます。
「土産」に 買ってきたものを 
渡すことに 不安を 感じています。

食べ物でないから 大丈夫かな。
だけれど 手指に それが さわったときに 
害があると きくと やっぱり 怖いです。
日本でいう瀬戸物の茶碗 など 口にさわるものですから
どうしましょうか。
国営の店で買ったのでも 信用ならない気がします。

最近 中国関係の 本を買いました。 
 
・ 「中国の不思議な資本主義」
行く前に読んでいたら 行くことをやめたかも。

・ 「日中二千年 漢字のつきあい」
ちゃんと 読んでいたら もっと 勉強になったでしょう。

日本の25倍の面積に 10倍の 人口
日本の 高度成長期のように 恐れを知らない行為が続けば
日本など 簡単に ぶっ飛ばされるんでは ないでしょうか 
日本は どうなるのでしょう。 気に なって …

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37 食事は おいしい?

2007年07月25日 07時15分32秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真は 西安での昼食 麺点料理 実演風景
xxxxxxxxxxxxxxxxx

10日 夜8時頃 上海をたって 長春に泊まる。

6月11日 とうとう 最後の日に なった。
5時半 相変わらずの バイキングだが
私たちツアーだけの 朝食になった。
みんな 知り合いになったようで
おしゃべりが 弾んで いる。

朝は ほとんど バイキング。
昼・夕飯は ターンテーブルでの 回し食い ?
回す タイミングに 慣れが でてきた。
店のかた ガイドさんから 
食事は 「おいしかったですか」と 聞かれることがある。
みなさま ちゃんと 「おいしいです」と お答えになる。

クマは そんなときは 黙っている。
「おいしくない」とは 言わないが
実は お世辞を含めて「まあまあ」と いう程度 だ。
日本料理の ほうが 口に合うことが わかった。
食べてみなければ わからなかった ことだから
これも 勉強です。

そうだ。  機内食 は 毎回 ホント
「おいしくなかった」 と 言える。
はっきりと 「なんだ こりゃ」と いえる。
日本 の機内食 は シンプルだが
とても  おいしかった 記憶が ある。
やはり クマは 日本料理が 好きだから
… なの でしょう。

では 明日こそ 最終回に なるように いたします。

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36 黒い手帳 です

2007年07月24日 11時23分29秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真は 最初と最後の乗り継ぎの 長春飛行場
xxxxxxxxxxxxxxxxxx
パスポートのことを 書く
ツアーの 方たちは みんな 赤 なので
ゾウとクマの この 濃紺にも 見える  
「黒」い の は なんで と 聞かれた。

赤い表紙が 10年。 黒が 5年です…。
もうすぐ 期限が くる ご老人は
「こんど 作るときは 黒 に しよう」と  言った。

パスポートを 発行してもらうときに
11、000円が 惜しくて
「一年ので 良い。1回だけほうが もっと良い」と
窓口で いったら ゾウさん
即 「そんなのは ないのだ」と あわてたように言う。

そんなこと 知っているよ。もう 
「そういうのも 制度として 作ってもらえないかな」
の 冗談だったのに ナ。

  そうだ。 余談をします。
  うちで 下水道工事をしたとき
  言いがたいことを やっとの 思いで 言ったのに
  茶々を 入れてくれた。
  おかげで 掃除をするたびに 困っている。
  思い出したので いつか きっちり 書くことにする。 

そもそも 旅券発行する ところが どこで
必要な ものは なにか を 調べたのは 
わたくし クマなのだ。
「そんなのは ない」ことは 百も承知とは
どうして ?  思わないのかな。
ほんと ジョウダンが 通じない人。

この 黒は ふたりだけ だったから
まとめての 搭乗手続きをしていただいたあとの 
添乗員さんからの 受け取りが わかりやすい。
呼ばれる前に わかって おかげ で 楽だった、よ。

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35 トランクを開ける羽目に

2007年07月23日 12時21分45秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
バスのなかで 朝食 という日が あった。
私にとっては早朝の 朝の食事は 苦手なので 
リックのなかに しまった。
ジュースは ゾウさんのを すこしもらったので
1本は そのまま 残った。

ジュースが 水分だと 気がついたのは 
手荷物検査の 窓口まで 行ってから だった。
手荷物には 入れて おけないことには 
気がついた。 それで 考えなしに
トランクに ほおりこんでしまった。
 
クマは 係官に 呼ばれた。
トランクのなかが X線検査で 映し出されていた。
右わきに 缶のかたち
あ~~~~~。 あれだ。
「ジュ―ス です」と 言葉が 通じないかたに いって
トランクを を 開ける羽目に なった。

女性係官は その 下のほうの 衣類をめくっている。
「よし」の合図で 開放された。

ゾウさん 「入れては いけないのに」 なんぞ
文句を言う。 クマが 急いで トランクへ 入れたのを
「しっかりと」 見ていたかたも 同罪であろう。
叱る資格は ない ゾ ナ モ シ。 

落ち着いていないと こういうことが 起こる。
とんだ 缶ジュース事件であった。

ついでに いうなら
ゾウさんは 小さいバックを 持たずに
ポケットに 小物を入れて
毎回 検査に 手間取る。
クマが 「他人を 待たすことになるから」と
文句を いっても とうとう 改めなかった。
そっちだって 問題じゃないですか ネ。

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34 難聴が役にたった

2007年07月22日 09時09分30秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
心配だったのは 飛行機で 席が離されること。
まえに 沖縄行きのとき 左窓と右窓側に なった。
もちろん 隣の人は知らない人である。

同じ ツアーの方かどうかさえ 「行き」には わからない。
2時間 3時間を だんまりなんて
耐えられない。
話しかけられれば 旧知の仲に なれるだろうに
この方は 話好きだろうか 
いま しゃべってもいいだろうか などと
考えて 結局 話しかけるなんて出来なかった。
本を読んで 過ごした。
席を 離されることもあるなんて 知らなかったから
面白くなかった。

今回 添乗員さんから はじめて電話があったときに
「夫 耳が悪いから 出来れば 隣あわせにしてほしい」と
頼んだ。 営業所で 話したときは 「伝えます」と 
言われたのだが 連絡は いってなかった ようだ。

ゾウさんの 難聴が はじめて 役にたった
配慮して いただいた。 「言ったものトク」だ。 
通路を隔てたのが 1回あったが それでもありがたかった。

長大な 体躯の方たちに 挟まれる席になったら
どうすりぁ いいんでしょう。
外国の 男性だったら どうなるんでしょう。

ここで 疑問 
えきネットでは 禁煙席など 指定が 出来るのに
なぜ 飛行機は 出来ないの?

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33 楓橋夜泊の寒山寺

2007年07月21日 00時24分03秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
10日は 蘇州の
虎丘(コキュウ)斜塔・寒山寺・拙政園を めぐった。
今日は 寒山寺だけを 書きます。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
楓橋は 写真にある門の直ぐ前の橋では ないようだ。
本物 みたかった、 な。

はじめは 妙利普明塔院と いった この寺は、
509年から10年をかけて 建立された。
唐の時代に 寒山と拾得という人が 修行していたことから 
寒山寺と 名前を 変えたそうな。
森鴎外の「寒山拾得」 …… 外伝のようなものだが
一応 面白いので 興味があるかたは お読みください。
寒山寺が 中国はもちろん 日本を含む 諸外国にも 
広く知られるようになったのは、 唐代の詩人 張継が 
「楓橋夜泊」を 詠ったことによるそうな。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzz

月落烏啼霜満天  江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺  夜半鐘声到客船
zzzzzzzzzzzzzzzzzzz
 七言絶句 の 絶句とは「絶句する」の 語源かな と  
いまごろになって 調べたが やっぱりわからない。
七言絶句では
峨眉山月歌・涼秋詞・山行・芙蓉楼送辛漸  など を
習ったのだが いま 読み返しても 面白い
五言絶句も 習ったのだが
七言絶句が 起・承・結に 韻をふむ ことに
興味があった。 
なんで 都合の良い 韻を 考えつくのかな。
それが 才能 という もの でしょうが …
天(てん)・ 眠(みん)・ 船(せん)
あれ だけれども
日本の 読み方だと そうなるけれど
中国読みでも そうなるのかな。
わからなくなった ので 終わる。

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32 蘇州夜曲は禁断の曲

2007年07月20日 10時09分43秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
6月10日(日)晴れ

写真は みたとおり テレビジョンです。
それまで テレビ画像を 出すことが 出来なかった。
どうせ 中国語だから 見ても しょうがないと 
おもっていたのだが
添乗員さんに スイッチを 入れてもらった。
やっと 観ることが 出来たのが これ。
中国のは ほんの すこし 扱いが 違う。
「壊したら 困る」と 思うと 
その ほんの すこしが できなかった。
日本では なんでもなく いじっているのに……。

それで 朝まで 電源を おろさずに おいた。
ここのホテルのは 「日本」が 写ると 言ったことを
思い出して 早朝に つけてみた。
日本の B S では 「コムスン」事件を 報じていた。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

観光 最後の日 75キロを バスで 蘇州へ 
蘇州(スーチョウ)は 上海の西50kmに位置する古都で、
13~14世紀頃に 栄えた。 春秋時代 呉の 都
「水の都」とも いわれる。 
市木 は プラタナス  市花 は タイサンボク

バスの中で 蘇州夜曲の 歌詞を メモはじめた。
中国では 『蘇州夜曲』は 日中戦争時代の歌だから
歌うなんぞ とんでもないことらしい。 曲は 美しいんだけれどな。
思い出せないところがあったので  帰ってから ネットで 調べた。
2番を 知らなかったので 憶えに 書いておく。

蘇州夜曲   作詞:西条 八十   作曲:服部 良一

君が み胸に 抱かれて聞くは 夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花散る春を 惜しむか 柳がすすり泣く

花を浮かべて 流れる水の 明日の行方は 知らねども
今宵映した 二人の姿 消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻しよか 君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に 鐘が鳴ります 寒山寺

では 寒山寺は 明日 書きます。
旅は もうすこしです。  ご辛抱ください。 

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31 熟睡は 構造のおかげ ?

2007年07月19日 14時09分56秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真は バスから みえた 高層アパート ?
zzzzzzzzzzzzzzzzzzz

昨夜の クルーズは 8時35分から 9時半まで
ホテル着 10時5分。 
騒がしかったから とても 疲れたのだが
とても きれいな 宿だったからか よく 眠ることが できた。
最後のホテルが  今日と 同じ 4星とは いえない宿だった から
結果として ここが クマにとっては 5星といっても良いほど 
満足な宿に なった。
 
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
いままでの 日本での 旅では 夜 眠れないことが 多かった。
乾燥するのか 水分が ほしくなる。  だから 起きる回数も 増える。
中国行きで 「水」を 心配したのは そんなわけも あった。
ところが 中国では 夜 1度くらいしか 起きなかったのだ。
水も 必要なかった。 なんでだろう。
また ホテルは 隣の部屋の 話し声やテレビの音が 
ほとんど聞こえない。
夜中に 酔っ払いなどが 大声で廊下を行く、ということにも 
あわなかった。 
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
ガイドさんの 話 … … 
中国では 一軒家は 別荘と呼ぶ。 
ほとんど 投資か 人に 貸すことが多い。
アパートは 借りてから  内装を 自分でする。
柱で支えるのではなくて 壁で 支える。 25センチある。
 
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
と いうことは ホテルだって 
あつい壁 で 出来ているのだろう。
これ の おかげだったの かな。

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30 上海は 喧騒の なか

2007年07月18日 07時37分03秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
6月 9日(土) 晴れ

9日は 桂林飛行場から 上海国内空港に 移動した。 
それから バスに 乗る。 ガイドさんは 銭(セン)さん
遅い昼食を とって また バスで 移動。

豫園(ヨエン) 上海老街(ロウカイ) 外灘(ワイタン)
新天地 (ムカシの フランス人の疎開地) と
回ったことになっているが ・ヒト・ひと・人 ばかりで
きちんと 記憶に なっていない。

メモには 海の公園とあるが 正式名称では ないのかも ? 
これが 外灘(ワイタン)だったのかも しれない。
東方明珠塔と いった か な。 湾のような海の 反対側に
468メートルの 世界では 3番目、
アジアでは もっとも高い テレビ塔が 見えた。

その 右となりに 高層ビルが 建設中。
「日本が」 とか 「フジビル」だ とか ガイドさんが
 言ったような。
これが 完成すると 492メートルになり 
テレビ塔よりも 高くなるんだそうな。ほんと ?

さて 夜は 外灘(ワイタン)の ライトアップを
船から 見るのだそうな。
乗船を待つ間 列を作っているが
「まるで 人を 見にきたようですね」と 
旅行馴れしている ご夫人が おっしゃった。 
定年退職以降 外国旅行を 趣味としている ご夫妻は 
S 40 年 頃 ゾウさんとクマが 住んでいた町に 
いたんだそうな。

上海ナイトクルーズ は とても 混んでいて 
8時35分に やっと 乗船 した。
騒がしい音楽が 高々となる。
人々は それに負けまいと 叫び声になる。
ライトアップさえ キレイには 見えなくなる。
音楽 ストップしては いけないのかな。
静かに 見せてください。 あ~~~あ。
もう 山の中の 我が家に 帰りた~~~~い。

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29 のどかな 床やさん そして

2007年07月17日 08時16分33秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真は 記事とは 
直接には 関係ない場所です。
では 昨日の 続きを 書きます。

お金持ちが 芸術品を買っているあいだに 
バスのなかから みえた 風景。

道路向かい側 の 河沿いに
とこやさん が いた
白布をかけた男性の 髪を 刈っている人。

それが終わると 母親らしき 人に連れられて
男の子が 来た。

だれかが その料金を 言ったのだが 忘れた。
とても安い値段だった。
椅子と テーブルだけ の 元手だから
安くても やっていけるのだろう ナ。

天気の 悪い日は どうしているのかな。
店を はっては いるのかな。

髪を 刈ってもらっている 男の子を 思い出しながら
書いていたら
そのあとに 見た 同じ年代の 
花売り 少年が 浮かんできた。

バスに 乗って 
みんなが 集まるのを待っていたときに
一年生か 幼稚園ぐらいの 男の子が
赤い造花1本を持って 窓辺に よって来た。

だれも 買わない。バスが 動き出した。
兄らしき 男の子が 出てきて その子を叱っている。

建物の 奥に その ふたりをみている
大人がいた。 もしかして  ……。

このときは なぜか 物売りは このふたりだけ。
いつもは 群れている。
サイフ ハンカチ 帽子 買っている人もいた。
「粗悪品だから 買わないように」と ガイドさんが
言ったとおり ペラペラの もの に 見えた。

ガイドさんは 
自分が 立派なところへ連れていくから
だから 「買わないように」 な の か な。

ツアーの人たちのなかには
中国に 買い物に きたのかな と 思うほど
買い込んでいる 人が いる。
自分は 軽い バックしか 持ってこない で
添乗員さんに 掛け軸を 頼む人がいた。やれやれ。

日本人が お金持ちに 見られるのは 仕方ないのかも。

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28 芸術品は 98万えん

2007年07月16日 10時49分06秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
ショッピング 2

そうそう。
入ったら 出してくれない 店が あった。
国営の 店の方 が えげつない。
日本人は 仕返しを されているのかも。 

アメジストだったかな 大きな 紫色の原石
など キレイな 石を 見せられたあと
本命の もの を 見せられる。
宝石で 作ったという 仏壇の飾り物
7点 セット 98万円也

蜘蛛の 糸に からめとられた 日本人 ひとり
熱心に 説明を 聞いている。
なんと 現地ガイドも 加わって いるではないか。
ああ 。
クマは だめだ こりゃ と 外に 出ようとした。

入り口に 頑張っている 細身の若い女店員
「アチラに まだ ありますから」
こっちも 負けずに 「興味ありませんから」
それでも
扉を 開けてくれない。

隣の部屋には 2つの入り口に 男性の店員がいる。

一応 一回り して 戻って
かの 女性に 「集合時間ですから」
ダメ だって 顔をしている。
ゾウさん びびってしまって 「ここに いよう」
それで 本気になって 怒った。

「添乗員さんが 入り口で 待っているから」と
ゾウさんの 手を ひっぱって むりやり に 出た。

日本の添乗員さんが
「バスで 待つように… 」と いうこと。
仕方なしの 人が 3分の2 ぐらい 。
3分の 1 は いろいろ 見ているのだろう。
遅れて 戻って きた 人が
その お金持ちが
契約書を 書いている という 知らせ。

バス出発は おかげで 30分 遅れになった。
いま これを 書いて 
そうか 京劇に 遅れてしまった のは
例の 迷子おじさんが 夕食の場から
「なかなか 来なかったから」
だけ では なかったことに 気がついた。 では

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27 ゆっくり 選ばせて

2007年07月15日 09時42分53秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
ショッピング 1

観光とは ショッピングか と 思うほど
買い物が 多い。
ひとつでも 多く 史跡を 観たい 
自由時間は 殆ど ないから
(まあ 迷子が 出来るから しかたないのだろうが)
一日に 一箇所は お店に連れて 行かれる。

旅行 はじめのほうの 店でのこと。 
そこは 七宝焼きや 壷や 置物の 店だった。
買い物には 興味が ないが ちょっとは 見て回りたい。
ぶらぶらしていたら ゾウさんが 来た。
「なんか 欲しいのか」

旅行に いったときに お土産は ほとんど 買わない。
まあ 買うことが 多いのは 「箸置き」
これなら どんなに 高くても 1000円ぐらいで すむ。
「なんにも 買う気が ないけれど。 箸置き あるかな」 
と 言ったとたん 店員さんを 連れてきた。
「こっちです」
あら 日本語 だ~~~。

それからは ゾウさんが 
「2つ じゃなくて もっと 買 え 」
店員 「○○ 元 です」
ゾウさん 「土産に しろ」
うるさい。 もう ぜったい 買うもんか。

色をみて 触ってみて 財布と 相談して…
そんな 日本での 買い物スタイルは とても 出来ない。

結局は 自分達用に 2個だけ 買った。
帰宅してから 眺めてみると
日本のより 軽くて 使いで が 悪い。
いまは 置物にしている。 たくさん 買わなくて 良かった。

店の方は ほとんど 日本語を 理解しており
話せる人も 多い。
日本人が ターゲットなの だろう。
特に 国営の 店が しつこい。

逃げても 逃げても くっついて こられる。
山形から 来た クマより 若い 女性が 
「ゆっくり 選ばせて」と 怒るように 言った。
そうだ。 そうだ。
あなたは すごい 偉い !!

「ショッピング」 は 明日も書く。

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26 尾籠な 話

2007年07月14日 20時27分50秒 | 2007・6 象の足物語(兵馬俑など)
写真 は ホテルにあった 鉢植えの あじさい

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
トイレ は「洗手間」と 表示されて いる。
手を 洗う 所。 洗 面 所 ね。 なるほど。
1ヵ所だけ 女厠○ 男厠○ というところを見つけた。
○ は なんだったか 忘れた。
殆どが 「洗手間」となっていた。
 
桂林での ショッピング中。
その「洗手間」の
男性トイレで 「奥さん」探しを 頼まれた方が いた。
「訴えた方」は そこから 出られずに いる。
衣類を 汚して 動けなかったの だろう。
 
ちょうど いいことに そこでは 衣料品も 扱っていた。
中国風の ズボンに 履き替えた 男性は 
いつもと 違って 顔色が 悪かった。 
それなのに バス 移動 中に 奥さんに 
「汚い手で 煙草 吸うからよ」とか
怒鳴られている。 

隣の席にいる クマは なんとも 慰めようがない。
たしかに そうかもしれない。
でも 人前で 怒らない で、
とは 思うが クマも 同じ立場になったら
ゾウさんに 言うかもしれないから 批判しないでおく。

次の日。
クマよりは 若い女性も
お腹の 調子 悪くなって 「薬を飲んだ」と 言ってた。
水問題だけではなく
なにかと 疲れが 出てきたころ なの だろう。

クマは 持病が すこし出た が たいしたことでは ない。
出かけるまえに 兆候が あったので
手当ての ものは すこし多めに 持って いた。
心配ない。 何とか 8日間を のリきった。
尾籠な話では あるが 
一番大切なことで は ないかな。   で は

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